2021年7月24日土曜日

土曜牛の日第30回「大空をもし飛べたなら」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

運動が旬の時期ですが、こっちは地味に短歌運動の話。近代短歌論争史の31は「北原白秋と土田杏村の短歌革新論争」。

大正時代終わり頃の短歌の状況は、前回の萩原朔太郎の「短歌は行き詰まっている」という沈滞論があって、一方、『現代口語歌選』のアンソロジーが出て、口語歌運動がおしすすめられ、さらに、労働運動からのプロレタリア短歌、自由律の動きがあった。つまり、従来の歌壇の停滞、新しい口語歌、自由律、プロレタリア短歌の動きというものが、それまでのアララギー反アララギの対立項から複雑に移行していた。

そんな時期に、土田杏村という哲学者・評論家が、雑誌『改造』での「短歌は滅亡せざるか」という特集に対して不満をもって、革新論を立ち上げたのだった。

彼の革新論は、(1)現代語の採用、(2)現代語にふさわしい律の形成、(3)プロレタリア文芸の一環として短歌をあらしめたい、というもので、以下のスローガンのような言葉で締めくくった。「歌人よ、其の最も忌むべき宗匠気質をやめよ。自らの生活を革命することによって、短歌を革命せよ。短歌は今他の芸術と並行することが出来ない。勿論時代の進みとは没交渉だ。短歌の革命は今まさに必然の勢ひではないか。定型律古典語の旧短歌より自由律現代語のプロレタリア新体詩へ。」

これに反応したのは白秋だった。白秋は「短歌は滅亡せざるか」の回答に①私にはまだまだ短歌がわかったなどとは言えない②詩興は変通自在である(定型か自由律かは決めない)③定型によって真の鍛錬は得られよう、と答え、つまり滅亡しない派であったが、土田杏村にこれらの回答を否定され、この否定にもさらに反論した。

反アララギの雑誌『日光』を創刊して意欲的であった白秋は、短歌革新は(私のような)さまざまなジャンルで詩作を行っているものによって為されると自負し、定型か自由律かなどをひとつに決めるのは自縄自縛のようなものだとし、しかし短歌の自由律は、短歌の格(定型の短歌性)をやぶってはじめて成立するものだとして、自分と『日光』への意欲を述べた。白秋のはあくまで自身の経験的な短歌論であって、プロレタリア新体詩とか、定型=旧短歌、自由律=新短歌、という図式で話すことはなかった。

なので、この議論は昭和のプロレタリア短歌に先んじた議論であったが、白秋の体験的意見と、土田杏村の抽象的な概念論とがうまく噛み合わず、終わった。

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白秋も、口語歌をいくつか作っているけど、できは微妙、というか、習作レベルのようだ。

 シルクハットの県知事さんが出て見てる天幕の外の遠いアルプス

 あの光るのは千曲川ですと指さした山高帽の野菜くさい手

 風だ四月のいい光線だ新鮮な林檎だ旅だ信濃だ

それよりも、矢代東村の口語歌は、当時、白秋も土田杏村も一致して評価していた。

 うみたての卵の白さ

 このおもたさ

 茶碗にあててかちりひとつ割る

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物事が複雑で不安な状況にあるとき、簡単な図式で言い切る言葉は支持を得やすくなる。こういうスローガンめいた発言に、複雑なまま誠実に言を張るのは骨が折れるものだ。昭和にむかってプロレタリア短歌という、労働運動から政治運動へ図式化する思想へ、短歌も巻き込まれてゆくのだが、どの情報によってどの立場に立つにせよ、世をうらむことのない健全性を確保したいものだと思うものだ。

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  七首連作「大空をもし飛べたなら」

マン・イン・ザ・ミラーよ この世で水仙の一番似合う男はだあれ

陽炎でゆらいでるのは街である街に入れば私もゆらぐ

どう考えても自分が正しいはずなのでどう考えてもあいつはおかしい

冬の雀が金属パイプにくっついて生き物はかなしいあたたかい

ギザギザの歯の似顔絵がよく似てる歯がギザギザなわけがないのに

しゃがみこみ紫陽花と撮る笑うきみ、一瞬きみが消えて焦った

大空をもし飛べたなら大空を飛べない人ともうまくやりたい


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