桜も満開の盛りを過ぎて、こんな季節に春や桜を歌わないなんていうプレイは、若いうちにしか出来ないのかもしれません。
3月は四国に旅行して、歌人の聖地の一つである(かも)松山の正岡子規記念館に行ってきました。香川照之ってほんま似てたなあと思いながら、照屋のような場所でさえ、正岡子規の作った世界の延長にいるなあという、末席にいるようなことを考えたりしました。
さて。3月のうたの日は、題詠の歌題をかならず最初に入れようと、なんとなく初日に思ったので、そのまま31日まで、歌題から始めた短歌となっています。
「自由詠」
自由詠たとえばブログに上がらない即席麺の夕食の夜
このあたりは苦肉ですね。
「せい」
せいにして生きていくのだ僕という感情よりもずるい世界の
「せい」から文章を始めることは普通は出来ないので、あたかも倒置のようにできたのは、ちょっとほっとしました。
題詠というのは、だいたい平安時代から明治の、正岡子規くらいの時代まで技術鍛錬の手法として確立していて、いわゆる花鳥風月とかいう雅語を歌題とした練習だった、と理解していて、子規以降の歌人の近代は、題詠の否定から始まっているようなところがある。
とはいえ、これは練習法なので、近代以降も行われていて、ただそれは歌作品の「題」と二重の意味を持つような未分化なところもある。
戦後、第二芸術論などで短歌はダメージを受けて、ここでも題詠を否定する(=思想を主張する)短歌文学であろうとしたわけだが、それでも練習法なので、題詠はほそぼそと行われてきた。
ただ、近代以降の題詠は、雅語であることはなくなり、正岡子規が俳句で「柿を食」ったように、それまで俳句や短歌では使用されなかった言葉を使用できるように子規が共同幻想を打ち破ってくれたので、題詠の題さがしだけでもやっていけたようなところがある。
戦後の題詠は、戦後の表現そのものが記号論的な枠組みのメタ認知を可能にしたこともあって、いろいろなトリッキーな題詠も可能になっている。
現代において題詠をする意味、というのは、もっとじっくり考えるべきところなのかもしれないが、ひとまずおいて、まあ、トリッキーな題の使い方は、そのトリッキーさを超える内容作品になるかどうかという、二重のハードルを自分で設けてしまうので、まぁ、すなおに題と向き合った方が、得だし簡単ではあります。
題と向き合うっていうのは、どのくらいのレベルがありましょうか。
1,題そのものを内容の中心にして詠う。
2,題そのものを間接的に詠う。
3,題そのものについて暗示的に詠う。
4,題そのものでないことについて題を用いて詠う。
5,題の周辺について詠う。
6,題を解体して詠う。
6-1,題を視覚的に使用する。
6-2,題を音として使用する。
6-3,題を誤読して使用する。
7,題詠ということについて詠う。
8,題について詠わない。
8は題詠ちゃうやん。
3月の作品では、
「魚」
魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも
の「魚には涙腺なんて持たぬ」の文法の間違いについて、塾カレーさんという方から感想をいただき、少しやりとりしました。定型を持つ表現は、とうぜん、文法の音数とせめぎあうわけで、定型になるように言葉を斡旋することが、定型詩人の第一の能力であるべきです。
そのうえで、それらのルールを破っても美しい表現を模索し、それが見つかるならば、ベートーベンではないですが、そんなルールは壊れてもいいのです。
もっとも、そうでないなら、間違いは間違いです。それは恥ずかしいミスとなります。
自選。
「結晶」
結晶となったふたりは一日に一度の光で世にもうつくし
「梅」
梅のつぼみも急いでるかもしれぬのにゆっくりと言われながらほころぶ
「ある」
あるところに老いた夫婦がおりまして偶数は竹、奇数は桃で
「心」
心にはひとつの細い舟があり君に向かってうしろへ進む
「泣」
泣きながら魚は海を渡りゆく老衰という死を逃げるため
「男」
男だけの話ったって食い物とゲームとガチャじゃさびしからずや
「ピンク」
ピンク色のモンブラン三時に食べて文明はきみがいなくても春
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