2016年12月11日日曜日

2016年11月うたの日自作品と雑感。

「うたの日」のサイトが今月の25日で、1000日を迎えるということで、おめでとうございます。すごいことだし、運営の方の見えない苦労が偲ばれます。

テルヤは去年から参加させていただき、447日参加しているとのことなので、だいたい半分くらい、お目汚ししているわけです。追い出されないだけでも、ありがたいことなのです。

短歌投稿のウェブサイトは、他にも「うたよみん」や「うたのわ」というのもあり、それぞれ、特色があったりして、その違いがシステムによるのか、他の要因があるのかわからないけれど、結社と、同人、新聞・雑誌投稿とはまた違った地歩を固めつつあって、面白いことだと思う。

短歌のそれぞれを見るときに、無意識の位階序列があるのかもしれない。それは「短歌は文学だ」意識みたいなもので、その強度順に、システムが決定されてゆくようである。
いわく、
①選歌→②批評→③投票→④自由、の順に、文学性が高まっていく(と信じられている)。
「うたの日」は、ちょうど③の投票を軸に、②の批評、コメントに少し足をかけているシステムと言える。とはいえ、④の参加フリーの形態もあるので、ネガティブな批評を受け止める関係を、参加者が作れないところがある。

だいたい、しっかりした関係が築けていないのに、上からお説教したり、お節介な添削などはしてはいけないものなのである。(お前が言うな)

ただ、短歌のうまさ面白さは、文学であるかどうかが関係ないところもあって、まったくの娯楽のひまつぶしでめっぽう上手い人や面白い人も多い。そういう「歌壇」では見つけられないひとをウェブサイトが抱える、ということが可能なのは、もっと注目してもいいかもしれない。

自選など。

「速」
倍速で観るドキュメンタリーで泣くリプレイすればリプレイで泣く

 ※ドキュメンタリーは、そういう形式の編集されたものだし、それをしかも早回しで観ることで得た感動に、真実性がどのくらいあるだろうか。

「北」
東にはいきおいが西はやすらぎが南はたのしさが、北は寒い

 ※北の人ごめんなさい。

「包」
うすぎぬのそれよりうすき物理的にみえないものが包むのが愛

 ※「愛」にはいくつも動詞があてらるが、そのうちの平凡な一つかも。

「自由詠」
山賊焼きにかぶりつきつつ大国の七十歳の野心羨(とも)しき

 ※アメリカ大統領選挙ですね。アメリカの地図と山賊焼きの形を少しかぶらせつつ。

「悪」
腹が減っては悪事もできぬとキッチンで袋麺さがす、正しく作る

 ※まあ、悪人がすべてにおいて悪かというと、正しいところもあるわいな。

「象」
絶滅したらもう俺たちは捏造だこの長い鼻の骨なんてない

 ※骨からは象が復元できないという事実は、知というものの限界を考えさせてくれる。

「枯れる」
霧吹きでもうやめようよびしょびしょの枯れる兆しのパンダガジュマル

 ※枯れはじめたものをよみがえらせるのは、むずかしい。

「正義」
大募集:正義の味方,条件は悪を討つとき躊躇せぬこと

 ※この歌について太田宣子さんが「条件は悪を討つとき涙すること」と別案を示されて、こちらの方がすっきりして上手いと思いました(そうだお礼を書いてない)。しかしこの歌は、この募集のグロテスクさ、不気味さ、一見の正しさ、みたいなところをかもしたい歌だったので、たぶんそこらへんが下手さなのかもしれません。
(ただ、逆に読むと、太田さんの募集で入ろうと思う人の方が、グロいとは言えるかもしれません)

「癒」

ティーバッグをきみは三杯目も好きで白湯に近づくあたりが癒し

 ※じゃあ最初から白湯のめよ、とはならないんすよね。

「税」

大型のパロットだから分かるんだ税込価格がまた安くなる

 ※大型の鳥は、誰でも飼えるものじゃないですからね。

2016年12月10日土曜日

2016年11月うたの日自作品の30首

「速」
倍速で観るドキュメンタリーで泣くリプレイすればリプレイで泣く

「回」
憎しみがいつから首の綱になり回ってしまう離れきらずに

「北」
東にはいきおいが西はやすらぎが南はたのしさが、北は寒い

「集」
ゾウ好きな彼女が出来てゾウグッズを集めるお前、前はペンギン

「音」
山芋の千切りポン酢シャキシャキとモクシャキモクと、海苔は消音

「カード」
入館のカードのカバンを間違えて我もカバンも偽物である

「包」
うすぎぬのそれよりうすき物理的にみえないものが包むのが愛

「連絡」
まだたぶん地上にいると思うけど連絡電波を日に2度飛ばす

「棘」
出し入れの自由な棘を持っていてだいたいきみの距離まで伸ばす

「自由詠」
山賊焼きにかぶりつきつつ大国の七十歳の野心羨(とも)しき

「トランプ」
合宿の一日目だけトランプは盛り上がりたり残りはスマホ

「親」
親に向かって折りたたみ椅子を投げつけた痛みが親亡きあとに激痛

「?」
ジェンダーの話だろうか、なんとなく疑問で男、こたえはおんな

「私」
植物の枯れゆくようにどこからというでもなくて毀(こぼ)ちてわたし

「悪」
腹が減っては悪事もできぬとキッチンで袋麺さがす、正しく作る

「白菜」
情勢の意見にズレのある兄と浅漬けの白菜を突(つつ)きつ

「アスファルト」
ここからはアスファルト舗装されてないみみみちですすきだだききみがが

「象」
絶滅したらもう俺たちは捏造だこの長い鼻の骨なんてない

「枯れる」
霧吹きでもうやめようよびしょびしょの枯れる兆しのパンダガジュマル

「正義」
大募集:正義の味方,条件は悪を討つとき躊躇せぬこと

「飼」
三年で死んじゃったんだ、飼っていた想いはいつか弱りはじめて

「夫婦」
先進的過ぎない音を聴きながら夫婦の夜のゆるいドライブ

「ばね」
君の家けっこうでかいけっこうでかい二匹のばねのこれは歓迎?

「平仮名だけの歌」
もつもつともっともっとともつなべのいいたいことをいつまでもかむ

「じゃん」
サザン流れてかならず横浜民謡と言う店長の生まれ座間じゃん

「女子高生」
制服を着て女子高生になることの耐えられない日やすらかなる日

「魚偏」
生きることの双六でかなり間違えて魚偏まで戻されてゆく

「癒」
ティーバッグをきみは三杯目も好きで白湯に近づくあたりが癒し

「山手線」
吸って吐いて吸って吸って吐いて吸って山手線一時過ぎには全部吐ききる

「税」
大型のパロットだから分かるんだ税込価格がまた安くなる

2016年12月4日日曜日

2014年11月作品雑感。

小説とは、文字通り「小さな説」である、つまり、文学とか、たいそうな話なんかではなくて、ちょっとした言葉のつくりものなんだよ、みたいな言葉だったのが、明治時代に、西洋のnovelの訳にすることで、立派な文学になってしまったんだが、長編小説って、長いのか小さいのか、よく分からないよね。

短歌というのは、これまた、明治の文学運動の中で、和歌ではなく、短歌という文学になってしまった言葉で、「短い歌」なんだけど、長歌に対しての短歌というより、使用文字の「短い」という意味になっている。(長歌に対してはもともと反歌であるし)

和歌って言葉は、「この国の歌」という意味であり、あきらかに、「漢詩」を意識して生まれた言葉であるので、短歌にも、明治の、対外的な意識のなかで、「短さ」を逆手にとったプライドがある言葉なのかもしれない。

所詮短い歌だなあ、という気持ちこそが、短歌的なのかもしれない。

自選など。

口をぱくぱくさせては歩く老人の霊薄(うす)らえば機構あたらし

消えていい写真を撮ってライフログは究極のわがひつまぶし食う

オフィーリアも日本語ならばどんぶらこどんぶらことて流れ揺蕩(たゆた)う

やくたいもないこっちゃなどと言い捨てて店出るように秋をはや去る

足首の太き女を走らせてピカソが描く古代の偽造

連鎖する事物の不思議に子は酔いてしりとりはりんごゴリラはラッパ

民主主義は素人がそれを選ぶこと、紫陽花は雨に濡れて色増す

本人は知らずわざわざ言うこともないが若さは光るってこと

通勤のときどき見しが今は見ぬ薄倖そうな一重の美人

草莽(そうもう)のいや莽蒼(もうそう)の郊外のエノコロの生えた国道さびし

夕日差すテーブルに林檎褪(あ)せまるで塚本邦雄的ひややかさ

米塩(べいえん)のひとつぶもなき貧困はあらねどコンビニ明るく遠き

新しい長靴買って雨を待つ少女のごとし、ストーブポチり

 ※この「ポチる」(ネットで注文をする)は、あと何年使える動詞だろうか。

夢にても古書店でこの本を選(えら)み購(か)う直前に棚に戻せり

モンキチョウがしばらくわれに並走し異なる論理でそのまま去れり

露悪にも露善にも飽き、ネットにもサイト枯れゆく秋の来るなり

言い切っては美しい日本語でないかもとかもしれないといえるともせず

サザンでいうとアルバムの中に時々の桑田が歌ってない曲の感じ

2016年12月3日土曜日

2014年11月の60首

精神の痛みも痛み、耐えながら噛むくちびるは白き表示の

人工と自然のじつに猥褻で率直な景をみたき霜月

野良猫の小さい方は飛び跳ねて喜んでいるかゆい世界に

口をぱくぱくさせては歩く老人の霊薄(うす)らえば機構あたらし

球に住む生き物なので地揺るるを理解はするがもういやである

責任感を半分にして傾(かし)ぐほど世界はお前のせいじゃないから

消えていい写真を撮ってライフログは究極のわがひつまぶし食う

落ちているアイス棒にも蟻の来ぬ世界はさむし、あい嘗(な)めなくば

人間のさとりはたかが知れていて生を愛せよ死を愛すまで

オフィーリアも日本語ならばどんぶらこどんぶらことて流れ揺蕩(たゆた)う

食欲の否体重の危急なる秋(とき)ならぬ秋(あき)、空腹に耐う

真白なる心の皮で隠しいる、餃子の餡を包む感じで

人生に向きあうごとき丼のもう少しちゃんと噛まねばならぬ

世界にひとつだけかもしれぬ花枯れて緑も減ればセピヤへ至る

やくたいもないこっちゃなどと言い捨てて店出るように秋をはや去る

足首の太き女を走らせてピカソが描く古代の偽造

理屈ばかりが時を得顔の時代ゆえ感情薄きヒロインぞ美(は)し

進むのが壊すのに似てこれ以上行きたくないと口には出さず

先ほどの見過ごされたる赤色のゴリラばかりの毎日を生く

真実の言葉を君は待っていて、われの番かはふりみふらずみ

連鎖する事物の不思議に子は酔いてしりとりはりんごゴリラはラッパ

民主主義は素人がそれを選ぶこと、紫陽花は雨に濡れて色増す

ポエティックが耐えられないと言うに言えず詩人は文字を書いては消して

本人は知らずわざわざ言うこともないが若さは光るってこと

世界から取り残りゆくめじるしのトリコロールのマフラーぬくし

生きることの土性骨弱きわれわれの承認自殺の呼び名いろいろ

恥部のごときあかき葉落とし植物はわれわれにない秋の姿す

年波に、削られてゆく白砂の松並木歩くわれは肥えゆく

通勤のときどき見しが今は見ぬ薄倖そうな一重の美人

草莽(そうもう)のいや莽蒼(もうそう)の郊外のエノコロの生えた国道さびし

夕日差すテーブルに林檎褪(あ)せまるで塚本邦雄的ひややかさ

当然のように実際とうぜんに肩に載る鳥ちゅんという顔

米塩(べいえん)のひとつぶもなき貧困はあらねどコンビニ明るく遠き

舌の上で海苔を破(わ)りつつ萌(きざ)しくる思いを酒で泳がせてみる

新しい長靴買って雨を待つ少女のごとし、ストーブポチり

灘のごと押し寄せくれど飲み込まずかくして保(たも)ちいたるかたちは

CM上の演出ですと右下に書いてあるがに葉の降る秋ぞ

一ダースでも君を飲み干すと歌うのを彼女の細い声を朝聴く

渋滞がうれしいと歌うポップスがあった気がする、渋滞ながし

知はここで食材となり大食いのファイトのような議論を眺む

夢にても古書店でこの本を選(えら)み購(か)う直前に棚に戻せり

モンキチョウがしばらくわれに並走し異なる論理でそのまま去れり

われわれは時流なればか未来には原発増やせの声たかまらん

ブルースに合わぬ酒にも酔いなずむかなしみが青になるということ

ポリューリョンの意味ぼんやりのだらだらの半身浴は冷えつつ温(ぬく)し

こぎとえるごすむこともなく端末を指でなぞっている子の現世

ピリピリと電気に覆われたる星の表面に生(あ)れ表面に消ゆ

何年もさみしさに身を曝されてさみしがり屋はさみしく酔えり

世界でいうと濁(にご)りらへんにいるわれがまだ死なないと決意しちゃうか

髪洗う女の絵だが、悲しみに似た愛のことが伝わってくる

モノレールのまなざしは鳥、表情のちょうど見えない距離で見る人

夢でみた彼女は誰だ、恋までの会話を氷水飲みながら

雨の日のマックにしのぎたる人の疲れも少し湿れる時間

露悪にも露善にも飽き、ネットにもサイト枯れゆく秋の来るなり

郷に入れば郷に従う上海の姉ちゃんといてグローバルなのか

言い切っては美しい日本語でないかもとかもしれないといえるともせず

サザンでいうとアルバムの中に時々の桑田が歌ってない曲の感じ

新しい曲が賛美歌っぽくなり賛美したきものわがうちにありや

鳥よわが肩にて満員電車から職場までちょんと遊びにくるか

植物に光呼吸のあるを知り闇呼吸とか調べるお前