2016年2月6日土曜日

2014年01月作品雑感。

もう2月になって、暦の上ではディセンバー、じゃなくて、春になりましたね。まだ寒いですけどね。

さて。2014年、2年前の1月の短歌です。この年から、1日1首じゃなくて、2首にしたようです。

この雑感は、あまり自選することがない自身のために、自選をする場として設けているんだけど、確たる基準がなくて中途半端になっている。で、作品について語ってもいいんだけど、それって、作品が語れていないみたいで、口ごもってしまう。たとえば、

  二十代を過ぎれば彼は二十代の作品と呼ぶものを作れず

という当たり前のことを書いている歌があって、これはなんというか、いろいろ編集や加工が出来る現代ではあるけれど、30代になると、20代にこんな作品を作っていたかったという事実がもう決して作れない、人生が俯瞰できるようになってはじめて、人生が俯瞰できない時にすべきだったことが分かってしまう、というような不可逆的な生への驚きが作品の趣旨なんだけど、これ、書いちゃったらダメだよね(笑)。で、これの趣旨が驚きなんだったら、もっと副詞を使ったり一人称で体験的に書いたり、ちゃんと驚きを伝える工夫をすべきところを、そうせずに、驚いてないみたいに書くことで、驚きの説明でなく、驚きの経験にアクセスできるように迷彩を張ってあるのが表現上の工夫なんだけれど、もうここまで書いちゃうと、この歌はかえるの解剖となってしまって、良し悪しがよく観察できるけど、心臓は止まってるよね。

自選。

  団欒にはやくも飽きて子供部屋の学習机で缶ビール飲む

  厳粛なる死の威容にて中央道に富士が右から左から来る

  ため息にやや嬉しさが含まれていたような気がしないでもない

  御衣黄(ぎょいこう)の咲く頃までにこの時を進まねばならぬ時間ではなく

  演奏がだんだんうまくなってゆくパンクバンドの時系列あはれ

  わしづかみ引っ張るように電車らは無線電波の尾を引いてゆく

  回復をはじめる自然、電線の鳥のはなしはそのことである

  すれすれの幸運で人は生きていてほどける前は解けそうもなく

  

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