2021年5月22日土曜日

土曜牛の日第21回「われにひとつの」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史の22は、「斎藤茂吉と太田水穂の写生論争」。この当時の状況は、ざっくりいうとこんな感じだろう。アララギが一つの流れを作っていて、そこで島木赤彦と斎藤茂吉が写生を旗印に牽引している。しかし固有の思想にはまり込んでいく茂吉に対して、歌壇全体が反発してゆく。しかし論争によって茂吉は生き生きと、さらに独自の理屈を組み上げる。

大正8年頃、太田水穂は、主宰する『潮音』で、茂吉のいうような「主観の表現は写生によって形象化しうる」という考えを、無理筋だよねと否定する。

「主観の波瀾を最も剴切に表現しようとする心、写生を極めて丁寧にしようとする心との間は非常な距離がある。或いは全然方向を異にして居る問題であると思ふが如何。若し距離も無い、方向も異なつてゐないと言ふならば、写生と言ふことの意味が普通の意味で無いと解するより外無い。」

また、赤彦が万葉調を、心と形が合致した状態だと言うと、それに対して太田水穂は、万葉調は万葉人の主観が描かれているからよいのであって、現代の短歌も、現代人の主観があってこそすばらしいのだ、と、自らの「主観ー象徴主義」にひっぱりこんで、アララギの「客観ー写生主義」を取り崩しにかかる。

茂吉は、この後も更に写生とはいのちを写す、という「普通の意味で無い」写生論をすすめるが、太田水穂は、芭蕉研究に取り組み、短歌の文芸に芭蕉を持ち込み、連歌を流行らせたりする。

あと、太田水穂の写生論反駁で鋭いのが、茂吉らが写生論の根拠にした東洋画論、つまり江戸時代の南画家・中林竹洞が「余さず漏らさず描き取り(写生)たるは卑しく見ゆ。其の中に無くて協はぬ処ばかりを写してよけむ」と言ったのを、「無くて協(かな)はぬ処」が「神、たましい、いのち」として「いのちを写す」写生のことだと言うのは牽強付会で、これはむしろ南画の「略筆の要」、つまり写生でなく、単純化された主観の凝縮のことではないか、というものだ。

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結局、真実味、つまりリアリズムがあれば作品としてよいわけで、よい作品に写生がなされている、という理由をつけてゆくことから、写生論は拡大解釈されてゆき、写生の意味が混乱した。太田水穂が、ここで写生の、拡大解釈されない「普通の意味」を指摘したことは、彼の明晰さを物語るところだろう。

あらためてテルヤが文字表現における写生というのを整理すると、まずは①外界を説明する記述と、②内面を説明する記述があって、①が本来の写生だが、①を使って②を表現する、または①のような方法で②を試みる、というのも写生に含まれてきた。実相観入は、外界と内面を一つの実相として把握し、その境地を描く、というのものであるから、①のような方法で②を試みる、のバリエーションと言ってよいだろう。(①と②を一つにして、①をやればよい、という意味だろうから)

でもこれは結局、境地論であり、修行であり、道になりやすいんだよね。先生と弟子になりやすいし、同人でなく結社になりやすい。

ところで、もっとも新しい結社って、いつが最後なんだろうね。今は同人の時代だと思うし、また結社の時代になる可能性は、無ではないだろうけど。



  七首連作「われにひとつの」

騒音をかき消す機能つけたまま音楽のないイヤホンをする

モニタ越し文字越しまたは音声越し ガラス越しに走る傘のない人

朝、そとは鳥の鳴き声、それでもう幸せがプラス1する不思議

自画像がうるさいという、ゴッホって夜空もなんか音がするしね

観たことのある作品はすぐ観れる、ユーチューブってそういう感じ

自転車が倒れたような無防備なあなたを見てるだけでいいのか

わき役ということでなく、ラジオとはわれにひとつの受信ダイヤル


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