2022年1月3日月曜日

2017年07月の短歌など。

 新年あけましておめでとうございます。

過去の短歌を掘って洗っておこうと思っております。それが美味しい芋であるかのように。

先日、いいねの多い短歌がよい短歌とは限らない、みたいなおしゃべりがありましたが、ツイッターという場で、機会詩としての短歌はとても活躍しうると思っているし、歌集という、機会詩の力を失った媒体でよいとされる歌が、よい歌とも限らない、とわたしは思うものです。

2017年07月の短歌から。

端末を辞めたあいつはいまどこでどの精神を抱きしめている

半分に割ったパピコを順番にわたしが食べるわたしのものだ 

短冊に素直に願い書いたらばピースポールの文言に似る

朝起きて夜寝てそれを繰り返し心臓止まればよく頑張った

もう君が誰かもわからないけれど来年もまた会ってください #七夕

政治的に正しくしかし常識的じゃない表現を詩と呼ぶ朝(あした)

ひさかたのイーアルカンフーななめ飛びが出来ず真上にぽぴゅうぽぴゅうだ

人間がやっと言語を捨てたにゃらわれわれのことがわかるであろう #ネコ短歌後夜祭

北斗百裂拳はすべてが致命なる秘孔らし、その殺意丁寧

こんな日は死にたいだろう、後ろから突然宗旨を見抜かれており

画面いっぱいに描けば牛は褒められると知ってる子らの写生大会

開陳と男が言えば結局はジャンルを問わず開チンである

こんなにも歌を作って気がつけば自分の歌があんな遠くに

ポエジーに酔い過ぎたきみ金曜の終電前にもう詩を吐いて

手作りのこのポエジーを渡したいけれどあなたはポエず嫌いで

俺も詩もどっちも嘘をつくからな信じるとかでなくていいんだ

「明日死ぬ病(あすしぬびょう)」にかかってしまいうろたえてうろたえてこれ「今日死なぬ病」だ

文学的放屁について一時間の思索ののちに音せぬ放屁

オブラートで着ぶくれる夏、真実はビブラートかけるとうそっぽい

ゴッホみたいな星空がきみといるときで良かった、黙ってそう思ってた

おじいちゃん今日分の歌は詠んだでしょ、最近ちょっと増えてきたわね

文学はもっと遠くに行けるのにどうしてここで楽しんでいる

タイムラインながめておればわが死後の楽しきやりとりみているごとし

暗所から急に眩しい場に出ると目が痛くなる書き出しがいい 『雪国』#誤読文学


#俳句

竹床几半透明の使命感


#あいうえお順川柳

土砂降りで愛にすがってザジズゼゾ

おれはまだ酔ってないんだラリルレロ

すこしずつきみに服毒さしすせそ

愛したらこんなにケモノあいうえお

へいケツ、じゃなくてhey siri、なにぬねの