2021年11月13日土曜日

土曜の牛の日第46回「雨夜のように」

 こんばんは。土曜の牛の文学です。

今日は出かけていたので書くのが遅くなるでありましょう。

近代短歌論争史昭和編は、第12章「岡野直七郎をめぐる新浪漫論議」です。

昭和10年は、日本は満州事変から日中戦争へと向かうさなかで、プロレタリア文学運動はすでに挫折して、アララギが低調な状態で、ここで起こったムーブメントは、新浪漫主義でした。近代批判から始まってやがて日本復古へと進む文芸雑誌『日本浪漫派』も昭和10年に創刊され、短歌のほうでも、2つの動きがありました。一つは北原白秋が浪漫精神の復興を目指して『多磨』を創刊、もうひとつは、岡野直七郎が新浪漫主義を提唱しました。

岡野は、「近年の現実主義は、短歌の散文化をもたらしたが、今年の歌壇は伝統形式尊重のきざしを示してゐる。形式尊重は、浪漫主義の取上げと関係なしに理解することは出来ない」として、現実主義の散文短歌から、浪漫主義の定型尊重へと移行することを予想して、自分自身も「財貨を根底とする世界の短歌」とか「自然の美を否定する短歌」から「情緒の歌」「歎美の歌」を作るようになってきたと述べた。

そして、ロマンチシズムと言っても、明星風のそれを繰り返すのではなく、生きている現実の人間の内部に持ち込まれたロマンチシズムであるべきだと主張した。

岡野はあいついで新浪漫主義についてエッセイを発表する。短歌は「芸術作品としての価値」が要求されているとし、「いま非常時の気分から」解放されるための「実から虚」の方向へ行かねばならないと力説する。さらに「歌の調べが第一に重要視されるやうになつた」として定型、調べを重視するような、日本的な感性への回帰をうながした。

岡野はさらに進み、浪漫精神の復興にとっては、五七五七七の定型を守ることは必須条件だとして、「太古から今まで保存されてゐた」器こそ日本精神を盛るにふさわしいとして、「万葉的なものから新古今的なものへ移りつつ」あるというようなことではなく「万葉集こそは最も浪漫的歌集である」と古代回帰を推し進めていった。

岡野に対する周囲の評価は、あまりいいものではなかった。あまりに時流に乗りすぎた性急な論理と、実作の展開のなさに、攻撃や皮肉が多かった。木俣修などは、北原白秋の『多磨』の浪漫精神を評価しつつ、後世の歴史家が、名前が同じ浪漫精神だから(岡野と北原の主張を)混同しないように念じているとまで述べた。

岡野はそれでもさらに過激にすすみ、ちょうど二・二六事件が起きた直後にも「社会批判の歌」など「定型愛の基準によつて自然に取捨選択が加へられる」のであって「何の深みもある筈がない」と拒否した。

一年前には「またたとへロマンチックな歌を作るとしても、生活に於ける現実の相はしつかりと踏まへてゐなければならぬ」と言っていたのが、ここでは「社会的批判ほど見ぐるしいものはない」というところまできてしまう。政治や社会のことなどはそれぞれの専門家にゆだねて、歌人は歌をつくっていさえすればいい、というところまで後退した。

岡野は、社会批判の否定からさらに進行し、「感傷は短歌のふるさとである」という論理に至り、「短歌の永遠性は、人間的な深い感傷の、何か無限なもの、絶対なもの、「神」と名付けてもいいようなものに服従する前後の声が、最も広く最も永遠にわれわれを打つのだ」という、定義にいたる。つまり日本の根源的なものならなんでもよい、という、論理というより信仰に通じる姿勢を示してゆく。

ここまでくると論理的な批判は成立しないので、議論にはならなかったが、二・二六事件の際の社会批判の歌の否定については徹底的な批判がされた。

岡野はその後、浪漫主義の問題については、後味の悪さをみせながら、浪漫主義と現実主義は、振り子のように動くものなのだ、というような趣旨を述べて、要するに時流の問題なのだ、と述べている。

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ロマン主義というのは、背景によって、言う内容が真逆になったりするので、厄介だ。ロマン主義というと、普通は形式を守らない、理性に対する感情と理解されがちだが、ここでは、定型の遵守がロマン主義になる。

この時代の岡野を批判するのはたやすい。しかしプロレタリア短歌が弾圧されて転向が起こったときに、彼は時流に乗ったというより、その一本道が見えたのだろうし、プロレタリア短歌の夢がさめた瞬間というのは、彼だけでなく、それなりにいたのだろうとは思う。

岡野の最後の弁明めいた言説は、あんがい、強い気もする。

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  七首連作「雨夜のように」

人生に偶然はない オートクチュールの言葉の中に「特注」がある

オリジナルな遺伝子だけど母も祖母も同じ寒さに同じ咳した

母と娘がすき焼きの肉をしなさだめ顔寄せあって雨夜のように

ニッポンがスライドしながら年を取る、おいしい肉もそんな食わない

ひとりずつ家から人は消えてゆく、最後の母が口開けて寝る

真夜中に家のどこかがバキッと鳴る不思議な音もなつかしいなど

この人のあるいは家のものがたりを物語られるなき雨の夜


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