2018年4月28日土曜日

2016年03月の自選と雑感。

インターネットが、コンピュータの処理速度と通信速度の向上にあいまって、動的な表現が可能になったとき、哲学的な問題に、人は直面することになった。

自分が見ている景色は、他の人も同じように見ているとは限らない、ということだ。

これはとても哲学的な、たとえば私にとっての「青色」は、他の人の「青色」と同じかどうか、というのも含むけれど、もっと実際的で表面的な、具体的には、mixiで多くの人が体験したような、「自分が見ている自分のページは、他の人からは違うように見えているけど、自分ではそれが検証できない」というような問題だ。

つまり、インターネットでは、世界が見えると思っていたが、実際は、インターネットの中にやや拡張された自我が設置されただけで、自分の外側は、やっぱりよく見えなかった、ということだ。

いや、それどころではない。自分の嗜好ばかりだと、循環してしまってよくないから、外側の空気を入れようとすると、不快なものが限りなく入り込んでくる。今や、インターネットは、それらをミュートしブロックし、自分の「好き」だけの世界に引きこもるために接続するのだ。

ひるがえって短歌は。短歌もまた、外に出てゆくためであったのに、内にこもるためのものに、なってはいまいか。異物を受け入れる度量は、短歌にもとめるのか、あなたにもとめるのか。

  あらかじめ決められた文字で綴るから忖度が読みのデフォルトにある  沙流堂


自選。

中島みゆき口ずさむほどご機嫌なきみでよかった雨の居酒屋

愛する人の激しいくしゃみ聞きながら花の粉まざる春の夜の更け

しあわせは体力が要る生ぬるき空気にわれは春スクワット

母の作りし梅酒の味の落ちること次男にあれば悲しんで済む

ぽつぽつりスマホの画面をキラキラと三色の光を拡げたる雨

修行僧コーラを飲みてその他の欲望を耐う、おおきくおくび

棒立ちの赤い男を眺めおり信号の向こうは春、なんつって

通過する特急電車の前面にあっ飛び込んで今のまぼろし

ルノアールが背中を描(か)きたがるような女性がレジでさばくスーパー

変なオブジェの、変なところを直したら存在そのものが問われいる

人権がまとわりついて人類の可動部はいつも油を求む

春だから思想のことは置いといてきみのみじかい髪をほめよう

地方でも美人は人の目を集めここでもいいと思う気持ちと

美しい悲しいものにそのそばに供えるために一輪があり

コトノホカサビシイトコヘキチャッタナヒトクチノサケノルイセンニキテ

こむら返りで目が覚めてからごそごそとこむらの意味を検索をせり

元・風のメンバーだった大久保は元・猫だったと略歴で知る

ひとけない交差点には春巻いてビニール袋浮いては落ちず

2018年4月22日日曜日

2016年03月のツイートから。短歌史とか、文具史とか、短歌における文法の正確性の現代的意味など。

うたの日に出したうたにいただいた感想について、からの、短歌史やら、文具史やらの、ツイートなど。


魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも/『魚』照屋沙流堂 #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=717b&id=37

——
文語と口語を混ぜて即興感を出すために照屋はしばしば文法や論理をおかしくするのだけど、冷静に指摘されると恥ずかしくなっちゃうね。
——
照屋の中にも、文法警察とリズム警察がいて、どんなに韻律が悪くてもてにをはがないと許せない場合や、韻律の前には意味すら通らなくてもいい場合がある。どうしたものやら。



そしてなぜか短歌史。


通勤中に短歌史を駆け抜けてみる。

①短歌って何かっていう歴史を考えると、やっぱりスタートは宴会芸のような気がする。あと労働歌。

②短歌がいつまでメロディを伴う"うた"だったのかという研究は誰かしてるかもしれないが、平安時代に恋のおしゃれツールだった頃はすでに紙に書いて送ってたから、黙読はできないにせよ、旋律意識よりは韻律の意識が上回っていたかもしれない。

③その後短歌は貴族社会への通行手形になったり、教養や嗜みになるのだが、正岡子規によって、表現という文学になる。

④文学となった短歌は、斎藤茂吉によって人生や境涯を載せうる形式にまでいたり、近代文学の姿勢や鑑賞のスタイルが完成する。

⑤戦後、筆をもたない、ボールペンや万年筆の若い達筆でない作家が、短歌に人生を載せること自体を疑問視しはじめ、それを敗戦のメンタリティと重ねたりして否定する。

⑥近代短歌を否定された歌人の若いいくつかの天才は、人生ではなくて思想、あるいは芸術を載せる器として短歌を作りかえる。

⑦戦後日本が経済的に成長したころ、突如恋人とサラダを食べた日を大事にする天才歌人が現れる。それまで和食を否定された日本人が高級懐石料理を復活させようとしてるのに、ハンバーガーと缶チューハイうまいよね、と歌うのである。

⑧そうすると歌人の結社にも変化が現れて、歌人たるもの、宴席で酒を飲んでケンカするのもよしとされた(宴会芸の原点回帰か)が、酒を飲めない人たちが、紅茶とケーキで、主食でなく、お菓子のような作品をパティシエのような繊細さで作り始めた。

⑨そして現在、短歌はコンビニの100円スイーツのように、どこにでもあり、決して不味くなく、見事に品質管理されているが、翌週には違うものが並び、それがまたうまいのだ。

⑩さあ、この時代に、どんな作品をつくろうか。フルコースか、ジャンクフードか、旅館の朝食か、なつかしい駄菓子か。梅干し弁当ばかり続けるか。そして、みんな味には飢えているが、お腹は空いていないのだ。

さらに。

①脱線で短歌史を書いちゃったんだけど、現在の短歌を考えると、筆記具とか文体のことも考えざるをえない。

②短歌って「うた」だから、本来は口語的であるはずなんだけど、それを写す道具は、かなり長い期間、筆であった。そうすると「うた」は筆に引っ張られて、口語と文語の中間的な位置に、はからずも置かれたんじゃないかという仮説を持っている。

③いわゆる言文一致運動は地の文における運動であったので、江戸末期から明治の文章でも、会話文などは意外と口語は誠実に写されていたりするし、江戸期の俳句がとても口語的なのに驚く人も多いだろう。

④なので、短歌は意外とそのスタートからさまざまな文体の入り混じった、おかしな一人称表現と言えるだろうし、歌人が文法を知らないみたいな本が出るのもむべなるかなという気もする。

⑤毛筆の筆が硬筆のペンに変わったとき、短歌はやっぱり変わったと思う。筆で〜〜なりけり、と書く心地よさを、ペンは提供できなかったんじゃないか。

⑥折口信夫は、女歌だったかを、言葉を流して、結句でえいっと締めあげて短歌にしてしまう、みたいな事を書いていたけど、これって、口語的な流れであると同時に、視覚的な、筆の動きでもあって、マス目のある紙ではちょっとイメージしにくいなと思う。

⑦翻って現在。現在は、もうペンも使わない。キーボードの上を五指をなびかせて、いや、なんなら親指だけで画面をフリックだ。

⑧照屋はかつてワープロ普及時に、自分の文体が変わる経験に驚き、書き言葉でも話し言葉でもなく、打ち言葉になっていく、と周囲に語ったが、現在では、もう、フリック、すなわち弾(はじ)き言葉と呼んでもいいかもしれない。

⑨で、やっと本題に戻る感じがしますが、弾き言葉らしさは、やはり、揮発性なのだと照屋は考えているフシがあって、それは、どこまで歴史に残すつもりなのかはっきりしない、正しくなくてもよい表現のあり方に見出せるのではないか、と思ったりしています。

⑩簡単に言うと、誤字脱字、てにをはの間違い、文のねじれ、これらの、校正のされてなさ、これをそのまま発表する慎重さの欠如、このあたりが弾き言葉の文芸表現のひとつの可能性なのかもな、と。

⑪「魚には涙腺なんて持たぬから」という言葉の間違い方には、漠然と、こういう、弾き言葉の揮発性が含められそうな気がして、この形にしているようです。改めて言葉にしてみると。

⑫いや、結局間違ってるんすよ。間違ってるし、会話で「持たぬ」って使わないんすよ。そしてそもそも、何かを伝えるのに短歌って最適解でもないんすよ。
それでもなにかしら一かたまりの文字が、文字を、ここに置いてみたいんですよね。

——

なにが"はじき言葉の揮発性"だ、揮発してるのはお前の文体維持能力やろ、という脳内指弾者の指摘にエヘヘと笑いながら、もうちょっと。
—-
「てにをは」っていうのは本当に恐ろしい表現のビス打ちみたいなもので、もうこれは毎回失敗してる。自分の表現でこれがビシッと決まった気持ちなんてしたことがないし、決まってる「てにをは」をみると本当に打ち抜かれる。
—-
短歌の「てにをは」とは実は関係ない話だけど、思い出すのは、学生の時分に読んでいた、岩波のレ・ミゼラブルだ。
——
そこでユゴーはドヤ顔で(ユゴーはドヤ顔作家で、下水道を調べたら下水道の歴史をさんざん書くし、ちょっと滝沢馬琴っぽい感じある)、祈祷、祈ることについて延々書くのだが、そこで「神を祈る」というフレーズがあるのよね。
——
打ち抜かれたよね。
「神に祈る」じゃなくて「神を祈る」とした瞬間に、祈るという動詞そのものが更新されて、深い行為であることが示されてしまう。ここから先に読み進められなくて、この言葉に数日間立ち止まったことを覚えている。
——
「てにをは」ってこえー、という話なんだけど、でもこれ、ユゴーの本意かどうかは微妙だよね。翻訳の問題かもしれないし。ただ直訳しただけだったり。
——
レミゼは、もう手元にないけど、時間があったらどっぷり読みたくなるよね。
今までの映画や芝居ではあまり描かれないけど、ジャンバルジャンの死の間際の描写がまたいいのよ。
——
あ、一番最近の映画は比較的よく描けていたと思うけど。ジャンバルジャンがもう、時代とか若さから完全に置き去られて、ミリエル司教と話をしたがるんだよね。
——
会話のコードが、もう亡くなった人にしか求められないという感じ。こういうの、なんでユゴーは書けるんだろう。
——
今書いていて、想起するのは、あれから毎日聴いている、デビッドボウイだよね。彼の声をいくら聴いても、聴き取るには年齢が足りない、ととても感じる。声は聴こえるけど、場所が見えない、というか。




2016年03月の64首。パロディ短歌5首。

弥生には茶色い土がみるみると緑を生やす水なき川も

中島みゆき口ずさむほどご機嫌なきみでよかった雨の居酒屋

愛する人の激しいくしゃみ聞きながら花の粉まざる春の夜の更け

クレタ人がぼくはボットとつぶやいてそのうえ君は人だと言わる

しあわせは体力が要る生ぬるき空気にわれは春スクワット

籠の中の鳥さながらに鳴いている籠の中なる鳥出してやる

何百回考えてたか言わねども「わかる気がする」とて突きはなす

日本の朝を響(どよ)もす音楽の個々人の耳の中ばかりなる

春というその爆発の直前の腫れたつぼみのこわき快楽

幸いにいたる横線一本は気分を換える口元として

山や里や野は知らずだが都市部でも裂け目を滲み出るほどの春

母の作りし梅酒の味の落ちること次男にあれば悲しんで済む

青春のはるか遠くの春ゆえにやっと来たのに追憶に似て

眠すぎて千秋のような表情になっとるよさあ、明日へおやすみ

植え込みに子猫隠れていたりけりこの世の怖さ孤独に勝(まさ)り

十の剣で刺し持ち上げているような眼差しはこれを報いと呼ぶか

ぽつぽつりスマホの画面をキラキラと三色の光を拡げたる雨

どちらかはほんとうのぼくの夢でしたぶざまな生物のくせに恋う

君たちは生命の濃い時期だから愛で薄めてやらねば固し

小気味よく太ったきみはどうせならアンリマティスのような絵を描け

幸福のゆえに君はも語る死のよくわからない態度にて聴く

ゴロゴロと25ヘルツらしいけどゴロゴロゴロゴロしあわせだねえ

修行僧コーラを飲みてその他の欲望を耐う、おおきくおくび

横断歩道を鳩が歩いていたことがそんなに楽しい景色にきみは

過去はもう未来はいまだあらなくにいまのいのちの矢印を観る

今時の自動音声はやさしくて「いらっしゃいませ」とひらがなで書く

棒立ちの赤い男を眺めおり信号の向こうは春、なんつって

ハゲデブでなお陽気なる外国の男のように種族のごとし

通過する特急電車の前面にあっ飛び込んで今のまぼろし

ルノアールが背中を描(か)きたがるような女性がレジでさばくスーパー

この街を深く潜ってゆくほどにダイバーシティはひとつへ向かう

「生みます」を「海ます」なんて書くやうな名前の子供と思いつつ笑む

表現が誤解をされて残るとき謎の技巧に謎の生涯

ふたご座は鳥と言われてそうなんだ、蟹座はと訊けばカニと言われる

父の膝に自分を置きたい気持ちなど突然浮かぶ、まだあったんだ

人間は悲しいなあと言うたれば「ぼくが」と正(ただ)す友達が欲し

特急が駅を飛ばして現在に走る、わたしの立つ駅もまた

変なオブジェの、変なところを直したら存在そのものが問われいる

ヒッピーとナードが世界を書き換えてでも人間はまだ楽園は

ほんとうに古いのかはたエフェクトか分からぬ歴史を深く潜れど

表現は大きな声で言わないが肌なんであるもう数十年の

休日の午後バラエティ番組が聞こえる路地ぞ、空き地には春

点字ブロックひとすぢ並びその先にカラスがくびをかしげてをりぬ

電波だがソーラー機能は持たぬから光はさほど当てなくていい

人権がまとわりついて人類の可動部はいつも油を求む

春だから思想のことは置いといてきみのみじかい髪をほめよう

この先のさいわいやけに細くみえ死ぬよりもなお生くるが怖し

感涙をこらえたことのある顔になっているよと言わないでおく

一日中無口はきっと佗しいが独り言ならなおクるものぞ

地方でも美人は人の目を集めここでもいいと思う気持ちと

衆流(しゅうる)みな海へと流れいくことをかなしと思ううれしと思う

雑音にかきけされゆくカーラジオの音楽、遠き渋谷系とか

街の灯の一つひとつに人間の生活があることふとふしぎ

一の宮二の宮のある島に立ち歴史はどうも優しくあらず

残尿感を切ないと呼びはせぬようにこれはもう執着であるのだ

美しい悲しいものにそのそばに供えるために一輪があり

船頭は坑夫と成りて酒のめば陸蒸気など落ちろと思う

コーラなど高価な未来それ用のグラスで香りを楽しむものを

二人とも出かけてをればステンショで待ち合わせして食事しませう

コトノホカサビシイトコヘキチャッタナヒトクチノサケノルイセンニキテ

こむら返りで目が覚めてからごそごそとこむらの意味を検索をせり

いい意味で言葉のパティシエだと言われ悪い意味なる風味濃厚

元・風のメンバーだった大久保は元・猫だったと略歴で知る

ひとけない交差点には春巻いてビニール袋浮いては落ちず


#パロディ短歌
ボットでは ないボットでは ないボット ではないボット ではないボット

ボットではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!

Liquid Arts(株)に出向せよと月末に塩(salary)も叶わぬ、今のはアコギでんなあ

東海の小島の磯の同一の
助詞書きつらね
波線(なみ)とたわむる

からあげにレモンはいいやといったのにかけちゃったからサラダ記念日

2018年02月うたの日自選と雑感。

暑くなりまして、体調など崩されてませんでしょうか。犬のように舌を出してハァハァすると、少しは暑さも、別に皮膚呼吸できますので和らいだりしませんけども、犬のような気分にはなれます。

ツイッターのMac用のクライアントが、正規のものが終了したので、夜フクロウというのを使い始めましたが、やはりいまいち使い勝手が(カスタマイズすればよいのかもしれませんが)よくなくて、あまりタイムラインを見ておりません。iPhoneのツイッターでも、ハイライトくらいしか最近は見れていませんので、悪口を書かれても、見つかったりしないかもしれません。でも、そういうのほどよく見つかったりするのは、インターフェースあるあるかもしれません。そんな言葉ないか。

でも、タイムラインの様子、ちょっとずつ、変わっていってるなあ、と思います。


自選など。

「外」
福はうち鬼は外そして外は雨、雨は冷たく芯まで冷えて

「糊」
糊口を凌ぎながらも歌を風流を(現代短歌は風流ならず)

「たまに」
立ち入り禁止区域でなかった頃の海を寒く見てたの思い出す、たまに

「自由詠」
帰りきて外に一日吊るしたるものを吊るしたまま入れてやる

「黒目」
事務的な会話でこのまま終わるんだ、きみも真顔で、とても黒目で

「頑」
おれひとり小さなことにこだわって頑なな片栗粉のダマだ

「増」
選択肢が増加傾向にあるきみは生意気なパフェを生意気に食う

「巨」
この巨人について行くのか殺すのか群盲は悩む、悩む群盲

「にやり」
言いたいことをみな言わずともお互いににやり合うのが友情だった

2018年4月8日日曜日

2018年02月うたの日自作品28首。

「因数分解」
苺とチョコを買ってきたけど因数分解するからスポンジ生地ばかり俺

「忍」
「忍法! 後ろ向き」それなら勝てる「忍法、内向き」は強かった

「外」
福はうち鬼は外そして外は雨、雨は冷たく芯まで冷えて

「夕日」
今日だけのぼくに夕日よ人間の痛みは明日はどんな赤色

「繊細」
表現の繊細を身につけました「うんち」じゃなくて「うんこ」だったと

「糊」
糊口を凌ぎながらも歌を風流を(現代短歌は風流ならず)

「鮪」
陸地にはどんな世界があるだろう餌が勝手に回りくるかも

「並」
なみなみと涙ながして並木道ぼくらは実に月並みだなァ

「たまに」
立ち入り禁止区域でなかった頃の海を寒く見てたの思い出す、たまに

「自由詠」
帰りきて外に一日吊るしたるものを吊るしたまま入れてやる

「三人称」
目と声にこぼれてしまう私と彼女の正体合わざることが

「医師」
窓外の鈍色の空を眺めいる医師は眠たいだけかも知れず

「キムチ」
発音がキンチのままの在日の娘がパッチム(終声)をわれに教わる

「好きな人」
コンビニのスイーツ4個、O・ヘンリーっぽいねと笑い2個ずつ食べる

「迎」
来迎は左から来てザビエルはどっちの方を見上げてたっけ?

「黒目」
事務的な会話でこのまま終わるんだ、きみも真顔で、とても黒目で

「頑」
おれひとり小さなことにこだわって頑なな片栗粉のダマだ

「率」
十日連続カレーが続く確率の悟りは開いたけどまた閉じた

「増」
選択肢が増加傾向にあるきみは生意気なパフェを生意気に食う

「沢庵」
月面の畑でとれた大根の沢庵漬けを母の土産に

「巨」
この巨人について行くのか殺すのか群盲は悩む、悩む群盲

「超」
寒い時にアイスもおいしいんだけれどスーパーカップはやりすぎだった

「不安」
アスファルトの下の冷たい土の層が地球のことをやや不安です

「明」
いろいろな場所で何かと戦っていた過去がつぎつぎ明るみに出る

「引」
現金なわたしたちだよ白い身が湯引きされたらもうおいしそう

「バス停」
つぎつぎとバスならぬものがやってくるバス停、待つ側ではつまらない

「台」
台所に少しテレビを傾けるおおかた聞いているだけですが

「にやり」
言いたいことをみな言わずともお互いににやり合うのが友情だった

2018年4月7日土曜日

2016年02月の自選と雑感。

四月、に、何かをはじめたくなるのは、春が持っている力なのだろうか。それとも、年度が新しいという、数字の力なのだろうか。
これが正月だったりすると、あんな寒い日に、気持ちがあらたまるわけないから、あれは数字の力だ。
そのように考えると、四月が、4なのに新しい気持ちになるのは、純然たる春の力かもしれない。

まあ、何もはじめてないんだけどね。あ、ちょっとゲーム買ったな。

自選。

底流がさびしさなのだと気づいたらもう君の詩はぜんぶさびしき

湯の上を湯気がすべってゆくを見る6階あたりの露天にわれは

憎まれて去るのもよけれ、目の前で指まわす前に逃げるとんぼよ

失恋のつらいところぞ階段のどの足音もお前が来たる

病棟の白さにも慣れそうすると白というのもカラフルである

ワイン飲みパスタを食えばつくづくとイタリア人に生まれて、ないか

夕闇のダンプの下に猫がいて警戒を解くことなかりけり

気象庁があとで梅雨入り宣言をするようにシンギュラリティ過ぎぬ

先祖代々溺死の業を背負いつつつるっと明るく泳ぐイルカは

このままの孤独でいいか、ケトルには魚眼の部屋に男がひとり

お祈りのあとのコーラがほんとうに美味しかったと懐かしむきみ

ぼくを忘れて体も朽ちて霊だけになって今でも待ちたる猫よ

バッハばかり聴いていた日々破れたるフェンスの向こうに18世紀

悲しみは食卓にさめたたまご焼きを箸でそぼっと割りたるところ

貴様のような差別主義者の検閲屋は<censored>して<censored>しろ

ムーミンに侵食された雑貨屋のまとめて買わねばひとつも買わず

2018年4月1日日曜日

2016年02月の59首。と、うたの人の1首。パロディもろもろ。

詩心と狂気の違い若き日は確かに見抜けていたはずだった

底流がさびしさなのだと気づいたらもう君の詩はぜんぶさびしき

愛情は思わずにじみでるもんて、トマトジュースを飲むおやじギャグ

供養とは指を燃やすということの字義どおりなる絵に浸りいつ

すみません本日ハンバーグを作る手ごね機械が壊れてまして

湯の上を湯気がすべってゆくを見る6階あたりの露天にわれは

憎まれて去るのもよけれ、目の前で指まわす前に逃げるとんぼよ

人間が酔うためになんと手軽なる飲み物として酒はあるかも

失恋のつらいところぞ階段のどの足音もお前が来たる

真剣に遊ぶ息子を見下ろして父は祈りの、木の、燃えるほど

柱にもたれる斜めの女が好きという男の話を楽しく聴けり

病棟の白さにも慣れそうすると白というのもカラフルである

スーパーでジョンデンバーがかかるから地平に沈む陽(ひ)がふと見たき

ワイン飲みパスタを食えばつくづくとイタリア人に生まれて、ないか

夕闇のダンプの下に猫がいて警戒を解くことなかりけり

気象庁があとで梅雨入り宣言をするようにシンギュラリティ過ぎぬ

先祖代々溺死の業を背負いつつつるっと明るく泳ぐイルカは

山はがが海はとうとういにしへのあるいは未来の国土をゆけり

地に光なき頃の夜カルデア人もおそれたるかも星という火を

帰り際に冗談っぽく地獄には堕ちんなよって言うのがやっと

賞味期限が切れたからチョコラBBを毎日食べている水なしで

くちばしも含めてきみが好きだよとくちばしを撫づ、感覚なくも

終わりとも始まりだとも言えそうなこれからのことをふたり見ており

このままの孤独でいいか、ケトルには魚眼の部屋に男がひとり

いいことのうしろに悪い事がいて気づいて振り返ってもうしろ

ロボットに引き継ぎをはやく済ませたきDNAが今日もがんばる

家でひとりペットが思うわが生の過半はあるいはほとんどを待つ

一日を終わらせられぬ若者がインソムニアと言う残念な

お祈りのあとのコーラがほんとうに美味しかったと懐かしむきみ

こころなしか下弦はいつも通り過ぎもう細い月ばかりとわれは

二階窓が開(あ)いてて部屋の天井がみえる君が寝るときにみる

ぼくを忘れて体も朽ちて霊だけになって今でも待ちたる猫よ

この店の裏にびっしり、人生は前向きに強く生きねばならぬ

逃げる夢に息あらく覚めもっと広い人のいる方へ次は行かねば

ひっそりと短歌をだけを考えてそのクラスタに暮らしてますた

笑顔って筋肉なのか、筋トレで引き締めるようにさいわい鍛(きた)う

どこか遠くでバッハのパルティータが流れ廊下の奥を曲がりゆきたし

新聞の時代小説も閨事(ねやごと)かいくさが描かれるまで眠し

ツイッターのなくなる未来はじめからなかったようなこの空間(ストレージ)

語りえぬ知見をもちて人に会えば語りえぬのにわかる人いて

文学もぼくをやさしく置いて行く海に背を向け海へと流る

バッハばかり聴いていた日々破れたるフェンスの向こうに18世紀

どのように生きる命に育ててもよそ見する子のふと他人めく

大き字の葉書の人よ自分より長生きする字かもしれぬゆえ

用事なき帰郷なるゆえちちははの幼少の地を歩いていたり

悲しみは食卓にさめたたまご焼きを箸でそぼっと割りたるところ

野良猫にエサやる人が現れて猫が鳴きだす隣家が怒る

死にゆくをながめておれば死後という継続をきっと信じたくなる

動物に罪はないのに人だけが朝からこんな暗い顔して

ひらたくてこげめがついているようなつめたいたまご焼きのおもいで

貴様のような差別主義者の検閲屋は<censored>して<censored>しろ

きみのずっとなやみくらやみつかまえて照らせばちょっと違うらしいし

白菜の花が黄色く咲き誇る畑の人のいなくなりしか

ムーミンに侵食された雑貨屋のまとめて買わねばひとつも買わず

学問に逃げゆくきみの長い影踏み押さえるがあぁ伸びてゆく

年頭にきみについては壽保千春を念じてありぬ、から大丈夫

愛情は時間でおくれ、手の中で撫でられてまだ気が済まぬなる

白瑠璃のうつわはにぶく発光すおどろく視線たくわえた果てに

大口でがっつくときになんとなくスローモーションの演出をする



#うたの人「ツッコミ」
えんえんとボケとツッコミ浮かびゆくフキダシの中に告白もあり


#パロディ自由律
分身しても一人

分け入っても分け入っても青い海

うしろすがたでググられゆくか

いれものがないゴム手でマジうける


#パロディ俳句
三月の水戸納豆のぶぼぼぼぼ

万緑の中や俺の歯入れ替わる


#パロディ短歌
ふるさとの訛り変わらぬ友といてこのモカコーヒーたんげ甘ぐね