2016年6月4日土曜日

2014年05月の63首

砂糖水を飲みつつ帰るふるさとの幻想、口中あまったるくて

途絶する川とは知らずほそぼそと揺れたる水のあかるき冷気

ジャカード織機(しょっき)止まればここに巨大なる静謐生(あ)るる、滅亡のごと

CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと

耕耘機の掘りだす虫を待ちながらカラスが十羽、また一羽来る

川上に吹き上がる風、野田川の逆に流れる水面(みなも)のあたり

人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて

まだ土地に星近きまちの夜祭り三日月までが観に降りてきて

地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)

メインメモリの減ってゆく母、タケノコを焦がしてずっと言い訳をする

ふるさとはやがては挽歌、人のない通りを明るい風ぬけてゆく

この裏の畑が母を微笑ますすかんぽを抜く、スミレは可憐

寺にある鳥居をくぐり境内はまばらにスミレ、人知らず咲く

玄関に石載せた白き紙あれば電線に墨で啄(たく)、つばくらめ

切れぎれのネット接続タイムラインに君の叫びを聞いた、気が、し、

休耕地にスズメがあそぶ、シナントロープのくせに減りゆく人を憂えず

死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は

音楽は崩れくずれて賛美歌のフレーズまぎれてきわだつごとし

肉の輪を腰に重ねて巻いている女が奥で飲むカウンター

ドライブという語のドライブ感もなく君を運んで君にさよなら

久々のワインの酔いを覚ますためコーラを飲んで黒き舌あらう

四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃

Wが付くってことは世界だろう世界ってことは凄いのである

差別するこころを差別するこころ、言葉ではない、ラムラムザザム

綺麗なる顔で道路の真ん中で猫が寝ている、いや、死んでいた

強力な力が命にぶつかれば未来がぜんぶ身を出(いで)て消ゆ

おいそこの少し離れて休んでる小さくたくましい春雀(はるすずめ)

風食えばふくらむばかりの鯉のぼりをふるさとの景と更(か)えて帰り来

カーテンを閉めきった部屋で丸鏡だけがましろくひかりたる朝

カメラレンズの内側に棲む黴(かび)もまた目に見えぬうちはあるとは言えず

生きることに理由はなくてこけまろび老ハムスターが歩かんとする

生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに

野良猫は自由な猫と異国では呼ばれいるらし、その死も自由

水木しげるが描きそうなそのやわらかく尖(とが)るうわくちびるに触れたし

靴の紐ほどけたままで朝早い少年と我はすれ違いたり

いつまでも半音階の旋律が落ち着きたがっているような生

この天地含めて私、ごろごろとその死と生を諾(うべな)い転(まろ)ぶ

時効ならぬ犯人像と服装が張り出され色あせて駅前

ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)

ディンギーは海の近景、そのもっと手前にパラソルの影なる女

雨音がかき消す音に紛らせて祈りの言葉唱えては消す

粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は

寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり

家庭とは幾滴の毒、舌先のしびれて酒に酔ったまま寝る

真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし

駅前の花屋のように季節とはその背を曲げて色を揃えて

駅前をふと戦前と読み違え街の景色の意味が変われり

失敗を避けおれば憂し、二回目がないのに試行錯誤の生の

理由なき反抗の熱を育みて運動会ではしゃぐ子供は

土を掘るみたいに発掘するデータの輪郭を払うような手の癖

いやおうなく人は形となりゆくを常田健描く農のいとなみ

ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ

卑屈さは決め込めば楽、チョコレートの包装紙握り背景と消え

愛情を数式として時間とか距離・金銭を剰余する君

漬物石の角(かど)やわらかく少し長くさだめのようにつけものを圧(お)す

前世紀人特有の臭いがも気になりはじめ沈黙の増ゆ

植栽のつつじのそばに雑草のポピーポピポピ咲いていたりき

一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて

百年で生は死となり死は時に九十九(つくも)を経(ふ)れば覚むると謂えり

歌を持たぬ民族はないと美しく語れど思う、人や場所など

咲き終えたつつじの花に巣を張って蜘蛛の姿のなき謳歌なり

流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば

わが身内(みぬち)の井戸に落ちたるウォレットの手に届かぬが耳には早し

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