2021年5月15日土曜日

土曜牛の日第20回「思想の出どころ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史は21回、「斎藤茂吉と半田良平・中山雅吉の写生論議」です。写生が続きます。

大正8年頃のアララギについて、茂吉は、アララギ内部のディスカッションも充実して、若手も「邪(よこしま)ならざる歌」を多く作っていると言っている。「邪ならざる歌」とは、アララギの写生の精神にのっとった歌、という意味である。

これまでの写生についてのアララギの対外的な批判に対して、排他的に言い捨てる島木赤彦のような姿勢も、内部の若手には自信のあらわれのように見えただろう。

ぜんたい、写生そのものに反対している歌人がいるわけではなく、問題は写生の定義についてだった。アララギに反対する歌人のほとんどは、写生が、神秘主義的な「生」とか「いのち」までを含むことに不満であった。

茂吉は、赤彦の「信念としての写生論」を引き継ぎ、①東洋画論の用語例と②正岡子規の用語例を根拠として、良平、雅吉に対抗して、写生は主観・客観を含むものであることとした。その途中で、伊藤左千夫の「調子を得ようとすれば写生にならず、写生らしくすれば調子がなくなり、到底両立しない性質のものである」といった、写生を客観描写と考えている意見も「写生の語義をてんで知つてゐない」と否定した。左千夫没後七年、自分たちが子規の正当後継であることを、対外の議論のなかでさらっと行っている。

そして、写生が、「外界を」「客観的に」「静的に」「視覚的に」「記述する」ことではなく、「実相観入によって自然自己一元の生を写す」ものであることを、短歌における写生であると宣言した。

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近代短歌が、写生という方法にここまでこだわったのは、近代の文学、または文字芸術の歴史の必然だったのだろうとは思うが、やはり論理と感覚が、現代ほど明晰でなかったような印象がある(現代もまた、未来からみると、そんなに明晰ではないだろうが)。

文字芸術の歴史は、事実を「美辞麗句」で飾るところから始まっていて(叙事詩などそうだろう)、近代になって、「美辞麗句」を剥ぎ取る自然主義リアリズムというものが西洋で登場し、日本にも持ち込まれる。しかし日本の自然主義文学は、私生活を露悪するようなものと受け止められて、衰退する。正岡子規は、和歌の伝統の残る短歌を近代化するに際して、雅語や小境涯を取り除くために、西洋絵画におけるスケッチの方法を援用して、これを写生と呼んだ。ここにおいて、近代短歌は、浪漫主義、自然主義が自信を失ったあと、写生を掘り下げるほかなかったのかもしれない。

でも、正岡子規が「歌よみに与ふる書」でも書いているとおり、歌人はなぜか短歌しか読まない人を量産する傾向があるようで、この時代に写生論を掘り下げる人たちは、そういう人々であったのではないかという気がする。他ジャンルをまたいで表現する歌人は、そこまで短歌に「実相観入」するのはおかしい、と、何か感じるところがあったと思う。あらためて、「実相観入」、これもう仏教だよね。



  七首連作「思想の出どころ」

そらのことを「空(くう)」って当てたやつヤバい「空」って考えたやつ相当ヤバい

星の手前に人工衛星があるはずの、まつげも無理して見えるときある

他人事(ひとごと)はだいたい喜劇、失敗をわらってくれるきみのやさしさ

子どもには着けられぬようなとても固いチャッカマンがある 子のいない家

「身内への愛はあとまわし」の思想の出どころを探して、無い、ブックオフ

老いたればこれも開けられないようなペットボトルを二人分買う

雲から森、川から海の循環図、矢印がある水よ わたしも


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