こんにちは。土曜の牛の文学です。
先日、宮沢賢治のやまなしを久しぶりに読むと、あれが大正の作品だったことを改めて知る。宮沢賢治の文体は、誰しも一度は「出会う」と思うけれど、出会うってことは、生きているわけで、たいした寿命だな、と思うのだ。
近代短歌論争史昭和編の5章は、「斎藤茂吉と高浜虚子の客観写生論争」。客観写生を確立していた高浜虚子が斎藤茂吉を招いて、『ホトトギス』誌上で短歌と俳句の写生の比較をこころみたものだった。
茂吉は客観写生に反対したが、①短歌と俳句は短歌の方が主観的で俳句は客観的である。②写生は実相を写すものであるから、主観や客観に限るものではない。③したがって俳句が客観写生に限定するのは範囲を狭めることである、という理由からであった。
しかし虚子は短歌は主観写生がその長所であり、俳句は客観写生こそが俳句本来の面目であると、少しも揺るがなかった。そして、茂吉が提出した客観写生の短歌を、俳人側はほとんど評価しなかった。
これに対して茂吉は憤然として「和歌に対する鑑賞眼の低級なのに驚いた」「態度の幼稚さ」「和歌の初学者にも及ばず」とあの調子でやりかえした。驚いたであろう虚子は、控えめに返答したが、意見がゆらぐことはなく、もの別れに終わった議論だった。
この論争は、何も生まなかったようにも見えるが、俳人の中でも水原秋桜子など客観写生に飽き足らない者は、茂吉の写生論へ近づき、のちの新興俳句運動への下地へとつながっていくものであった。
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近代短歌の写生は、ふりかえると、やはりいびつな定義に思われる。ものを写しとる、という行為において、客観と主観は、明確に分かれるものでもない。言葉で写すとなおさら、その言葉の選択が客観か主観かを論じるのは、フレーム(枠組み)の問題になってしまうだろう。茂吉は、そのフレームを認識しているメタな主体をも写すことを実相観入と呼んでいるのだろうが、斎藤茂吉のおかげで、日本人は、客観と主観をローコンテクストで判断できない病気にかかってしまっている。
正岡子規のいう写生というのは、せいぜい説明せずに描写せよ、くらいの意味だったはずなんだよなぁ。
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七首連作「こんど飲もうよ」
人類の最初に花を供えたる変わった人を思う休日
思い出は尽きないなんて言うけれど、無い思い出もみえる時代に
沼なれば泳ぐというか潜るちゅうか汚れを気にせず進むがたのし
漸進ということだろう、カタツムリのけっこう速い遅さについて
理想論だけどさ、お金は足りなめで虚勢を少し張る男たれ
シラケてた時代も終わり、見渡せばシラケてたのはここだけだった
オレたちはいつまで虚像? 作中の主体同士でこんど飲もうよ