2017年12月3日日曜日

2015年11月の自選と雑感。

現在のこのブログは、2年前の作品と、先月のうたの日の作品をまとめながら、適当に雑感を述べているのですが、それをはじめたのが、この2015年11月からのようです。
そして、このブログで自選しているものを、ボットに流しているのですが、電子書籍にしやすいフォーマットとかがあったら、編集してもよいのかなーと、ぼんやり思ったり。

こないだ、短歌連作はどのくらいの量なら一気に読めるのか、と考えると、最大で20首くらいじゃないか、という結論が一旦出た。一首に3分咀嚼をかけると、10首で30分だ。20首で、一時間だ。20首を一時間かけて読むというのは、けっこうヘロヘロだ。

だから、連作を作る時は、まず、その作品を何分かけて読んで欲しいかを決めて、それから密度と歌数を決めるのも手なんじゃないか。

そのように考えると、一冊の歌集って、もっと歌の数が少なくてもよいのかもしれない。


あ、それから、2年前のこの月に、東京文フリに出かけたようだ。しかし、文フリのつぶやきは2ツイートのみ。そりゃそうだ。誰も知り合いがいなかったのだから。

自選。

本棚の上に積まれているだろうカラフルなあのAKIRAは今も

文学青年そのまま文学中年になることもあり忌むものとして

死ぬときの準備のような歌ばかりであったといつも後で知るのだ

法則によって落ちたる葉を見つつ感傷的になるのも物理

人の死ぬニュースにざらり、つまりもうその人のいない世界のはなし

「ますように」を使ってぼくも敬虔な人と思ってくれますように

USBに入った君の魂を水没させて狂う夢みき

われと君とひとつの画面にいることの上には瑞雲たなびいていよ

発揮せぬ才能いくつ手放してこの飼い主としあわせに生く

シンギュラリティもう川岸に、最期まで手をつなぐことを静かに誓う

父ちゃんが遊んでくれてしあわせが我慢できずに笑う子を見つ

人生の予想は尽きて押しつぶした薄いレモンを唐揚げと食(た)ぶ

変わりゆく画家の筆致よ、どうしてもいつまでもここにいてはならぬか

金魚鉢の中にいるゆえ水換えはぼくに可能なことにはあらず

いいねボタンといいねえボタンのいずれかを押さねばならず悩む夢かよ

何だっけ砂糖油あげみたいなあの沖縄のドーナツみたいの

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