2017年4月1日土曜日

2015年03月の62首

表情に狂気がもれていないかと鏡を見ずにいられぬ狂気

旅を終えその運命を見つけよと羅列している単語が光る

忘却があるではないか脳というたんぱくよ君をいそいで溶かせ

この町の猫には猫の路地があり繁華街あり禁止区域あり

芸術はやっぱり狂気、さまざまに角度を変えて普通をさぐる

液体がやがて氷になるように妄想はかたく冷気を放つ

半分ずつ薄らいでいく遺伝子のおもかげとして生きるわれわれ

ひと枝の梅と菜の花受け取って春らしくそしてさよならなのだ

芸術は人の時間を吸いながらひかりのようなもの帯びてゆく

胸もとで小(ち)さく手を振り通学の乗換えでふたり孤(こ)の顔やめる

美しきテロリスト譚として読めるナウシカかつてと紙一重だが

脳は水、まどろめば思考分子らがブラウン運動してまとまらず

回想録に誠意と弁護ふくまれていづれを読みたきかは時により

憂鬱な土星の光避(さ)けるため君はカーテンからぼくを見る

妬みとは認めたうえで粒ほどに深い穴から救い出さねば

帯域(レンジ)ではずっと幸(さいわ)いなる日々の今宵も豚バラ色の人生

カゼクサの敷き詰められた土手坂にもうあきらめて大(だい)に空(そら)抱く

ぱっとしない僕の4年はおいといて聞きたくはある君の震災

こんなかれんな花の名前も知らないで、いや死ぬ時は知ることわずか

生きものの宿命はじつに厳しくて肩代わりなどかつてあらざる

逃げ切れたことのさびしさ鼻歌の鼻先とともに空気が冷やす

この壁に朝の光がぶつかっておおこの白はユトリロっぽし

ユーフクの字が汚くてコに読みき、たしかに似てはいるふたつにて

ジッパーのタグあご下に揺れていて顔面だけを海にさらして

月のある世界であれば泣く夜も意味のあるべき景色とはなる

ただ一個一度ポッキリなる脳に酒かけて少し壊しては寝る

毎年の数千人の事故死者の今年の該当者に来たる春

まだ寒い公園の夜、我慢している若い二人の横をば過ぎる

かもしれぬそうかもしれぬ溢れいる明るき春のひかりはなみだ

面構えはかなわぬわいやい生きざまも休ませている休日に会い

手に入れて世界はそれを失って未来の為に空けつつあらん

男根のような車を乗り換えて少女のような車で来たる

本心をボットに言わせてるうちにいつしかわれがボットとなりぬ

雨音もあるものだから音楽のラジオは消して沈みつつ寝る

入滅といううつくしき語にいたる死、というよりも生を思いつ

抱えたる矛盾は多いほどよけれ春の午後腹ごなしに歩く

語るしか出来ぬウィトゲンシュタインの機知待ちて流し読む論理論

レールから外れた為にレールへと飛び込む人ぞ、水なきプール

シンボルを符丁と訳すその距離をズブズブ思い本論いずこ

欧米の言葉にできぬ個人主義のさびしさこそが神を造りき

浴槽の思念はいつか大疑へといたるか、大悟は遠き水面

股下の裾ながきパジャマ踏みながら廊下を歩くふと奉行めく

恋心は無用の欲といいながらキックペダルを二度三度踏む

死ぬときは枯れたく思う人界に求められねば七のあたりに

使いかけの手帳の棚のいつかまたそこから始めるべき生ならぶ

ボロノイ図で分けられてゆくぼくたちのかつて濃度で決まりし紲(きづな)

神様の名前でみんなばらばらの神様をみる、いのりはかがみ

人間の幸福がひどくねたましく片手で窓にぶら下るなり

順当に役者も客も老いてゆく観劇にいて桜が不変

布団から起き上がるとき身体(しんたい)もついて来てるかつい振り返る

ゆっくりと進める恋の「ゆっくり」がどうも加速化してる気がする

口にすれば消え失(う)すような幸福で生きている君、捨てゆく言葉

「悲愴」とう楽曲のごとかなしみは賽の河原で客体となる

コンテクストがハイ過ぎるネット日本文、長くて細くて鋭いうなぎだ

ホロスコープは時の見張りの意味らしく見張っているのは人かそれとも

つくしんぼ斜面にわっと伸びていて威張るなあ若さは柔らかさ

終わったよ終わっただよと心地よい勝利して君に次が見えてる

人類の最後のUMAとして神、今日までは発見されず

明かり消してまだしばらくは存在があるらしい闇に溶けてゆく音

この部屋で配色濃厚なるものを食べる食べたら早めに帰る

胸の閊(つか)え涙によって流るるか嬉しきときの滂沱はあつし

一年に一週間の満開の生きててよかったような桜

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