2016年5月28日土曜日

中牧正太試論

中牧正太試論


  はじめに


「うたの日」という、毎日題詠歌会が行われてるウェブサイトがある。ここでは、1日3〜4の題詠の部屋があり、24時間のあいだに短歌を投稿、その後3時間のあいだに投票を行ない、得票の一番多い者が首席となる。先日(2016/05/27)、このサイトで快挙が成し遂げられた。
すなわち、首席通算100回の快挙である。
達成者は、中牧正太氏。
照屋は、彼と一度しか会ったことがなく、それほど仲が良いというわけではないが、彼の偉業を称え、同時に、彼の作品について考えてみたいと思ったので、ここに試論をこころみてみる。
いずれ書かれるだろう中牧論の先鞭の、その先の風圧にでもなればさいわいである。


  オールラウンダーの肖像


中牧作品の印象は、一口に言ってオールラウンダーのような上手さを備えている印象である。これは、「うたの日」が題詠歌会であることも少しは影響しているかもしれないが、与えられた題をどのように短歌的に処理するかという課題において、さまざまなバリエーションを持っていることを意味する。

◯スポーツをからめた処理


「彼のこと信じてあげるべきだろう」中継ぎエースは腕で抱かない 『エース』
川の辺の恋でみがいた渡辺のアンダースローにはかなわない    『投』
サヨナラのヒーローインタビューでしたお返しします自由を君に  『ヒーロー』
春未満 遠くに君を見つめればロングシュートの実りがたきよ   『長』
強かったころの明治のスクラムのイメージでゆく求婚の海     『大学』

題に対して、恋愛模様を野球、サッカー、ラグビー、(ビリヤード)など、スポーツに重ねて処理するのは、落語の三題噺的な手法とも言える。

◯性別変更


絵葉書でこの身をつなぎとめる人、大志も良いがわたしを抱け   『葉』
迷うのよこの不自由はやさしくてあの不自由は仕事ができて    『自由』
あの人へ帰るあなたのシャツにこのミートソースが飛びますように 『パスタ』
新品に戻らないけどできるだけあなたを容れるための空っぽ    『空』
ほんとうにわたしでいいの印鑑は首をかしげているようだけど   『印』

「うたの日」の参加者は女性が多いので、男性風の作風は支持を得にくかったり、特定されやすかったりする。そういう点でのフェイク的な理由もあるかもしれないが、逆にいうと、多くの女性の厳しい審査に晒すわけでもあり、リスクもある。これは中牧氏に限った問題ではないが、短歌における女性性の表現において、女性言葉でジェンダーを表記する方法については、俵万智の文体以降、大きく変化していないようだ。

◯旧仮名


ぎりぎりで隠し通してくれたまへ高等学校制服女性        『ギリギリ』
諍(いさか)ひて帰る男の軽トラの梯子は月へ飛び立つ角度    『はしご』
それならば吾もときどき壊れやう君の昔の車のやうに       『昔』
それからはアンドロイドに替へましたとても仲良く暮らしてゐます 『それから』
数学に長けたるきみに想ひ出が数へ切れぬと云はせたいなあ    『学』

これも題詠歌会の性質上、匿名性を出す演出の一つとみることもできる。彼の傾向的に、旧仮名を使用するバランスとしては、少し照らいのある内面の吐露や、現代的、未来的のシーンに、ある抑制として旧仮名を用いているのではないか。

◯恋愛


はちみつを紅茶に入れるブログとかもうやめていい僕がいるから  『はちみつ』
雨ですね給料半分あげましょう君も半分くださいとわに      『給料』
こっちだと思ったほうと反対の電車に乗ってお嫁においで     『ドジ』
はじめましてどうぞよろしく赤い傘その役割をいつかください   『デート』
雨だけどいっそ僕ではどうですかつぶれた店の軒先だけど     『だけど』

ふつう、性別変更して歌う歌人は、気持ち悪がられるかもしれないが、彼がそうならないのは、性別変更以上に、がっつりとアプローチする短歌も多いからかもしれない。ユーモアを漂わせながら、ちゃんと告白していく姿勢は、リアルが充実している背景も予想させる。

◯言葉、文字


短編の僕らをのせて井の頭公園行きのスロウボートは       『船』
サンチャとは何と聞けずにうなずいた わたしいつまで野苺さがし 『鋏』
ああそうかすべての恋は終わるのだ平家蛍が「ん」と書いてゆく  『虫』
ありがとう楽しかったと笑む君の明朝体になりゆく言葉      『明』
つかまえることの上手な人たちの渋谷一面ライ麦畑        『本のタイトル』

いわゆる詩的な、詩言語としての形容も、言葉遊びがいきすぎず、現代短歌の、平明でありながら、印象的に処理するトレンドに沿っている。
これがあざとくなるかどうかのバランス感覚は、つくり手よりも読み手のそれであろう。


  作風の分析など


項目ごとの書き出しはこのあたりにしておいて、彼の重複するモチーフについて考えてみよう。彼はしばしば、同一モチーフ(あるいはくせ)を持っているようで、ここに、彼の作劇術(ドラマツルギー)と、技術的な発展を辿れるか。

◯色の表現


けんかしてあいだをとった紫のマーチで行こう行けるとこまで   『紫』
赤色を好んだ君の紫のネイルおそらく彼氏は青木         『赤』
キレンジャー以上アカレンジャー未満、僕はあなたを助けていいか 『橙色』
黄色黒赤の誰もが道を断つ僕たちならば青へ飛ぼうか       『踏切』

時系列で並べた。「赤と青のあいだの紫」というモチーフは2回使われ、次には題「橙色」から「黄色と赤」に分解している。そして踏切ではさらに多色へ展開されている。

◯風俗の照らい


ふるさとの山河しずかに元気あり風俗店もがんばっており     『元』
ふるさとの駅はほほえむ黒松もソープランドもがんばっている   『泡』
モーテルの一つしかない町であるモーテルがんばれ僕もがんばれ  『ラブホテル』

これも時系列だが、これはあまり進展というよりも、同一モチーフである。彼の中での風俗は、都会ではなく(おそらく)地方の風景を伴っていて、その地方の応援と掛け合わせることで性風俗の存在を肯定しようとしている。これは彼一流の照れもあると思われる。

◯尋ねる、という関係性


ボランチの意味を教えてくれますかまた四年後もめんどくさそうに 『サッカー』
シボレーとあれは読むんだ 真夏日の君に教わる二つめのこと   『アメリカ』
このBの意味をきくのは幾度目か初めて地下で失恋をする     『B』
次の冬も尋ねたいから忘れたいその鍋を持つ手袋の名を      『手袋』


同じことを何度も尋ねる、という行為を、愛情の行為に彼は換える。この他者性が、彼の作風が独りよがりになるのを防いでいるように思える。

◯間違い探し


間違いを見落としがちな八月の瞳四つで見る左右の絵       『4』
早春の間違いさがしああこれか左の絵には太陽がある       『間』
少年がこんなにうれしそうなのに左右の絵には間違いがある    『絵』

これも時系列だが、3つめの作品が、記念すべき首席100回目の作品である。間違い探しのモチーフでは、彼の作品がより詩的に発展しているのが如実にわかる。彼の作風は、才能によるよりなお、努力に預かっていることがよくわかるのだ。


  おわりに、内省的なリリシズム


最後に、照屋がもっとも評価する中牧作品の30首選(http://sarunotanka.blogspot.jp/2016/05/30-100.html)から、いくつか挙げ、照屋のおもう中牧作品の優れた点について書く。


ぼくの手がぼくの体に服を着せ通夜の支度を整えている

  誰かの通夜に参加する主体の、通夜の相手との関係や、主体の内面のことを、主体の身体をバラバラに描写することで伝える表現はみごとである。

3D映画のあとの手のひらの雨粒もうひとつ来い雨粒

  3D映画という、立体的に見えるが立体ではない映像表現に浸ったあとに、雨粒というかすかだが確かに立体物であるものに触れたく思う心情を、命令形にすることで、ある時代的な切迫感まで帯びた表現になっている。

グランデは意外にでかく僕たちは初めて顔の全部で笑う

  こんなに楽しくて、幸福で、安心したシーンを描けることが不思議に思う。

よかったら歩きませんかさよならへあのどうしようもないさよならへ

  これは「結婚」という題で、そこからこの作品を導き出すのもすごいことだが、「歩く」と「さよなら」だけで、結婚生活の質まで浮かび上がらせているのは驚きである。

がりりごり使い込まれた合い鍵を渡されながら飴玉を噛む

  複雑な、怒りも悲しみもちがい、嫉妬、とまでいかない感情を、ユーモアをふくんだオノマトペで処理した名歌だと思う。

30首すべて挙げるわけにはいかないので止めるが、照屋が選ぶ作品は、おもに、これまで述べてきた、オールラウンダーの彼が、饒舌な言葉を抑制し、内面の、まだ言葉になっていない、あるいは、してはいけない感情について丁寧に詠う作品に引かれて選んでいるようである。

中牧正太という、歌人について、照屋は、ロジカルな表現技法を持ちながらも、それによって内省的なリリシズムを表現する、現代的な詩人の一人であると思うのである。

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