2016年6月4日土曜日

2014年05月作品雑感。

6月ですなあ。1年の半分がはじまるなあ、と思うです。

ふと、テルヤはテルヤになってから(2012/09/11)、どれくらい短歌をつくっているのか気になって、概算を出してみたのだが、2000首くらいはつくってそうだということがわかった。

文学において量というのは質以上に問題にされることはない。そりゃそうだ。ズキュンと撃ちぬく一首がない100の短歌の、何の意味があろう。

とはいえ、おそらく歌人は、自分がその生の折り返し地点を過ぎたことを知ったとき(それは往々にして過ぎてからそれとわかる)、あといくつの作品を作れるのか、考えない者はないだろう。

10代の学生だったころ、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーが、生涯の詩業がたしか15万行というのをどこかで読んで、その数よりも、「え、詩ってそういうふうにカウントすんねや!」と驚いたことがあるが(笑)、ユゴーの80年の生涯はまあ3万日ちょっとだから、生まれてから死ぬまで毎日5行の詩を書き続けて15万という、そういう数字だよね。

正岡子規は短歌は千数百くらい作っていたけど、俳句は2万句は作ってた。正岡子規は35歳だけど、20代から句作を始めてるから実質は十数年で句作を行っているので、これまた、1日5句程度作っている計算になる。

塚本邦雄という魔王は(歌人の格闘ゲームだれか出して)、1日10首を10年続けたとかいう話を聞いたことがあるが、それでも36,500首だよね。化物だけどね。

柿本人麻呂などは、長歌を合わせてもたしか100程度だったと思うんだけど、いつか、やってみたいと思うんだよね。1年で1首しかつくっちゃダメ、という1年を。どういう歌を残すんだろうね、そういう制約をうけた現代歌人は。

自選。

 CDをビニール紐でつり下げて虹失って白しふるさと

 人ひとり業を抱えて眠りおり己のような字のかたちにて

 地の霊が顔寄せあっているごとし孟宗竹のさやぐ山裾(やますそ)

 死を忘れた文明やよしあの日以後鼻息かかるほどそばで死は

 四十を超えると翁、平安の光る男も応報の頃

 生き物がまた我の前に死ににけり我が臆病を包むごとくに

 ボロ雑巾のように酔えば一人を思ったり思わなかったり、思いも襤褸(らんる)

 粘膜と先端の話するほどに離れてしまっておるぞ二人は

 寂寥というほどもない寂しさはもうこれからはずっとあるなり

 真白くもゴヤの巨人を思わせて五月の入道雲はおそろし

 ともかくも線路は続く、障害の子を届けてから母はマックへ

 一音が奥底(おうてい)に届き驚きつ現在の我が底をも知りて

 流れては浮雲はもげて薄れゆきまた現れる、生死(しょうじ)あらねば

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