2021年5月1日土曜日

土曜牛の日第18回「夏のころぶり」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史の19は「土屋文明と半田良平をめぐる写生論議」。アララギリアリズムが論理的基盤を持つ少し前に、若手の土屋文明と、「国民文学」の半田良平が写生についてやりとりをしたことで、界隈が賑わった、という話だ。しかし、この論議は、整理が難しい。用語がもつ意味とニュアンスが拾いにくいからだ。

文明が大正5年に写生論を書いた念頭には、その前の、村上鬼城の「本情とか本性とかいふものを写すのが写生の目的であつて、我と対象と、ピタリと一枚になったところに、写生が終るのである」という観念論とか、島木赤彦の「我等は只事象より深く澄み入らん事を冀(こいねが)ふ」という精神論への反対があった。

文明の写生論は、まず「写生は外界(即客観)から受ける知覚表象に重きをおく」創作方針であるとして、①写生の方針で作った作品は、客観そのものではなく、主観的要素も加わる②写生による作品は、主観的な作品よりもむしろ個性的になる③写生は俳句だけの方法でなく、短歌でも通用する、と提唱した。そして、写生がただのスケッチになりやすい、という指摘には、それは写生の罪ではなくて、主観の、写生をなすための意志活動の不十分さであると考えた。

そのころ半田良平がアララギの写生運動を分析した文章を書いて、文明の写生論についてとくに対抗したわけではないが、写生という「子規の啓蒙運動」から離れた現在、自然描出の技術としての写生だけでなく、主観のうごきを自在にあらわす描写にまで一歩踏み出す必要があると述べた。この部分は、文明の内容とは対立するところとなった。

つまり、主観を表出するのに、写生という方法が優れているかどうか、というテーマとなり、さまざまなディスカッションがはじまる。このディスカッションで、アララギは、赤彦や茂吉のような、狭いリアリズムに入り込んでゆくのである。そこに文明の合理的な考えは、多く反映されなかったようだ。

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やはり整理がむずかしい。写生といっても子規の時代の写生と近代の写生、そして本来の絵画の意味での写生とがあり、しかも写実や、リアリズム、という、近接した用語がある。そしてこの時代の主要な短歌のテーマ、主観と客観、という話が立体的にからんでいる。

外界(客観) → 知覚(主観) → 外界’ 

写生論って、基本的にはこの図式で、後は(主観:客観)の、表出割合のような議論にも思える。客観よりか、主観よりかみたいな。

しかしそもそも子規の時代の写生というのは、和歌が花札のように類型(梅に鶯、みたいな)を持っていて、その模倣がすなわち和歌の上達であったので、類型から脳を自由にして、見たものを見たまま写す修練としてあったのが写生であったろう。なので、類型がない時代に、写生というのは、まああまり意味がないことであったので、のちに精神論にもなったのだろう。

もちろん、現在において、身の回りの短歌を見渡したとき、まだ知識化されていない「類型」はすでにいくつか存在する。それからのがれるために、写生の技法は、役に立つかもしれない。たとえば「エモい」というのは、すでに類型化した何かかもしれないのだ。だとしたら、写生主義の時代は、次にやってくる可能性は、未来の可能性として、あるだろう。



  七首連作「夏のころぶり」

大いなる解決として死があって、小さな問いとして五月われ

風船ガムふくらみすぎてつぶれたり 笑ったけれど雲のない青

チップスの中身これだけしかなくて覗く銀色の宇宙船内

食卓にワニ全員が集まって自分もワニだなんて思春期

2リットル毎日水をわたくしは「流れ」を飲んで「流れ」になりたい

こころって語が久しぶり、水鉄砲で好きな子をねらった夏のころぶり

影を踏むゲームが終わらないように夜という影に来る問いあなた


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