2021年6月12日土曜日

土曜牛の日第24回「涙川」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史の25は、「杉浦翠子と西村陽吉をめぐる啄木論議」。

大正12年(1223年)は石川啄木の没後10年で、ちょっとした啄木ブーム、再評価があったようだ。その評価の方向に納得できなかった一人が、杉浦翠子(すいこ)であった。当時アララギにいた翠子は、啄木の作品について、新聞で激しく批難した。社会主義派として評価されている啄木の作品は、同情的で、冗長で、わざとらしい芝居がかったポーズで、浅薄な悲憤慷慨な歌だ、というのだ。

これについて、社会派の、啄木の歌集も出版した西村陽吉をはじめとして、彼女への圧倒的な反対意見が湧いたのだった。彼女の表現も激烈だったが、その反対意見も「血迷ひしか」「癒え難きヒステリー症」「杉浦翠子だまれ、プチ・ブルジョアの貴様なんかに何が解るか!」「アカデミックな言葉尻のあげつらひ」と、ひどいものだった。(篠弘は痛快と書いているが)

杉浦翠子はそのあとも数度啄木論を書くが、旗色はまったく悪かった。橋田東声がやや弁護し、また尾山篤二郎が、啄木は社会派とされているけれど社会主義思想の理論的な歌が実は少ないことを別の視点で書いたくらいで、さらに、かつて翠子が入門した北原白秋も、翠子をたしなめるくらいであった。

これはこの時代の、社会主義思想の流行や、アララギへの反感や、実際の貧富や、物言う女性への反感が、盛り上がったものだったと思われる。関東大震災の3ヶ月前の、歌壇の大きな話題であった。

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今回の章で一番おもしろいのは、啄木ではなく、杉浦翠子という歌人だ。白秋門から斎藤茂吉のアララギに入るが、島木赤彦門にうとまれて再び白秋系に移るが、「短歌至上主義」を創刊する。写生も批判し、独自の歌論をもち、散文と短歌を明確にわけるべきとし、卓上短歌を批判する。大戦後も生きて敗戦歌集も出す。

  男子(おのこ)らと詩魂を競う三十年みちの小石も我が歌に泣け(1956年)

現在、啄木がおもしろい、とするなら、何がおもしろいかというと、実は、まさしくこの杉浦翠子が指摘した点でおもしろいのだと思う。なので、皮肉なことに、翠子に反対して彼らが擁護した意味では、啄木はおもしろくない。しかし、白秋は、ただ啄木は技巧がすぐれていた、と言っていて、白秋もすごいな、と思う。

あと、白秋、翠子って、1885年生まれで、啄木は1886年生まれなんだよね。よくも悪くも同時代を生きてる人間の、わかりあった感じがあるのかもしれない。



  七首連作「涙川」

休日のすずしい朝のテーブルにたしかにしたたかに伸びる豆苗

向こうから来る柴犬がかわいくて国家改造案あとまわし

先のことはわからないのに愛欲というより好奇心でふたりは

SFは事実より奇なりと言ってみる そりゃそうだろうそりゃそうだろう

古今集のようにかなしい涙川 袖濡らしつつ過去で逢えない

ロボットが勤勉なのに人間が勤勉なんてなんと非人間的

寝そべって今宵の月をながめたいスマホ明かりにぼくら照らされ


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