2017年9月30日土曜日

2015年08月の63首。

平静の土日であるが夏休みのようにエアコン効いているなり

このようにむし暑い日はパウルツェランのつぇらんの顔でやり過ごすべし

この時期に長袖を着ざるをえぬ娘の目は哀しくて美しきなり

太陽が疾(と)く狂えよと嗤(わら)うのでいやだとひとり大声を出す

朝顔が紫の穴を開けているこの時間だけ向こうはありぬ

いっせいにサウナのドアを開けはなち、さわやかに言ってみれども暑し

迷いたるわれに方角示すため撒き散らされた星、隠す雲

夏の陽のやわらぎはじむ夕方にうづまき点けて座る路地あり

正解はないというのにたぶんもう星辰占察ごと間違える

窓屋根の狭いところに寝そべって電車ボンヤリ、尻尾をパタン

ブルドッグぶるぶるからだふるわせて飛んでいきそうなのを踏ん張る

ベランダの室外機の下うづくまり許されるのを長く待ちいし

返歌
そうなのだソーダのなかの無数なる小爆発を呑めば清(すが)しも

ソファの上のスマホのバイブくぐもって言葉にできぬ不満のごとし

原爆を使いたい奴に原爆を使いたい、蝉は死ぬまで鳴けり

見る男はもう世界への入り口の入り方すら忘れても見る

tears in heaven をテープで聴いていた歌詞などはずっとのちに知ること

水曜は鳥にごちそう、ミレットの半分を挿してこっつくを見る

スピッツの愛のことばのイントロでぐわっとくるね(それを言うのね)

竹膜を隔てるように薄くまで近づきながら百年触れぬ

サツマイモのようなジャガイモ食いながらせつない地方都市の夜は更(ふ)く

昼去ればもう閉じて揺れぬおじぎ草冬を越えぬというが貰いぬ

バラ園にむせ返る香のタオル巻いて手入れする男も香りおり

8月の中旬首都より離(さか)りゆきホームの人のすこしうれしき

湿原をまっすぐ通るアスファルト、人間が過ぎるまでは静寂

居酒屋の難民歩くゆうぐれの駅前、振り返るたびに暗し

無差別の殺戮のあと音もなく訪れるこの無差別の加護

音もなく燃える炎の夕方が夜に呑まれて祭りが動く

少しずつ貧しい国で並びつつ補てんのように笑顔の旅行

夜光バスオレンジ色の線ひいて地球の影を夜行してゆく

ツイッターの床屋談義は楽しくて義憤に差別をすこし添えれば

被害者がましろき加害者となりて被害者を生む景をみており

老衰ってなにと訊く子の無邪気さを涼とも思う、寥(りょう)とも思う

運転をせねば事故など起こさねば縮小しゆく生の一理は

スカルラッティ無限に続く回廊で君の姿を追いかけており

感性も電力量が決めていることもうすうす荒々しけり

雨の中蝉がわあわあ鳴いていて物語なき今日のはじまり

われもまた形式だけを受け渡し文字積んで歌と呼ぶ一行の

研ぎ澄んだ思想は人を殺すので澄みそうになると口あけており

優しさの過剰か不足かは知らず彼は相談せず死んでいく

わーっはっはっ魔王が笑っているような夏の桜の蝉の音(ね)のもと

うどんには胡乱(うろん)の音が含まれてそこはかと枝雀師匠の顔も

ピストルが手に入るなら撃たれてもいい君に渡しやさしく生きん

2リットル75円の水を買う飲みおわらねば流しておりぬ

夏休みにひとりで電車に乗ったこと話題にしたい四年生はも

野良猫の子が鳴いている、雨あがりの冷えたる朝のまづしき底に

その火力高ければ人は喜びて終わろうとする夏の花火の

しあわせはほとんど温度、適温で増減しつつ回る魚も

食べながら生きるのだからユニバースおおむねがつがつうまそうに食え

カチカチとトング鳴らしてドーナツ型の菓子選ぶとき人は前向き

いのちとは地球の無数の指だから殺しても殺してもこんちは

人生はばつばつにまるばつにまる、死の採点は残してあそぶ

あらすずし朝のシャワーの国じゅうの乳首の立ちて秋の色する

見上げればベニヤに反射する白を月と見紛(みまが)う、わが月である

ネットラジオのバッファも途切れ途切れなるバッハを聴けり、駄洒落などでは

小型犬は飼い主の腕で散歩して土掻(か)いて走る夢は寝てから

心理学なきゆえ無駄に性的にならねばショパンなども羨(とも)しき

太陽に顔を圧(お)されて逆光の為です君を眩しく見おり

この先は因果の強い結界でぼくは行けない君はさよなら

孫と手をつないで祖父はなんとなく贖罪のような優しさにいる

籠の鳥にぼくはひとつの全宇宙、きまぐれでざんこくでやさしい

「明日もここで待ちます」という字もかすれ伝言板がしずかに朽ちる

しかるべき感動と愛を引き換えてチャリティー番組明るき深夜

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