2018年7月31日火曜日

さるのサルベージ(何番だっけ?)「ビオレントリィ・フレンドシップ」

小休止。ひさしぶりにさるのサルベージのコーナー。

20首の連作。照屋がまだ、照屋と名乗っていなかった頃の作品。2009年3月2日。



「ビオレントリィ・フレンドシップ」   寺谷 猿堂


開口一番「きめえ!」と言われ「きもないわ!」という挨拶がある

本当をまっすぐ口にするよりはののしることでわかりあう場所

ラーメンを何時(なんじ)まで俺は語ったよ、結局いつもの深夜、ファミレス

「言葉を食うフクロウが居る」朝まだきの携帯メールは夜を纏(まと)うも

破られてまた継ぎ重ねし衣服から神経のようなひりひりと糸

自転車で堤防を刺さりつつ走る、あの橋で我は生まれ変わらん

河原夕方、身を寄せて座るアベックを振り返りみれば孤独のかたち

馴れ合いと少し違うな、ガラス片の言葉を投げて裂けてゆく手の

重装に寒さをしのぐ格好で装飾のない目が俺を見る

焼身自殺した友よりも美しく梅の花咲く時期がまた来た

失った友情を金に換えたあとかがやくビルの窓の斬光

「自殺って頭の切れるバカがやる病気だよね」と言われて殴る

俺はあいつを前を指すまま見捨てたりしないしぐさで緩(ゆる)めたらんか

ゴミバサミでビニール袋を引き上げて破れて水がこぼれる浜辺

ゆるすつもりで水道の水ゆるゆるとてのひらに垂れて冷たきこころ

友情はフレンドシップ、沖に出てみんなを乗せて遠景の船

自己否定のみぞれに顔を濡らしつつ女の口にぬくき舌入れる

何回目の春は一人で水を飲みむせ返る 外は風の旋回

文字数が思いの嵩(かさ)と限らない、湯に顔を沈めぶくぶく祈る

ブリジストンのタイヤのような太陽じゃん、石橋を叩き忘れて走れ

2018年7月30日月曜日

2016年8月自選や雑感。

ソシュールーーフェルディナン・ド・ソシュールのことを思う時、ふたつのことを考える。一つは、生前に彼は本を書かなかったこと、もうひとつは、晩年は、言語学に興味をなくし、アナグラムに没頭したこと。
彼の頭の中は、言語がからっぽになったわけではなかっただろう。いやむしろ、言葉に満ち満ちていただろう。そしてそれゆえに、彼はそういう、二種類の、沈黙をしたのだろう。

私は直接ソシュールをがっつり学んだわけではない。が、丸山圭三郎の本に出会ったとき、息が苦しくなるほど面白かったことが懐かしい。

ソシュールの晩年がアナグラムに没頭した日々であったことを知った時、それは甘美かつ恐ろしいことであった。今はどうかな。恐ろしくはないな。甘美は、甘美だな。あと他に、ああ、これは飢餓でもあったのかな、と思う。

短歌の話と関係なかったな。そういうことにしておく。

自選。

生きることはわめくことだと夏蝉は喜怒哀楽を超えて震える

切れぎれの森の電波を頼りつつきみを追うきみは電波のむこう

ときどきは子どもに自慢したろうか森田童子ののちの日々にも

素朴なるスコーンを食い素朴なる午後なりアーミッシュにあらざれど

ふるさとの気づけば首が止まりたる扇風機のつむじ今年も叩く

悪を討つために悪なる顔をする権現が彫られてより千年

屋外のトルソ(胴像)は憶(おも)う、抱きしめてもらえぬ刑はまだ序章なる

トイレでは音を気にせぬ性質(たち)だろうそういう奴が革命をなせ

六杯の艦隊がゆく日本海おれたちホタルイカなんだけど  「杯」

薄めなるジントニックは新春の小川の上の雪の味して

人のために生きてるときに人になる生き物がいま地球を覆う

青春が師匠とともにあったというこういう話はつまらないかな

どの国もわりとナチスと類似してひどいのでどこを褒めて伸ばすか

おっぱいが生み出す悲劇本人はそうは思ってないふしあれど

悲惨さを伝えるために残しても風化してすこしカッコよくなる

浴衣など着てはいないが夕暮れのぼくらは地味にロマンチックだ

良心の自由、塚本邦雄なら百日紅の零日目の喩へ

2080年涙などないままに跡地にマスクなしで立ちおり

安ワインを一本空けて明日からの永遠を前にへらへらしおり

音楽がふいにぼくらにやさしくて掌(て)で頬に触る部分にも似て

人道的な首切り器械が残酷に見える時代よ、刃がいま光る

幽霊をさわやかに否定したのちの無霊の土地よ、いささ猥雑

プライドのせいで今世ははい終わり風食のまだ立ってるかたち

先輩が恥ずかしそうにぼくに言う、俺の祈りは「助けて」だから

きみのことはすてるBOXだけれどもきみの手紙はとっとくBOX

鼻髭の口をすぼめて微笑まる恩師、帰りに湯のごと嬉し

2018年7月29日日曜日

2016年08月の70首と、パロディ短歌2首と、川柳1句。

生きることはわめくことだと夏蝉は喜怒哀楽を超えて震える

水流がこの一族を洗いたる場にわれもまた初めて座る

きみどりの梅の実落ちてまひるまの坂を低負荷にてわれはゆく

切れぎれの森の電波を頼りつつきみを追うきみは電波のむこう

ときどきは子どもに自慢したろうか森田童子ののちの日々にも

素朴なるスコーンを食い素朴なる午後なりアーミッシュにあらざれど

贅肉がパカッと取れる夢覚めてこの喜びのやり場があらぬ

ふるさとの気づけば首が止まりたる扇風機のつむじ今年も叩く

目と耳は無限と接続されていて手はたったひとりの君へ伸び
(電子書籍について)

悪を討つために悪なる顔をする権現が彫られてより千年

屋外のトルソ(胴像)は憶(おも)う、抱きしめてもらえぬ刑はまだ序章なる

やや甘き恋かほのぼのあるあるかこじゃれた比喩の中から選べ

二階からtomorrowごしに見る世界、いな、とうもろこし畑のいなか

短歌とは氷のつるぎ、刺されても凶器はいつか血とともに溶(と)く
(ツイキャス提出の推敲として)

原爆忌に原爆を歌わず過ぎて三日後の二発目に気をつけろ

トイレでは音を気にせぬ性質(たち)だろうそういう奴が革命をなせ

女性リーダーに期待をしよう平等に男性リーダー並みの期待を

動物と祖父母と絶景そのほかは幾何学模様の写真展出づ

赤坂のアクセントしてきみがいう塚本邦雄がいまもたのしい

遅刻女になぜかひかれていた僕は今では遅刻のゆえに嫌いて

西瓜よりスイカバー欲しがるけれどたしかに皮も種もうまいが

メンマにも個性があって、あいつより長いとか太いとか(しかない)
(メンマ)

コンプレックスを隠し抱えている日々のリフレインするメロディに似て

要するに大脳基底核により振られたわけだ、ぢやあせうがない

『杯』二首

今でしょ! をいまごろ連呼するお前「杯先生だっけ?」酔ってる

六杯の艦隊がゆく日本海おれたちホタルイカなんだけど


薄めなるジントニックは新春の小川の上の雪の味して

人のために生きてるときに人になる生き物がいま地球を覆う

先達のひびきに白く神さびて、いやこの白いの黴じゃないのか
(先達扱いされて贈る)

むし暑くイライライライライラライあるあるじゃなくパッションじゃなく

お盆には電車が空いてその席を祖霊が座る(すれ違いじゃん)

杖と傘を両方持ってゆく父よ傘が微妙にがっかりしてる

青春が師匠とともにあったというこういう話はつまらないかな

生きてよかったあつい涙を止めるため大きめに鼻をかんでいるなり

どの国もわりとナチスと類似してひどいのでどこを褒めて伸ばすか

場外に咲く薔薇あつめ灼熱の熱風で彼が焼きつくす夢
(灼風氏風)

おっぱいが生み出す悲劇本人はそうは思ってないふしあれど

建設中の精舎に光さすを見てサーリプッタはいぶかしみおり

比喩としてキリンを言うならジラフとか呼べと夕日にあかきクレーン

願はくは望月如月会議にて苦の長引かぬその判定を

行き詰まるのが人生か生き物はそれぞれ洞穴抱(かか)えてぞ行く

悲惨さを伝えるために残しても風化してすこしカッコよくなる

飲んだのでさみしい気持ちがへとへとに疲れるまでのドライブならず

浴衣など着てはいないが夕暮れのぼくらは地味にロマンチックだ

西暦では今年は5000年らしいこんな時間にカレー食べてる
(付句まつり?)

おっさんがランチの写真アップしてつい文明の行く末おもう

良心の自由、塚本邦雄なら百日紅の零日目の喩へ

名月にあと十センチ届かないきみがため息ばかりつくから
(連歌の花道?)

2080年涙などないままに跡地にマスクなしで立ちおり

州浜には松もあるのに降りてくる神なき世なりほどなくて去る

安ワインを一本空けて明日からの永遠を前にへらへらしおり

水鳥が雨ふる川で一声をあげたらし、それは孤独にあらず

音楽がふいにぼくらにやさしくて掌(て)で頬に触る部分にも似て

人道的な首切り器械が残酷に見える時代よ、刃がいま光る

もう一度ショパンとリストの神の距離の違いを思う、「近い」が「遠い」

幽霊をさわやかに否定したのちの無霊の土地よ、いささ猥雑

鉢の土を二人で替える十年の痩せたる愛に驚きながら

弱音吐くくらいなら呑んで酔って寝る父の自慢話が聞きたい

新宿駅でぶつからず進むロボットをニンジャと呼んでうんざり未来

我が生はおのれで掴め、親猫が風とたたかう子猫を見おり

プライドのせいで今世ははい終わり風食のまだ立ってるかたち

先輩が恥ずかしそうにぼくに言う、俺の祈りは「助けて」だから

きみのことはすてるBOXだけれどもきみの手紙はとっとくBOX

深刻なつもりだけれど数えたら36時間まで満たぬ

捨てながら語るしあわせわたしはわたしだけでは出来ぬしあわせ

捨てながら姉妹はたぶんしあわせに近づいてゆく、たくさん捨てる

精神が安定しない生活が続くからきみを好きではあった

鼻髭の口をすぼめて微笑まる恩師、帰りに湯のごと嬉し

金持ちに転落しそうな時々の危機を避けつつあなたは生きる

聖者らの教えの雨に打たれいき電子書籍の液晶なのに


#パロディ短歌

体温計くわえた彼女に粥(かゆ)を炊く「ゆきひら」とさわぐ鍋のことかよ 

くれなゐの二票伸びたる薔薇の目のわたしの上に届かざりけり
(うたの日の薔薇について)


パピプペポ川柳
 
パピプペポにやられる助けパピプペポ

2018年7月28日土曜日

2016年07月の自選や雑感。

このブログは、照屋沙流堂の、連作などを載せるブログから始まって、現在では、ほぼ、ツイートした短歌の収集用になっている。
うたの日に投稿した短歌はその翌月にまとめていて、日常のツイートは、2年前の先月分をまとめる形で進めてきた。

2年前というのは、微妙に遠くて、そして近い。一首を見て、ああ、と背景を思い出すこともあれば、何をうたいたいのかよく分からないものもある。

ただ、いつまでも2年前を懐かしんでもしかたがないので、少し歩みを早めて、現在に追いつかそうと思う。

自選。

枯れそうで枯れない観葉植物よ聞いてくれオレのみどりの嫉妬

ガソリンの甘い匂いを嗅ぎながら君の職場を遊びにきたり

ボーカロイド曲歌うとき人間は合成音の真似をするなり

相聞のうまい男がおりました本人はそれを恥じていました

川底の茶碗のかけらが光りいて月夜の川をさびしく見おり

歯を痛み今日は飲めぬがまたいつか、おお、「瀬を早み」みたいな感じ

いまはまだ明るいけれど上弦の月が獲物を追いつめてゆく

落花する始終になにか重大な忘れの生にいるかもしれぬ

増水して駆け抜ける川、生き物は愛別離苦の気ちがいとなり

嘘をつく人間といて、許すのか見放すのかは曖昧に笑む

波紋よりはやき四散のアメンボの親子にあらばすぐに分かるか

きみの詩を誰も読まなくなったときやっと自分の詩を詠めるとぞ

こんにちは外は結構降ってますさようなら外はもう晴れました

只今は星の秩序に大月(だいげつ)が君臨をなす眩しかる夜

あごひげを生やしたような新車からあごひげのない男出てくる

人の死はニュースになって生きているものばかりそれを痛そうに観る

真理にも幸福からも拒まれて世界は一見無茶苦茶である

末期癌の妹の治癒を祈りたるブログを読みておれは透明

政治してゲームして次は何をして当分たぶんあの世ならねば

欲望を連結したる陸蒸気(おかじょうき)の白い煙のことか幸福

いい男を釣りたいと意図するような自分のつくりを厭う今朝なる

首がポン、と飛びし絵巻の改新を原風景のように眺むる

ジュリリジュリ ジュリリリジュルリ ジュリリジュリ ジュルジュルジュリリ ジュリリ リリリリ(よのなかのほろびるときはこずえからみていてあげるかわいいままで)
(シマエナガ)

ずれている蓋を覗くと深淵が自分の顔ととても似ていた

かわいくて面倒くさくてかなしいよいのちがいのちと生きてゆくれば

溶けそうな夏の地球を舐めている宇宙温暖化の対策に
(サーティーワンアイス)

2016年07月の64首。

承諾を押さねば先に進めないわれ無き未来すなわちわが死

枯れそうで枯れない観葉植物よ聞いてくれオレのみどりの嫉妬

毒は愛、残さず食べて横になり手足が勝手にさよならをする

PSG音源で弔われゆくきみのデータが雲(cloud)とたなびく

朝ぼらけおぼろに明けてゆく脳の昨日のDL(ダウンロード)の途中

きみはひとりじゃないって言われAIがそう言うならばいよよスィアリアス

風がなく湿度も高くひょっとして時が止まったひとりのホーム

病みおれば判断も病みておろうゆえ嫌であろうがその逆にいよ

人間性を一度疑われておけば正しいことが軽くてよろし

ガソリンの甘い匂いを嗅ぎながら君の職場を遊びにきたり

ボーカロイド曲歌うとき人間は合成音の真似をするなり

住宅街の立ち飲みバーがカウンターごと食われたように店じまいせり

チキンラーメンの味が美味しくなるたびに酒のつまみにかじるには濃き

おっさんであるからわれは今君のサラッドデイズに目を逸らしおり

一日の始まる前の朝にいてスキップボタンはないのだろうか

旻天(びんてん)はまだ先だなあ、うまくいくはずない最後の夏の白雲

相聞のうまい男がおりました本人はそれを恥じていました

川底の茶碗のかけらが光りいて月夜の川をさびしく見おり

東名道といわれてぼくは空中を走る景色をずっと待ってた

歯を痛み今日は飲めぬがまたいつか、おお、「瀬を早み」みたいな感じ

捨て猫のかわいいドキュメンタリー観つ捨てた誰かの弱さを措いて

雑草は一挙に占めてみどりなりすべての席に後進は待つ

人間のどろどろの善意映しいて不穏と思えど止むを得ぬとも

オールオアナッシングだからナッシング、もうナッシングなし子先生

サングラスの男の席にサングラスの女が座る日常あやし

いまはまだ明るいけれど上弦の月が獲物を追いつめてゆく

人間の架空の森か深海か潜って還らぬままググるカス

脳内の悲しみを夢が捨てていく捨て場所はまだ開(あ)かざるまなこ

落花する始終になにか重大な忘れの生にいるかもしれぬ

増水して駆け抜ける川、生き物は愛別離苦の気ちがいとなり

男って料理よりエサで済むことがあるとか、彼をなぜ弁護する

ザザ降りの車道に割れるクラウンが収まるまでをいつまでも見る

嘘をつく人間といて、許すのか見放すのかは曖昧に笑む

封筒にぱんぱんに日々の想念を書きしが今はやすきツイート

波紋よりはやき四散のアメンボの親子にあらばすぐに分かるか

きみの詩を誰も読まなくなったときやっと自分の詩を詠めるとぞ

月明かりを頼りにのぼる階段の闇にあらねば一段も欠けず

こんにちは外は結構降ってますさようなら外はもう晴れました

只今は星の秩序に大月(だいげつ)が君臨をなす眩しかる夜

掌(て)に包む鳥からしたらそれほどにおまへを信じてやつてゐるのだ

変態がせつない願い持ちて生く人に決して語れぬゆえに

あごひげを生やしたような新車からあごひげのない男出てくる

ごきぶりもせみもみみずも舗道にて力尽きつつ土を思えり

カートゥーンアニメな動き想起してきみが「スマホ歩き」と言うので

お隣りの独裁国家を差し置いて自国を忌みし戦後の論理

若者は信じることに見離され前線と思いおののいていた

人の死はニュースになって生きているものばかりそれを痛そうに観る

真理にも幸福からも拒まれて世界は一見無茶苦茶である

末期癌の妹の治癒を祈りたるブログを読みておれは透明

政治してゲームして次は何をして当分たぶんあの世ならねば

大きなる胸のみ反応する父に娘も妻もスルーの余生

欲望を連結したる陸蒸気(おかじょうき)の白い煙のことか幸福

いい男を釣りたいと意図するような自分のつくりを厭う今朝なる

愚かさへの愚弄を許した瞬間に愚かさはうつむきつつニヤリ

きみからの鳥跡(てがみ)をながく待っている覚悟のコインときどき貯めて

聖賢に酔いてからだは弛緩してこのまま液化して海に行く

老年の居場所は空閑ならざれば知の大なるに徘徊やまず

首がポン、と飛びし絵巻の改新を原風景のように眺むる

ジュリリジュリ ジュリリリジュルリ ジュリリジュリ ジュルジュルジュリリ ジュリリ リリリリ(よのなかのほろびるときはこずえからみていてあげるかわいいままで)
(シマエナガ)

結婚の予定を先に聞いたので手も握らぬが靡けこの街

ずれている蓋を覗くと深淵が自分の顔ととても似ていた

たまきはる命がここで終わるときもともとなかった未来消えゆく

かわいくて面倒くさくてかなしいよいのちがいのちと生きてゆくれば

溶けそうな夏の地球を舐めている宇宙温暖化の対策に
(サーティーワンアイス)

2018年7月22日日曜日

2018年06月うたの日自選と雑感。

ツイッターはツイの棲家、いや、終の棲家になるだろうかと考えてみると、多くの人は、否と答えるだろう。しかし同時に、このインフラと紛うほど普及したシステムの終わりや未来を想像するのは、難しい。いつごろ、どのように人類はツイッターをやめるのだろうか。

現在はまだ、本というものが権威をもっていて、本になることが、文字表現の一つの完成と思われているが、将来、たとえば、ツイッターの、アカウントが、一つの読み物になったりしないだろうか。もちろん、そのためには、技術的にも、読むという行為の意味論的にも、ブレイクスルーがいくつか必要であろう。

消されてしまった、あるいは消えてしまったアカウントのいくつかにも、ああ、読み物としてちゃんと読んでみたかったな、と思うようなものがあった。

mixiも、いまでも残っているけど、逆に今から始めるのも面白いかもしれない。あ、うーん、いやどうかな。

  アカウントのアイコンを決める眼差しの遺影みたいな比喩は用いず  沙流堂


自選

「憎」
容赦なく無知を軽蔑した上で差別を憎む君の横顔

「Rock」
友人がある日を境にロックとかロックでないとか言うので頭突き

「自由詠」
枇杷の木も枇杷の木に生(な)る枇杷も濡れそれを啄むカラスも濡れる

「さざなみ色」
先に出た博物館の前の池は初夏のさざなみ色のさざなみ

「ストロー」
ストローでぷっと吹いたら優しくてこんな終わりにちょうどよかった

「蒔」
油断するとどんなものにも蒔絵とかほどこしちゃうのニッポンみある

「省」
省略をしてはならないきみといる時間のひとつ、ひとつ、ひとつ、を

「包丁」
沈黙の母のとことこ包丁の絆は切れやすいから切らぬ

「垂」
垂れている驚くことにぼくたちは空に向かって垂れてるいのち

「四角」
にんげんのルールはいつも四角くて尖ったところにまたあの人だ

2018年7月21日土曜日

2018年06月うたの日の自作品30首。

「蛍」
ぬばたまのサーバー室に入り込んだ蛍、LEDに醉いたり

「カタツムリ」
春さきは野菜がとても高かったツムちゃんのエサもニンジンばかり

「コンプレックス」
豆腐屋のラッパが届く夕間暮れコンプレックス仕舞って帰る

「喧嘩」
喧嘩したら終わって謝るところまで、途中でひどいことを言うから

「虫」
皮膚打ちて手のひら見れば異種嫌悪を媒介したる虫取り逃がす

「ソックス」
靴下を避妊具みたいに巻きとって足を差し入れてゆく、ソックス

「憎」
容赦なく無知を軽蔑した上で差別を憎む君の横顔

「分」
アルバイトのシフトが二人を分かつまで誓いますここでパン買うことを

「Rock」
友人がある日を境にロックとかロックでないとか言うので頭突き

「生」
めくったらまた痛いのは知っていて精神の生乾きのかさぶた

「自由詠」
枇杷の木も枇杷の木に生(な)る枇杷も濡れそれを啄むカラスも濡れる

「武」
弱いのになにかと威張る武士らしい、占いにしてはリアルな前世

「スニーカー」
森田童子のニュースが出るのに驚いてスニーカー履いて行くにわか雨

「理」
理屈では正しいことを今拒む生き物ふたつ駅はこっちだ

「制服」
制服のきりりときみはこれからも季節を背景に、していてね

「さざなみ色」
先に出た博物館の前の池は初夏のさざなみ色のさざなみ

「ストロー」
ストローでぷっと吹いたら優しくてこんな終わりにちょうどよかった

「蒔」
油断するとどんなものにも蒔絵とかほどこしちゃうのニッポンみある

「山椒」
左右の筋をちぢめのばしてゆつくりと山椒魚は戰火を歩む

「鰻」
逃げ切った鰻の家族は寄り添ってでも嗅覚は最後が分かる

「スミレ」
本気ではないのでしょう? と微笑んで少しおびえて優しいスミレ

「省」
省略をしてはならないきみといる時間のひとつ、ひとつ、ひとつ、を

「場」
こういうところお互い好きじゃないけれど記憶のためにお台場デート

「麦」
雨の日に水鉄砲で遊びいる少年の麦わら帽子濃き

「厳」
分割されていれば百円高くなる厳しいカマンベールの悩み

「包丁」
沈黙の母のとことこ包丁の絆は切れやすいから切らぬ

「腹筋」
腹筋の話というかその周りのルノワール的な、男だけどね

「小」
小さき身のコントラバスを背負う人カブトムシの脚の付け根の匂い

「垂」
垂れている驚くことにぼくたちは空に向かって垂れてるいのち

「四角」
にんげんのルールはいつも四角くて尖ったところにまたあの人だ

2018年7月16日月曜日

2016年06月の自選と雑感。

インターネットというものが、もう当たり前のものになって、インターネット論など論じる人がいなくなった。
それと同時に、いや、それよりはもうちょっと後になってからかな、インターネットが見せる景色が、頭打ちになっているような印象が現在はある。

偶然みたいな「せれんでぴてー」で、あっ、こんなホームページあったんだ、ブックマークしよ! みたいなこと、もうなくない? ブクマ登録って、最後にしたのいつだっけ? 現在のブクマって、ほとんと忘備か、メモくらいの意味しかない。

ツイッターのフォローが、現在のブックマークなのかもしれない。

そして、現在は、もう、フォローを追いかけるより、せまりくる不要な情報をブロックする時代になっている。

未来の寺山は、スマホを捨てよ、町へ出ようと言うだろうか。でもそれは、きょうび、たいへんに、孤独なことです。


自選

顔に色をつけて出かける性につき嘘というなら最初から嘘

ロック解除のスライドと同じ操作ゆえ音楽がふと爆音となる

比較的ありがちな未来に落ち着いて紙とビニルを引き剥がしおり

仕事用のハイエースにて駆けつけてくれて白象王(びゃくぞうおう)に乗るきみ

人間はほんとうにこわくないかしら狐のように首をかしげて

森の中に木を隠したる寺山の結局なにが隠れただろう

雨の夜を車が走る音聞こゆそのオノマトペ決めかねながら

やい宇宙、お前に投げ込まれたここでさびしさを捕食して生きてやる

いじめという無邪気な生の否定うけて夜道、黄泉路(よみぢ)になるまでくらし

猫はもう三世の因果を知っていて主人の来世を眺めては寝る

ノート手にハプスブルク家あったよねー懐かしいよねと笑う少女(おとめ)ら

ダルい体をごまかすように元気よく階段をあがる、ASIMOっぽいぞ

ファイティングニモとジェラシックパークのシュミレーションをディスクトップに

生きるとは野暮なんであるやさしさの余分分だけ現世に残る

あめふればわれらはくらげ水の中かさを広げて駅を出てゆく

もうどこにも行かない男とずっとそばにいてほしいわけではない女

精神の首輪のはなし、ちぎるとき首輪のつよさに負けたれば死ぬ

目線さえ合わせなければ逃げられる逃げているのをみているひとみ

2018年7月7日土曜日

2016年06月の67首。五音短歌10首。

寝そべれば校舎の上がぜんぶ青、ああ青春ってそういうことだ

田舎なる午後のガソリンスタンドの空の一筆、あのあたり巣が

顔に色をつけて出かける性につき嘘というなら最初から嘘

可愛さと奇形のあわい、口あけてすべてを見上げたるコーギーの

世阿弥
父もまたみどりの目もてこのわれを見たか自分によく似たる子を

書類ケースに入る猫(2首)
あいまいなかたちのゆえにだいたいは入(はい)れるとおもいじじつ入(はい)れる

狭いところにわたしがいるのではなくて事物がわたしに触れたがるのだ


ロック解除のスライドと同じ操作ゆえ音楽がふと爆音となる

ランドセルの二人のあとに紋黄蝶いろにつられて追いかけて止む

ボーイッシュな眼鏡少女と見紛える少年がいてちらちら見たき

AIがそれは名曲ではないと判定するが口笛で吹く

カラスっぽくないのでたぶんテバルディ、日本はカルラスでもよかろうに

丘の向こうきのこのような入道が鮮やかに立つ6月なのに

無人島で船に向かって呼ぶような切実さにて鳴く籠の鳥

気の狂いはじめとおわりは色彩が変わるよね、そうそう、ってなるか!

比較的ありがちな未来に落ち着いて紙とビニルを引き剥がしおり

深刻で切実なことを匿名の日記に記しきみは消えゆく

横書きは右へ縦書きは左へとそしてどちらも下へと向かう

水素水を手にとっている主婦がいてスーパーで無力噛みしめるわれは

仕事用のハイエースにて駆けつけてくれて白象王(びゃくぞうおう)に乗るきみ

咲きすぎてくたれた花の濡れている歩道美しさはげに刹那

頭がもう真っ青になっちゃいましたってブルースクリーン的なことかね

ここがきみのねぐらであるか薄暗き闇なる影が小さき威嚇

ファムファタルのその後外には雨に満ち溺れることで紫陽花うれし

無駄だ地球滅ぼそうともわれわれは淵底(えんでい)からの代弁なのだ

無声音のくしゃみのきみはまだ若く理解できないのはありえない

人間はほんとうにこわくないかしら狐のように首をかしげて

森の中に木を隠したる寺山の結局なにが隠れただろう

雨の夜を車が走る音聞こゆそのオノマトペ決めかねながら

今を一緒に生きてくれたら嬉しいというのは低くて高いのぞみか

人類の歴史はまさかさびしさの歴史じゃないね早めに眠る

かわいいと言われてマジのイヤな顔もかわいいことを横が見ている

やい宇宙、お前に投げ込まれたここでさびしさを捕食して生きてやる

節の少ない鉄のブランコガチャガチャと縄のそれとは別物として

ちゃんと命と向き合ってないと突つきたる鳥よお前は雄だったよな

ポリューションのようなり生は浴室で洗い落とせぬかたまり濡れて

流行水を家内が買ってきたという友よアクィナスを嫁に読ますな

弟子をみて師匠がわかるもともとのやさしさをきみは自覚していて

あれ今日はつかれたぼくになつかしいポールサイモンの軽い音楽

いじめという無邪気な生の否定うけて夜道、黄泉路(よみぢ)になるまでくらし

猫はもう三世の因果を知っていて主人の来世を眺めては寝る

悲憤慷慨上戸の男駅前で明るい夜にも怒りつつ寝る

ノート手にハプスブルク家あったよねー懐かしいよねと笑う少女(おとめ)ら

コンテンツになってしまった彼のため彼女もいつか読者となりぬ

フリッパーズギターを少年ナイフから重出立証したき休日

ダルい体をごまかすように元気よく階段をあがる、ASIMOっぽいぞ

起きたればアップデートしてぼくがいる淡めの恋は消去されにき

百年に、いな千年に知己を得るまでこの歌のさひしきままぞ

呼吸するペースできみと歩きいてそのペースにてずれはじめゆく

褒賞と罰のあいだにぼくたちは遊んでいたよ、ここでおわかれ

ファイティングニモとジェラシックパークのシュミレーションをディスクトップに

生きるとは野暮なんであるやさしさの余分分だけ現世に残る

あめふればわれらはくらげ水の中かさを広げて駅を出てゆく

もうエヴァに乗りたくないときみは言う、乗れないわれはきみを励ます

感動で目を濡らしたら症状も少し楽にはなる心とは

WGIPってウェスト、ゲート、池袋、パーク?って、お前頑張るなぁ最後まで

もうどこにも行かない男とずっとそばにいてほしいわけではない女

烈々と生命力を注ぎ込んでオレゆえにオレは幸福な顔

宿命を断ち切るときは難が出ると仏教の法らしきを憶(おも)う

トレイシーチャップマンとかブルーとか知らないきみだ知る要もない

てんかふの匂いのせいでそういえばキツめの顔と思わなかった

精神の首輪のはなし、ちぎるとき首輪のつよさに負けたれば死ぬ

昨日食べたものも忘れて明日(あす)食べるものわからぬ、それはたしかに

この歌も三時のおやつ、甘すぎず固すぎずそして少しのおしゃれ

ニャーゴ水がなんなのかよくわからないいつかは終わる曲を聴いてる

目線さえ合わせなければ逃げられる逃げているのをみているひとみ

わかりあうためにはあらぬならべゆく文字列のきみときどきさびし


五音短歌

「蜜」
「秘密」の字を「蜜」にするその技に蜂はもうぼくである

「川」
この細い川に棲む河童(かわらわ)のおおらかっぽくなさそう

「不」
今思えばオトナっていえるかね若いだろ峰不二子

「逆」
逆回しの地球の川の水、海を吸うだが減らぬ

「嵐」
窓外は横なぐる嵐にてこの家はどこへ行く

「都会」
都会にて指を折るこんにちは、さようなら、さようなら

「冠」
落ちそうな冠を落とさずにうなづけばそれっぽい

「CD」
ネットから焼いたのもあれだけどアーティストまで不明

「資格」
現代を生きるのに要る資格持っているような顔

「蚊」
夏を避けて早い派と遅い派の蚊の進化はじまりぬ