2018年12月24日月曜日

2017年01月の自選と雑感。

先日、ついツイッターで川柳を読んで、感想を書いてしまって、「生きとったんかワレ」扱いになってしまったテルヤです(笑)。

最近はあくまで個人視点のタイムラインながら、短歌よりも川柳が元気がよいような印象があります。

さて来年。来年は何をやろうかなと思ったりしながら、今年の残りをうろうろしています。とはいえ、あれだ、まず、こうやって過去分を整理しないとだな。

  うろうろとわれの理屈も着ぶくれて寒くないけどからかわれたい  沙流堂

自選。

夜の列車は体内の光り漏らしつつ血走る馬よりも速く冷たし

人生は遠路にあればぺこぺことよろしくお願いしながら進め

自分自身を愛せることが出来るまで出られぬ檻のわれに、きみの手

豊かさは苦しいなあと見上げれば楽だがひもじいカラスかあかあ

感情が行動になる途中にて歌生れば歌で済むことのあり

三本腕の聖カジミエルの教会の無神論博物館なりし頃

外国人犯罪のニュース流れいて観葉植物身じろぎもせず

新成人が五十万をきる未来、ゾンビを撃つゲームは禁止され

鉄作品アーティストは肩身がせまく戦争で鉄が不足するころ

今日の麩とわかめの味噌汁いつもより海が近いと思うが言わず

生きることが何の象徴たりうるか平日くたくた休日ぐだぐだ

丁寧にスマホを拭いてなんというわれのあぶらに包まれて生

ばっくりとヘラで赤福食べるとき子供心に生(あ)るる背徳

歌人の夫、俳人の妻がオリンピックパラリンピックを別々に観る

殉教を弱さと強さに仕分けするヒヨコでいえばいずれオスだが

雑木林野原公園ゴミ捨て場ソーラーパネル、で雑木林

飴玉を昼食として少し寝るわが人生はこれでよし子さん

けっきょくは一つになれないぼくたちを暗示してピコ太郎のけぞる

ウスゲって読んでいいのかハクモウと気をつかいつつ読んでいたけど

心臓が次で止まるとなるときにあの後悔はなくならずあれ

当事者にあらざれば災害詠のどううたっても歌のよしあし

厚い紙うすい紙からレコードを取り出すまえに手を洗いたり

一色になる直前のマーブルの自分でなくなるおびえうつくし

アイルランドに似ている海に近き町きみの野辺送りに間に合いぬ

残り時間となってはじめて未来とは輝く不在を指していたのか

巡礼路ひとが歩いて道になり道は祈りの流れたる川

吉祥寺を歩いた変な思い出だフォークダンスのこゆびつなぎで

自分だけの言語できみは生きてゆくだんだん世界が合わなくなって

ネクタイがビシッと巻けて今日はもういい日にしないと申し訳ない

CR北斗の拳の「お前はもう死んでいる」との声が離れず

四振の妖刀並びあやかしに優劣あらばいささかたのし

この蔵に灯(ひ)を入れるまで闇がいて跋扈しおるもいま壺の影

会うたびにきみは疑問を持っていて「質問1」から始まる時間

カニバリズム、カニをバリバリするような想像をしたきみの顔だが

愛を説く教えが公認されるまでの三百年の殉(したが)いを思う

葛飾応為はレンブラントの明暗を思わせてたぶん勝気なるひと

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