2021年9月18日土曜日

土曜牛の日第38回「そんな物理へ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史昭和編の第4章は「斎藤茂吉と太田水穂の<病雁>論争」だ。昭和4、5年(1929-30)のこの論争は、茂吉の「よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだに居よ」という歌を、太田水穂が、芭蕉の「病雁の夜寒におちて旅寝かな」の象徴の模倣であると書いたことからだった。

茂吉は例によって、語義出典を調べまくり、宋の『誠斎詩集』に「病雁」があるので芭蕉のオリジナルでないことを示した。そして、芭蕉の句が帰雁(春)であるのに対しこちらの病雁は秋の季であることを説いて、模倣を反論した。さらに、太田水穂の象徴主義が、アララギの写生即象徴の方法論よりも非論理的であることを攻撃した。

そこからの斎藤茂吉の太田水穂攻撃は執拗をきわめて、「太田水穂の歌を評す」は1〜7まで、「太田水穂を駁撃す」は1〜5まで、「太田水穂の面皮を剝ぐ」は1〜4までと、アララギ誌上で、太田水穂の作品、人格、批評、私信まで晒して徹底的に攻撃を行った。これには、茂吉が論争には勝ったとされているが、アララギ内部においても、冷ややかな反応となり、茂吉はやや浮いてしまうようになった。

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この時代は、短歌の若い人たちがプロレタリア短歌にひかれるなかで、写生主義の『アララギ』と、象徴主義の『潮音』が、それぞれ、自分の主義を第一において、他を2番3番と位置づけていることの、三つ巴のような背景があって、太田水穂が斎藤茂吉にしかけただろうことが想像される。

短詩において模倣、剽窃、暗合、は、死活問題っちゃあそうなんだけどね。現在ではこういう戦い方にはならんわねぇ。

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  七首連作「そんな物理へ」

早食いのように思想を飲み込んで塩と甘さと油でうまい

キンモクセイの花言葉が謙虚だなんてふふっと笑うふふっと香る

メメント・モリみたいな気取ったものじゃなく死ぬる命として夜眠る

戦争になったらぼくらどうしよう勝てる方へとカニ歩きしそう

死ぬことはそんなに悪いことじゃない永遠が永遠に終わるだけ

白樺の林を歩く、包帯を巻いた少女のアニメも終わる

再生(Renaissance)に犠牲が要るか、だとしたら手も合わせるぜそんな物理へ


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