こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史の26は、「三井甲之と花田比露思の冒涜論争」。花田比露思の長歌と反歌に三井甲之が冒涜だと言った論争だ。花田の作品は、
詠小竹歌並反歌
森戸辰男氏等筆禍に逢ひし頃 花田比露思
外つ国の無可有の郷に、こしぼそのすがる少女と、
白ひげの長きおきなと相隣り住まひしにけり、
少女は小竹(しぬ)をし欲れば、その庭に小竹をぞ植ゑき、
おきなは苔を愛づれば、その庭は苔むし古りき、
少女のや小竹の節根は、下延へに隠ろひ延びて、
いつしかに隣に入りて、白ひげのおきなの庭の、
苔庭の下に延ぶれば、あづさ弓春のある日に、
その苔を下ゆつらぬき、小竹の芽し鉾なし立ちき、
素破こそや小竹が生ひしと、この翁鋏をもちて、
小竹の芽を切りて棄てけれ、しかれどもその根ゆ小竹は
又も延びんかも
反歌
小竹の芽は断ちも捨つべしそれの根の強き力はすべなかるべし
小竹の芽は切りて捨つとも根にこもる力を強み又も延びんかも
三井甲之も花田比露思も、子規の直系を自負する人物で、三井はアララギと「なむ」論争で負けてしまったが、時事評論の近代主義への批判者として、歌壇へも評言を行っていた。三井は、この森戸事件(1920年に森戸辰男がクロポトキンの無政府主義を雑誌で紹介したことが、彼自身が無政府主義者として有罪になった事件)を取り上げた長歌を、歌に対する冒涜だとしたのである。これは、第一に思想の批判であり、第二に三井の歌の神聖視(作歌することによって救われるといった、旧来の歌道の理念の復活)からくるものだった。
それに対して、花田も、「森戸氏の論文そのものを小竹に比べたのではない。私は小竹に比べたのは新しき思想そのものである」と視点をぶらすような発言をしたので、ではこの詞書はなんだ、と、論争は泥沼化したのだった。結局、この論争は、子規の直系を名乗る者同士の意地と、近代主義へ両者の距離の論争でしかなく、歌壇からはうんざりして両者とも止めるよう提言されることとなった。
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この長歌は対比がしっかりしすぎていて、社会主義を是としない者からしたら、不愉快に映ったのはわかるところだ。この論争の問題自体は、解決したとはいいがたいところがあって、思想と短歌の問題は、今でも潜在化して、ある。歌は思想を直接うたうよりも、それに対する好悪を伝えるのが得意なのだ。空気になびく。歌は世につれ世は歌につれ。三井の批判はイチャモンにも見える。しかし、思想と表現はいつまで、どこまでパージできるものだろうか。
七首連作「最後の良書」
本当はたましいなんて無いけれどそういう言葉がちゃんとある世だ
本ばかり読んで自分を読まぬまま 有情非情の最後の良書
何色で最初に塗った世界かな 転んで擦りむく、表面はげる
平らなる大地はだんだん丸くなる途中はなくていきなり丸し
ビルドゥングスロマンなつかしゲーテ以後生徒を自殺させる文学
バイスハイト(weisheit)! 智慧は知識と違うもの あなたがぼくを喜ばすもの
存在は許されるたび消えてゆくグラデーションは多様の夜明け
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