2017年1月1日日曜日

2014年12月の62首

雨上がりの眼前が少し眩しくてその眩しさの少しがすべて

ロボットが人間に近くなるよりも思慮なき生気(thoughtless vitality)に人が近づく

ネットワークに懐かしい人が現れていっとき心揺れればたのし

嘘の恋ではなかったわけではなかったと言えちゃうあたり、過ぎれば久遠

不審者のようにサンタがベランダを上がる電飾見れば師走

緑白のかみきりむしに立ちはだかれ大の大人が怯えていたり

懐かしい名前がわれを思いだし思いだされて、生きるはよろし

巡りめぐる卑屈と驕りこの歌の作者もそんな人だと思う

オイルヒーターゆっくり部屋をあたためてそれまで思いながらまた飲む

長野の画家は長野を描くというよりだんだん山をえがくようなり

ゴミ袋を猫かと思い二度見してゴミ袋だった夜のおはなし

底方(そこい)なる力持たねば地獄またアリ地獄なるアリの、♪ままのー

一票の軽さ軽みにいたるまでジャージで投票所の母校行く

お互いを思いやりつつ二人とも桁が見えない二人でもある

耄碌(もうろく)のようだが時間はあいつまで懐かしがらす、もう謝らず

そうそうに若くてチャラい彼のためこの席を辞す、外では宇宙

幸せは父が孤独に決めるべし学習机を夜、撫でながら

音楽は懐古の化石、現在をはけで払ってシンディを聴く

三鷹育ちの中学生の女子なればまだ渋谷へは母と行くべし

小骨多い魚の身をばひと飲みに飲み込むように日常まかせ

目の前の改札を上に跳びながら走って少女は大人らに消ゆ

なにもかも凍る冬ゆえ擬似相関なれど一人が気にかかりいる

スーパーにクリスマスソング流れそめケッと思ってそれも楽しい

本当は違う話がしたいのでテロリスティックな会話にいたる

体温を地球に任せイグアナは暑けりゃ怒り寒けりゃさめる

工事済んで跡かたもないプレハブの詰所のようだ、想いの記憶

天気がよい日の部屋にいて端末のタイムラインも見晴らしがよく

食物連鎖の牙で食われぬ悲しみが物語とう嘘を生みたり

花は咲く」聴くたびに涙ぐむわれのこのかなしみや希望は安(やす)く

記憶には表情よりも闇中の白い三角浮かぶ純情

銀紙を裂いてくしゃっとやるような歌声のああ、チャラっていうの

オペラハウスを建てたる捕虜のときおりに忘れる飢えや寒さを思う

年ふれば玉の手箱の本当の意味が煙りの奥に見えおり

いきものが死んでいきものうるおえる連鎖に似たる思いか慈悲は

バルビゾン、ふるさとをそう呼んでいた君の地方の大雪の報

宇宙より長い寿命を移動する陽子に意味をそろりと載(の)せる

熱帯のイグアナのまるでみずからの寒さの弱さを知らないままの

大統一理論以前もその以後も石にもたれて祈る景あらん

建物の影に割られて白黒のその明暗のゼブラゾーンの

さびしさに遺伝のあれば明るさのうしろのこれは父もだろうか

ごくごくと水飲んでいる加湿器のまだ生き物になるにははやく

冗談が意味深みたいになる夕べ、互いにスルーしてはいるけど

博愛か引きこもりかの極端な選択は実に彼には一歩

長寿への期待はありや残り柿いっしんについばむ雀瞶(み)つ

柚子二つ浮かべて夜の浴槽に回転させたりして無為香る

干物の背に食らいつく時、海面を切り裂くスリルの景浮かび消ゆ

美しい廟ほどかなし、残された生者の悔いに似た大理石

霧雨に蜘蛛の巣白く浮かびおりたましいの通りぬけたるごとく

きっと君を思い出さずに過ぎていく山下夫妻の稼ぐ季節を

生命樹という枝分かれのさびしさを植物はときに交叉(こうさ)するらし

三国志好きの父へと年末に赤兎の名前の酒をひと瓶

反論に同意しながらダーウィンが知りたきことの知りたさに打たる

諦観のいくつかはあのロボットの不気味の谷に似た生悟り

助け合いと殺し合いある人間(じんかん)の意図せずここに来た口ぶりの

感情に消えてゆくなる戦いと知りつつ引き止めたりまではせず

朝の道に釘が一本落ちていてそれでもうまく動く世界は

まだまだらなるかーちゃんの痴呆との応策として、同じ気づかい

電柱が電線もたず立ちいけり強さにみえて弱さにみえて

礼厳の血をまざまざと受け継ぐにあらねど与謝のふるさとに立つ

公園のベンチにまなざしがありて立つときはもう人として去る

階段をなぞって流れくる雨の平面は押され落下は無心

耳の裏にかなぶんぽろり自転車を降りて慌てる夏の思い出

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