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2019年5月18日土曜日

2017年03月の108首ほか、パロディ短歌、俳句川柳。

生を生き、死も生きるような大きさで朝決意して夕べに忘る

いつまでも当選番号さがすようにスマートフォンをきみは見ている

ダイハツのCMに残るかすかなる大阪文明(文明ちゃうわ!

ある胞子は夜の温度でまだ春でないことを知る、春待つ仕組み

考えていることすべてとろかして人間はゆくひとつところへ

カルピスは何倍がいい? きみのくれる短歌の濃度くらいでもいい?

才能もなくてお金も足りなくて人の子どもに変な顔する

個性などなくてよかつた夕ぐれのユーグレナけふすじりもじりし

ウルトラマンになりそこなった風邪引きがヘァッヘァッてもう帰んなよ

ひな壇の15人にもいるのかもカムアウトせずすまし顔して

この歌を3回声に出したあと、夜の0時に鏡を見るな

この歌を3回声に出したあと、夜の0時に鏡を見るな

この歌を3回声に出したあと、夜の0時に鏡を見たな

学生がちょっと小ばかにするけどね時々読み返したりフロムを

引き出しから未来のロボがやってきた! (打ち上げられた魚のような)

消え去らぬ老兵をいつか一掃しスカスカの街が見たそうなきみ

楽しさが幸福である現代の張りぼての裏を揶揄しておりぬ

知の呪縛のように不可逆、玉手箱の白い煙のごとき認識

犯罪者が刑のかたちを決める夜人権はまだ生きてるつもり

悲しさがこういうときはツインビーのBGMをずっとずっとずっと

勁草も泣くことだってありますと昔の会話を覚えてたのか

地図の上●●●に黒々と秋風の吹く、次は誰の死

バーナーで燃えてゆく窯、釉薬の垂れては生まれ変われるごとし

誇りなくファミマに変わるサンクスの今までサンクス、ふっくだらない

あさましくて父ちゃんなみだ出てくらい、人目気にして損得ずくで

伝統は乗り越えることが継ぐことでソニックブームを知るか知らぬか

モナリザを左に倒して飾りおれば観る人すべて顔倒すなり

あんなにも可愛がってた芝犬のデータはとても出たがっていて

紅白のしまうま常に怒りつつそれも目出度さ扱いされて

めためたにメタモルフォーゼ繰り返し再会したるふたり、きみかも

月を取ろうとして海に入(い)り溺れたる猿を看取ってくれたる海月

煙突のない家なので真っ黒なぼくをからかう彼女もいない

ほんとうに蓋を開けると終わることもあるんだもうすぐ春が来るんだ

合成の歌声じつに小気味よく火星探査車石蹴って往く

いざという時に役には立たぬためのことばをえらぶ、墓標を立てる

肩揉みが天才的にうまけれどロジックがない男を知れり

百年前は新宿だって牛飼いと牛がいたんだ都庁のあたり

キャッチーな詩を書くゆえかきみはあのまどみちおの絵が部屋にいちまい

それを話せば終わりが来るいうそれを早く見つけたいのか饒舌

生きることの意味問うときに深くふかく円(まる)いルールが一瞬まぶし

のれんの絵を描いたのれんが飾られて向こうがなくてさみしいのれん

我は白きみは赤なるくちなはのまがまがしくて見た目めでたし

充電の切れたる古い端末の電源は神の啓示のごとし

人間界はそれを隠して回るのだ◯肉◯食ランチでひとり

一枚の布だけ残る文明をおもう、彼らの生活が見える

静脈がおれを認識しなくって、あれ、おれいつから甘んじて俺

久々に座れた満員電車だがまるで立ってるのと同じじゃん

壮大な赤ちゃんプレイは待っている変態と言ってくれるひとりを

食べ物を見る目をしてた食べ物が権利を主張する間じゅう

死んでから愛するような愚はすまい夕べに死すともかなり悔ゆれば

称賛か失脚か風の吹き上がりやすい時代に目がすぐ乾く

八百年で絹はほどけてゆくというシルクロードも風に薄れつ

電柱を描くか描かぬか写実的風景絵画の懐かしい嘘

控え室で彼らは思う蛇の道を、まともな人間ほどの変人

何層のレイヤをかさね我がいてふつふつとよろこぶやつがいる

春のころこの道を老婆ひとりゆきその道の果てにあり老梅樹

終末は週末よりも頻繁で終電去れば朝まで廃墟

美男美女はなるべく顔をゆがませぬようにしてきた悲しき成果

小学歳を殺すほど認知あやしくてなお生き延びて人生ながし

洋服に洋画の陰影描き分けて夷酋列像赤き直立(すぐだ)ち

官邸デモを語る和歌山大学のドイツ人教授の信憑性

生まれ変わる生まれ変われる挨拶をドレミファソーのソーの高さで

右巻きの昼顔ぼくはスイカズラのきみを抱き取るつもりであった

基本無料の世界は基本下劣にていささか値上げすべきスマイル

この国の混声合唱「死にたい」はスウェーデンとは異なるひびき

生き物は水の記憶に頼りながら生き物として次世代にゆく

ビキニからの原爆マグロを眠らせて築地の朝はさっきまで夜

それゃあもうおれは「なかなか言いにくいことをおっしゃるご主人」だもの

週末にアニメを消化するだけの青春、きみはわりあいに好き

自爆テロリストのVR映像を、終えて現実(リアル)がとても汚い

上等の日本酒舐めてきゅうと言うそういう男の列に連なる

美しい言葉と思う、運命を開くいのちを真剣と呼ぶ

批判するわれわれもまた閉じていて悪人がポアされない世界

思い知ってないだろうこのおっさんはおっさんというzombieのことを

エクレアのふわっとかなし人生のだれのせいにもせぬ指のチョコ

善人用優先席にみかけにはよらない人が足組んで座る

何者であるのかなども不明瞭な己(おのれ)が朝の日を受けている

サンドボックスゲームをしつつ思い至る西洋のヒューマニズムの孤独

ジョルジュ・ビゼーは時代の何を飛び越えてぼくの意外な耳朶楽します

建物ごと虚空に上がる心地して窓全面を降るさくらばな

#ひとりで決める桜前線
家の前に弧を描くように横たわりひとりで決める桜前線

バスケットボール蹴ったら足痛しひとりで決める桜前線


配送業がパンク寸前中指を立てるか否か桜前線

「クアラルンプールはいまは9時頃か」「まだ8時だよ!」のやりとり5年

白目みたいな歌だよねってなんだようやっぱり短歌わかってんじゃん

星空を眺むるも科学なりし世に法則嗤うごとき極光(アウロラ)

この町の盛衰あるいは玄関が引き戸の率など知りたく歩く

ごきぶりや蚊が叩きつぶされるころダンプが野良を轢く日曜日

生命は波打ち際のなみがしら、吸ったぶんだけぶくぶくわらう

ガラス片敷かれた風呂に入るように過去のいじめを語る痛みは

どのようなふうにも生きると思わしめ内側にきみの目が見ておれば

どの家庭にもある洗脳装置にて洗脳じゃない気分もセット

ネットにも友情のなきたましいが目つむりまもなく眠らんとする

目を細め貫禄はかく作り出す久しき日本の横綱をみる

一日休めば三日遅れる練習のエントロピーめエピメニデスめ

あまじょっぱい経口補水液のみてわが病身の内を濡らしつ

そうやって明るいきみに厳(かざ)られてゆくものをすこしうらやんでいる

ツイッターで書けないことを書くためのなんとかったーを欲しがってったー

チックの謎スチロールの謎口に入れぶふふと笑うふたりしあわせ

アパートの庭にふたりは足浮かせにんげんのしあわせを語った

UFOは地球をながめ知的生命かつて有りきとして過ぎゆけり

二十代で国のかたちを先見し国成るまでに落ちたる椿

ぼくの部屋の階段をのぼる音がする音がしたまま部屋へ届かず

ビッグバン説まことしやかに否定する時代もありき、忘れられき

洗脳の装置とかいいながら観る、低レベルだと嗤いつつ観る

果敢だが彼は失敗するだろうその時のきみに届かぬ歌を

ふた回り下の奴から馬鹿にされ彼は仕事が出来ない男

優しさはその後も優しくあるゆえに弱さとは似て非なる朝焼け



#パロディ短歌
「嫁さんになれよ」だなんて缶チューハイ二本じゃだめか、焼酎にする?  

川柳、俳句
さんぐゎつの弱気な季語が見当たらぬ

スイートピー、パ行たしかに春のおと

花疲れ大の字分のさようなら

山笑うおれの真顔を責めもせず

春菊の貼り付いて眠るまでの宵

半跏思惟像この春じゃないらしい

永遠の命をこばむほどに春

さっぷーけーおまへの部屋におまへと春

二月なら春にときどき勝てもした

2018年5月5日土曜日

2018年03月うたの日自選と雑感。

古臭い考え方のようにも思うが、短歌というのは、やはり、ちょっと頑張らないと、文学にならないようなところがあるように思う。

ここでいう文学というのは、言葉で編まれた文芸表現をすべてを指すような広い意味ではなく、また、学問として学んだり教えたりするものでもなく、近代文学から、現代文学へと移り、そして、”現在”文学をとおり、文学”未来”を開くような、そういうとても狭い語りの表現だ。

だからまあ、そんな「文学」とやらは目指していないよ、という人がいるのも当然だし、文芸、ああ、文芸という言葉も定義しなきゃいけない。文芸には、文字芸術という言葉の略というより、私は文字芸能に近いニュアンスで使うことが多いが、堅苦しかったり、難しかったり、知識を前提にしたり、そういうもの以外も短歌は受け入れていることを、とてもよい特質だと思っている。

短歌というのは基本的に古い形式の詩なわけだから、古き良きものととても相性がよい。新しき悪きものと相性が悪いのだ。だから、現在にそれを使用するには、どこか構築の意志というものが必要になってくる。

何年か前、耳の聞こえない設定の音楽家が、現代音楽作曲家の手を借りていたことが話題になったが、面白かったのが、新垣隆氏は(名前出すんかい)、あの匿名性を手に入れることによって、現代音楽を作らなければならない自分が解放されて、ロマン派風の音楽を楽しく作曲出来た、というようなことを述べたことだ。

音楽は、音楽のムーブメントが過ぎると、もとに戻ることは難しい。現在において、たとえばバロック音楽の作曲家になるというのは、好事の域を超えて説得力をもつことは難しい。

短歌は、まずは定型にする楽しさ苦しさ、というのがあって、次に、定型の中で表現の幅を広げてゆく楽しさ苦しさ、というのがある。

その先は、人にもよろうが、短歌を表現として選ぶことの楽しさ苦しさ、というのがあったり、短歌を文学として構築することの苦しさ、というのがあろう(楽しさないんかい)。

次世代の短歌(単に作っている世代が次である、ということでなく)を開くのは、才能なのか、努力なのか、知なのか、量なのか、単に世代なのか、さまざまな考え方があるので、最初に書いたように、ここで書いたのは、古臭い考え方のひとつだと思う。わたし自身、構築ということをいま敢えてやろうとはしていないところがある。

ところで、ゴールデン・ウィークは、けっこう食べてしまっている。運動というのを、やはり、ちょっと頑張らないと、習慣にならないようなところがあるように思う。

  浜松を過ぎてもそれを待つだろう旅の終わりはわりあい早いのに  沙流堂

自選。

「暖」
思想ひとつ暖まりゆく夜の二階、屋根を跳ねゆく春の生き物

「マーク」
分からないマークシートを適当に塗りつぶす時の力で抱(いだ)く

「列」
約束はまだまもられて列島にまぶされてゆく春のパウダー

「いろは」
ことのははかつて「いろ」からよみあげていまも「あい」からはじまるものを

「垂」
画面上から何かが垂れてくるようなゲームオーバーみたいな眠り

「蜂」
プログラムみたいな生を生きてらと菜の花畑を去りて一蜂

「雲」
文学の秘密が次の瞬間に出そうで出ない先生と雲

「才」
最初から才能なんてないんだよそれから最近肉焼いてない

「欠」
せとものの白い欠片が埋まりたる空き地にいけばよく君がいた

「穴」
もうひとつの穴なんですよ、もうひとつの穴なんですか、しげしげとみる

「襟」
なにもない春なんですがきょうきみの襟のあたりにひかりがあって

2018年03月うたの日自作品31首。

「暖」
思想ひとつ暖まりゆく夜の二階、屋根を跳ねゆく春の生き物

「染」
太陽がひとつしかない場所だからきみも染まってしまう夕焼け

「耳」
この耳が一部始終を聞いていた別れたあとのぶひひぶふずび

「マーク」
分からないマークシートを適当に塗りつぶす時の力で抱(いだ)く

「列」
約束はまだまもられて列島にまぶされてゆく春のパウダー

「いろは」
ことのははかつて「いろ」からよみあげていまも「あい」からはじまるものを

「枚」
デスクトップにそんな私を貼るなんて奇跡の一枚あるんですけど

「せっかち」
ブリンカーがかちかち動くライフゲームせっかちなまでの増殖退(ひ)けば

「何」
サインカーブのように輪廻をくり返し何の理由でまた君と会う

「自由詠」
テレビ通話にしているけれど母親の耳ばかり見て話すやさしく

「ぶどう」
義母と飲むジュースのようにあまあまのワインというよりぶどう酒を飲む

「垂」
画面上から何かが垂れてくるようなゲームオーバーみたいな眠り

「蜂」
プログラムみたいな生を生きてらと菜の花畑を去りて一蜂

「24時間」
それがあと24時間だとしたら会いにはいかぬがどうぞ達者で

「雲」
文学の秘密が次の瞬間に出そうで出ない先生と雲

「亜麻色」
百発百中死ぬ身にあれば恥ずかしいことなどない!(ある)亜麻色にする

「忖度」
自然界になんの忖度されながらヒトぞろぞろと春をうごめく

「コップ」
目の前のコップの中の水だけが揺れてるシネマグラフのわたし

「デニム」
きょう街で君に似ている人がいてブログのタイトルには「春デニム」

「才」
最初から才能なんてないんだよそれから最近肉焼いてない

「欠」
せとものの白い欠片が埋まりたる空き地にいけばよく君がいた

「穴」
もうひとつの穴なんですよ、もうひとつの穴なんですか、しげしげとみる

「キッチン」
ネガティブなこころが今日もキッチンで美味しい味にしかしするのよ

「襟」
なにもない春なんですがきょうきみの襟のあたりにひかりがあって

「ほどく」
怒られてほどけて落ちたひも状のそれらをかき集めて戻りたり

「苗」
新しい知識がきみに入るとき若苗色のその好奇心

「私」
ふたたびに国家主義だな私心なきリーダーもまた推し進めゆく

「構」
時間で起きて外で何事かを動き時間が立てば帰る構造体

「船」
あるじ落ちて船は自由を手に入れたぷかぷか自由また会いたいな

「浸」
人類愛が前世紀より薄味の煮浸しはゆつくり食べませう

「4時」
不可逆の悲しい夢で目が覚めてせっかくなのでもう起きる4時

2018年4月28日土曜日

2016年03月の自選と雑感。

インターネットが、コンピュータの処理速度と通信速度の向上にあいまって、動的な表現が可能になったとき、哲学的な問題に、人は直面することになった。

自分が見ている景色は、他の人も同じように見ているとは限らない、ということだ。

これはとても哲学的な、たとえば私にとっての「青色」は、他の人の「青色」と同じかどうか、というのも含むけれど、もっと実際的で表面的な、具体的には、mixiで多くの人が体験したような、「自分が見ている自分のページは、他の人からは違うように見えているけど、自分ではそれが検証できない」というような問題だ。

つまり、インターネットでは、世界が見えると思っていたが、実際は、インターネットの中にやや拡張された自我が設置されただけで、自分の外側は、やっぱりよく見えなかった、ということだ。

いや、それどころではない。自分の嗜好ばかりだと、循環してしまってよくないから、外側の空気を入れようとすると、不快なものが限りなく入り込んでくる。今や、インターネットは、それらをミュートしブロックし、自分の「好き」だけの世界に引きこもるために接続するのだ。

ひるがえって短歌は。短歌もまた、外に出てゆくためであったのに、内にこもるためのものに、なってはいまいか。異物を受け入れる度量は、短歌にもとめるのか、あなたにもとめるのか。

  あらかじめ決められた文字で綴るから忖度が読みのデフォルトにある  沙流堂


自選。

中島みゆき口ずさむほどご機嫌なきみでよかった雨の居酒屋

愛する人の激しいくしゃみ聞きながら花の粉まざる春の夜の更け

しあわせは体力が要る生ぬるき空気にわれは春スクワット

母の作りし梅酒の味の落ちること次男にあれば悲しんで済む

ぽつぽつりスマホの画面をキラキラと三色の光を拡げたる雨

修行僧コーラを飲みてその他の欲望を耐う、おおきくおくび

棒立ちの赤い男を眺めおり信号の向こうは春、なんつって

通過する特急電車の前面にあっ飛び込んで今のまぼろし

ルノアールが背中を描(か)きたがるような女性がレジでさばくスーパー

変なオブジェの、変なところを直したら存在そのものが問われいる

人権がまとわりついて人類の可動部はいつも油を求む

春だから思想のことは置いといてきみのみじかい髪をほめよう

地方でも美人は人の目を集めここでもいいと思う気持ちと

美しい悲しいものにそのそばに供えるために一輪があり

コトノホカサビシイトコヘキチャッタナヒトクチノサケノルイセンニキテ

こむら返りで目が覚めてからごそごそとこむらの意味を検索をせり

元・風のメンバーだった大久保は元・猫だったと略歴で知る

ひとけない交差点には春巻いてビニール袋浮いては落ちず

2018年4月22日日曜日

2016年03月のツイートから。短歌史とか、文具史とか、短歌における文法の正確性の現代的意味など。

うたの日に出したうたにいただいた感想について、からの、短歌史やら、文具史やらの、ツイートなど。


魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも/『魚』照屋沙流堂 #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=717b&id=37

——
文語と口語を混ぜて即興感を出すために照屋はしばしば文法や論理をおかしくするのだけど、冷静に指摘されると恥ずかしくなっちゃうね。
——
照屋の中にも、文法警察とリズム警察がいて、どんなに韻律が悪くてもてにをはがないと許せない場合や、韻律の前には意味すら通らなくてもいい場合がある。どうしたものやら。



そしてなぜか短歌史。


通勤中に短歌史を駆け抜けてみる。

①短歌って何かっていう歴史を考えると、やっぱりスタートは宴会芸のような気がする。あと労働歌。

②短歌がいつまでメロディを伴う"うた"だったのかという研究は誰かしてるかもしれないが、平安時代に恋のおしゃれツールだった頃はすでに紙に書いて送ってたから、黙読はできないにせよ、旋律意識よりは韻律の意識が上回っていたかもしれない。

③その後短歌は貴族社会への通行手形になったり、教養や嗜みになるのだが、正岡子規によって、表現という文学になる。

④文学となった短歌は、斎藤茂吉によって人生や境涯を載せうる形式にまでいたり、近代文学の姿勢や鑑賞のスタイルが完成する。

⑤戦後、筆をもたない、ボールペンや万年筆の若い達筆でない作家が、短歌に人生を載せること自体を疑問視しはじめ、それを敗戦のメンタリティと重ねたりして否定する。

⑥近代短歌を否定された歌人の若いいくつかの天才は、人生ではなくて思想、あるいは芸術を載せる器として短歌を作りかえる。

⑦戦後日本が経済的に成長したころ、突如恋人とサラダを食べた日を大事にする天才歌人が現れる。それまで和食を否定された日本人が高級懐石料理を復活させようとしてるのに、ハンバーガーと缶チューハイうまいよね、と歌うのである。

⑧そうすると歌人の結社にも変化が現れて、歌人たるもの、宴席で酒を飲んでケンカするのもよしとされた(宴会芸の原点回帰か)が、酒を飲めない人たちが、紅茶とケーキで、主食でなく、お菓子のような作品をパティシエのような繊細さで作り始めた。

⑨そして現在、短歌はコンビニの100円スイーツのように、どこにでもあり、決して不味くなく、見事に品質管理されているが、翌週には違うものが並び、それがまたうまいのだ。

⑩さあ、この時代に、どんな作品をつくろうか。フルコースか、ジャンクフードか、旅館の朝食か、なつかしい駄菓子か。梅干し弁当ばかり続けるか。そして、みんな味には飢えているが、お腹は空いていないのだ。

さらに。

①脱線で短歌史を書いちゃったんだけど、現在の短歌を考えると、筆記具とか文体のことも考えざるをえない。

②短歌って「うた」だから、本来は口語的であるはずなんだけど、それを写す道具は、かなり長い期間、筆であった。そうすると「うた」は筆に引っ張られて、口語と文語の中間的な位置に、はからずも置かれたんじゃないかという仮説を持っている。

③いわゆる言文一致運動は地の文における運動であったので、江戸末期から明治の文章でも、会話文などは意外と口語は誠実に写されていたりするし、江戸期の俳句がとても口語的なのに驚く人も多いだろう。

④なので、短歌は意外とそのスタートからさまざまな文体の入り混じった、おかしな一人称表現と言えるだろうし、歌人が文法を知らないみたいな本が出るのもむべなるかなという気もする。

⑤毛筆の筆が硬筆のペンに変わったとき、短歌はやっぱり変わったと思う。筆で〜〜なりけり、と書く心地よさを、ペンは提供できなかったんじゃないか。

⑥折口信夫は、女歌だったかを、言葉を流して、結句でえいっと締めあげて短歌にしてしまう、みたいな事を書いていたけど、これって、口語的な流れであると同時に、視覚的な、筆の動きでもあって、マス目のある紙ではちょっとイメージしにくいなと思う。

⑦翻って現在。現在は、もうペンも使わない。キーボードの上を五指をなびかせて、いや、なんなら親指だけで画面をフリックだ。

⑧照屋はかつてワープロ普及時に、自分の文体が変わる経験に驚き、書き言葉でも話し言葉でもなく、打ち言葉になっていく、と周囲に語ったが、現在では、もう、フリック、すなわち弾(はじ)き言葉と呼んでもいいかもしれない。

⑨で、やっと本題に戻る感じがしますが、弾き言葉らしさは、やはり、揮発性なのだと照屋は考えているフシがあって、それは、どこまで歴史に残すつもりなのかはっきりしない、正しくなくてもよい表現のあり方に見出せるのではないか、と思ったりしています。

⑩簡単に言うと、誤字脱字、てにをはの間違い、文のねじれ、これらの、校正のされてなさ、これをそのまま発表する慎重さの欠如、このあたりが弾き言葉の文芸表現のひとつの可能性なのかもな、と。

⑪「魚には涙腺なんて持たぬから」という言葉の間違い方には、漠然と、こういう、弾き言葉の揮発性が含められそうな気がして、この形にしているようです。改めて言葉にしてみると。

⑫いや、結局間違ってるんすよ。間違ってるし、会話で「持たぬ」って使わないんすよ。そしてそもそも、何かを伝えるのに短歌って最適解でもないんすよ。
それでもなにかしら一かたまりの文字が、文字を、ここに置いてみたいんですよね。

——

なにが"はじき言葉の揮発性"だ、揮発してるのはお前の文体維持能力やろ、という脳内指弾者の指摘にエヘヘと笑いながら、もうちょっと。
—-
「てにをは」っていうのは本当に恐ろしい表現のビス打ちみたいなもので、もうこれは毎回失敗してる。自分の表現でこれがビシッと決まった気持ちなんてしたことがないし、決まってる「てにをは」をみると本当に打ち抜かれる。
—-
短歌の「てにをは」とは実は関係ない話だけど、思い出すのは、学生の時分に読んでいた、岩波のレ・ミゼラブルだ。
——
そこでユゴーはドヤ顔で(ユゴーはドヤ顔作家で、下水道を調べたら下水道の歴史をさんざん書くし、ちょっと滝沢馬琴っぽい感じある)、祈祷、祈ることについて延々書くのだが、そこで「神を祈る」というフレーズがあるのよね。
——
打ち抜かれたよね。
「神に祈る」じゃなくて「神を祈る」とした瞬間に、祈るという動詞そのものが更新されて、深い行為であることが示されてしまう。ここから先に読み進められなくて、この言葉に数日間立ち止まったことを覚えている。
——
「てにをは」ってこえー、という話なんだけど、でもこれ、ユゴーの本意かどうかは微妙だよね。翻訳の問題かもしれないし。ただ直訳しただけだったり。
——
レミゼは、もう手元にないけど、時間があったらどっぷり読みたくなるよね。
今までの映画や芝居ではあまり描かれないけど、ジャンバルジャンの死の間際の描写がまたいいのよ。
——
あ、一番最近の映画は比較的よく描けていたと思うけど。ジャンバルジャンがもう、時代とか若さから完全に置き去られて、ミリエル司教と話をしたがるんだよね。
——
会話のコードが、もう亡くなった人にしか求められないという感じ。こういうの、なんでユゴーは書けるんだろう。
——
今書いていて、想起するのは、あれから毎日聴いている、デビッドボウイだよね。彼の声をいくら聴いても、聴き取るには年齢が足りない、ととても感じる。声は聴こえるけど、場所が見えない、というか。




2016年03月の64首。パロディ短歌5首。

弥生には茶色い土がみるみると緑を生やす水なき川も

中島みゆき口ずさむほどご機嫌なきみでよかった雨の居酒屋

愛する人の激しいくしゃみ聞きながら花の粉まざる春の夜の更け

クレタ人がぼくはボットとつぶやいてそのうえ君は人だと言わる

しあわせは体力が要る生ぬるき空気にわれは春スクワット

籠の中の鳥さながらに鳴いている籠の中なる鳥出してやる

何百回考えてたか言わねども「わかる気がする」とて突きはなす

日本の朝を響(どよ)もす音楽の個々人の耳の中ばかりなる

春というその爆発の直前の腫れたつぼみのこわき快楽

幸いにいたる横線一本は気分を換える口元として

山や里や野は知らずだが都市部でも裂け目を滲み出るほどの春

母の作りし梅酒の味の落ちること次男にあれば悲しんで済む

青春のはるか遠くの春ゆえにやっと来たのに追憶に似て

眠すぎて千秋のような表情になっとるよさあ、明日へおやすみ

植え込みに子猫隠れていたりけりこの世の怖さ孤独に勝(まさ)り

十の剣で刺し持ち上げているような眼差しはこれを報いと呼ぶか

ぽつぽつりスマホの画面をキラキラと三色の光を拡げたる雨

どちらかはほんとうのぼくの夢でしたぶざまな生物のくせに恋う

君たちは生命の濃い時期だから愛で薄めてやらねば固し

小気味よく太ったきみはどうせならアンリマティスのような絵を描け

幸福のゆえに君はも語る死のよくわからない態度にて聴く

ゴロゴロと25ヘルツらしいけどゴロゴロゴロゴロしあわせだねえ

修行僧コーラを飲みてその他の欲望を耐う、おおきくおくび

横断歩道を鳩が歩いていたことがそんなに楽しい景色にきみは

過去はもう未来はいまだあらなくにいまのいのちの矢印を観る

今時の自動音声はやさしくて「いらっしゃいませ」とひらがなで書く

棒立ちの赤い男を眺めおり信号の向こうは春、なんつって

ハゲデブでなお陽気なる外国の男のように種族のごとし

通過する特急電車の前面にあっ飛び込んで今のまぼろし

ルノアールが背中を描(か)きたがるような女性がレジでさばくスーパー

この街を深く潜ってゆくほどにダイバーシティはひとつへ向かう

「生みます」を「海ます」なんて書くやうな名前の子供と思いつつ笑む

表現が誤解をされて残るとき謎の技巧に謎の生涯

ふたご座は鳥と言われてそうなんだ、蟹座はと訊けばカニと言われる

父の膝に自分を置きたい気持ちなど突然浮かぶ、まだあったんだ

人間は悲しいなあと言うたれば「ぼくが」と正(ただ)す友達が欲し

特急が駅を飛ばして現在に走る、わたしの立つ駅もまた

変なオブジェの、変なところを直したら存在そのものが問われいる

ヒッピーとナードが世界を書き換えてでも人間はまだ楽園は

ほんとうに古いのかはたエフェクトか分からぬ歴史を深く潜れど

表現は大きな声で言わないが肌なんであるもう数十年の

休日の午後バラエティ番組が聞こえる路地ぞ、空き地には春

点字ブロックひとすぢ並びその先にカラスがくびをかしげてをりぬ

電波だがソーラー機能は持たぬから光はさほど当てなくていい

人権がまとわりついて人類の可動部はいつも油を求む

春だから思想のことは置いといてきみのみじかい髪をほめよう

この先のさいわいやけに細くみえ死ぬよりもなお生くるが怖し

感涙をこらえたことのある顔になっているよと言わないでおく

一日中無口はきっと佗しいが独り言ならなおクるものぞ

地方でも美人は人の目を集めここでもいいと思う気持ちと

衆流(しゅうる)みな海へと流れいくことをかなしと思ううれしと思う

雑音にかきけされゆくカーラジオの音楽、遠き渋谷系とか

街の灯の一つひとつに人間の生活があることふとふしぎ

一の宮二の宮のある島に立ち歴史はどうも優しくあらず

残尿感を切ないと呼びはせぬようにこれはもう執着であるのだ

美しい悲しいものにそのそばに供えるために一輪があり

船頭は坑夫と成りて酒のめば陸蒸気など落ちろと思う

コーラなど高価な未来それ用のグラスで香りを楽しむものを

二人とも出かけてをればステンショで待ち合わせして食事しませう

コトノホカサビシイトコヘキチャッタナヒトクチノサケノルイセンニキテ

こむら返りで目が覚めてからごそごそとこむらの意味を検索をせり

いい意味で言葉のパティシエだと言われ悪い意味なる風味濃厚

元・風のメンバーだった大久保は元・猫だったと略歴で知る

ひとけない交差点には春巻いてビニール袋浮いては落ちず


#パロディ短歌
ボットでは ないボットでは ないボット ではないボット ではないボット

ボットではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン!

Liquid Arts(株)に出向せよと月末に塩(salary)も叶わぬ、今のはアコギでんなあ

東海の小島の磯の同一の
助詞書きつらね
波線(なみ)とたわむる

からあげにレモンはいいやといったのにかけちゃったからサラダ記念日

2017年5月24日水曜日

2017年03月うたの日自選と雑感。

このところブログのアップもサボリ気味なのでなんとかせにゃならんと思いて。

短歌というものが、最終的には、ひとの心に残るとそれはすごいことで、自分がこんな歌を詠んだ、というより、あの人がこんな歌を詠んでいた、と覚えてもらったことが、ゴールなのかもしれない。

残るといいなあ。忘れてしまうような軽さで。

自選。

「春一番」
春一番とすれ違うとき耳元でよういどんっておれも聞こえた

「暖」
川のおもてを水鳥ひとつ浮いていて暖かき春の空腹な壺

「忘」
忘却と言ったってほら浴槽を湯があふれればあふれるものを

 ※6年目の3・11に。

「暦」
運命とたたかった日々がありましてずっと暦の下にいました

「羊」
体重の話でなくて人生は羊頭狗肉おなかをつかむ

「ハードル」
ハードルを飛び越えるときなんとなくプリマドンナの内面を見ゆ

「掃除」
水槽の掃除のためのヌマエビが空走るように泳いで楽し

2017年4月8日土曜日

2017年03月うたの日自作品の31首

「15時」
15時にぱかっと開く口があり投げ入れたものを秘密にしたい

「春一番」
春一番とすれ違うとき耳元でよういどんっておれも聞こえた

「三」
とろろご飯でもうしあわせな男にはトロイカで追いかける愛なし

「暖」
川のおもてを水鳥ひとつ浮いていて暖かき春の空腹な壺

「館」
窓からの景色は海じゃないのかよ旅館の駐車場に空きあり

「留」
この声を消したくないが保存すれば意味が変わってしまう留守電

「役」
汚いものを見るような目で見られたる役目差別に似て男ゆく

「ぐちゃぐちゃ」
ぐちゃぐちゃの世界のままにしてるからA型の線は薄いよ、神は

「ノック」
ノックする時までは居て呼びたればサイレントレターを残してK氏

「自由詠」
糾えぬ縄のごとくに落ちてゆくきみに巻きつく固い蛇です

「忘」
忘却と言ったってほら浴槽を湯があふれればあふれるものを

「次」
最善はおっかないので次善ならまあ良しとする凪、しかし凪

「バター」
愛知だから味噌の好みはわかるけどピーナツバターもこだわりますか

「アドレス」
メールすればきみに言葉は届くけどたたずむきみのアドレスを思う

「初句切れ」
柳下鬼女、顔の部分の欠落も不可避のような狂気かなしみ

「桃」
発熱し学校を休む少(わか)き日のゼリーの桃だ今宵食べいる

「暦」
運命とたたかった日々がありましてずっと暦の下にいました

「元」
どうせまた元鞘だろう三年連続5回目の期待する身にもなれ

「レーズン」
飼い鳥には休日の味、レーズンパンのレーズンのない白きをつつき

「羊」
体重の話でなくて人生は羊頭狗肉おなかをつかむ

「声」
声がする、電気を消して寝るころにきみの本音のようなうめきの

「性格」
いい性格してるじゃねえかとほめられて喜んでたらへんな空気だ

「ハードル」
ハードルを飛び越えるときなんとなくプリマドンナの内面を見ゆ

「引っ越し」
アの字から始まる引っ越し業者ですすぐに目に付くきみはぼくには

「掃除」
水槽の掃除のためのヌマエビが空走るように泳いで楽し

「愛」
コンディショナーもリンスも使わないけれどアンコンディショナルラブとも言えぬ

「例」
例によってぼくはお酒を飲みすぎてきみは困った顔でほほえむ

「占」
ラッキーなアイテムはずばりヘルメット目の前に星がきらめけば吉

「昨」
一昨日(おととい)から夢が続いてるんだけどほっぺたつねって痛くないけど

「新」
手を繋がなかったしかし優しかったその町はまだ新しかった

「B」
俺たちはB級じゃないビクトリーのBだと言った彼を今日好き

2017年4月2日日曜日

2015年03月作品と雑感。

若い頃、ある著名な歌人と会う機会があり、その何次会かの終わりに、「またいつかどこかで、短歌を続けていたら会うこともあるでしょう」と言われ、その後、私は短歌をやめた。
何年かたって、私はふたたび短歌を作るようになり、ツイッターでもぐずぐずと短歌を作っている。その著名な歌人とは会っていない。たぶん会っても、私のことは覚えていまい。
いま、ツイッターで、プロフィールに短歌と書かれている人を主にフォローしているが、ほとんどの方と会うことはないのだろう。会うことのない方の短歌を、お互いに読むような時代だ。
今年度も、お互いの何かがすれ違えれば、さいわいのように思います。なんとなく、新年度のあいさつっぽく(笑)。

自選など。

忘却があるではないか脳というたんぱくよ君をいそいで溶かせ

液体がやがて氷になるように妄想はかたく冷気を放つ

芸術は人の時間を吸いながらひかりのようなもの帯びてゆく

回想録に誠意と弁護ふくまれていづれを読みたきかは時により

憂鬱な土星の光避(さ)けるため君はカーテンからぼくを見る

帯域(レンジ)ではずっと幸(さいわ)いなる日々の今宵も豚バラ色の人生

ぱっとしない僕の4年はおいといて聞きたくはある君の震災

逃げ切れたことのさびしさ鼻歌の鼻先とともに空気が冷やす

この壁に朝の光がぶつかっておおこの白はユトリロっぽし

ジッパーのタグあご下に揺れていて顔面だけを海にさらして

月のある世界であれば泣く夜も意味のあるべき景色とはなる

毎年の数千人の事故死者の今年の該当者に来たる春

かもしれぬそうかもしれぬ溢れいる明るき春のひかりはなみだ

抱えたる矛盾は多いほどよけれ春の午後腹ごなしに歩く

股下の裾ながきパジャマ踏みながら廊下を歩くふと奉行めく

恋心は無用の欲といいながらキックペダルを二度三度踏む

ボロノイ図で分けられてゆくぼくたちのかつて濃度で決まりし紲(きづな)

順当に役者も客も老いてゆく観劇にいて桜が不変

つくしんぼ斜面にわっと伸びていて威張るなあ若さは柔らかさ

人類の最後のUMAとして神、今日までは発見されず

明かり消してまだしばらくは存在があるらしい闇に溶けてゆく音

一年に一週間の満開の生きててよかったような桜

2017年4月1日土曜日

2015年03月の62首

表情に狂気がもれていないかと鏡を見ずにいられぬ狂気

旅を終えその運命を見つけよと羅列している単語が光る

忘却があるではないか脳というたんぱくよ君をいそいで溶かせ

この町の猫には猫の路地があり繁華街あり禁止区域あり

芸術はやっぱり狂気、さまざまに角度を変えて普通をさぐる

液体がやがて氷になるように妄想はかたく冷気を放つ

半分ずつ薄らいでいく遺伝子のおもかげとして生きるわれわれ

ひと枝の梅と菜の花受け取って春らしくそしてさよならなのだ

芸術は人の時間を吸いながらひかりのようなもの帯びてゆく

胸もとで小(ち)さく手を振り通学の乗換えでふたり孤(こ)の顔やめる

美しきテロリスト譚として読めるナウシカかつてと紙一重だが

脳は水、まどろめば思考分子らがブラウン運動してまとまらず

回想録に誠意と弁護ふくまれていづれを読みたきかは時により

憂鬱な土星の光避(さ)けるため君はカーテンからぼくを見る

妬みとは認めたうえで粒ほどに深い穴から救い出さねば

帯域(レンジ)ではずっと幸(さいわ)いなる日々の今宵も豚バラ色の人生

カゼクサの敷き詰められた土手坂にもうあきらめて大(だい)に空(そら)抱く

ぱっとしない僕の4年はおいといて聞きたくはある君の震災

こんなかれんな花の名前も知らないで、いや死ぬ時は知ることわずか

生きものの宿命はじつに厳しくて肩代わりなどかつてあらざる

逃げ切れたことのさびしさ鼻歌の鼻先とともに空気が冷やす

この壁に朝の光がぶつかっておおこの白はユトリロっぽし

ユーフクの字が汚くてコに読みき、たしかに似てはいるふたつにて

ジッパーのタグあご下に揺れていて顔面だけを海にさらして

月のある世界であれば泣く夜も意味のあるべき景色とはなる

ただ一個一度ポッキリなる脳に酒かけて少し壊しては寝る

毎年の数千人の事故死者の今年の該当者に来たる春

まだ寒い公園の夜、我慢している若い二人の横をば過ぎる

かもしれぬそうかもしれぬ溢れいる明るき春のひかりはなみだ

面構えはかなわぬわいやい生きざまも休ませている休日に会い

手に入れて世界はそれを失って未来の為に空けつつあらん

男根のような車を乗り換えて少女のような車で来たる

本心をボットに言わせてるうちにいつしかわれがボットとなりぬ

雨音もあるものだから音楽のラジオは消して沈みつつ寝る

入滅といううつくしき語にいたる死、というよりも生を思いつ

抱えたる矛盾は多いほどよけれ春の午後腹ごなしに歩く

語るしか出来ぬウィトゲンシュタインの機知待ちて流し読む論理論

レールから外れた為にレールへと飛び込む人ぞ、水なきプール

シンボルを符丁と訳すその距離をズブズブ思い本論いずこ

欧米の言葉にできぬ個人主義のさびしさこそが神を造りき

浴槽の思念はいつか大疑へといたるか、大悟は遠き水面

股下の裾ながきパジャマ踏みながら廊下を歩くふと奉行めく

恋心は無用の欲といいながらキックペダルを二度三度踏む

死ぬときは枯れたく思う人界に求められねば七のあたりに

使いかけの手帳の棚のいつかまたそこから始めるべき生ならぶ

ボロノイ図で分けられてゆくぼくたちのかつて濃度で決まりし紲(きづな)

神様の名前でみんなばらばらの神様をみる、いのりはかがみ

人間の幸福がひどくねたましく片手で窓にぶら下るなり

順当に役者も客も老いてゆく観劇にいて桜が不変

布団から起き上がるとき身体(しんたい)もついて来てるかつい振り返る

ゆっくりと進める恋の「ゆっくり」がどうも加速化してる気がする

口にすれば消え失(う)すような幸福で生きている君、捨てゆく言葉

「悲愴」とう楽曲のごとかなしみは賽の河原で客体となる

コンテクストがハイ過ぎるネット日本文、長くて細くて鋭いうなぎだ

ホロスコープは時の見張りの意味らしく見張っているのは人かそれとも

つくしんぼ斜面にわっと伸びていて威張るなあ若さは柔らかさ

終わったよ終わっただよと心地よい勝利して君に次が見えてる

人類の最後のUMAとして神、今日までは発見されず

明かり消してまだしばらくは存在があるらしい闇に溶けてゆく音

この部屋で配色濃厚なるものを食べる食べたら早めに帰る

胸の閊(つか)え涙によって流るるか嬉しきときの滂沱はあつし

一年に一週間の満開の生きててよかったような桜

2016年4月9日土曜日

2016年03月うたの日雑感。

桜も満開の盛りを過ぎて、こんな季節に春や桜を歌わないなんていうプレイは、若いうちにしか出来ないのかもしれません。

3月は四国に旅行して、歌人の聖地の一つである(かも)松山の正岡子規記念館に行ってきました。香川照之ってほんま似てたなあと思いながら、照屋のような場所でさえ、正岡子規の作った世界の延長にいるなあという、末席にいるようなことを考えたりしました。

さて。3月のうたの日は、題詠の歌題をかならず最初に入れようと、なんとなく初日に思ったので、そのまま31日まで、歌題から始めた短歌となっています。

「自由詠」
自由詠たとえばブログに上がらない即席麺の夕食の夜

このあたりは苦肉ですね。

「せい」
せいにして生きていくのだ僕という感情よりもずるい世界の

「せい」から文章を始めることは普通は出来ないので、あたかも倒置のようにできたのは、ちょっとほっとしました。

題詠というのは、だいたい平安時代から明治の、正岡子規くらいの時代まで技術鍛錬の手法として確立していて、いわゆる花鳥風月とかいう雅語を歌題とした練習だった、と理解していて、子規以降の歌人の近代は、題詠の否定から始まっているようなところがある。
とはいえ、これは練習法なので、近代以降も行われていて、ただそれは歌作品の「題」と二重の意味を持つような未分化なところもある。
戦後、第二芸術論などで短歌はダメージを受けて、ここでも題詠を否定する(=思想を主張する)短歌文学であろうとしたわけだが、それでも練習法なので、題詠はほそぼそと行われてきた。

ただ、近代以降の題詠は、雅語であることはなくなり、正岡子規が俳句で「柿を食」ったように、それまで俳句や短歌では使用されなかった言葉を使用できるように子規が共同幻想を打ち破ってくれたので、題詠の題さがしだけでもやっていけたようなところがある。

戦後の題詠は、戦後の表現そのものが記号論的な枠組みのメタ認知を可能にしたこともあって、いろいろなトリッキーな題詠も可能になっている。

現代において題詠をする意味、というのは、もっとじっくり考えるべきところなのかもしれないが、ひとまずおいて、まあ、トリッキーな題の使い方は、そのトリッキーさを超える内容作品になるかどうかという、二重のハードルを自分で設けてしまうので、まぁ、すなおに題と向き合った方が、得だし簡単ではあります。

題と向き合うっていうのは、どのくらいのレベルがありましょうか。
1,題そのものを内容の中心にして詠う。
2,題そのものを間接的に詠う。
3,題そのものについて暗示的に詠う。
4,題そのものでないことについて題を用いて詠う。
5,題の周辺について詠う。
6,題を解体して詠う。
6-1,題を視覚的に使用する。
6-2,題を音として使用する。
6-3,題を誤読して使用する。
7,題詠ということについて詠う。
8,題について詠わない。

8は題詠ちゃうやん。

3月の作品では、

「魚」
魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも

の「魚には涙腺なんて持たぬ」の文法の間違いについて、塾カレーさんという方から感想をいただき、少しやりとりしました。定型を持つ表現は、とうぜん、文法の音数とせめぎあうわけで、定型になるように言葉を斡旋することが、定型詩人の第一の能力であるべきです。
そのうえで、それらのルールを破っても美しい表現を模索し、それが見つかるならば、ベートーベンではないですが、そんなルールは壊れてもいいのです。
もっとも、そうでないなら、間違いは間違いです。それは恥ずかしいミスとなります。

自選。

「結晶」
結晶となったふたりは一日に一度の光で世にもうつくし

「梅」
梅のつぼみも急いでるかもしれぬのにゆっくりと言われながらほころぶ

「ある」
あるところに老いた夫婦がおりまして偶数は竹、奇数は桃で

「心」
心にはひとつの細い舟があり君に向かってうしろへ進む

「泣」
泣きながら魚は海を渡りゆく老衰という死を逃げるため

「男」
男だけの話ったって食い物とゲームとガチャじゃさびしからずや

「ピンク」
ピンク色のモンブラン三時に食べて文明はきみがいなくても春

2016年03月うたの日作品の31首

「時」
時分の花、マリオの無敵状態のつい行き過ぎて切れて落ちにき

「イヤリング」
イヤリングはメイン武器ではないけれど補助魔法にはなるのよ、ほらね

「ナイス」
ナイス地蔵のご利益を今日も訊かれいて話せば想像通りと言わる

「片想い」
片想いを三年かけて均(なら)しゆきここの更地に何を置こうか

「結晶」
結晶となったふたりは一日に一度の光で世にもうつくし

「梅」
梅のつぼみも急いでるかもしれぬのにゆっくりと言われながらほころぶ

「ある」
あるところに老いた夫婦がおりまして偶数は竹、奇数は桃で

「心」
心にはひとつの細い舟があり君に向かってうしろへ進む

「泣」
泣きながら魚は海を渡りゆく老衰という死を逃げるため

「自由詠」
自由詠たとえばブログに上がらない即席麺の夕食の夜

「奥」
奥まったところにあるよいついつもへらへらしてるきみの決意は

「長」
長安の出身という蒋さんに春の夜、ジョブの異常を告げる

「王」
王たるもの父たるものは感情を表さないがないわけでない

「男」
男だけの話ったって食い物とゲームとガチャじゃさびしからずや

「牛乳」
牛乳をレンジで温(ぬく)め酒飲まぬ日のましろなる理性を啜(すす)る

「ピンク」
ピンク色のモンブラン三時に食べて文明はきみがいなくても春

「魚」
魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも

「雲」
雲行きが真っ黒なのは母性なんて非科学的な言葉のせいだ

「学」
学問のない世界ではニッコリという表情は怖い意味です

「卒業」
卒業はいつも他人事(ひとごと)みたいにて感激に水は差さないように

「春」
春だから機嫌がいいぞノリノリのドヴォルザークの口ぶえ聞こゆ

「レコード」
レコードのかすかにうねる縁(ふち)の上(え)に針置くときに確かに未知は

「せい」
せいにして生きていくのだ僕という感情よりもずるい世界の

「みんな」
みんなから元気を分けてもらうとき惜しみたる者物足りぬ者

「パーカー」
パーカーの中に苺と蛇がいてファスナーを下げるときどちらかの

「導」
導かれ補陀落世界へ行く弟子をわれはまことに悲しみいるか

「唐揚げ」
唐揚げのこの味がいいと言ったのにサラダになるし日付も違う

「競争」
競争をともに避けつつ生きてゆく友人に勝ち、すなわち負ける

「分」
分かりたくないのでしょうねcoke freeのJ・フォックスのごとき正論

「いくら」
いくらにも五分の魂があるとしてぷっとわたしへ香(か)を反抗す

「丸」
丸文字は冬の字らしいこの春の「さよなら」という字の大人びて

2016年4月2日土曜日

2014年03月作品雑感。

4月になりましたね。春でござんす。
春ってやっぱり短歌、和歌に合ってるんだろうなーと思います。歌にしやすいというか。
(どの季節でもそう思ってるのかもしれませんが)

2年前の3月の短歌なのですが、なんか変わった名前の色を詠み込むこころみをいくつかしてみたようですね。すぐに止めたみたいですが。

  小鉢なる寒紅梅の「寒」のつく分すこし濃き紅梅色(こうばいいろ)の

  瀝青を敷きつむまでのこの町の桑染色の話を聞けり

  冷めてゆく弁当を持ちて君に急ぐ誠実が青磁色になるまで

  読み進められぬほど泣き洗面所で顔洗いおり瓶覗き色

  赤墨色の苦い心をうち捨てて褒めねば動かぬ人にほほえむ

古代日本のカラーは4色だったという説がありまして、明暗とコントラストによって、
あか(明)−くろ(暗)
しろ(標)−あお(淡)

の画質調整で世界をみていたようです。なので、この4色については、〇〇色、と「色」を付けなくても形容詞で使える言葉になっているとか。
この「色」を付けなきゃいけない、というのは、日本語のわりと厳しい制約(というか特徴)じゃないかなーという気がしますね。

さて、3月というのは当分しばらく災害を思う月となります。2014年は3年目でありますが、災害によって傷んだ心を思うモチーフと、傷んだ心が攻撃性へと向かった傾向をにがく感じるモチーフが、やはり散見されます。

  やられゆく戦闘員の断末にヒーと驚く我が善ならざるに

  現代の丸眼鏡げに胡乱にて綺麗な話にあればなおさら

  ヒトラーに仮託して批判する者の垣間に善のヒトラー育ち

  十代の目にしか見えぬものを思うこの三年の潮引きしのちの

  防ぐということとも違い静かなる光の差してこの土地にいる

  千年に一度の災を振り返る日のもう少し酔っておりたし

  ラーメンの具を食う順を語りおり三年後の二時四十六分

自選。

  白飛びの午前の光にこの路地はアメリカンリアリズムのごとし

  朝湯にてしばしの無音、一秒の省略もなき世界の不思議

  日の沈み変色しゆく球面のあかねの中にわれも在るなり

  新宿駅の生の孤独の処理量にブロックノイズが見える片隅

  針金がまだ見えているエスキースの像に影ありたましいに似て

  ボオドレエルの一行にしかぬ人生のすらりと君は二行目に立つ

  眼前は景の変わらぬ地獄にてこの世のヘルを謳歌してみる


2014年03月の62首

小鉢なる寒紅梅の「寒」のつく分すこし濃き紅梅色(こうばいいろ)の

この春の生ぬるい風に許されて文系宇宙をもう少し歩く

向き合わねばならぬ三月つごもりを過ぎさいわいにして外は雨

瀝青を敷きつむまでのこの町の桑染色の話を聞けり

冷めてゆく弁当を持ちて君に急ぐ誠実が青磁色になるまで

他船より碇泊ながくその名よしラッキードラゴンナンバーファイブ

明け方に鳥の群れひとつ南西へ幹線道路の我を越えゆく

読み進められぬほど泣き洗面所で顔洗いおり瓶覗き色

赤墨色の苦い心をうち捨てて褒めねば動かぬ人にほほえむ

やられゆく戦闘員の断末にヒーと驚く我が善ならざるに

根本問題などは先延ばしにしつつそのまま土の下もよろし

現代の丸眼鏡げに胡乱にて綺麗な話にあればなおさら

洗面所に零(こぼ)れた鳥のえさ芽ぶき強大に及ぶ春とは云えり

駅前にギターピックが落ちていて話は以下でも以上でもなく

未来とはさなぎの中身、ペーストの未明の余地を捏ねて一日(いちにち)

水たまりに降る雨粒の雨粒も波紋も消えることぞ次世代

白飛びの午前の光にこの路地はアメリカンリアリズムのごとし

ヒトラーに仮託して批判する者の垣間に善のヒトラー育ち

牛丼より高きクレープ食い終えてそのほの甘き時間はかなき

十代の目にしか見えぬものを思うこの三年の潮引きしのちの

防ぐということとも違い静かなる光の差してこの土地にいる

誓う日のまだ来ぬ生は措くとして逆算の見えて祈るいのりは

千年に一度の災を振り返る日のもう少し酔っておりたし

ラーメンの具を食う順を語りおり三年後の二時四十六分

人間が好きになれぬと件名のでもさみしいと本文にあり

ネクタイを締めたるまでは犬馬にて銀貨のような月の下なる

炭酸煎餅舌でぺちりと割り湿(しめ)しおくゆかしくも世界に消ゆる

秋は小さく見つかってゆき春はもうわんさかというかいっせいにそれ

君を思って思ったあとのひまわりの光を追って向くということ

これはもうこういう地獄なんだろうデンドロビウムが隅に置かれて

ゴムやガラスが時間に溶けてゆくように君思うわれも一つのフロー

たったいま言葉が生まれ声になる場にいるごとし、つぼみと聞けり

一行詩は墓標のように峙(た)つものを斃(たお)れて横書きスマホに累累(るいるい)

オレンジの夕焼けの前の一瞬にピンクの雲となりしと見たる

そのかみに嫌いし毒にも薬にもならぬ一行をこそ楽しめり

朝湯にてしばしの無音、一秒の省略もなき世界の不思議

寒い日のわが身を隙間なく埋めて火を守るような季を通り抜く

この店に南京桃は来ぬものか駅前の小さき花屋と思えば

大空を知らぬ錦華の雄鳥は窓外の風に怯えていたり

たとえば、金木犀は秋までを香らぬことに愚痴いくつある

日の沈み変色しゆく球面のあかねの中にわれも在るなり

新宿駅の生の孤独の処理量にブロックノイズが見える片隅

ミニワイングラスの中のしらうおの酢醤油に濡れた目と目が合えり

美しき名の革命よ、人は春を呼べずば一華(いちげ)にそれを知るのみ

針金がまだ見えているエスキースの像に影ありたましいに似て

ボオドレエルの一行にしかぬ人生のすらりと君は二行目に立つ

廃橋は両側を草に覆われて鍾乳石を垂らして還りゆく

労働の一員として愛玩から離れて佇む鉄道猫は

えいたくんベロベロバーとりなちゃんが顔近づけて中通り、春

眼前は景の変わらぬ地獄にてこの世のヘルを謳歌してみる

寄せ返す波打ち際か明滅のミラーボールか生死(しょうじ)の相は

当世の真面目な熱も珍奇なるアルチンボルドの絵に似たるかも

帰路のホームに春のうかれを見かけつつ過ぎればいつか沈みに入(い)らむ

蜂に刺されたクピドを諭すヴィーナスの、月さす指の指のみぞ見る

あやとりの張られた糸の弾力は両の手指がまるくまもりて

孤独へのレジリエンスも持ちながら梅にいたのはメジロとは思う

のべつ幕なく人間界は比較して時に比較のなき顔をする

若き歌の時代を終えて友人はオールドジャズに沈潜しゆく

春の男になりきらぬまま休日のパルコにきたり急がねばならぬ

われもまた君の一つのマクガフィンになるのだろうか、なれるだろうか

雨厚く垂線引いてうすしろき桜の花も試されている

死後にわれなき日常の出来事は遠い異国のニュースに似るか

2015年11月23日月曜日

2013年03月作品雑感。

よく、薄っぺらい社会批評は、大きな事件があると、すぐ◯◯以前◯◯以後なんて言い方をする、と書かれたりするが、2013年3月は、やはり、震災2年目であった。

東日本大震災は、地震と、津波と、原発事故の側面があるが、災害から2年経つと、その被害の大きさは、津波、地震そして原発であったことが、冷静に見えてくるのだ。

  死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ

  翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる

いやおうなく時間はすぎて、冬は春となってゆく。

  海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり

3月になると春の歌が増えてくるが、書いている今が11月なので、あまり引くのもどうかという気分になる。

自選。
  愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし

  脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ

  春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ

  

2013年03月の31首

演劇批評に植民地の語あらわれて細き定義のかげろうをみる

腓の細い女の何に憤りデパートの床の反射を睨む

一生二生を君と別れてその後は彗星のカーブ過ぎたるごとし

水車小屋は冥府の口に佇んで午睡のような声響くなり

彗星の軌跡のついに違(たが)えれば星のまたたく意味ひとつ知る

いにしえは洞窟に知を匿いて巨人となりて天球に触(ふ)る

地を割って濫喩の馬が湧き上がり鼻を鳴らして探すは我か

杉玉のくたびれている居酒屋に人を待ちいて何ぞ朽ちいる

昼間から酒飲むオヤジの軽口に笑う店員の日本語訛り

愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし

死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ

翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる

海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり

「社会からしばらく席を外します」付箋を貼って明るき午後へ

パスワードを記した付箋を失ってもう二十代にログインできぬ

花びらのひとつコップに浮かぶのを見ていし春よ、あれより独り

せんだって胃瘻の報を聞きたりしが今日訃のメールが来たる知人の

選びくれし菓子のいつでも美味しくてその才能の訃報を聞けり

脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ

瞳から君が湛えてきた夜の森林を見つ、木陰の蒼し

君のいう天国(heaven)はどこか避難所(haven)の匂いを帯びているが触れずき

桜並木を抜ければ車ごとの春、春の男の顔をするべし

二十年の旧友に会う、鰹節の表面のような会話でもよし

春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ

見る前に跳ぶか否かを迫りいし昭和、レミングの自殺も虚妄

成し遂げねば死ねぬ理想に取り置かれ残滓は残滓として節しおり

持続可能な未来の為に人類は節制すべし、まずは数から

見上げては春が来たよと呼びかけつ、つぼみのままの夜の枝先

人なきあとネットのアスレチックには女と猫が愉しんでおり

明け方のまだ明けきっていない夜オリオン傾きいる臭い街

ゲーテ論の終わりまできて乙女座の性格とされて論ごと消せり