2016年11月5日土曜日

2014年10月の62首

目を上げて月と間違う電灯のこれでもいいかいずれ届かぬ

運命の出会いに飽きて犬猫はガラスケースに背を向けて寝る

右肩から左肩へとついてくる飼い鳥にわれは柔き樹ならん

嫌味あびて匂えるごとく辞してのち思わず鼻を二の腕に寄す

子と母のやさしさにみちたなぞなぞを時間の終わりのように聞く午後

戦略的自己犠牲をえらぶ顔としてよく出来ておりメガザルロック

音程の少し違える鼻歌のCMソングを聞きつつ足れり

鉢の水を捨て、替え歌にアカシアの「このまま枯れてしまいたい」なんて

メキシコの走りつづける民のいるドキュメンタリー観つづけている

happyの語源にhappen、みなもとを辿れば水はたしかに光る

近くまで来ている河野通勢を観たいと思い観ぬかもしれぬ

幸いと辛いを決める一本が横棒であることを思いき

日常のぎゅっと縛った粗縄の死はちぎれるかほどけるかなる

従容とどこへ赴くばらばらとまばらにけぶる雨音のなか

夕方の木犀の香に包まれてそのまま星を去りせばたのし

茄子の茎色を重ねて赤となり青となりして黒色(こくしょく)に見ゆ

いにしえの人が見ていたゆっくりと月を呑み込み吐き出す虫を

桑の葉が真白き繭となる不思議、一心につむぐことの因果の

連絡通路の展覧会のポスターにその感動のあらかたを終う

植物はだいたい口に入れられてうまからざれば薬とて呑む

寒くなりはじめての冬を前にして暖かい家を思うごきぶり

一方的に知りたる人に会釈して大正ころの短編を憶う

毎朝をマックで過ごす老婦人ふくらはぎ長く揉んでいるなり

先にいてわれの来るのを待っているお前は未来の顔したる、過去

男の腹と女の胸に挟まれて電車で、来世紀は涼しかれ

秋冬のスボンはゆるくやせたということでは決してないがうれしき

青春の書として論理哲学の断言を微笑ましく読めり

公園のブランコだけに日が当たり人間不在の一日(ひとひ)はじまる

じゃれあってうるわしうるさき学生も将来にくらき孤独を知るか

合宿の夜の洗面所の合わせ鏡に無数のわれがみどりにかすむ

明滅するデジタル時計の真ん中のコロン、脈拍に似て親しき

初夏の髪はもうながながと床屋談義の代わりのデモは秋風冷える

見つけたる君のブログを読みすすみだんだん地震に近づいていく

照らされて消えゆく露の聞くたびに薄らぐようでたとえばきづな

レイヤーをひとつ落とせばいのちとはいまだ生き死にと飢えばかりなる

少しずつ気持ちを殺し死にたればどの子じゃわからんはないちもんめ

ふかいかなしみをしづかにうたふスタイルは読者作者も心地よかりき

感性をたいらげてぼくは不安げに森さやぐ意味がもうわからない

生き残ってしまったかれのウェブログにきづなの文字は現れずなり

現在はまったく遠く信号の意味より先はない世界まで

死が近くないこと怖し、薄目にて慈しむべき世界のときに

煩悩がわれをめくりつめくりつつ空気入(い)るりて笑みゆがむなり

おっさんの見る怖い夢は幼少のそれに演出増すくらいにて

現代も予言が欲しい生き物が中心を離れ経回(へめぐ)っている

手招いて揺るるすすきが沿道にそうして秋は呼ばれて去りぬ

中断のまま終わる物語のようにケーキナイフで押しちぎるパン

年降れば愛しい人のくびすじにいぼ凝(こ)りておりいとしくふるる

永遠を凝視している眼差しで君は真白き川を見ている

昼顔が豪華に壁を這う家のアコーディオンの流れいる路地

今世紀みんなみごとに隠れおり詩心はもう枯れながら鳴る

平日を少し遅れてベタベタと母に纏わり通う子のあり

明るきが隠れれば夜、毎日をかく黙々と夜明けへ進む

宇宙船が壊れてやがて来(きた)る死の夢から覚めて長い放屁す

バカとして生まれただからそのままでさわやかに死ぬる手などありの実

荒野切り開いて男はたのしかり三日伸びたる髭剃るときも

音楽の方のスピッツ流れきてもう感傷が音の邪魔する

朽ち果てた茄子を除いてあたらしく土をほぐせり世界のごとく

縁のない女性(にょしょう)にあれば賽銭を放るがごときさきわいたまえ

鎌首をもたげているのはゆらゆらとそれが希望であることはなく

こんな時に役に立たないむらさきはボロカスミソカスクロッカスだよ

春菊天の酸い苦味噛み蕎麦すする、味覚はわれを許可するごとき

北ほどに寒しと思う生き物のブラキストン線冬景色みゆ

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