2017年7月22日土曜日

2017年06月うたの日自選と雑感。

記憶というのは不確かなもので、これは覚えておこう! と強く思ったことが、ほんとうに覚えていられるかどうか、実はわからない。なんの衝撃もない、言葉に置き換える必要すらないようなささいな何かを、ずーっと覚えていることもある。

短歌を作っていると、ずっとあとになって、その短歌を作っていた時の気持ちのようなものが、まざまざと思い起こせることもあるし、どんな背景だったかまったく思い出せないこともある。そこには、あまりルールがないようにも感じられる。すごく物理的な、脳内のマッピングの距離、みたいな、味気ない結論になるかもしれない。

で、その、自分の短歌の、それにまつわる記憶ども。これがあるかどうかと、短歌のよしあしは、実は、なんら関係がない。なんら関係がないのに、まつわる記憶が多いと、「自分はこの短歌に思い入れがある」と思い込んでいるっぽい時がある。その短歌を、自分の半身のように感じ、自己愛を投入してしまうのだ。でもそれは、厳密には、その短歌への感情でなくて、その短歌を作っていた時間への愛着なのではなかろうか。

そういえば昨日、自分の短歌を語ることの難しさをつぶやいた。「これ、実話です」「ご想像におまかせします」「嘘っぱちです」。短歌自身は、その情報を、どう処理してもらいたいだろう? 難しい問題である。

自選など。

「癖」
久しぶりに会いたる友よオノマトペを口に出す癖が消えてさびしい

「含」
おやつにはバナナは含まれますか? あとバナナは差別に含まれますか?

「アップルパイ」
アップルパイになりたい? だすけまいねってみんなが笑う少し妬んで

「うたた寝」
おおなまずのうたた寝からのひるがえるまでの議論でひと傷つけき

「トビウオ」
すごいだろ、わが一族はディメンションをかるがる超えて風を知ってる

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