2018年5月20日日曜日

2018年04月うたの日自選と雑感。

ようやっと追いついた感じ。ブログの更新、ここ数ヶ月遅れていたので。先月のうたの日のうたを収集するのと、2年前の先月のツイッターの短歌を収集するのと。あと雑感。

ほんとは他にも、このブログで自選したものをボットにあげたり、やりかけていたものがあったりもするけど、こういうのは、自分にニーズがあれば、やるものなんだ。自分に、ではない。自分がニーズすれば、の意味ね。

ツイッターもそうだろう。ツイートを誰かのためにすれば、いつか落胆するだろう。自分がニーズしてツイートするものなんだ。
ツイッターは、なにかどこか、コミュニケーションの底の方を変えているような気がする。

吉本隆明は、言葉を、自己表出と、指示表出に分けた。そして、詩は、自己表出にあたる。

そう、ツイッターは、自己表出の言語でコミュニケーションしているといえる。だから、ツイッターは、それ自体、詩的である。

谷川俊太郎の二十億光年の孤独ではないが、詩は、孤独とともにある。声は消えてしまうので、文字にして、本にして、仲間を求める。

現在は、本にせずとも、自己表出でコミュニケートできるツールがあって、いいね、というボタンを押すことで、その孤独の横に、ふっと存在の跡をのこすことができる。

今月(5/9)、永田淳が、ツイッターで、「SNSで「いいね」がもらえる短歌を作りたい、とかって言い出す時点で、もう短歌なんか作るな、と言いたい。
と、青磁社の永田淳が申しております。」とツイートした。これをツイートせしめる短歌界隈の思想をわたしは問題視しているが、このツイートもまた、自己表出のコミュニケーションなのである。

この短歌界隈の思想には、歴史問題やら、定型問題やらも関わっているんだけど、思うところはいくつかツイートした。そのツイートで、ちょっと落胆してもいるんだけどね(笑)。


自選。

「ミント」
青いような白いようなそして甘いようなパジャマのようなほっぺたのような

「寿司」
パック寿司ばくつきながら休日のワンルームアクアリウム舌の上

「沢」
こういう時は沢をひたすら降りるんだ、間違った知識で行くおれら

「干」
部屋干しの洗濯物をかき分けて「大将、やってる?」何度目ですか

「バナナ」
ヨーグルトに沈むバナナの切れ切れのこれも性欲のハッピーエンド

「箸」
父ちゃんが服も着ないで風呂上がりに豆腐に箸をつけるまた初夏

「ちゃん」
なんにでも博打パクチー期も終わりちゃんとちゃんとの元の味です

「押」
ひょっとして時間はすでに止まっててわれわれは押し花かもしれぬ

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