2016年8月6日土曜日

2014年07月作品雑感。

  思春期と晩年は本を読みながら異なるものぞ読むことの意味

休みを利用して地方の文学館に行くと、その地方の作家の足跡や、直筆原稿があったりして、なんだか懐かしい気分になることがある。
なんというか、「文学」だったものが展示されているなあ、という郷愁だ。

本の読み方も、価値も、変容しつつあるもので、とりわけ今は情報の拡大伝達速度が速いので、思念の再現装置としては、本は第一線を退きつつあるようにみえる。

先日、アマゾンのキンドル読み放題というサービスが開始され、音楽や映画のように、本も月額で自由に読めるという環境ができつつある。

電子書籍とは、一口に言うと何か。これは「本のパッケージングにレイアウトされた、ウェブ情報」のことだ。逆に言おう。ウェブとは、「紙媒体の制約から解放された視覚及び聴覚情報」のことだ。本と、電子書籍と、ウェブとは、呼び方を変えた同じものといえる。

携帯電話は、もともとはトランシーバーの延長の技術だが、電話というそれまでからあった名前にすることで、使い方がイメージしやすくなった。

ブログは、文筆行為だが、ブログとか、日記という名前を付けることで、だれもが恐るべき量の思念を記録し留めている。(文学館で展示する直筆原稿は残らないけどね)

なんの話だっけ。キンドル読み放題は、また一つ、本というものの変容を推し進めるような気がする。


この2014年7月は、11日から、1日3首を掲載しているので(おそらく1ヶ月限定)、83首となっている。
自選しつつコメントがあれば書き。

緑白のトマトほのぼの赤むころひとつの想い終わらんとする

やがて差別失いし世に蛇使いの娘のごとき祝福なけん

  (蛇使いの娘というのは経典で言う竜女のことです)

震災詠の詩の部分こそうつくしく成れば記憶の瓦礫が増える

こんな日をあと一万も繰り返し百日ほども覚えるならぬ

風が葉の裏まで舐めて一盛りの林を全部ゆらしてゆけり

明るさの満ちる駅前パイプテントの風船の影も赤い色して

四十男のきわまる孤独の正体はその類似せぬ来し方に因る

千体は並んだ浜か今も弱く進まんとして戻さるる波

誰からも応援されぬ苦闘よしジンジャーエールでくしゃみする夏

淋しさを埋めてはならぬ、夏の夜は芽吹きも早く生長しるき

月額の忠誠心が言動に出る後輩をやさしく見おり

要求から供与とならんデモまでは見れぬと思う、国道を抜ける

少しくは明瞭となる二回目の読書のような寂しさならむ

飛天のような美しさではなかったと星々を知る、科学のせいで

焼米を噛み西洋の書を読めど鼻腔のあたり上代香る

思い立たねば吉日ならぬ日が続き未活動時の脳は休まず

バイパス沿いのパチンコ店も荒れ果ててタンブルウィード(回転草)のまぼろしも見ゆ

若い人とは競えないだって世界とはその若いのが好きであるから

復興は忘れることに少し似て思い出すがに満たされずなる

古書店でkabaleの訳の違いたるタイトルに長く悩みきかつて

  (kabaleはドイツ語で「たくらみ」なんだけど、「たくみ」と訳しているのもあって、よくわからなかったんだよね)

緘黙症の双子の姉妹が分かち合う優しさとその些細なる欲

魂は決して孤独、グレゴリアンチャントをネットで聴きつつ眠る

沓脱石に塩ビ怪獣戦って負けたる者は落ちてゆくなり

マルシンのハンバーグ焼く匂いして彼を生活に容れゆく女

  (マルシンのハンバーグって、全国区だと思うんだけど、は? て訊かれることも関東ではあるなあ)




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