2021年10月2日土曜日

土曜牛の日第40回「嘘つきは」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

今週の近代短歌論争史昭和編は、6章「浅野純一と影山登志男の自己清算論争」です。面白いけど、ややこしいのよね。

昭和4年(1929)のプロレタリア短歌は、無産者歌人連盟の『短歌戦線』があったものの、他にも『先端』『まるめら』『文珠蘭』『黎明』などがあって、それぞれが対立していたのだが、今回は『黎明』の影山登志男が『短歌戦線』を批判したことを発端とする。

『黎明』は、『短歌戦線』のような政治主義的な観念的態度よりも、痛切な生活苦のクローズアップから階級意識を目指す意識があったので、影山登志男は、対外的な闘争もよいが、ブルジョアイデオロギーで教育された自分たちの「ブル的」なものを「清算」するべきだとした。「封建→近代→プロレタリア」の流れの中で、「封建→プロレタリア」と一足飛びに行かず、近代的自我の確立が必要だという闘争のプログラムを述べた。影山登志男はこのような自作を引いた。

  いざと言ふ時それを妨げる一人の人もあつてはならないその時に今は力を尽さう

ちなみに『黎明』のリーダー田辺俊一の作品は以下である。

  何だか知らないが自分は一たい頭がへんになるのかと思つてゐる

  俺のものは芸術なんかぢやなくていい価値なんかなくてもいい

  俺は今よわい言葉を吐いてしまつたどうしていいかわからなくなつてきた

影山の文を読んで『短歌戦線』の浅野純一は、影山が「自己清算」が何かわかっていない、闘争をしてこそ自己清算はあるのだとおこった。また純一は『黎明』の武政杜郎の作品「血みどろな実感の道を進むことなくいい歌が大久保よ出来ると思ふか」に触れ、「歌作するために闘争するのではなく、闘争の中から歌が生まれてくるやうにしろと言ふのだ。」と、『黎明』の自己清算の考えが筋違いであると諭した。

同時に『短歌戦線』の伊沢信平も、影山登志男の「自己清算」に反対し、彼の理論は旧来の内部葛藤の反省・告白の「自我主義」であり、プロレタリア文学の意味を失っているとした。プロレタリア文学が大衆の中に入る芸術運動のプログラムにおいては、「自己批判的な歌」よりも、「アジ・プロの歌」の努力が必要だとした。

とはいえ『短歌戦線』の作品のつまらなさには内側にも不満があって、花岡謙二は、プロレタリア短歌について根本的な問題として①短歌は階級闘争の具たり得るや②プロレタリア短歌は短歌たり得るや、という提起をおこなった。しかしこれは、渡辺順三が花岡が階級芸術論をわかっていないとこき下ろし、いわゆる短歌たりうる必要はなく、プロレタリア的な世界観による、新しい芸術観を建てなおすべきだとやりこめた。

論争は、影山が『短歌戦線』の浅野の作品を挙げて批判したことで、作品の話になって矮小化していった。批判した浅野純一の作品「従業員表彰式」はこのような作品である。

  うやうやしく、表彰状をもつてよぶ、老ぼれ会長が壇上から。

  くだらない表彰状がうれしくて、女工は抱く、児を抱く胸へ。

  正午(ひる)がきた。弁当がでるかと待つてゐた。正午(ひる)には白湯もでなかった。

  諸君と叫んで警部は待つてゐた。あてにしてゐた拍手がないので。

  折詰の弁当が来たと喜んだ、職工に見せるな、資本家だけの弁当なら。

論争はふたたび自己清算論に戻るとみえたが、『短歌戦線』は別の文章で発禁になり、論争は途切れた。その後メーデーに出版された『プロレタリア短歌集』も発禁になり、弾圧のなかで、ふたたび小グループで対立していたプロレタリア歌人たちは結束するようになり、プロレタリア歌人同盟の成立へと向かうのだった。

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プロレタリア短歌のおもしろくなさは、とても興味深いし、ひとつの謎でもある。一応の理由はつけられそうなんだが、それは、いつか自分に帰ってくるのではないか、という気がするのである。歴史が繰り返すなら、また表現はここに来ることがあるように思うからだ。

文明は必需品のレベルによって決まる。文化は不要品のレベルによって決まる。

そんな格言を今考えてみるけれど、表現という不要品は、不要であることによって、排斥の風はときどき猛威をふるうのだ。そのなかで、表現は必要だ、と訴えてしまうと、理論や根拠が必要になる。そして理論や根拠が認めるものは、プロレタリア短歌のようになってしまうのだろう。

彼らの、政治的な、表現の正しさの議論は、現在もismと名付けられた考えによって、表現を不要なものにしようとしている。不要なんだが、それは文化のレベルを決める。

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  七首連作「嘘つきは」

人間はおろおろおろか、簡単なことばを簡単なことばと思う

トロイの遺跡を見つけたというシュリーマンがいなければないままのトロイア

嘘つきは表現のはじまりなればライン作業の漢字のドリル

平等な地平はけっきょくどこだろう? どこまで降りれば(お前は上か)

叫び足りないんじゃなくて酒びたり、知らないコンテンツの中で寝る

男とは(女もだけど)根性のある顔がいいよね、我(が)と違い

人間はすごすごすごい、ことばにてこころをまだ見ぬものにも描く


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