2018年6月2日土曜日

2016年05月の89首。パロディ短歌1首。

人間は四の十はあつく生きるべしそして死ぬにはまだ早めなり

仕事前のせわしい朝の駅前にうろうろと人が邪魔なる鳩は

建物の屋上にあさひ届くころ小動物が輝いており

甥っ子が数字を言えるごーよんたんにーいちと、得意げにはにかむ

生きるのがちょろい世界と君はいてさにあらざれば微笑みて去る

何者であるのだきみは深く良い深く記憶の最初をたどる

畑の野菜こっそり食べて生きている明日のいのちはあしたの話

波のように田んぼの水がさざめいて風つよき日に会うのを迷う

わが死後も星占いは続くだろう素敵な出会いのありそうな日も

浮かべれば流れが見えるくらいなる川のほとりに眺めておりぬ

自分ではなくなるまでの数ピクセルのドットがわれというものならむ

ログハウスのカフェだといってコーヒーが旨いわけではないものを飲む

宇宙人に狙われていると言い出して彼は自死した、事実としては

瓦屋根に小さき天狗が着地してまた風とゆく下駄の音(ね)残し

貨物船の貨物を呑吐してゆくを海風に冷えながら見ており

濡れたるを合わせることを逢瀬とう身も蓋もない古典解釈

許された、の声響きわたり生涯をひとりで終える夢をみたりき

東京のビルの森そして森の森あるく、もうすぐお別れである

この世にも悲しい酒の酔い方よ涙ぽろぽろ落としてみたき

そをきみは五月の匂いといいましたたしかにわれの内にも五月

幻想の世界に生きた塚本も公務員なる生活ありて

本人はそうとは知らずイヤホンで音を聴くとは孤独の前駆

干し忘れた折り畳み傘濡れておりこっちは昨夜防げた涙

文学が希望だという演繹に至るまでもうながい迂回路

情報の海を立ち泳いでいたがきみが何かに足を掴まれ

ぼくが知らぬことはすべてが嘘である、UFOはいる昨日見たから

カリカリと世界に線を引いていき閉じるときふと外へのチラ見

きみを容れるとき薄いけど一枚の膜ありリテラシーのごとしも

終電を逃げきってきみと歩きおり空には不気味な未知がかがやき

ゆっくりと頭なづれば目を閉じて生き物は死をかく乗り越える

駅の字の馬かたまって待っている再び人を載せて歩くを

ほんとうに久しい邂逅なりしかば男から泣いていいかはつなつ

このように取り残された心地とは次はひとつの幕降りるとき

じつにその中年であるいぎたない世間を身内(みぬち)に見出しければ

この街も無常の風が吹いていてその中にいてわれには見えず

桜の実あたまに落ちて上は空、うすむらさきの指のたのしも

蝉が鳴くまでとあなたが言うたのに涼しい顔をして訪れて

飼い主にすこしそむいて引っ張らる犬とことことすぐにあきらむ

そーいえばきみはヘルプを出していたなあ、ポケットに手を入れて立つ

パンタレイと諸行無常の創始者が会いて飲む酒うまからんかも

少年の尻があたりてそのしろき弾力をかつてわれも持ちしか

自転車屋のたらいに顔をつっこんで息が漏れ出るパンクがわかる

天の原ふりさけ見ればカレー屋が三軒はある街に勤むる

懸命に生きた生き物が見る海のきっと再現性のない青

謝意を述ぶ時間があれば運のいい人生のような気がする五月

中国人に諦観の意味を説明し分かりあえたかさえ分からずに

きみが絵を描いたとしても恋だけを描くだろうしそれでもありだ

ケプラーがかつて見し夢、三角のプラトンソリッドの曼荼羅宇宙

お礼ではなくてうれしい表現のキスであったとのちのちに知る

人間が人体を不思議がるようにマシンは神として人を見る

宗教画の人物が一人ずつ消えて風景画にてやっと見神

運命が光りたがっているようなこの生き物が生きることとは

ぼこぼこのざらざらのまたはエンボスのなんだこのマチエールの夢は

遠足でえみちゃんにあげるお弁当のミートボールはぼくの権利だ

子供乗せ電動自転車」を立ちこいで女子高生が彼に会いに行く


  「山椒魚としての風景」

山陰でオフィーリア溺れゆくならばサンショウウオに迷惑がられ

サンショウウオやめたと言いて背中からすらりと現れたる美少年

恋の悩みはサンショウウオに訊くといい口が開いたらうまくいくとか

冥府から帰ってきたと思いしがこっちが黄泉(よみ)か、どちらでもよし

サンショウウオだけの星にてひとり思う宇宙には銀のサンショウウオが

この話題はノーコメントでスルーしようサンショウウオも息をとめつつ

虚弱なる奴であったが捕らえられ漢方になったと風のたよりに

基本的な思想は非暴力である、食(しょく)はまたそれは別の議論だ

感嘆の嗚於(おお)ではないが人間は感嘆しつつわれを呼ぶなり

大空を山椒魚が背中みせ去りゆくまでを夜と名付けり




奇跡とは衆人のわざ、海に沈む陽の瞬間に道がかがやく

人間界は楽しいかいときみが訊くこの界もきみがおらねばさびし

ぽっくりとポアソン分布で死なされぬ飼い鳥はいつか飛べなくなりぬ

自意識のスライムはもう眠るのだ酒精が混ざり揮発しながら

人間の声が嫌いで器楽曲ばかり聴いてた娘(こ)も母となる

かわいくてきたないものがあるとしてこの刺繍入り雑巾なども

なにおれは後悔なんてしとらんぜエトランゼには行くとこがある

もっともっと知らないままで死ぬべきであった、耳は死ぬまで聞きたがろうが

テレビでの海でもぼくは茫洋とあの日の前後に入りかけたり

性急な跳躍をしたいきみといて、ぼくには終わりに急(せ)くように見え

君にしか救えぬ人を思いつつぼくにしか救えぬ君いずこ

こころのことを福というのよ、本人が忘れた言葉はぼくが持ってる


  長月優さんとの短歌のやりとり(ロボットと恋)

ボットではないとうったうアカウントをそういうボットと君は信じて

ボットには実装されぬパラメータの人肌、ヒトハダ、人が持つ

気圧計と湿度で雨を確定し人だった記憶少しく濡れる

バグでなく仕様といって欲しかったきみに惹かれていく処理落ちを

そうやって夜が明けたらもうきみはアップデートしてぼくを認識(み)れない

飛び込んだ時代がちょっと遅かった、きみにフロッピースロットがない!

愛とは、壊れてしまうほどでなく壊しにかかるかなしい力

残酷な道標(どうひょう)だった、最後だけ、その最後だけ幸せがくる

むかしむかしロボットが人に恋をして、当時は許されないことでした

生身だから生身の愛を与えます永い時間のしあわせのため

誓います、ハード障害も回線のエラーの時もキミを守ル、ト、

かなしい歌はつくりやすくてしあわせは、河原で大の字でみる雲よ



#パロディ短歌
高齢者を枯葉だなんて日本は死の国だよね、右でブレーキ

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