2021年1月30日土曜日

土曜の牛の日第5回「倍速の舞」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

『近代短歌論争史明治大正編』の論争の⑥は、論争好きの伊藤左千夫が、アララギの新旧交代の旧側に立って、斎藤茂吉、島木赤彦、古泉千樫、中村憲吉、土屋文明らの新人層と対立し、一年半ほど論争をしながら、敗北しつつ受け入れてゆく流れとなる。

ここでの論点は現在ではやや実感しにくい。左千夫側は「実感を消化した上での写実」を短歌の本流としているのに対して、一方の茂吉を筆頭にする新人層は「表現主義の予感をはらんだリアリズム」に取り組もうとしているのだが、左千夫にはそれが作り物にみえて、どうも納得できなかったようにもみえる。ただこの論争によって、茂吉ら新人は素材や連作について、ブラッシュアップしていくことになるし、左千夫も自分の表現について完成に向かうようである。

左千夫は先生にあたる立場だが、茂吉らが新人とはいえ論詰してくるのは、こわいよね。


  七首連作「倍速の舞」

歳時記をひらけば不意に寒卵、ないよね寒卵の記憶など

にっぽんのむかしのくらしクラシカル クラシアン要らぬぽっとん便所

能楽をネットの動画で流しつつ、時間がないので倍速の舞

和ロックの四字熟語百花繚乱にキャロルのカタカナ英語なつかし

通勤は11世紀のヒルデガルトの聖歌を耳に 手に古今集

駅に着きあなたと何を食べようか オレひとりならエサでよい夜

レイヤーを一枚めくれば貧しさがめくるめく街 きみのて つなぐ



1月も終わりますねー。この土曜の牛の日も、月4回を12回もやればもう一年なんだから、そう考えると早いよね。まあできない日もあるらん。(急に新かな文語!


2021年1月23日土曜日

土曜牛の日第4回「ボーンインザ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史はひとまずおいて、(さては読み進んでないな)、古今集について書かれた本を読んでいて、古今集ってなんなんだろうか、と考えてしまうものであった。

言うまでもなく、近代の短歌は、和歌の否定からはじまったようなところがあるし、正岡子規が戦略的に古今集を攻撃することで短歌が現代的であることを印象づけたようなところがある。でもその正岡子規も、ほんとうは、と言ったらなんだけど、古今集、好きだったんだよね。

万葉集が、日本の言葉を文字にする格闘として歌をのこした段階だとすると、古今集は、仮名序で書いているとおり、日本のなかでことばとこころの型をつくるために歌をのこした段階になっている。季節をそろえ、恋の段階を分け、論理をつくり、レトリックを増やす。

漢詩という、海外の高い文化水準は依然としてあるものの、5句節31音で、だいたいのこころは言葉にできる、という、自分の王朝に対する、肯定感があったのだろうね。

ひるがえって現在のわれわれは、短歌と和歌をほとんど断絶して考えている。いやもっと、短歌のなかでも、近代や前衛や、そことも断絶している感があるので、和歌なんて、同じ文芸表現とさえ思っていない。じじつ、そこで使われる技法は、和歌とは無縁のようにもみえる。

しかし、古今集のころに発明された「題詠」をわれわれは今も楽しんでいるし、短歌の美意識は、どこかで和歌の美意識を前提にして、うらぎったり、うらぎりをうらぎったりしている。

短歌の歴史は、「万葉期」「古今期」「新古今期」を循環している、という史観が、かつてあったような気がするが、今はひょっとして「古今期」なのではないか。正岡子規が、「再び歌よみに与ふる書」で、くだらない歌と書いていた、古今集の第一首は、

  年のうちに春は来にけり一年を去年とや言はむ今年とや言はむ

であるが、この歌の、ひとりミルクボーイのようなネタ感は、じゅうぶん現在の短歌に通じている。

古今集って、おもろいかもしれんね。


  七首連作「ボーンインザ」

その前にミサントローポス(人間嫌い)だったのでウイルス的にも都合よかった

疫病で大変な世に、隠れてはないけどゆっくり風呂で液態(えきたい)

ボーンインザUSAのテンポにてシャワーから水が漏れてしたたたく

アメリカも大変やねぇハグしたり互いの頬を当てたいだろうに

恋人がマスクもなしに抱き合って何年前のドラマだもんね

このスーパー、密だと思うわれがいてわれがいなけりゃ密マイナス1

さかなさかなさかな、言葉を食べると、あたまあたまあたま、心がみつかれ


2021年1月16日土曜日

土曜牛の日第3回「地上にはない」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

『近代短歌論争史明治大正編』の論争の④は、前田夕暮の『収穫』が、元恋人であろう人妻への想いをうたったことで引き起こされた、風俗壊乱論争だ。歌壇では好評価だったのだが、新聞が「こんなの姦通歌だ」と批判したんだよね。そして、近藤元が遊郭へ女郎買いに行く歌を作ると、匿名の新聞記者石川啄木などが「狂者と変質者の文芸」「頭と陰部ばかりの人間」「堕落せる短歌」と罵って、いくつかの歌集は、そのとばっちりで発禁になったりした。

現在の雰囲気でいうと、短歌は虚構だと思って非人道的なあることないことをうたっていたら、世間の目にみつかっていきなり炎上するようなのに近いといえる。

もちろん厳密には、綺麗事を歌わない自然主義の方向性が、醜悪、欲望の方向の描写に向かってゆき、刹那主義、快楽主義になってゆくという自然主義の本質的な問題が横たわっていたのだが、世間の公序良俗が表現を攻撃すると、表現はそもそも弱いというのは、現在も同じである。

日本自然主義の流れは、ここでほとんど勢いを失うことになる。

論争の⑤は、服部嘉香(よしか)が、短歌の固定形式は自由詩のように主観詩になることはできないだろうが、抒情詩としてなら行けるところまで行けるだろう、という否定論を出したことによる、方法論争というものだ。つまり、形式とその形式を守るためのレトリックは、表現の革新には使えないよね、という自由詩目線の論だった。

この論は短歌が彫刻的で、自由詩は音楽的であるとか絵画的であるとか、散文詩は短歌のゆるいものだとか、現在ではさじ加減の話のような議論にもみえるが、自然主義のような内容の暴露具合でなく、叙情と主観、情調と思想、また内容とサンボリズムと、自然主義のあとの近代詩を、方法について模索、整備する方向に向かわせたようだ。

この論争で森川葵村(きそん)という詩人が、芸術至上主義として服部と論争したが、彼はその基盤の脆さをあらわにして、やがて詩をやめたようだ。でも彼の「芸術はまじめな遊戯であり実用品ではない、もっと高尚な尊いものであること」という考え方は、わりと好きだな。


  七首連作「地上にはない」

夢で見たシャチと娘の物語 つづきはたぶん地上にはない

人間は取り締まれるが夢までは取り締まれないはずだが、さあね

断崖に沿った車道でときおりに海を割るツクヨミなる彼岸

異種族はことばはいわばなんとかなる、その罪がふたりをわかつまで

ワゴン車のフラットシートで今日は寝る エンジンを切るやいなや浸食

レコードを漁る手つきだ、探してたものじゃないけどほしい目つきだ

つづきなど地上にはない、差し替えたこれも途中で終わりのはなし



閑話休題。昨年末のM-1グランプリで、テルヤはニューヨークという芸人のネタを2番めに面白いと思ったが、彼らの軽犯罪ネタはとても現在への批評性があって、いい表現だなと思った。軽犯罪が問題なのではなくて、軽犯罪を笑えなくなっている自分たち、という目線が組み込まれていることが、批評性ということだと思ったのだ。(ちょっと古い話題だったな)


2021年1月9日土曜日

土曜牛の日第2回「盛った演奏」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

『近代短歌論争史明治大正編』の2の論争は、若山牧水の第三歌集『別離』を伊藤左千夫およびアララギが批判した一連の動きだ。

この流れは文壇の流れというものが溶解してしまった現在ではやや不明瞭だが、与謝野鉄幹らの浪漫主義の作風に疑問を持った牧水らが自然主義を掲げて『創作』という同人を作り、その彼の作品を写実主義のアララギが分析的に批判して、牧水はその批判に、反論よりもむしろ感謝した、という論争(?)だ。

牧水は浪漫主義の「没個性の、いかにも歌らしい歌」を嫌ったが、その牧水の歌もまたアララギから「拵え物」と批判された。牧水は「歌そのものを見るのが願いではない」「生きた人間の歌が詠みたい」「作歌によって己を知りたい」と考えていたが、そこにアララギほどの方法論はなく、ただ人生主義の方向に向く。一方、アララギは、論争好きの左千夫とその弟子とも内部で対立してゆくが、自然主義の方向にも同調してゆく。なんというか、牧水の大きさの話にまとめたくなるが、この流れは、短歌が、リアリティを求めてゆく流れと、短歌を分析批評する方向に向かった論争といえる。

3の論争は、土岐哀果や石川啄木が、ローマ字短歌、三行書き、定型の拡大解釈(31音以上でもよい)をよしとしたのに対し、牧水が川柳のようだといい、茂吉がその不真面目さを非難した一連のやりとりだ。そんな「ただごと歌」「そうですか歌」「報告歌」「筋書き歌」は三十一文字でなくてもよい、そんな空気があったのだろう。そしてこの対立は、従来の自然主義と、あたらしい社会主義の対立とも、うたいぶりにおいて重なってもいた。


百年後の現在、牧水の人生主義はなかなか難しく、三十一文字でなくてもよいものを短歌にすることがメインのようにも思われる。でも、生きた人間の歌が詠みたい、と思う? かなあ?


  七首連作「盛った演奏」

損得の向こうにはるかそびえたつ今日は見えない薄い富士山

しあわせは損得であるものだろか ひっくり返せば聖書のことば

人に説く教えをなにか持たなくちゃ、教えを乞われる人がいなくちゃ

過去は低い、未来は高い 現在は 顎ひとつ上げてたたかえ兵士

ペダル踏んでゆっくりとバッハ弾くピアノ、宗教性を盛った演奏

SIerがその明け方に見る窓の外にあかるい丸と三角

軽犯罪ぐらいといえぬ昨今を寝不足のせいにしつつポイ捨て



もっと雑談がしたいような気もするのだが、どうもかたい感じがするね。



2021年1月2日土曜日

土曜牛の日第1回「滅亡論」

 新年あけましておめでとうございます。土曜の牛の文学です。

今年さいしょに紐解く本は『近代短歌論争史』明治大正編。篠弘が1976年に出した本で、名前のとおり、近代以降の短歌の議論をまとめた本なので、つまり文学としての短歌の輪郭がつかめるという意味で、基本的なテキストと言ってよいのでしょう。

35章ある最初の論争は、明治43年の尾上柴舟の「短歌滅亡私論」に始まる。篠弘は、近代短歌のスタートは、短歌滅亡論に始まる、という認識を示している。短歌はその後、たびたび滅亡論を繰り返すが、そのはじまりはここからと言える。

短歌滅亡私論のポイントは3つあって、

1、近代人の自我を一首で表現するには短くて、連作が必要になる。

2、57577の形式は、己を表現する型なのだろうか。

3、短歌で使う文語は、生きた言葉ではないのではないか。

ほとんど今でも行われる議論のベースが、1910年、百年前に出ているということだ。明治とともに近代国家日本ができて、20年くらいは近代国家の詩歌として、和歌改良論なども議論されたが、改良論で提案された「現代語化、題詠否定、恋より勇壮、形式の自由」をすすめようとして、結局なにが短歌なのかよくわからなくなったのであろう。

この3つのポイントを、100年後のわれわれがみるとどうだろうか。1は、むしろ一首で見るのが現在は優位で、連作はゆるいまとまりレベルになっているようだ。2は、これもまた、57577を守る人が多い印象だ。3は、文語派は、少数になっている。これは教育の影響が強そうだ。

ただ、もっと本質的に短歌滅亡論が言いたいことは、短歌が当時の文学的問題を担うに足る、文学の中心にあると言えるだろうか、という問いであって、その問いは現代で担うには、なかなかハードルが、いまでも高い。


  七首連作「滅亡論」

眠りひとつ冷たい部屋にこぼれおり、水銀のように照る月明かり

滅亡の夢をみたんだ、都合よく自分は都合よく助かって

鳥かごも水槽もなんなら家も檻という目で見ちゃだめですよ

粉ものがヘラでぐちゃぐちゃ混ぜられてへらへら焼けてゆく楽しさは

恋人をだきしめるとき僕は鼻、または両腕、残りコンニャク

変化するこの世の中で創業以来の秘伝のたれがこぼれる夜中

永遠につづく敷島、感情に形容詞ひとつだけの花々



近代短歌論争史、いつまでかかるかな。途中で別の本読んだりして(笑)。

あと作品を評しあったりするのもよいかなーと考えたり。