2017年6月11日日曜日

不自由律短歌の試み

2017年5月31日より6月10日まで、ツイッター上にて、不自由律短歌をこころみた。

不自由律短歌とは、短歌の57577という形式を問い直すかたちで、大正〜昭和10年代まで自由律短歌、という運動があったのを下敷きにした名称だ。半分冗談でもあったのだが。

乱数プログラムで決められた句数と字数を詩型とする、57577ではないが、自分で自由に韻律を決めてよいそれまでの「自由律」ではない短歌、というスタイル、とした。

 5/31 「8153」
別れが近づく日明るいな君は

 呼びかけてみると、30首以上歌を寄せていただいた。ここでは1字句の扱いがポイントとなるようだった。

 6/1 「55897」
新宿の西口のヨドバシカメラのパソコンコーナーでいちゃいちゃやめれ

 この日も40首以上寄せていただく。不自由律を考えるにあたって、自由律短歌と、短歌の関係を考える。 

 6/2 「27464」
夏じわじわ迫る予感の、扇風機のそわそわ

その、櫛に流るる黒髪、たしかあの子二十歳だ #パロディ短歌

さくっ君が横から(近いよ)スナック菓子つまんで

ちぇっ美人に席をゆずって優しさとはみえねえ

コンッ二階の窓に小石を君も寝ずに待ってる

 この日は40首以上。不自由律は、ここでは2字句の処理がポイントとなる。 

 6/3 「8385」
いつもの電車をやめていつもの人たちさようなら

宮廷画家にもなってサトゥルヌス勃起させてゴヤ!

洗濯機の中ふたり覗き込んでると二神論

 この日は数首。字数が少ないと、短歌というよりも俳句との接点が大きくなる。どの字数から人は俳句と短歌を分けるだろう。あと個人的に、指を折らないと音が数えられないことにショックを受けた。短歌を作る時に、指を折ったりは、しないからだ。

 6/4 「474466」
たしかにキジバトひとつ小さくくぐもる鳴き声して朝のはじめ

そらみろ! 空を見るなよ! まったくお前はいつもいつも茶化してくる!

たとえばブルキナファソの都市部でじわじわいらすとやが流行る世界

ゆびおり
今日のご飯は
ラビオリ
食べおり
不自由律
考えつつ

 この日は20数首。不自由律では、字余り、字足らず、句割れ、句またがりといった手法は、基本的に相容れない。ではなぜ短歌ではこれらの手法が成立するのか、について考えた。

 6/5 「85」
なきさうなかほで、わらつてる

「さようなら」の「う」が、気になった

忍者屋敷なら、喜んで❤️

分け入っても分け、これあるわ #パロディ短歌

疲れているのに、風立ちぬ

第八惑星、きみの尻

ダンゴムシ色の空ときみ

いんぐりもんぐり、人助け

ラブストーリーは屋根裏に #歌謡曲風

 この日は150首以上。字数が少ないのでキャッチコピーっぽくなる力学が働くので、どう逃れるかがポイントといえる。

 6/6 「58584」
昨日から降り続いている恋人はソファーでクロール、ひまだね

韻律のワークショップには韻律のインストラクター、きもいな

 不自由律をスタートして1週間。この日は50首以上。このあたりから、不自由律に疑問を呈する意見がタイムラインに見えてくる。不自由律の出発点が、「短歌はどうして57577なのか」であることを、そして不自由律の定義を再確認する。この日、小林通天閣さんが不自由律ったー(https://shindanmaker.com/728883)を作成し、一時的にバズったようである。

 6/7 「674647」
夏から秋、冬から春に風邪ひく、どうもぼくは日本に好かれてないな

犬の匂い犬でなくきみ、
わたしはわたしが溶け液体、
月が映って

泳いでいる泳いでいるよ遠くに果てしもない遠くに誰のおもかげ

 この日は40首以上。ランダムに生成されるフレーズが、短い、長い、という時に、それが相対的である表現であることに気づく。そのとき、モデルになっているのは、やはり5音、7音なのである。これを必然とするか偶然とするか。そこには科学的な視点と、史観が要求される。

6/8 「98675」
暗闇の中から
黒い心もて
月影にも
顔を見せずに
これも僕

カートリッジ式の
心をかばんに
揃えている
悲しみ分が
減りやすい

甲州街道の
街を外れると
ホテルがあって
道説かぬのに
触れもせで

分身の術には
いいこともあって
分身して
それが逃げたら
色白に

ダッチロールしてる
旅客機の中で
頑張っても
その頑張りも
揺れている

東雲(しののめ)に着いたら
ふるさとは青く
ねむさよりも
その小ささに
泣きそうな

伝えたいことなら
定型にせずに
目だけをみて
ふるえる顔で
言いなさい

 この日は20数首。分かち書きは、韻律を視覚的に見せるためには効果的だ。特に今日の上の句98は、17音で、575で読めるケースがある。57、また75調は、強くそこに収斂する力がある。その力に、あらがう、というか、利用して裏切ることで新鮮さを出すのが、字余り字足らず句割れ句またがりという技法であると言える。

 6/9 「75757」
残った分を食べており
もう友達は席を立ち
待つ人なくに

駅のホームのトラブルは
スタンガンなど配布して
(使ってみたい)

ストレージだよ人間は
東京なんておっかさん
容量ばかり

コアラという名英語だと
KOALAって書く
ひねりなし
 ※結句の音数を間違えている

暗闇からもにょきにょきと
避(よ)けむとするもにょきにょきと
なんだこれ
 ※結句の音数を間違えている

美女と野獣の、なんつうか
野獣のほうは、比喩じゃなく
なんでだよ感

ホースが踊る休日の
一瞬できた虹の中
おっさんキラリ

スコップをもつモグラの絵
物足りなくてサングラス
ヘルメットだろ

悲しい絆、復讐を
今でもおもういじめられ
あかい夕方

ガクアジサイの花の上
かみさまそっと載せてあげ
あっ落ち、耐えた!

孫に遺言、死ぬときに
ひまわりの種詰め込んで
だめだ、火葬だ

ぼくはあなたをえらんでも
あなたはぼくをえらばない
いけずですなあ!

 この日は30数首。この日と翌日の最終日は、不自由律短歌ではあるが「プログラムによる乱数」の定義を外し、不自由律短歌と短歌との、近似を探る狙いでテルヤが考えました。この75757は、句数、音数が同じなので、「5音7音の5句で構成された31文字歌」と短歌を規定すると、短歌と同じものになります。個人的な実感として、短歌とは「5音句からはじまって、7音句で終わる」という、始まりと終わりの感覚が、意外に大事に感じた。

 6/10 「5757577」
不定形な気持ちがあって俗だけどバレンタインとか利用して告白するのは楽しき思い出

何気なく歩いていても紫陽花はぼわっと置かれ水無月の鮮やかにして淡き思い出

ドット絵の少しレトロのプレイヤーキャラは疑問を持たざりき操られたるわれにあらずと

顔面のそのほとんどが角質の採食器官のくちばしを疑問におもうことのない鳥

学問は疑うことで信仰は信じることで神学は、「ながらも」という裳裾(もすそ)のあたり

何を信じざるかツバメの営巣の材料変わりゆくことのおのれを成せる材料もまた

バナナスタンドにバナナ吊られて当然に真っ直ぐでなくみな少し腹に力入れ足を前方に

さんざんに外をほっつき歩いても戻ってきたらその家が一番だなんて南極だもの

鳥の世界の伝説ですがあまりにも速く飛ぶので一揉みの炎と消えた神話のありぬ

この介護ロボットほんまむかつくわ優しいことだけ言いよるし蹴っても笑顔、蹴っても笑顔

その人は村の中から出てこれず村の外などろくでもないと村のことには詳しかりけり

当たったら死んじゃうようなスピードで乗り物がかけめぐる日のテーブルに肘ついてチーズ待つ

芸術のみやこパリパリアイス食い悔いはじめたら足らぬ世のよんどころなし千載具眼

凛とした、なんて言葉は借り物だ、鉄線描で描かれたような君が好きです、よく分からない?

 最終日。30首ほど。この日の不自由律は5757577で、形式としてはもっとも短い長歌形式と言える。つまり、短歌の57577が確定されるまえの、双子の兄のような、同じ和歌であったもの。なので、この日は、字余り 字足らず句割れ句またがりをありとした。この歌は、57577を内蔵しているので、(57)57577とするか、575(75)77として短歌として詠む詠み方と、長歌の、57/57/57/7という対句表現的リズムで詠む詠み方があったが、やはり短歌に寄せて詠むのが多かったか。

以上、本当は参加してくださった方の歌をあげたりもしたかったが、それぞれの作品の引用のスタンスがありましょうから、テルヤのだけとしました。

あらためて、意見や歌を寄せてくださった方に、感謝します。楽しく、勉強になりました。

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