こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史明治大正編の17は、三井甲之と斎藤茂吉・島木赤彦の<なむ>論争です。これもそんな大層な論争でないのでさっぱりといきましょう。
根岸短歌会からの本流を自負している三井甲之は、なにかとアララギを攻撃していたが、それが気に食わない斎藤茂吉と島木赤彦は、ついに三井の
北風の吹き来る野面をひとりゆきみやこに向ふ汽車を待たなむ
の「待たなむ」は「待ちなむ」の誤用であるとした。三井はこれは「待ちなむ」の意味ではなく、「待たむ」或いは「待たな」の意味に、綴り上の都合と「なむ」に新しい語感を持たせるため、と説明した。
これに対して茂吉は、アララギ誌上で何度も記紀歌謡、万葉、三代集あたりの膨大な用語例調査を行い、三井の使用が誤りであることを示した。これは単純な誤りの指摘ではなく、要するに三井を歌壇から追い出そうとする意図を持った攻撃であった。
旗色の悪い三井は、苦しい弁解をおこない、彼らの論争を「勝敗偏執遊戯」と呼んで批難した。
三井は<なむ>論争については敗退したが、歌人よりも短歌の批評家として活躍する期間が長く、彼のアララギ歌人への作品評は鋭く、政治的な論争でない部分では見るべきところもある批評家ではあった。
でも、三井甲之、Wikipedia読むと、この右翼思想家の思想の変遷、たどりたくなるような人物だね。
七首連作「片隅なのに」
そういえば牛乳瓶のくちびるを付けるとこ、くちびるに似ている
峠道うねうねのぼり信仰と理性のあいだにひと世は終わる
ニューノーマルみたいな言葉がつらいのだむしろ言っちまおうアブノーマル
「八十年戦争」期の若きデカルトは剣よりも火器に現代をみる
この世界の片隅なのにこの職場で文明的な言い争いになる
われ夢みるゆえに夢あり、カーテンのすきまの光はゆっくり昇る
ねむるときぼくは地球を5周して光をちょっとびびらせて寝る
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