2018年12月17日月曜日

添削という思想。


添削についての文をちらちら見た。添削とは言うまでもなく書道の朱を入れる行為で、つまり「歌道」に属する行為だ。

テルヤも一時期「お節介添削マン」などと名乗り、辻斬りみたいな添削をしたりした。
その場合の添削は2つあって、
「作者が表現したい意図をより伝わりやすくする添削」
と、
「その歌を現代短歌としてより面白くする添削」
だ。

前者は技術的なもので、後者は表現思想的なものと言える。

ただ、これらははっきり二分出来るわけでなく、優等生的な短歌になることで、現代短歌としての前衛味は当然失われる。

「道」でない添削は、ミュージシャン同士の「カバー」に似てくる。矢野顕子のように、誰の曲でも自分のものにしてしまうアーティストもいれば、奥田民生のように、誰に歌わせても奥田民生の真似になってしまうアーティストもいる。

テルヤはある時、なんの気なしに添削めいたことをしてしまい、作者にとても不快感を示されたので、それから添削はしないように心がけている。

うまい、下手であることも表現に含まれる時代に、添削をするのは、「道」の外にいる限り、大変だろう。

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