2021年8月14日土曜日

土曜牛の日第33回「歌なんか」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

ワクチンって日本語でなんて言うのだろう。枠沈? (それは当て字やろ

近代短歌論争史の34は「奥貫信盈と服部嘉香・西村陽吉の新短歌論争」。大正時代の終わりに口語歌雑誌『芸術と自由』が文壇や詩壇に「口語歌をどう見るか」という質問をして、意見をもとめたことで、自由律や定型律のディスカッションがさかんになった。たとえば詩人の川路柳虹は「私は率直にいふ。三十一文字の口語歌をやめ給へ。それは滑稽なる悲劇的努力だ。口語歌を作るなら全然新たな今の吾々の口語の生々しい発想がそのまま伝へられるやうな新らしい口語の短歌型を考へ給へ」と書いたように、口語歌にも定型と自由律のあいだにも幅があったし、口語も、古語でないだけで、現在の書き言葉と話し言葉とのあいだにも幅があって、まとまりを欠いていた。

『芸術と自由』の創刊者の西村陽吉は、定型・自由律の以前に、まず口語の革新が必要であるとして、たとえば歌壇では土田耕平の作品がいかに古くさいかを実作を例に批判した。

 わが庭に来啼く鶯朝な朝なわれのめざめをこころよく啼く  土田耕平

このような歌が大正の現在、30そこそこの青年がうたうとは、なんというアナクロニズムか、と皮肉った。

ところが、これに、文語歌の陣営の『覇王樹』から奥貫信盈が、西村陽吉の実作をもって切り返しにかかった。

 客を待つ間の歌ひ女(め)たちの一ト屯ろ よべの噂さに桐の花咲く  西村陽吉

 生みのままの白いししむら うすものの襦袢にくるみ 生きてゆきます

<歌ひ女><一ト屯ろ(ひとたむろ)><ししむら>など、土田耕平よりもむしろ古語を多用しているというのだ。現代性は名詞において現れるのであれば、西村の作品はその考え方が不徹底である、とした。

また、奥貫信盈は、口語歌の「〜あります」「〜です」は、報告や対話に属するもので、短歌の「詠嘆」を内包しない、というのを問題視した。「<悲しきろかも>は詠嘆であるが、<悲しいのです>は報告で」「<悲しい>とは感じても<のです>とは感じない」

これは、奥貫におなじく批判された服部嘉香が反論しようとしたが、これからの努力である、というような悩みの吐露で、論理的な反駁とはならなかった。

このように、新しい短歌、新短歌には関心が高まっているが、口語定型律は旗色が思わしくなく、昭和に向かって、口語歌は自由律へと傾斜をつよめてゆくのだった。

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大正時代、そういえば「〇〇時代」って、明治、大正は時代っていうけど、昭和時代って、まだ言わないねえ。大正時代って、いつから(昭和何年くらいから)人は呼ぶようになったんだろう。

それはともかく、大正のはじめころは服部嘉香も、定型で表現できなくなったら詩の時代が来る、なんて言って斎藤茂吉と喧嘩していた(土曜牛の日第6回)のに、おわりごろには口語定型律側にいるのだから、この時代も強い風が吹いていたのだろうことが想像される。

ネットがある現代ほどで早くはないかもしれないが、第一線はマラソンランナーのようにみんな走っていたんだろうねえ。

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  七首連作「歌なんか」

太陽のかがやく浪費、まだ半分50億年たゆまず浪費

帰ったら電気をつける、電気がつく、明るいことはひとまず救い

体育館でボールが弾む音がした、告白したいような静寂

たましいがよゆうがなくて歌なんかよんでもなあといってみたんだ

蛍光灯のようなUFO浮かんでてカーテンをなぜちゃんと閉めない

ちょっと待てその、たましいって何ですのん? たましひってことは火の玉かしら

のびのびと生きのびましょうダメなときはダメだったーと残念がるがる


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