ブログの更新をさぼっていましたねぇ。明日から四月なので、少し進めておきましょう。
舞踏とは、命がけで突っ立った死体である、と言ったのは、土方巽であるが、これはなかなかテクニカルな修辞の表現で、何を言っているかふつうわからない。何を言っているかわからないが、ある必死な、いのちの有りようは伝わる。そして、死体なのに命がけ、生きている人間がやるのに死体、という矛盾に満ちたなにものかこそ、舞踏である、と、言外に定義している言葉である。
ひるがえって、短歌とは、何であろうか。……いや、こういうのは、もうちょっと後の時代にやるのが面白いだろうね。
耳掃除しながら思う短歌とは、奥へ進めば痛い目をみる 沙流堂
自選。
「猛」
文字という猛毒のためすずりにて水をすりおり、さらに濃き濃く
「貴」
されば老舗の秘伝のタレの寸胴の汚れのごとし貴種守るとは
「蟹」
岩陰にじっとその身をひそめおり平和を待つことばかりでもなく
「側」
妖怪を引き連れてゆく旅なりきすべからく内側の物語
「飾」
心次第でとんとんになるこの時空に粉飾がないかじっと見ている
「粋」
目覚めれば朝か夕べか分からない汝(な)はしののめの純粋読者