2021年3月13日土曜日

土曜牛の日第11回「いっこのまぶし」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

今日も1915年の短歌の議論をみていきましょう。近代短歌論争史明治大正編の⑫は(この機種依存の丸数字、何番まであるんじゃろ?)、土岐哀果と斎藤茂吉・島木赤彦の表現論争だ。

この頃の短歌の論争は、もう狂犬・斎藤茂吉が、あらゆる相手に噛み付いて短歌に関心がある人をドン引きさせてゆくようにしか見えないが、今回もそうです(笑)。

アララギという結社によって、短歌を独自の文芸として深めてゆくことと、広い表現の一つとして短歌を考える人達とのあいだに、目に見えない溝のようなものができつつあり、それでも短歌の側であった土岐にもまた、近代短歌を失望させる論争であった。

土岐哀果は言うまでもなくローマ字(横書き)短歌、破調、三行書き、句読点、口語、日常表現の短歌という、2021年の現在と同じか、ちょっと先も通用する作品を作っていた歌人であり、石川啄木や、前田夕暮、釈迢空という、当時の短歌の外周的な場所でも呼吸できるグループの一人だった。

論争は、哀果が、茂吉が自分の作品で古典から用語を借用したことをとくとくと語っていたことに対して「衒気(自分の学や才をひけらかす)をまつわらせるのは自分の論理の生々しさが枯れていきづまっているのではないか」と指摘したのがはじまりだった。ついでに、アララギの万葉礼賛も、行き過ぎていることを批難した。万葉のみずみずしい精神を継承すべきなのに、修辞や技巧を複雑にみなしたり、当時の言葉をそのまま使うのは、「万葉のミイラ」の礼賛にすぎない、とまで言った。

ガルルルル、茂吉が黙っているわけがないよね。自分が借用した言葉を表記するのは、用語の吟味行為そのもので、表現の基礎をなす用語が、いままでどのように使用され、それが十分な活用であったのか、徹底的に検証しなければならないのであって、日常語を思いついたように使う土岐君には想像もつかない境地なんだよね、理解できないと思うけど、と辛辣に回答する。

哀果は、いくら用語を吟味すると言っても、「父母の詞」ではなくて、「僕自身の詞」を発しようするするべきだし、狭い歌壇や結社の中で「けり」がどうとか「かも」がどうとか論じたって、くだらんだろう、と返答する。茂吉は当然相容れない。父母の詞をも愛着して僕の詞を発することが必要だし、一語をも馬鹿にしてはならないのだから、「けり」「かも」の吟味から実行しなければならない、といい、茂吉得意の、相手の作品をとりあげて、ねちねちと問い詰めてゆく。

哀果はそういう挑発には乗らず、全体としては茂吉有利のような論争になったようで、それも理由になったのだろうか、このあと、哀果は啄木の遺志をついだ雑誌「生活と藝術」を廃刊する。彼は廃刊の理由として「雑誌が短歌的になるのがいやだった」「ぼくが社会主義というものと行動的に結びつきえな」かった、と後に語っている。

また、茂吉の「用語の借用」は、茂吉が俊恵法師から採用したと言っていた「出で入る息」は、白秋が近年に使っていて、実はある人から「(斎藤は)北原氏を模倣しないといっていたのに、これは泥棒行為だ」と指摘されていた。そうなると、何が模倣で何が借用であるのか、その前年に古泉千樫を自分(茂吉)の模倣だと言っていた話はどうなるのか、結局、個人的な判断でしかなく、この持論が客観性がないことについて言明されることはなかった。

それでも、当時、アララギは、中心であり、いきおいがあったんだろうね。


  七首連作「いっこのまぶし」

もし〜ならば、仮定形とは過去形だ 未来こそたった一個の「眩(まぶ)し」

IF文とGOTO文で延々とスクールアドベンチャー書いた放課後

会いにゆくGOTOトラベル 旅行だとあなたに遭ってしまいそうだわ

「天国に行く」という慣用句ありて死ぬだけで行ける天国あるの?

描写ゆたかな地獄のようにジオン軍のモビルスーツはよりどりみどり

敷島の道も善意で舗装され地下活動としての三十一文字(みそひと)

かみなりを首をすくめて過ぎるのを待っているふたりの連帯「感」




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