2016年4月2日土曜日

2014年03月の62首

小鉢なる寒紅梅の「寒」のつく分すこし濃き紅梅色(こうばいいろ)の

この春の生ぬるい風に許されて文系宇宙をもう少し歩く

向き合わねばならぬ三月つごもりを過ぎさいわいにして外は雨

瀝青を敷きつむまでのこの町の桑染色の話を聞けり

冷めてゆく弁当を持ちて君に急ぐ誠実が青磁色になるまで

他船より碇泊ながくその名よしラッキードラゴンナンバーファイブ

明け方に鳥の群れひとつ南西へ幹線道路の我を越えゆく

読み進められぬほど泣き洗面所で顔洗いおり瓶覗き色

赤墨色の苦い心をうち捨てて褒めねば動かぬ人にほほえむ

やられゆく戦闘員の断末にヒーと驚く我が善ならざるに

根本問題などは先延ばしにしつつそのまま土の下もよろし

現代の丸眼鏡げに胡乱にて綺麗な話にあればなおさら

洗面所に零(こぼ)れた鳥のえさ芽ぶき強大に及ぶ春とは云えり

駅前にギターピックが落ちていて話は以下でも以上でもなく

未来とはさなぎの中身、ペーストの未明の余地を捏ねて一日(いちにち)

水たまりに降る雨粒の雨粒も波紋も消えることぞ次世代

白飛びの午前の光にこの路地はアメリカンリアリズムのごとし

ヒトラーに仮託して批判する者の垣間に善のヒトラー育ち

牛丼より高きクレープ食い終えてそのほの甘き時間はかなき

十代の目にしか見えぬものを思うこの三年の潮引きしのちの

防ぐということとも違い静かなる光の差してこの土地にいる

誓う日のまだ来ぬ生は措くとして逆算の見えて祈るいのりは

千年に一度の災を振り返る日のもう少し酔っておりたし

ラーメンの具を食う順を語りおり三年後の二時四十六分

人間が好きになれぬと件名のでもさみしいと本文にあり

ネクタイを締めたるまでは犬馬にて銀貨のような月の下なる

炭酸煎餅舌でぺちりと割り湿(しめ)しおくゆかしくも世界に消ゆる

秋は小さく見つかってゆき春はもうわんさかというかいっせいにそれ

君を思って思ったあとのひまわりの光を追って向くということ

これはもうこういう地獄なんだろうデンドロビウムが隅に置かれて

ゴムやガラスが時間に溶けてゆくように君思うわれも一つのフロー

たったいま言葉が生まれ声になる場にいるごとし、つぼみと聞けり

一行詩は墓標のように峙(た)つものを斃(たお)れて横書きスマホに累累(るいるい)

オレンジの夕焼けの前の一瞬にピンクの雲となりしと見たる

そのかみに嫌いし毒にも薬にもならぬ一行をこそ楽しめり

朝湯にてしばしの無音、一秒の省略もなき世界の不思議

寒い日のわが身を隙間なく埋めて火を守るような季を通り抜く

この店に南京桃は来ぬものか駅前の小さき花屋と思えば

大空を知らぬ錦華の雄鳥は窓外の風に怯えていたり

たとえば、金木犀は秋までを香らぬことに愚痴いくつある

日の沈み変色しゆく球面のあかねの中にわれも在るなり

新宿駅の生の孤独の処理量にブロックノイズが見える片隅

ミニワイングラスの中のしらうおの酢醤油に濡れた目と目が合えり

美しき名の革命よ、人は春を呼べずば一華(いちげ)にそれを知るのみ

針金がまだ見えているエスキースの像に影ありたましいに似て

ボオドレエルの一行にしかぬ人生のすらりと君は二行目に立つ

廃橋は両側を草に覆われて鍾乳石を垂らして還りゆく

労働の一員として愛玩から離れて佇む鉄道猫は

えいたくんベロベロバーとりなちゃんが顔近づけて中通り、春

眼前は景の変わらぬ地獄にてこの世のヘルを謳歌してみる

寄せ返す波打ち際か明滅のミラーボールか生死(しょうじ)の相は

当世の真面目な熱も珍奇なるアルチンボルドの絵に似たるかも

帰路のホームに春のうかれを見かけつつ過ぎればいつか沈みに入(い)らむ

蜂に刺されたクピドを諭すヴィーナスの、月さす指の指のみぞ見る

あやとりの張られた糸の弾力は両の手指がまるくまもりて

孤独へのレジリエンスも持ちながら梅にいたのはメジロとは思う

のべつ幕なく人間界は比較して時に比較のなき顔をする

若き歌の時代を終えて友人はオールドジャズに沈潜しゆく

春の男になりきらぬまま休日のパルコにきたり急がねばならぬ

われもまた君の一つのマクガフィンになるのだろうか、なれるだろうか

雨厚く垂線引いてうすしろき桜の花も試されている

死後にわれなき日常の出来事は遠い異国のニュースに似るか

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