冷蔵庫の氷が落ちて静寂がさびしくて少しあたたかき夜
一貫目蝋燭の火が風もなく捻(ねじ)れ黄色く世界も捻れ
木の箱に原稿少しずつ満ちて締め切り前の化合物まぶし
マッチ箱の形容ももう百年を経てラッピング電車並び来(く)
ブロック塀の根際(ねき)にドクダミ地味に咲き愛でるわけにはあらず気になる
今日の幸、今日の不幸をひとつ決め小さく生きるを今はよしとし
正しさで人を断罪する夢のその両方の快楽ぞ憂し
孤独とは孤高の初段、自意識の合わせ鏡にまた他者を出す
世界を語る資格はなけんこの部屋でペットボトルを転がすわれは
君のためかつて使いしフレーズをふたたび使う、こなれて浅き
この曲の歌詞を離さず持っていた記憶なつかし、少女にしあれば
蛇の神は漢訳に龍と化身して逐語訳せぬ信仰を思う
寝る為に生きるにあらずと言い切れず早々と寝る、もういくつ寝ると?
富者は驕り貧者は僻むまさぶ(淋)しさ上衣(うわぎ)を引かれわれも入りにき
誰に会うわけでもあらず梅雨だくの外へ牛丼食いに出るだけ
目の答えは見ぬようにして質問に答えるたびにくだるきざはし
六月といえ雨降れば寒かりし外キジバトがくぐもって鳴く
探究の綱を手放す瞬間の楽な落下と余る思念は
歌はうった(訴)う、けれど同時にマネタイズせねばならねばネットでは止む
ようようよう朝の明かるき梅雨雲と地平のすき間は、(ラップみてーだ)
「だとしたらもともとそういうものなのだ」そうやって知る事実いくつか
味噌とゴボウの香を含みつつ飲む汁よ人間界の苦楽なつかし
しんどくてリタイアしてもかまわないマラソンならば意外に続く
成ぜねば短命よりも長寿こそ哀しかるらん、昨夜(きぞ)からの雨
母の周(まわ)りを子はくるくると回(まわ)りおり手伸ばせばきっと届くあたりを
新品の電子機器なる匂いして君の衣服の中に鼻寄す
月が大きいだが影がない帰路の手に下げている向き合わざる感情
秘曲ゆえ知らぬというか秘曲という存在さえも知らなくて生く
満月を過ぎれば既望、このあとは日々確実に新へと向かう
人間は間接的に食べもして梅雨時期らしい目で二人いる
どこまでも愛を放出するような歌つくり今日の予定は変えず
涙のことを歌えば歌はピンクッションの途中で刺さったままに留(とど)まり
大御所の演奏は良し悪しを超ゆ芋を飲みつつ聴く老ロック
詩にてなおあたりさわりのなきことを述べて齢(よわい)となりにけるかも
利己的に生まれて利他を学習し自己とたたかう生命(いのち)とは愛(かな)し
末代までの恥など知らず傍流は傍流らしく跳ね返りゆく
280年後のテレビドラマにて適(かな)いし曲を書きしバッハは
おそろしく舐めた目をする部下かつてのわれに似おれば背の汗垂るる
少し先の季節の過去ふとよみがえる冷蔵庫で冷え切ったる浴衣や
輝くのは若さか老いかオクシモロンと言うには老いのさまざまにある
階下われにひときわ高い声で鳴く飼鳥よ早く君に会いたい
奥底(おうてい)に何の願いのあるわれか膝まではない沼地が続く
メメントモリは取り憑くと聞きああそうかそういうことかと思いが至る
色百首編めばおそらく早々に情愛を示すそれの登場
人類の叡知がひとつ進むとき託しつつ去ってゆくもの多し
心許すゆえに吐きたる暴言や不機嫌をいつか仕様と思う
悲惨なる一瞬の死とそを思う長きひたすらながき生はも
背景の背景にふと震災が涙のごとく押し寄せてくる
驚くべき災害のあと生くるのも死ぬのも卑怯にみえる、夏枯草
跳びはねては沈んでイルカは繰り返し等速でわれは年老いていく
夕方の雀であるか電線に止め具のように並んで待てり
文学少年というひとつの生物が手を横に引く、よりみちに見ゆ
ささくれを突ついて痛い愛情を拒みつつ受く受けつつ痛い
食パンを噛みつつ信ず友情の太さではなくその分厚さを
本当に花が飛んだと驚いてそのまま視界をわたるモンシロ
はみ出たる腹をさすりてわが身はや地球より軽く鴻毛に重し
まだおしゃれして遊びたい母親が子を保育所に昏く預けて
バファリンで言うならここは半分の文系的な宇宙解釈
生ハムをかじってワインなめながら若きディランの風刺聴き沁む
旗の色を顔にペイントしゆくときしびれておりぬ、二つ意味にて
2016年7月9日土曜日
2016年6月12日日曜日
2016年05月うたの日雑感。
短歌において「分かる」ということを、いったいどの程度評価すべきなのであろうか。
分かる短歌を評価するのは、まぁ簡単だ。分かるもんね。
分からない短歌を、どうやって評価することができるだろうか。
分かるということは重要だし、分かりやすいというのは、基本的にはほめ言葉と思ってよい。
そのうえで、分かりにくいものを伝える、分かりやすく伝えられないものを歌う行為というのが短歌にはたしかにあって、その時に、読者は、読者が、どのように分からないことのアンテナを張っているかというのは、幸福な読者になれるかどうかという一つの分岐点のようにも思う。
5月から、うたの日が4ルーム制になったので、選評に挑戦していて、自分がどういう読者なのか、考えているのである。
自注など
「訛り」
ふるさとの訛りなき男帰り来て半透明の少年が笑う
「ふるさとの訛り」ときたら啄木か寺山を下敷きにするのだけど、停車場でも珈琲でもなく、幼い自分に笑われる、という絵にしました。
「皿」
大皿にアスパラの肉巻き積まれ某(なにがし)の五位の笑顔となりぬ
某の五位は、芥川龍之介の「芋粥」の主人公で、ここでは、アスパラの肉巻きが好きな作中人物が、山盛りに盛られて微妙な笑顔になっているシーンを描きました。
「引力」
解決でないのは知ってると言った、引力のようなものだと言った
解決ではないが、引力のように引きつけられるものは何なのか、読者が何を想定するのかを問う形の短歌。それは、死であろうか、暴力であろうか、それとも、性であろうか。
「遊」
仕事帰りの電車がわれを吐くまでをゲームをせんとやスマホ擦(こす)りて
歌題が「遊」で「せんとや」を使うってことは、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ」という童心の歌が想起されるので、現代では童心でなくサラリーマンがスマホを擦る行為で満足している対比の歌としました。
「元」
おみやげの「雷鳥のたまご」食いてはて、元始男はなんであったか
おみやげのお菓子の「雷鳥のたまご」から、平塚らいてうを想起し、「元始、女性は太陽であった」から、そのころ男はなんであったのかとつい思うという歌。らいてうの言葉は、「今、女性は月である」と続くのだが、太陽と月が入れ替わるのが運動の本質であるのか、までこの作中人物が考えたかまではわからない。
自選
「難」
難しいことなどなにもあらざりきしあわせなきみを祝福に行く
「子」
カエルの子は人間の子は俺の子はカエルを人を俺を越えゆけ
「自棄」
自暴自棄のように体を鍛えおり今日も宇宙は今日分冷えて
「声」
風邪ですとふいごのような声で言う、風邪が「かぜ」なることふとたのし
分かる短歌を評価するのは、まぁ簡単だ。分かるもんね。
分からない短歌を、どうやって評価することができるだろうか。
分かるということは重要だし、分かりやすいというのは、基本的にはほめ言葉と思ってよい。
そのうえで、分かりにくいものを伝える、分かりやすく伝えられないものを歌う行為というのが短歌にはたしかにあって、その時に、読者は、読者が、どのように分からないことのアンテナを張っているかというのは、幸福な読者になれるかどうかという一つの分岐点のようにも思う。
5月から、うたの日が4ルーム制になったので、選評に挑戦していて、自分がどういう読者なのか、考えているのである。
自注など
「訛り」
ふるさとの訛りなき男帰り来て半透明の少年が笑う
「ふるさとの訛り」ときたら啄木か寺山を下敷きにするのだけど、停車場でも珈琲でもなく、幼い自分に笑われる、という絵にしました。
「皿」
大皿にアスパラの肉巻き積まれ某(なにがし)の五位の笑顔となりぬ
某の五位は、芥川龍之介の「芋粥」の主人公で、ここでは、アスパラの肉巻きが好きな作中人物が、山盛りに盛られて微妙な笑顔になっているシーンを描きました。
「引力」
解決でないのは知ってると言った、引力のようなものだと言った
解決ではないが、引力のように引きつけられるものは何なのか、読者が何を想定するのかを問う形の短歌。それは、死であろうか、暴力であろうか、それとも、性であろうか。
「遊」
仕事帰りの電車がわれを吐くまでをゲームをせんとやスマホ擦(こす)りて
歌題が「遊」で「せんとや」を使うってことは、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ」という童心の歌が想起されるので、現代では童心でなくサラリーマンがスマホを擦る行為で満足している対比の歌としました。
「元」
おみやげの「雷鳥のたまご」食いてはて、元始男はなんであったか
おみやげのお菓子の「雷鳥のたまご」から、平塚らいてうを想起し、「元始、女性は太陽であった」から、そのころ男はなんであったのかとつい思うという歌。らいてうの言葉は、「今、女性は月である」と続くのだが、太陽と月が入れ替わるのが運動の本質であるのか、までこの作中人物が考えたかまではわからない。
自選
「難」
難しいことなどなにもあらざりきしあわせなきみを祝福に行く
「子」
カエルの子は人間の子は俺の子はカエルを人を俺を越えゆけ
「自棄」
自暴自棄のように体を鍛えおり今日も宇宙は今日分冷えて
「声」
風邪ですとふいごのような声で言う、風邪が「かぜ」なることふとたのし
2016年05月うたの日作品の30首
「難」
難しいことなどなにもあらざりきしあわせなきみを祝福に行く
「訛り」
ふるさとの訛りなき男帰り来て半透明の少年が笑う
「ゴミ」
今ここで決めようスマホのフォトデータのきみをゴミ箱に移すか否か
「カフェ」
カフェになるくらいだったら解体を望む古民家の有志連合
「子」
カエルの子は人間の子は俺の子はカエルを人を俺を越えゆけ
「ジュース」
懐かしい二人が話し込んだのちバナナジュースは甘く曖昧
「皿」
大皿にアスパラの肉巻き積まれ某(なにがし)の五位の笑顔となりぬ
「母」
母の日にいつもの母でない顔をみたくなるとき子の顔である
「学校」
居心地のいい比喩として君が言うそこにはぼくは居たことがない
「自由詠」
アップデートされなくなった機器たちのメモリのための天使が来たる
「引力」
解決でないのは知ってると言った、引力のようなものだと言った
「自棄」
自暴自棄のように体を鍛えおり今日も宇宙は今日分冷えて
「床」
逃げるとき上ではなくて床に降り本当は追ってほしい文鳥
「遊」
仕事帰りの電車がわれを吐くまでをゲームをせんとやスマホ擦(こす)りて
「声」
風邪ですとふいごのような声で言う、風邪が「かぜ」なることふとたのし
「賭」
見届ける最後の人を思いつつ人災よりも天災に賭く
「ドラマ」
ドラマとは逃げられぬこと、テレビ消してその瞬間にたしかにドラマ
「元」
おみやげの「雷鳥のたまご」食いてはて、元始男はなんであったか
「18時」
18時を過ぎるまで飲んでダメらしいまるでこどものようにオトナだ
「風呂」
自宅なる風呂にしあればフルーツの牛乳はないが悠然と立つ
「必」
必要なものはないけど百均はうなづきながらちょいちょい入る
「席」
なんとなく配慮されてる席順のなんとなくオレが盛り上げ役の
「コンビニ」
交差点を挟んでふたつコンビニのひとつは携帯ショップに食われ
「歩」
悔しくて食ったんだろう、このうちの将棋の歩には小さい歯型
「畳」
たたなづく青垣をゆくぐにゃぐにゃの蛇の道路のもう胃のあたり
「橋」
橋脚は一度はおもう、オレだけなら一瞬両足上げてみようか
「山」
山だけが景色の町で山ばかり描いてたいつも見納めとして
「全部」
見えるものは全部見たけど最初からトラは屏風の中にいたまま
「勇気」
銀色のバランスオブジェの片方に今日出なかった勇気を載せる
「やっぱり」
パリに住むような遠さだ東京もやっぱりそこがしあわせですか
難しいことなどなにもあらざりきしあわせなきみを祝福に行く
「訛り」
ふるさとの訛りなき男帰り来て半透明の少年が笑う
「ゴミ」
今ここで決めようスマホのフォトデータのきみをゴミ箱に移すか否か
「カフェ」
カフェになるくらいだったら解体を望む古民家の有志連合
「子」
カエルの子は人間の子は俺の子はカエルを人を俺を越えゆけ
「ジュース」
懐かしい二人が話し込んだのちバナナジュースは甘く曖昧
「皿」
大皿にアスパラの肉巻き積まれ某(なにがし)の五位の笑顔となりぬ
「母」
母の日にいつもの母でない顔をみたくなるとき子の顔である
「学校」
居心地のいい比喩として君が言うそこにはぼくは居たことがない
「自由詠」
アップデートされなくなった機器たちのメモリのための天使が来たる
「引力」
解決でないのは知ってると言った、引力のようなものだと言った
「自棄」
自暴自棄のように体を鍛えおり今日も宇宙は今日分冷えて
「床」
逃げるとき上ではなくて床に降り本当は追ってほしい文鳥
「遊」
仕事帰りの電車がわれを吐くまでをゲームをせんとやスマホ擦(こす)りて
「声」
風邪ですとふいごのような声で言う、風邪が「かぜ」なることふとたのし
「賭」
見届ける最後の人を思いつつ人災よりも天災に賭く
「ドラマ」
ドラマとは逃げられぬこと、テレビ消してその瞬間にたしかにドラマ
「元」
おみやげの「雷鳥のたまご」食いてはて、元始男はなんであったか
「18時」
18時を過ぎるまで飲んでダメらしいまるでこどものようにオトナだ
「風呂」
自宅なる風呂にしあればフルーツの牛乳はないが悠然と立つ
「必」
必要なものはないけど百均はうなづきながらちょいちょい入る
「席」
なんとなく配慮されてる席順のなんとなくオレが盛り上げ役の
「コンビニ」
交差点を挟んでふたつコンビニのひとつは携帯ショップに食われ
「歩」
悔しくて食ったんだろう、このうちの将棋の歩には小さい歯型
「畳」
たたなづく青垣をゆくぐにゃぐにゃの蛇の道路のもう胃のあたり
「橋」
橋脚は一度はおもう、オレだけなら一瞬両足上げてみようか
「山」
山だけが景色の町で山ばかり描いてたいつも見納めとして
「全部」
見えるものは全部見たけど最初からトラは屏風の中にいたまま
「勇気」
銀色のバランスオブジェの片方に今日出なかった勇気を載せる
「やっぱり」
パリに住むような遠さだ東京もやっぱりそこがしあわせですか
2016年6月4日土曜日
2014年05月作品雑感。
6月ですなあ。1年の半分がはじまるなあ、と思うです。
ふと、テルヤはテルヤになってから(2012/09/11)、どれくらい短歌をつくっているのか気になって、概算を出してみたのだが、2000首くらいはつくってそうだということがわかった。
文学において量というのは質以上に問題にされることはない。そりゃそうだ。ズキュンと撃ちぬく一首がない100の短歌の、何の意味があろう。
とはいえ、おそらく歌人は、自分がその生の折り返し地点を過ぎたことを知ったとき(それは往々にして過ぎてからそれとわかる)、あといくつの作品を作れるのか、考えない者はないだろう。
10代の学生だったころ、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーが、生涯の詩業がたしか15万行というのをどこかで読んで、その数よりも、「え、詩ってそういうふうにカウントすんねや!」と驚いたことがあるが(笑)、ユゴーの80年の生涯はまあ3万日ちょっとだから、生まれてから死ぬまで毎日5行の詩を書き続けて15万という、そういう数字だよね。
正岡子規は短歌は千数百くらい作っていたけど、俳句は2万句は作ってた。正岡子規は35歳だけど、20代から句作を始めてるから実質は十数年で句作を行っているので、これまた、1日5句程度作っている計算になる。
塚本邦雄という魔王は(歌人の格闘ゲームだれか出して)、1日10首を10年続けたとかいう話を聞いたことがあるが、それでも36,500首だよね。化物だけどね。
柿本人麻呂などは、長歌を合わせてもたしか100程度だったと思うんだけど、いつか、やってみたいと思うんだよね。1年で1首しかつくっちゃダメ、という1年を。どういう歌を残すんだろうね、そういう制約をうけた現代歌人は。
自選。
CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと
人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて
地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)
死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は
四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃
生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに
ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)
粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は
寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり
真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし
ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ
一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて
流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば
ふと、テルヤはテルヤになってから(2012/09/11)、どれくらい短歌をつくっているのか気になって、概算を出してみたのだが、2000首くらいはつくってそうだということがわかった。
文学において量というのは質以上に問題にされることはない。そりゃそうだ。ズキュンと撃ちぬく一首がない100の短歌の、何の意味があろう。
とはいえ、おそらく歌人は、自分がその生の折り返し地点を過ぎたことを知ったとき(それは往々にして過ぎてからそれとわかる)、あといくつの作品を作れるのか、考えない者はないだろう。
10代の学生だったころ、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーが、生涯の詩業がたしか15万行というのをどこかで読んで、その数よりも、「え、詩ってそういうふうにカウントすんねや!」と驚いたことがあるが(笑)、ユゴーの80年の生涯はまあ3万日ちょっとだから、生まれてから死ぬまで毎日5行の詩を書き続けて15万という、そういう数字だよね。
正岡子規は短歌は千数百くらい作っていたけど、俳句は2万句は作ってた。正岡子規は35歳だけど、20代から句作を始めてるから実質は十数年で句作を行っているので、これまた、1日5句程度作っている計算になる。
塚本邦雄という魔王は(歌人の格闘ゲームだれか出して)、1日10首を10年続けたとかいう話を聞いたことがあるが、それでも36,500首だよね。化物だけどね。
柿本人麻呂などは、長歌を合わせてもたしか100程度だったと思うんだけど、いつか、やってみたいと思うんだよね。1年で1首しかつくっちゃダメ、という1年を。どういう歌を残すんだろうね、そういう制約をうけた現代歌人は。
自選。
CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと
人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて
地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)
死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は
四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃
生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに
ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)
粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は
寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり
真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし
ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ
一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて
流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば
2014年05月の63首
砂糖水を飲みつつ帰るふるさとの幻想、口中あまったるくて
途絶する川とは知らずほそぼそと揺れたる水のあかるき冷気
ジャカード織機(しょっき)止まればここに巨大なる静謐生(あ)るる、滅亡のごと
CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと
耕耘機の掘りだす虫を待ちながらカラスが十羽、また一羽来る
川上に吹き上がる風、野田川の逆に流れる水面(みなも)のあたり
人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて
まだ土地に星近きまちの夜祭り三日月までが観に降りてきて
地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)
メインメモリの減ってゆく母、タケノコを焦がしてずっと言い訳をする
ふるさとはやがては挽歌、人のない通りを明るい風ぬけてゆく
この裏の畑が母を微笑ますすかんぽを抜く、スミレは可憐
寺にある鳥居をくぐり境内はまばらにスミレ、人知らず咲く
玄関に石載せた白き紙あれば電線に墨で啄(たく)、つばくらめ
切れぎれのネット接続タイムラインに君の叫びを聞いた、気が、し、
休耕地にスズメがあそぶ、シナントロープのくせに減りゆく人を憂えず
死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は
音楽は崩れくずれて賛美歌のフレーズまぎれてきわだつごとし
肉の輪を腰に重ねて巻いている女が奥で飲むカウンター
ドライブという語のドライブ感もなく君を運んで君にさよなら
久々のワインの酔いを覚ますためコーラを飲んで黒き舌あらう
四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃
Wが付くってことは世界だろう世界ってことは凄いのである
差別するこころを差別するこころ、言葉ではない、ラムラムザザム
綺麗なる顔で道路の真ん中で猫が寝ている、いや、死んでいた
強力な力が命にぶつかれば未来がぜんぶ身を出(いで)て消ゆ
おいそこの少し離れて休んでる小さくたくましい春雀(はるすずめ)
風食えばふくらむばかりの鯉のぼりをふるさとの景と更(か)えて帰り来
カーテンを閉めきった部屋で丸鏡だけがましろくひかりたる朝
カメラレンズの内側に棲む黴(かび)もまた目に見えぬうちはあるとは言えず
生きることに理由はなくてこけまろび老ハムスターが歩かんとする
生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに
野良猫は自由な猫と異国では呼ばれいるらし、その死も自由
水木しげるが描きそうなそのやわらかく尖(とが)るうわくちびるに触れたし
靴の紐ほどけたままで朝早い少年と我はすれ違いたり
いつまでも半音階の旋律が落ち着きたがっているような生
この天地含めて私、ごろごろとその死と生を諾(うべな)い転(まろ)ぶ
時効ならぬ犯人像と服装が張り出され色あせて駅前
ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)
ディンギーは海の近景、そのもっと手前にパラソルの影なる女
雨音がかき消す音に紛らせて祈りの言葉唱えては消す
粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は
寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり
家庭とは幾滴の毒、舌先のしびれて酒に酔ったまま寝る
真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし
駅前の花屋のように季節とはその背を曲げて色を揃えて
駅前をふと戦前と読み違え街の景色の意味が変われり
失敗を避けおれば憂し、二回目がないのに試行錯誤の生の
理由なき反抗の熱を育みて運動会ではしゃぐ子供は
土を掘るみたいに発掘するデータの輪郭を払うような手の癖
いやおうなく人は形となりゆくを常田健描く農のいとなみ
ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ
卑屈さは決め込めば楽、チョコレートの包装紙握り背景と消え
愛情を数式として時間とか距離・金銭を剰余する君
漬物石の角(かど)やわらかく少し長くさだめのようにつけものを圧(お)す
前世紀人特有の臭いがも気になりはじめ沈黙の増ゆ
植栽のつつじのそばに雑草のポピーポピポピ咲いていたりき
一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて
百年で生は死となり死は時に九十九(つくも)を経(ふ)れば覚むると謂えり
歌を持たぬ民族はないと美しく語れど思う、人や場所など
咲き終えたつつじの花に巣を張って蜘蛛の姿のなき謳歌なり
流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば
わが身内(みぬち)の井戸に落ちたるウォレットの手に届かぬが耳には早し
途絶する川とは知らずほそぼそと揺れたる水のあかるき冷気
ジャカード織機(しょっき)止まればここに巨大なる静謐生(あ)るる、滅亡のごと
CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと
耕耘機の掘りだす虫を待ちながらカラスが十羽、また一羽来る
川上に吹き上がる風、野田川の逆に流れる水面(みなも)のあたり
人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて
まだ土地に星近きまちの夜祭り三日月までが観に降りてきて
地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)
メインメモリの減ってゆく母、タケノコを焦がしてずっと言い訳をする
ふるさとはやがては挽歌、人のない通りを明るい風ぬけてゆく
この裏の畑が母を微笑ますすかんぽを抜く、スミレは可憐
寺にある鳥居をくぐり境内はまばらにスミレ、人知らず咲く
玄関に石載せた白き紙あれば電線に墨で啄(たく)、つばくらめ
切れぎれのネット接続タイムラインに君の叫びを聞いた、気が、し、
休耕地にスズメがあそぶ、シナントロープのくせに減りゆく人を憂えず
死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は
音楽は崩れくずれて賛美歌のフレーズまぎれてきわだつごとし
肉の輪を腰に重ねて巻いている女が奥で飲むカウンター
ドライブという語のドライブ感もなく君を運んで君にさよなら
久々のワインの酔いを覚ますためコーラを飲んで黒き舌あらう
四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃
Wが付くってことは世界だろう世界ってことは凄いのである
差別するこころを差別するこころ、言葉ではない、ラムラムザザム
綺麗なる顔で道路の真ん中で猫が寝ている、いや、死んでいた
強力な力が命にぶつかれば未来がぜんぶ身を出(いで)て消ゆ
おいそこの少し離れて休んでる小さくたくましい春雀(はるすずめ)
風食えばふくらむばかりの鯉のぼりをふるさとの景と更(か)えて帰り来
カーテンを閉めきった部屋で丸鏡だけがましろくひかりたる朝
カメラレンズの内側に棲む黴(かび)もまた目に見えぬうちはあるとは言えず
生きることに理由はなくてこけまろび老ハムスターが歩かんとする
生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに
野良猫は自由な猫と異国では呼ばれいるらし、その死も自由
水木しげるが描きそうなそのやわらかく尖(とが)るうわくちびるに触れたし
靴の紐ほどけたままで朝早い少年と我はすれ違いたり
いつまでも半音階の旋律が落ち着きたがっているような生
この天地含めて私、ごろごろとその死と生を諾(うべな)い転(まろ)ぶ
時効ならぬ犯人像と服装が張り出され色あせて駅前
ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)
ディンギーは海の近景、そのもっと手前にパラソルの影なる女
雨音がかき消す音に紛らせて祈りの言葉唱えては消す
粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は
寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり
家庭とは幾滴の毒、舌先のしびれて酒に酔ったまま寝る
真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし
駅前の花屋のように季節とはその背を曲げて色を揃えて
駅前をふと戦前と読み違え街の景色の意味が変われり
失敗を避けおれば憂し、二回目がないのに試行錯誤の生の
理由なき反抗の熱を育みて運動会ではしゃぐ子供は
土を掘るみたいに発掘するデータの輪郭を払うような手の癖
いやおうなく人は形となりゆくを常田健描く農のいとなみ
ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ
卑屈さは決め込めば楽、チョコレートの包装紙握り背景と消え
愛情を数式として時間とか距離・金銭を剰余する君
漬物石の角(かど)やわらかく少し長くさだめのようにつけものを圧(お)す
前世紀人特有の臭いがも気になりはじめ沈黙の増ゆ
植栽のつつじのそばに雑草のポピーポピポピ咲いていたりき
一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて
百年で生は死となり死は時に九十九(つくも)を経(ふ)れば覚むると謂えり
歌を持たぬ民族はないと美しく語れど思う、人や場所など
咲き終えたつつじの花に巣を張って蜘蛛の姿のなき謳歌なり
流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば
わが身内(みぬち)の井戸に落ちたるウォレットの手に届かぬが耳には早し
2016年5月28日土曜日
中牧正太試論
中牧正太試論
はじめに
「うたの日」という、毎日題詠歌会が行われてるウェブサイトがある。ここでは、1日3〜4の題詠の部屋があり、24時間のあいだに短歌を投稿、その後3時間のあいだに投票を行ない、得票の一番多い者が首席となる。先日(2016/05/27)、このサイトで快挙が成し遂げられた。
すなわち、首席通算100回の快挙である。
達成者は、中牧正太氏。
照屋は、彼と一度しか会ったことがなく、それほど仲が良いというわけではないが、彼の偉業を称え、同時に、彼の作品について考えてみたいと思ったので、ここに試論をこころみてみる。
いずれ書かれるだろう中牧論の先鞭の、その先の風圧にでもなればさいわいである。
オールラウンダーの肖像
中牧作品の印象は、一口に言ってオールラウンダーのような上手さを備えている印象である。これは、「うたの日」が題詠歌会であることも少しは影響しているかもしれないが、与えられた題をどのように短歌的に処理するかという課題において、さまざまなバリエーションを持っていることを意味する。
◯スポーツをからめた処理
「彼のこと信じてあげるべきだろう」中継ぎエースは腕で抱かない 『エース』
川の辺の恋でみがいた渡辺のアンダースローにはかなわない 『投』
サヨナラのヒーローインタビューでしたお返しします自由を君に 『ヒーロー』
春未満 遠くに君を見つめればロングシュートの実りがたきよ 『長』
強かったころの明治のスクラムのイメージでゆく求婚の海 『大学』
題に対して、恋愛模様を野球、サッカー、ラグビー、(ビリヤード)など、スポーツに重ねて処理するのは、落語の三題噺的な手法とも言える。
◯性別変更
絵葉書でこの身をつなぎとめる人、大志も良いがわたしを抱け 『葉』
迷うのよこの不自由はやさしくてあの不自由は仕事ができて 『自由』
あの人へ帰るあなたのシャツにこのミートソースが飛びますように 『パスタ』
新品に戻らないけどできるだけあなたを容れるための空っぽ 『空』
ほんとうにわたしでいいの印鑑は首をかしげているようだけど 『印』
「うたの日」の参加者は女性が多いので、男性風の作風は支持を得にくかったり、特定されやすかったりする。そういう点でのフェイク的な理由もあるかもしれないが、逆にいうと、多くの女性の厳しい審査に晒すわけでもあり、リスクもある。これは中牧氏に限った問題ではないが、短歌における女性性の表現において、女性言葉でジェンダーを表記する方法については、俵万智の文体以降、大きく変化していないようだ。
◯旧仮名
ぎりぎりで隠し通してくれたまへ高等学校制服女性 『ギリギリ』
諍(いさか)ひて帰る男の軽トラの梯子は月へ飛び立つ角度 『はしご』
それならば吾もときどき壊れやう君の昔の車のやうに 『昔』
それからはアンドロイドに替へましたとても仲良く暮らしてゐます 『それから』
数学に長けたるきみに想ひ出が数へ切れぬと云はせたいなあ 『学』
これも題詠歌会の性質上、匿名性を出す演出の一つとみることもできる。彼の傾向的に、旧仮名を使用するバランスとしては、少し照らいのある内面の吐露や、現代的、未来的のシーンに、ある抑制として旧仮名を用いているのではないか。
◯恋愛
はちみつを紅茶に入れるブログとかもうやめていい僕がいるから 『はちみつ』
雨ですね給料半分あげましょう君も半分くださいとわに 『給料』
こっちだと思ったほうと反対の電車に乗ってお嫁においで 『ドジ』
はじめましてどうぞよろしく赤い傘その役割をいつかください 『デート』
雨だけどいっそ僕ではどうですかつぶれた店の軒先だけど 『だけど』
ふつう、性別変更して歌う歌人は、気持ち悪がられるかもしれないが、彼がそうならないのは、性別変更以上に、がっつりとアプローチする短歌も多いからかもしれない。ユーモアを漂わせながら、ちゃんと告白していく姿勢は、リアルが充実している背景も予想させる。
◯言葉、文字
短編の僕らをのせて井の頭公園行きのスロウボートは 『船』
サンチャとは何と聞けずにうなずいた わたしいつまで野苺さがし 『鋏』
ああそうかすべての恋は終わるのだ平家蛍が「ん」と書いてゆく 『虫』
ありがとう楽しかったと笑む君の明朝体になりゆく言葉 『明』
つかまえることの上手な人たちの渋谷一面ライ麦畑 『本のタイトル』
いわゆる詩的な、詩言語としての形容も、言葉遊びがいきすぎず、現代短歌の、平明でありながら、印象的に処理するトレンドに沿っている。
これがあざとくなるかどうかのバランス感覚は、つくり手よりも読み手のそれであろう。
作風の分析など
項目ごとの書き出しはこのあたりにしておいて、彼の重複するモチーフについて考えてみよう。彼はしばしば、同一モチーフ(あるいはくせ)を持っているようで、ここに、彼の作劇術(ドラマツルギー)と、技術的な発展を辿れるか。
◯色の表現
けんかしてあいだをとった紫のマーチで行こう行けるとこまで 『紫』
赤色を好んだ君の紫のネイルおそらく彼氏は青木 『赤』
キレンジャー以上アカレンジャー未満、僕はあなたを助けていいか 『橙色』
黄色黒赤の誰もが道を断つ僕たちならば青へ飛ぼうか 『踏切』
時系列で並べた。「赤と青のあいだの紫」というモチーフは2回使われ、次には題「橙色」から「黄色と赤」に分解している。そして踏切ではさらに多色へ展開されている。
◯風俗の照らい
ふるさとの山河しずかに元気あり風俗店もがんばっており 『元』
ふるさとの駅はほほえむ黒松もソープランドもがんばっている 『泡』
モーテルの一つしかない町であるモーテルがんばれ僕もがんばれ 『ラブホテル』
これも時系列だが、これはあまり進展というよりも、同一モチーフである。彼の中での風俗は、都会ではなく(おそらく)地方の風景を伴っていて、その地方の応援と掛け合わせることで性風俗の存在を肯定しようとしている。これは彼一流の照れもあると思われる。
◯尋ねる、という関係性
ボランチの意味を教えてくれますかまた四年後もめんどくさそうに 『サッカー』
シボレーとあれは読むんだ 真夏日の君に教わる二つめのこと 『アメリカ』
このBの意味をきくのは幾度目か初めて地下で失恋をする 『B』
次の冬も尋ねたいから忘れたいその鍋を持つ手袋の名を 『手袋』
同じことを何度も尋ねる、という行為を、愛情の行為に彼は換える。この他者性が、彼の作風が独りよがりになるのを防いでいるように思える。
◯間違い探し
間違いを見落としがちな八月の瞳四つで見る左右の絵 『4』
早春の間違いさがしああこれか左の絵には太陽がある 『間』
少年がこんなにうれしそうなのに左右の絵には間違いがある 『絵』
これも時系列だが、3つめの作品が、記念すべき首席100回目の作品である。間違い探しのモチーフでは、彼の作品がより詩的に発展しているのが如実にわかる。彼の作風は、才能によるよりなお、努力に預かっていることがよくわかるのだ。
おわりに、内省的なリリシズム
最後に、照屋がもっとも評価する中牧作品の30首選(http://sarunotanka.blogspot.jp/2016/05/30-100.html)から、いくつか挙げ、照屋のおもう中牧作品の優れた点について書く。
ぼくの手がぼくの体に服を着せ通夜の支度を整えている
誰かの通夜に参加する主体の、通夜の相手との関係や、主体の内面のことを、主体の身体をバラバラに描写することで伝える表現はみごとである。
3D映画のあとの手のひらの雨粒もうひとつ来い雨粒
3D映画という、立体的に見えるが立体ではない映像表現に浸ったあとに、雨粒というかすかだが確かに立体物であるものに触れたく思う心情を、命令形にすることで、ある時代的な切迫感まで帯びた表現になっている。
グランデは意外にでかく僕たちは初めて顔の全部で笑う
こんなに楽しくて、幸福で、安心したシーンを描けることが不思議に思う。
よかったら歩きませんかさよならへあのどうしようもないさよならへ
これは「結婚」という題で、そこからこの作品を導き出すのもすごいことだが、「歩く」と「さよなら」だけで、結婚生活の質まで浮かび上がらせているのは驚きである。
がりりごり使い込まれた合い鍵を渡されながら飴玉を噛む
複雑な、怒りも悲しみもちがい、嫉妬、とまでいかない感情を、ユーモアをふくんだオノマトペで処理した名歌だと思う。
30首すべて挙げるわけにはいかないので止めるが、照屋が選ぶ作品は、おもに、これまで述べてきた、オールラウンダーの彼が、饒舌な言葉を抑制し、内面の、まだ言葉になっていない、あるいは、してはいけない感情について丁寧に詠う作品に引かれて選んでいるようである。
中牧正太という、歌人について、照屋は、ロジカルな表現技法を持ちながらも、それによって内省的なリリシズムを表現する、現代的な詩人の一人であると思うのである。
2016年5月27日金曜日
照屋沙流堂のえらぶ中牧正太作品30首 (うたの日首席100回記念)
少年がこんなにうれしそうなのに左右の絵には間違いがある
ぼくの手がぼくの体に服を着せ通夜の支度を整えている
してやれる全部全部を為し終えて禿げタンポポはまだ空をみる
むずかしく考えながら電柱の影を歩けば電柱がある
それからはアンドロイドに替へましたとても仲良く暮らしてゐます
養豚と百回言うと養豚のことを忘れてうまく踊れる
3D映画のあとの手のひらの雨粒もうひとつ来い雨粒
焼け焦げて浜辺に着いた棒っきれ少しゆっくりしてったらいい
グランデは意外にでかく僕たちは初めて顔の全部で笑う
今日会った人は六名だれもみな何かしながらわたしと話す
さよならの傷に効かざる鬼怒川の固形燃料ながながと燃ゆ
父に説く思春期よりもやわらかく紅葉マークの上下について
よかったら歩きませんかさよならへあのどうしようもないさよならへ
結論に君は近づくいくつかの飛べない鳥の名をあげながら
枝が実の手を離すのか実が枝を千切りゆくのか林檎や吾子や
夜に合う歌を薦めるユーチューブもうその件は終わったんだよ
文語にてともに学びし民法に禁じられつつただ雨宿り
おまえまた人を信じてみるのかい紐と錘(おもり)は垂直を指し
すみれ道ゆく子の靴のそのままでいてほしい青いてくれぬ青
長病みを明けし君との昼オセロ二寒五温の弥生ことしは
がりりごり使い込まれた合い鍵を渡されながら飴玉を噛む
費やした時がいまさらずんと来て離し忘れる給湯ボタン
外は池ゆうべやさしいありがとうごめんなさいがずいぶん降って
君の椅子が冷えてゆくまで目をとじる 次に見るのは何いろの部屋
ありがとう楽しかったと笑む君の明朝体になりゆく言葉
センセイと呼ばれる人と呼ぶ人の深いくちづけ、あとピスタチオ
湯葉を待つ、今ごろは君ひとりではないことでしょう、少し固まる
ややこれは秋が強めだ、君が来ない台風が来るジャムがあかない
あきらめろと瓶の手紙を突っ返す地球の七十一パーセント
短編の僕らをのせて井の頭公園行きのスロウボートは
中牧正太氏のうたの日首席100回を記念し、うたの日の一覧機能から中牧作品の30首を厳選しました(表示は掲載逆順)。
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