2016年12月3日土曜日

2014年11月の60首

精神の痛みも痛み、耐えながら噛むくちびるは白き表示の

人工と自然のじつに猥褻で率直な景をみたき霜月

野良猫の小さい方は飛び跳ねて喜んでいるかゆい世界に

口をぱくぱくさせては歩く老人の霊薄(うす)らえば機構あたらし

球に住む生き物なので地揺るるを理解はするがもういやである

責任感を半分にして傾(かし)ぐほど世界はお前のせいじゃないから

消えていい写真を撮ってライフログは究極のわがひつまぶし食う

落ちているアイス棒にも蟻の来ぬ世界はさむし、あい嘗(な)めなくば

人間のさとりはたかが知れていて生を愛せよ死を愛すまで

オフィーリアも日本語ならばどんぶらこどんぶらことて流れ揺蕩(たゆた)う

食欲の否体重の危急なる秋(とき)ならぬ秋(あき)、空腹に耐う

真白なる心の皮で隠しいる、餃子の餡を包む感じで

人生に向きあうごとき丼のもう少しちゃんと噛まねばならぬ

世界にひとつだけかもしれぬ花枯れて緑も減ればセピヤへ至る

やくたいもないこっちゃなどと言い捨てて店出るように秋をはや去る

足首の太き女を走らせてピカソが描く古代の偽造

理屈ばかりが時を得顔の時代ゆえ感情薄きヒロインぞ美(は)し

進むのが壊すのに似てこれ以上行きたくないと口には出さず

先ほどの見過ごされたる赤色のゴリラばかりの毎日を生く

真実の言葉を君は待っていて、われの番かはふりみふらずみ

連鎖する事物の不思議に子は酔いてしりとりはりんごゴリラはラッパ

民主主義は素人がそれを選ぶこと、紫陽花は雨に濡れて色増す

ポエティックが耐えられないと言うに言えず詩人は文字を書いては消して

本人は知らずわざわざ言うこともないが若さは光るってこと

世界から取り残りゆくめじるしのトリコロールのマフラーぬくし

生きることの土性骨弱きわれわれの承認自殺の呼び名いろいろ

恥部のごときあかき葉落とし植物はわれわれにない秋の姿す

年波に、削られてゆく白砂の松並木歩くわれは肥えゆく

通勤のときどき見しが今は見ぬ薄倖そうな一重の美人

草莽(そうもう)のいや莽蒼(もうそう)の郊外のエノコロの生えた国道さびし

夕日差すテーブルに林檎褪(あ)せまるで塚本邦雄的ひややかさ

当然のように実際とうぜんに肩に載る鳥ちゅんという顔

米塩(べいえん)のひとつぶもなき貧困はあらねどコンビニ明るく遠き

舌の上で海苔を破(わ)りつつ萌(きざ)しくる思いを酒で泳がせてみる

新しい長靴買って雨を待つ少女のごとし、ストーブポチり

灘のごと押し寄せくれど飲み込まずかくして保(たも)ちいたるかたちは

CM上の演出ですと右下に書いてあるがに葉の降る秋ぞ

一ダースでも君を飲み干すと歌うのを彼女の細い声を朝聴く

渋滞がうれしいと歌うポップスがあった気がする、渋滞ながし

知はここで食材となり大食いのファイトのような議論を眺む

夢にても古書店でこの本を選(えら)み購(か)う直前に棚に戻せり

モンキチョウがしばらくわれに並走し異なる論理でそのまま去れり

われわれは時流なればか未来には原発増やせの声たかまらん

ブルースに合わぬ酒にも酔いなずむかなしみが青になるということ

ポリューリョンの意味ぼんやりのだらだらの半身浴は冷えつつ温(ぬく)し

こぎとえるごすむこともなく端末を指でなぞっている子の現世

ピリピリと電気に覆われたる星の表面に生(あ)れ表面に消ゆ

何年もさみしさに身を曝されてさみしがり屋はさみしく酔えり

世界でいうと濁(にご)りらへんにいるわれがまだ死なないと決意しちゃうか

髪洗う女の絵だが、悲しみに似た愛のことが伝わってくる

モノレールのまなざしは鳥、表情のちょうど見えない距離で見る人

夢でみた彼女は誰だ、恋までの会話を氷水飲みながら

雨の日のマックにしのぎたる人の疲れも少し湿れる時間

露悪にも露善にも飽き、ネットにもサイト枯れゆく秋の来るなり

郷に入れば郷に従う上海の姉ちゃんといてグローバルなのか

言い切っては美しい日本語でないかもとかもしれないといえるともせず

サザンでいうとアルバムの中に時々の桑田が歌ってない曲の感じ

新しい曲が賛美歌っぽくなり賛美したきものわがうちにありや

鳥よわが肩にて満員電車から職場までちょんと遊びにくるか

植物に光呼吸のあるを知り闇呼吸とか調べるお前

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