2018年12月30日日曜日

50首連作「山谷物語」2009年

「山谷(さんごく)物語」


あめ晴れて霧の向こうに見えている畳(たた)なづき折り重なる起伏

真新しき装束の白、杖は持たずたぶん若さをなお恃(たの)みいる

本当に白蛇のごとくなる道の蛇行、しだいに傾斜はきつく

地蔵菩薩が並びたる道、子供らが施しし化粧の朱(あか)も寂びれて

人馬斃(たお)れて甘き匂いのする池を馬酒池(まさかのいけ)と呼びし村過ぐ

前も後ろも人なき道は声を出す救いを求める言葉ひとつを

杉木立の天上に礫(れき)がこだまする 鳥と思えば鳥の声なし

開けては絶景かなと愛でてのちそのまま通過すべき痩せ尾根

下り路は歩幅に合わぬ階段がだくだく続く、黙々つらい

下りきった坂のたわみのバス停は懐かしいように壊れかけて

窪地の底は変な真昼の明るさで色のつぶれた景色に入る

約束のようにベンチに腰掛けて目を閉じてすぐに叱られる「おい!」

明らかに不機嫌な猿男(ましらおとこ)立つ、吾(あ)が嬉しいと思うも知りて

その男、姿はまさに猿(ましら)にて脇(わき)掻きながら我を見ている

起こす身の疲労は深し、気難しい猿男(ましらおとこ)はもう先を行く

一本の道を離れて休耕地の畦(あぜ)をぬるぬる行く、天高し

秋であれば曼珠沙華悪(あく)を遠ざけて灯るであろう畦の曲線

猿男(ましらおとこ)は何処(どこ)へ導く、現実に抗(あらが)うまでの信なき我を

法面(のりめん)をむむむと登りきって見える舗装道路に人心地せり

コンクリート橋も渡って幾何学的な公園に、ここから一人で歩け

整備された青草が風に揺れている波状に立てば杭(くい)のごとしも

噴水の広場まで来て噴水に背を向けて座る 波立つ予感

向こうから深く見たことがあるような女が七歳(ななつ)の子を連れて来る

あらゆる未来にからだを耳にするまでもあらず「嫌な予感」が聞こゆ

女は二度と会わぬはずなる、我の前に「気をつけ」をする子は覚えなく

少年の長袖は左袖だけが風に遊んでうきうきと舞う

何も言わぬ二人に俺は笑いかけ「名前は?」「J!」と大声の子は

つまり俺は片腕の俺の子を生んで育てた女に 何が真実?

疑えば七年前も俺の子も生んだ女も 隻腕(せきわん)は事実

少年はどこまで知りて直立の最初の一瞥から目を合わせぬ

公園の時計塔から半透明の明るい音が降る、降りしきる

おそらくはがっかりさせる反応の第一として狼狽の煙草

そして俺が金銭について考えて出方を待っているのが第二

しかしそれでも覚悟を決めて成長を喜んでみる第三の道

「お金ではないの」と少し微笑んで音がするほど安堵に沈む

秒読みのつかの間でなお夢想する自分が可笑しくてゆがむ顔

話の最後に認知を言うと決めたとき女が口をひらく「あなたに」

「お願いが一つあるのだけれど、Jに左の腕をください」

やはり金かと剥がれるほどに落胆する俺を見ることなく出せる——斧

もうすでに予習は済んでいるように、子が腕を持つ、女は構(かま)う

斧を振り上げ女は声を絞りつつ我が肩を打つ、朱(あか)の噴水

子はかつて我が物なりし腕片を噴水で洗う、腕が手を振る

女も斧を水に濯いで子の仕事を見守っている 家族の世界

右の手が押さえる箇所に迷いながら親心すこし湧きたる眩暈(めまい)

済みたれば母子は我を去ってゆく、点々と我の血を垂らしつつ

丘を越えて二人が見えなくなりし後(のち)呟いている感謝の痛み

流れ出(いで)し我の太陽、頭上から緞帳(どんちょう)のような帳(とばり)が落ちる

永い時間の槽(そう)から水が抜けてゆき「く」の字に跳ねて泥掴(つか)みおり

左手が泥を握っていたりする、腕なら生えてくることもあるか

装束は汚れて糞掃衣(ふんぞうえ)のごとし、起ち上がりあのバス停に戻る

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