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2018年7月22日日曜日

2018年06月うたの日自選と雑感。

ツイッターはツイの棲家、いや、終の棲家になるだろうかと考えてみると、多くの人は、否と答えるだろう。しかし同時に、このインフラと紛うほど普及したシステムの終わりや未来を想像するのは、難しい。いつごろ、どのように人類はツイッターをやめるのだろうか。

現在はまだ、本というものが権威をもっていて、本になることが、文字表現の一つの完成と思われているが、将来、たとえば、ツイッターの、アカウントが、一つの読み物になったりしないだろうか。もちろん、そのためには、技術的にも、読むという行為の意味論的にも、ブレイクスルーがいくつか必要であろう。

消されてしまった、あるいは消えてしまったアカウントのいくつかにも、ああ、読み物としてちゃんと読んでみたかったな、と思うようなものがあった。

mixiも、いまでも残っているけど、逆に今から始めるのも面白いかもしれない。あ、うーん、いやどうかな。

  アカウントのアイコンを決める眼差しの遺影みたいな比喩は用いず  沙流堂


自選

「憎」
容赦なく無知を軽蔑した上で差別を憎む君の横顔

「Rock」
友人がある日を境にロックとかロックでないとか言うので頭突き

「自由詠」
枇杷の木も枇杷の木に生(な)る枇杷も濡れそれを啄むカラスも濡れる

「さざなみ色」
先に出た博物館の前の池は初夏のさざなみ色のさざなみ

「ストロー」
ストローでぷっと吹いたら優しくてこんな終わりにちょうどよかった

「蒔」
油断するとどんなものにも蒔絵とかほどこしちゃうのニッポンみある

「省」
省略をしてはならないきみといる時間のひとつ、ひとつ、ひとつ、を

「包丁」
沈黙の母のとことこ包丁の絆は切れやすいから切らぬ

「垂」
垂れている驚くことにぼくたちは空に向かって垂れてるいのち

「四角」
にんげんのルールはいつも四角くて尖ったところにまたあの人だ

2018年7月21日土曜日

2018年06月うたの日の自作品30首。

「蛍」
ぬばたまのサーバー室に入り込んだ蛍、LEDに醉いたり

「カタツムリ」
春さきは野菜がとても高かったツムちゃんのエサもニンジンばかり

「コンプレックス」
豆腐屋のラッパが届く夕間暮れコンプレックス仕舞って帰る

「喧嘩」
喧嘩したら終わって謝るところまで、途中でひどいことを言うから

「虫」
皮膚打ちて手のひら見れば異種嫌悪を媒介したる虫取り逃がす

「ソックス」
靴下を避妊具みたいに巻きとって足を差し入れてゆく、ソックス

「憎」
容赦なく無知を軽蔑した上で差別を憎む君の横顔

「分」
アルバイトのシフトが二人を分かつまで誓いますここでパン買うことを

「Rock」
友人がある日を境にロックとかロックでないとか言うので頭突き

「生」
めくったらまた痛いのは知っていて精神の生乾きのかさぶた

「自由詠」
枇杷の木も枇杷の木に生(な)る枇杷も濡れそれを啄むカラスも濡れる

「武」
弱いのになにかと威張る武士らしい、占いにしてはリアルな前世

「スニーカー」
森田童子のニュースが出るのに驚いてスニーカー履いて行くにわか雨

「理」
理屈では正しいことを今拒む生き物ふたつ駅はこっちだ

「制服」
制服のきりりときみはこれからも季節を背景に、していてね

「さざなみ色」
先に出た博物館の前の池は初夏のさざなみ色のさざなみ

「ストロー」
ストローでぷっと吹いたら優しくてこんな終わりにちょうどよかった

「蒔」
油断するとどんなものにも蒔絵とかほどこしちゃうのニッポンみある

「山椒」
左右の筋をちぢめのばしてゆつくりと山椒魚は戰火を歩む

「鰻」
逃げ切った鰻の家族は寄り添ってでも嗅覚は最後が分かる

「スミレ」
本気ではないのでしょう? と微笑んで少しおびえて優しいスミレ

「省」
省略をしてはならないきみといる時間のひとつ、ひとつ、ひとつ、を

「場」
こういうところお互い好きじゃないけれど記憶のためにお台場デート

「麦」
雨の日に水鉄砲で遊びいる少年の麦わら帽子濃き

「厳」
分割されていれば百円高くなる厳しいカマンベールの悩み

「包丁」
沈黙の母のとことこ包丁の絆は切れやすいから切らぬ

「腹筋」
腹筋の話というかその周りのルノワール的な、男だけどね

「小」
小さき身のコントラバスを背負う人カブトムシの脚の付け根の匂い

「垂」
垂れている驚くことにぼくたちは空に向かって垂れてるいのち

「四角」
にんげんのルールはいつも四角くて尖ったところにまたあの人だ

2018年7月16日月曜日

2016年06月の自選と雑感。

インターネットというものが、もう当たり前のものになって、インターネット論など論じる人がいなくなった。
それと同時に、いや、それよりはもうちょっと後になってからかな、インターネットが見せる景色が、頭打ちになっているような印象が現在はある。

偶然みたいな「せれんでぴてー」で、あっ、こんなホームページあったんだ、ブックマークしよ! みたいなこと、もうなくない? ブクマ登録って、最後にしたのいつだっけ? 現在のブクマって、ほとんと忘備か、メモくらいの意味しかない。

ツイッターのフォローが、現在のブックマークなのかもしれない。

そして、現在は、もう、フォローを追いかけるより、せまりくる不要な情報をブロックする時代になっている。

未来の寺山は、スマホを捨てよ、町へ出ようと言うだろうか。でもそれは、きょうび、たいへんに、孤独なことです。


自選

顔に色をつけて出かける性につき嘘というなら最初から嘘

ロック解除のスライドと同じ操作ゆえ音楽がふと爆音となる

比較的ありがちな未来に落ち着いて紙とビニルを引き剥がしおり

仕事用のハイエースにて駆けつけてくれて白象王(びゃくぞうおう)に乗るきみ

人間はほんとうにこわくないかしら狐のように首をかしげて

森の中に木を隠したる寺山の結局なにが隠れただろう

雨の夜を車が走る音聞こゆそのオノマトペ決めかねながら

やい宇宙、お前に投げ込まれたここでさびしさを捕食して生きてやる

いじめという無邪気な生の否定うけて夜道、黄泉路(よみぢ)になるまでくらし

猫はもう三世の因果を知っていて主人の来世を眺めては寝る

ノート手にハプスブルク家あったよねー懐かしいよねと笑う少女(おとめ)ら

ダルい体をごまかすように元気よく階段をあがる、ASIMOっぽいぞ

ファイティングニモとジェラシックパークのシュミレーションをディスクトップに

生きるとは野暮なんであるやさしさの余分分だけ現世に残る

あめふればわれらはくらげ水の中かさを広げて駅を出てゆく

もうどこにも行かない男とずっとそばにいてほしいわけではない女

精神の首輪のはなし、ちぎるとき首輪のつよさに負けたれば死ぬ

目線さえ合わせなければ逃げられる逃げているのをみているひとみ

2018年7月7日土曜日

2016年06月の67首。五音短歌10首。

寝そべれば校舎の上がぜんぶ青、ああ青春ってそういうことだ

田舎なる午後のガソリンスタンドの空の一筆、あのあたり巣が

顔に色をつけて出かける性につき嘘というなら最初から嘘

可愛さと奇形のあわい、口あけてすべてを見上げたるコーギーの

世阿弥
父もまたみどりの目もてこのわれを見たか自分によく似たる子を

書類ケースに入る猫(2首)
あいまいなかたちのゆえにだいたいは入(はい)れるとおもいじじつ入(はい)れる

狭いところにわたしがいるのではなくて事物がわたしに触れたがるのだ


ロック解除のスライドと同じ操作ゆえ音楽がふと爆音となる

ランドセルの二人のあとに紋黄蝶いろにつられて追いかけて止む

ボーイッシュな眼鏡少女と見紛える少年がいてちらちら見たき

AIがそれは名曲ではないと判定するが口笛で吹く

カラスっぽくないのでたぶんテバルディ、日本はカルラスでもよかろうに

丘の向こうきのこのような入道が鮮やかに立つ6月なのに

無人島で船に向かって呼ぶような切実さにて鳴く籠の鳥

気の狂いはじめとおわりは色彩が変わるよね、そうそう、ってなるか!

比較的ありがちな未来に落ち着いて紙とビニルを引き剥がしおり

深刻で切実なことを匿名の日記に記しきみは消えゆく

横書きは右へ縦書きは左へとそしてどちらも下へと向かう

水素水を手にとっている主婦がいてスーパーで無力噛みしめるわれは

仕事用のハイエースにて駆けつけてくれて白象王(びゃくぞうおう)に乗るきみ

咲きすぎてくたれた花の濡れている歩道美しさはげに刹那

頭がもう真っ青になっちゃいましたってブルースクリーン的なことかね

ここがきみのねぐらであるか薄暗き闇なる影が小さき威嚇

ファムファタルのその後外には雨に満ち溺れることで紫陽花うれし

無駄だ地球滅ぼそうともわれわれは淵底(えんでい)からの代弁なのだ

無声音のくしゃみのきみはまだ若く理解できないのはありえない

人間はほんとうにこわくないかしら狐のように首をかしげて

森の中に木を隠したる寺山の結局なにが隠れただろう

雨の夜を車が走る音聞こゆそのオノマトペ決めかねながら

今を一緒に生きてくれたら嬉しいというのは低くて高いのぞみか

人類の歴史はまさかさびしさの歴史じゃないね早めに眠る

かわいいと言われてマジのイヤな顔もかわいいことを横が見ている

やい宇宙、お前に投げ込まれたここでさびしさを捕食して生きてやる

節の少ない鉄のブランコガチャガチャと縄のそれとは別物として

ちゃんと命と向き合ってないと突つきたる鳥よお前は雄だったよな

ポリューションのようなり生は浴室で洗い落とせぬかたまり濡れて

流行水を家内が買ってきたという友よアクィナスを嫁に読ますな

弟子をみて師匠がわかるもともとのやさしさをきみは自覚していて

あれ今日はつかれたぼくになつかしいポールサイモンの軽い音楽

いじめという無邪気な生の否定うけて夜道、黄泉路(よみぢ)になるまでくらし

猫はもう三世の因果を知っていて主人の来世を眺めては寝る

悲憤慷慨上戸の男駅前で明るい夜にも怒りつつ寝る

ノート手にハプスブルク家あったよねー懐かしいよねと笑う少女(おとめ)ら

コンテンツになってしまった彼のため彼女もいつか読者となりぬ

フリッパーズギターを少年ナイフから重出立証したき休日

ダルい体をごまかすように元気よく階段をあがる、ASIMOっぽいぞ

起きたればアップデートしてぼくがいる淡めの恋は消去されにき

百年に、いな千年に知己を得るまでこの歌のさひしきままぞ

呼吸するペースできみと歩きいてそのペースにてずれはじめゆく

褒賞と罰のあいだにぼくたちは遊んでいたよ、ここでおわかれ

ファイティングニモとジェラシックパークのシュミレーションをディスクトップに

生きるとは野暮なんであるやさしさの余分分だけ現世に残る

あめふればわれらはくらげ水の中かさを広げて駅を出てゆく

もうエヴァに乗りたくないときみは言う、乗れないわれはきみを励ます

感動で目を濡らしたら症状も少し楽にはなる心とは

WGIPってウェスト、ゲート、池袋、パーク?って、お前頑張るなぁ最後まで

もうどこにも行かない男とずっとそばにいてほしいわけではない女

烈々と生命力を注ぎ込んでオレゆえにオレは幸福な顔

宿命を断ち切るときは難が出ると仏教の法らしきを憶(おも)う

トレイシーチャップマンとかブルーとか知らないきみだ知る要もない

てんかふの匂いのせいでそういえばキツめの顔と思わなかった

精神の首輪のはなし、ちぎるとき首輪のつよさに負けたれば死ぬ

昨日食べたものも忘れて明日(あす)食べるものわからぬ、それはたしかに

この歌も三時のおやつ、甘すぎず固すぎずそして少しのおしゃれ

ニャーゴ水がなんなのかよくわからないいつかは終わる曲を聴いてる

目線さえ合わせなければ逃げられる逃げているのをみているひとみ

わかりあうためにはあらぬならべゆく文字列のきみときどきさびし


五音短歌

「蜜」
「秘密」の字を「蜜」にするその技に蜂はもうぼくである

「川」
この細い川に棲む河童(かわらわ)のおおらかっぽくなさそう

「不」
今思えばオトナっていえるかね若いだろ峰不二子

「逆」
逆回しの地球の川の水、海を吸うだが減らぬ

「嵐」
窓外は横なぐる嵐にてこの家はどこへ行く

「都会」
都会にて指を折るこんにちは、さようなら、さようなら

「冠」
落ちそうな冠を落とさずにうなづけばそれっぽい

「CD」
ネットから焼いたのもあれだけどアーティストまで不明

「資格」
現代を生きるのに要る資格持っているような顔

「蚊」
夏を避けて早い派と遅い派の蚊の進化はじまりぬ

2017年7月22日土曜日

2017年06月うたの日自選と雑感。

記憶というのは不確かなもので、これは覚えておこう! と強く思ったことが、ほんとうに覚えていられるかどうか、実はわからない。なんの衝撃もない、言葉に置き換える必要すらないようなささいな何かを、ずーっと覚えていることもある。

短歌を作っていると、ずっとあとになって、その短歌を作っていた時の気持ちのようなものが、まざまざと思い起こせることもあるし、どんな背景だったかまったく思い出せないこともある。そこには、あまりルールがないようにも感じられる。すごく物理的な、脳内のマッピングの距離、みたいな、味気ない結論になるかもしれない。

で、その、自分の短歌の、それにまつわる記憶ども。これがあるかどうかと、短歌のよしあしは、実は、なんら関係がない。なんら関係がないのに、まつわる記憶が多いと、「自分はこの短歌に思い入れがある」と思い込んでいるっぽい時がある。その短歌を、自分の半身のように感じ、自己愛を投入してしまうのだ。でもそれは、厳密には、その短歌への感情でなくて、その短歌を作っていた時間への愛着なのではなかろうか。

そういえば昨日、自分の短歌を語ることの難しさをつぶやいた。「これ、実話です」「ご想像におまかせします」「嘘っぱちです」。短歌自身は、その情報を、どう処理してもらいたいだろう? 難しい問題である。

自選など。

「癖」
久しぶりに会いたる友よオノマトペを口に出す癖が消えてさびしい

「含」
おやつにはバナナは含まれますか? あとバナナは差別に含まれますか?

「アップルパイ」
アップルパイになりたい? だすけまいねってみんなが笑う少し妬んで

「うたた寝」
おおなまずのうたた寝からのひるがえるまでの議論でひと傷つけき

「トビウオ」
すごいだろ、わが一族はディメンションをかるがる超えて風を知ってる

2017年06月うたの日自作品の30首。

「カタツムリ」
姿無きでんでんむしむしカタツムリお前はどこでこの世を看取る

「潤」
かびかびに湿潤したる関係をここちよいほどごっそり剥がす

「亀」
ふるさとを一度見たいが無理だろうミシシッピガメは(生まれは愛知)

「デニム」
小汚い彼の履きたるジーンズは舐めたら塩辛そうだが高価

「癖」
久しぶりに会いたる友よオノマトペを口に出す癖が消えてさびしい

「浴」
どちらとも受け止められる言い方をルノアール美人と彼は言ってた

「いい加減」
晴れているけれど心は消えそうでそこそこいい加減なる世界

「部室」
卓球部の部室にあった森高のビデオのせいで、ひとつの癖(へき)は

「SEX」
シリアルの朝食みたいなセックスと言われて以来食べたことない

「自由詠」
心とはブラックホールにもなってズドンと落ちる戻れるかしら

「父」
武勇伝でなくてもよいとお互いがわかってまたも父と子になる

「育」
主義主張信条なくとも育つ子の言う尊さは儚さと似て

「パスワード」
未来へのパスワード忘れちまったこの先ずっと未来なきいま

「蛾」
蛾か蝶かはっきりしないこの人の鱗翅(りんし)を褒める、蝶の笑顔だ

「資格」
月の資格みどりの資格火の資格再生の資格自身の資格

「紫芋」
内ももの打撲のあとが、そういえば沖縄土産のタルトがあった

「含」
おやつにはバナナは含まれますか? あとバナナは差別に含まれますか?

「乳」
乳酸菌にこだわっているきみ裏でヤクルトおじさんと呼ばれているよ

「森」
眠る森は日が昇っても眠る森、文明止むや否や覚むる森

「親指」
4本の親指をすべてくっつけてしゃがむかたまり、ムイをしている

「かたつむり」
先のこと考えたってかたつむりあじさい咲きほこってるあいだ

「アップルパイ」
アップルパイになりたい? だすけまいねってみんなが笑う少し妬んで

「うたた寝」
おおなまずのうたた寝からのひるがえるまでの議論でひと傷つけき

「歩」
意識高い新人がきてなんとなく休憩時間の歩兵気まずし

「都会」
この川を渡れば都会、何万の君がいるけど君には会えぬ

「荷」
お荷物になりそうなのを察知してグリーンカレーを挑戦したる

「長雨」
たぶん最後の長雨だから終わったら天地をくるっとひっくり返す

「丼」
丼を底から食べる二人にてその諦めも期待も同じ

「トビウオ」
すごいだろ、わが一族はディメンションをかるがる超えて風を知ってる

「帳」
缶ビールが冷えきっているとばっちり夜のとばりの向こうにきみよ

2017年7月2日日曜日

2015年06月の作品と雑感。

今年も半分が終わったことになる。この6月はなかなか中の人の個人的にしんどいものがあった。解決したわけではないが、人生は、小病小悩であるのがいいらしいので、悩みや病いが、大きくないうちは、オーケーとするか。

筆記具によって、短歌は変わる。
短歌のはじまりは、おそらくその筆記具は紙と筆で、これは、1945年の戦争の終わりくらいまで続く。そこから、紙は変わらずとも、筆はペンへと変わり、1980年後半から90年にかけて、ワープロ、パソコンと変わり、ここからは個人差があるだろうが、2005年あたりから、携帯端末などによる、指操作で短歌は作られ始めた。

つまり、筆記形態がこれほど変わるとは、ここ50年以内には想像も出来なかったわけで、正岡子規なども、当然想像もできなかったはずだ。もちろん、彼は新聞記者だったので、活字と筆のバイリンガル状態について、何かしら考えがあったはずだろうが。

しかしそれ以上に変わったのは、短歌を詠む、短歌を読むのに、充てられる、時間かもしれない。いや、詠む方に関しては、啄木は一晩で一冊分の歌を詠んだし、もともと、多作と寡作の人がいる。

あ、違う、作ってから発表するまでの時間が、SNSによって実質0時間になったのが大きいのかもしれない。

いったい何の話かというと、筆記用具の話ではなくて、現代の短歌は、短歌にかかっている時間によって規格されているのではないか、という話です。単純に短い長いではなくて、適度な時間がかけられている歌、そういうのは、よい歌なのかもしれないな、という話でした。

自選など。

無言とはひとつの羞恥、現代に歌多くして取り囲まれて

茶樹茸をちゃくちゃく噛みつ明日を生きる命の為に菌までも食い

舞楽而留の当て字ぞたのし言霊と詐欺の過去など遠く離れて

ほんとうに未来が好きかボーゲンで加速度殺しても加速する

亀虫の死骸に蟻が集まって十匹以上のありがとう見る

うつし世がいかなるものにあるとして飲み物はなべて清涼を売る

あんなにも希望を愛していた君がそれゆえ些細な幸福の骸(むくろ)

しあわせはからだのぬくいところからわくよと言われしばらく残る

てのひらがてのひらを待っていることをそのてのひらがないことで知る

六法全書を破り捨ててと歌いいてロックというか法科生じゃん

新宿駅ホームを歩く万人が仏とならん未来(みらい)の未来(ミライ)

ゴムのようなオノマトペにてイントロを歌っておりぬライクァヴァージン

テロリストもスマホの設定する時にこうべを垂れて木のように立つ

30年後夢に見るかもしれぬため少し長めに抱きしめている

風がずっとページをめくる教室の俺は亡霊、お前は不在

老いた馬と若駒と仲よさそうにそれぞれがその生のみを知り

しじまとは一つの音ぞ、この音が聴こえぬところが宇宙のおわり

試験場の時間が止まっているような食堂でレスカのさくらんぼつつく

要するにお釣りが返ってきたんだと長老ゾシマのページをめくる

2015年06月の60首。

こまごまとよりこまごまとしたことでいのちの質が決められていく

寝ることでほとんど解決させるため鳥を寝させてわれも閉じゆく

やがて死し臭くなりゆく者たちがそうなるように多くいさかう

6月の色に黄色を選びたるお前に話す時かもしれぬ

無言とはひとつの羞恥、現代に歌多くして取り囲まれて

6月の俺がまた来る無敵ぶり世界を強く揺さぶる強き

茶樹茸をちゃくちゃく噛みつ明日を生きる命の為に菌までも食い

プリオリとポステリオリの前にいうコミュニケーション苦手なる「あ」よ

赤ワイン飲みし夜更けに手洗いの鏡に青い舌のわれおり

だんだんとではなくずっと罪深きヒトにてあれば先に進もう

舞楽而留の当て字ぞたのし言霊と詐欺の過去など遠く離れて

雨の音をボロボロ聴いているのです泣いてはなくて比喩でもなくて

雲多くでも降らぬ空のした歩くネットにいない人を思いて

ほんとうに未来が好きかボーゲンで加速度殺しても加速する

ねばねばの初夏の若葉はきいろくてしめりておりぬ逆らうがごと

ピロティのピロの部分の明るさと影の斜線が切る非情さと

寝るときはたしかに泥のわたくしの起きるときまだヒトガタならず

亀虫の死骸に蟻が集まって十匹以上のありがとう見る

うつし世がいかなるものにあるとして飲み物はなべて清涼を売る

懐かしい君はおそらく元気だろうレイバンのサングラス勧めて

あばら屋の物干し竿に雑巾がゆれている景、たとえてみれば

あんなにも希望を愛していた君がそれゆえ些細な幸福の骸(むくろ)

われのなかの悪意がやがて波となり迫り来るとき生きたきわれか

脳細胞破壊されゆく僕ゆえにキロ売りで君を買い集めたし

しあわせはからだのぬくいところからわくよと言われしばらく残る

ひっそりとひとりの夜を越えてゆく、土の下にて眠る日を思い

新聞をまるめて持ちておっさんが誰を殴りに行くでなく行く

てのひらがてのひらを待っていることをそのてのひらがないことで知る

連絡不要一覧にぼくの名はありて連絡しなくていい青い空

生きることの意味など知らねカリカリと頭蓋撫でられ目を閉じる鳥

もう二度と守られなかった約束の橋の半ばで流れるをみる

地下鉄のザジにあらねど少女ひとりホームのエスカレータで遊ぶ

六法全書を破り捨ててと歌いいてロックというか法科生じゃん

狭量な生きものとして終えゆくか偉大なる夢かつて追いしも

隔てたる時間はわれを守りつつ君は魅力を増してあるらん

思い出し笑いはおろか思い出し涙もあえて語らねど、わりと

新宿駅ホームを歩く万人が仏とならん未来(みらい)の未来(ミライ)

笑うとき君の肩まで飛んでくる鳥がいるので笑わせたりき

ゴムのようなオノマトペにてイントロを歌っておりぬライクァヴァージン

テロリストもスマホの設定する時にこうべを垂れて木のように立つ

いっさいをいっさいがっさい覚悟して明るいままでここは越えよう

そんなことを心に訊いてみる馬鹿があるものか怖(お)めてかなしきそれに

要するに弾丸列車ならざれば盈欠(えいけつ)しゆく夜の穴見る

前輪を盗られたる自転車を引いて帰路、遠景に観覧車ひかる

世界一しあわせそうな顔を見ていられるならばこの生きものは

30年後夢に見るかもしれぬため少し長めに抱きしめている

家の前で少女はもたれ待っている美しからざる生のしあわせ

かすかなる猥褻の香を漂わせ庭園の外も朝になりゆく

風がずっとページをめくる教室の俺は亡霊、お前は不在

今は雑な夫婦にみえてあの時は過去世からのやりとりをしき

老いた馬と若駒と仲よさそうにそれぞれがその生のみを知り

出来心のお詫びのようにゼラニウムひと鉢置かれさびしかりけり

しじまとは一つの音ぞ、この音が聴こえぬところが宇宙のおわり

生きものに与えた痛みあますなく吾(あ)のあるうちに受けておきたし

砂漠からの帰り道にて不思議なり都に見たる月と異なる

永久影の眠りぞ覚めてドライブすカンディンスキークレーターまで

汚すべき早節もなく飄々(ひょうひょう)と矛盾ならざるものから捨てる

試験場の時間が止まっているような食堂でレスカのさくらんぼつつく

要するにお釣りが返ってきたんだと長老ゾシマのページをめくる

一握の土で出来てる僕だからヒトの気持ちは少しはわかる

2016年7月10日日曜日

2016年06月うたの日雑感。

なんというか最近の自身の老害感がひどい気がして、余計なことや昔話を話してもしょうがないんじゃないかと思うのだが、逆に考えると数名の人が目を通す場所に過ぎないんだから、こういうところにこそ書いて、しずかにスルーされてればいいのかもしれない。

今日は参議院選挙の投票日ですね。
あれは魯迅だったかなあ。革命と文学の関係について、文学は革命の前と後にしか存在しない、革命の前は不満であり、革命の後は懐古である、みたいなの。

そして、渦中には、文学はないのよね。

それはともかく、政治と文学、政治と短歌というのは、古くからあるテーマではあるものの、うかつに入り込もうものなら、やけどどころか、火だるまになりかねない困難さがある。

文学史的には、プロレタリア短歌とか、第二次大戦の戦中詠なんかもひろく政治と短歌の話題といえる。

普段の歌会でも、批評の言葉として、「スローガン(標語)になってる」とか言う場合があるし、短歌が政治的になると、まあいい歌にはなりにくくなりますね。

(短歌が政治的になると、いい歌にならないというのは、本当は、かなりシリアスに突き詰めなければならない問題であるのだが、ここでは措く)

万葉集のはじめのほうの歌群は、天皇は国を褒め、貴族は天皇を称えるという歌が続いていて、和歌という事業がとても政治的であったことが伺える。(政治的でもあったし、宗教的でもあった)

和歌というのがそもそも皇室の歌形式なわけだから、プロレタリア短歌なんかは、このあたりけっこう苦しんだりもしたのだろうが、学生運動の時期に岸上大作とか、反体制の歌人なんかもあらわれて、短歌はなんとなく「青春」「反抗」みたいな側の人も歌えるものになって、現在はある。(ごそっと端折ってるなあ)


自作品の雑感あまりしてないな。タイトルと合ってなくなってきている(笑)。

自選。
「蛙」
ぼくはもう旅客機の窓に付くカエル、あえなく青い空へ落ちゆく

「舞」
人の生を座標固定で眺めれば舞(まい)にはあらず、舞(まい)とはおもう

「都会」
なんかもう都会の人になったねえ、やんわり撥(は)ねてゆく旧(ふる)き友

「顔」
顔などで好き嫌いなど決めさせぬ決意の絵かもジョルジョ・デ・キリコ

「今度」
この界も数字に支配されたので見捨てていこう、ではまた今度

「人名」
この歌書によると古代の日本には黒人もいて赤人もいる

2016年06月うたの日作品の30首

「理由」
それできみは行くのか夏が来る前の早めの蝉のような理由で

「記憶」
またここだドミノの列はどうしてもきみの記憶が倒れてくれぬ

「蛙」
ぼくはもう旅客機の窓に付くカエル、あえなく青い空へ落ちゆく

「列」
後列で自分の番を待つことの不安のことねきみの「未来」は

「進」
進化などしたくなかった顔をして水に飛び込む、でもうつくしい

「ドラゴン」
友達のたとえによると休日の彼はドラゴンらしい、なるほど

「舞」
人の生を座標固定で眺めれば舞(まい)にはあらず、舞(まい)とはおもう

「嘘八百を並べてください」
真実より言葉を選んだ罰として八百万首の短歌刑受く

「SEX」
セックスはできないだろう、この先にきみとSEXをする日があれど

「自由詠」
健診のあとは激辛ラーメンでいそいで取り戻す不摂生

「17時」
17時の少年がふと立ち止まる、食卓に別の僕がいる家

「蜜」
蜂蜜の飴ばかり食べているきみがまた効能を語るのを見る

「都会」
なんかもう都会の人になったねえ、やんわり撥(は)ねてゆく旧(ふる)き友

「かたつむり」
移動への欲は四肢にも翼にもならで遠くは見たいかたちの

「顔」
顔などで好き嫌いなど決めさせぬ決意の絵かもジョルジョ・デ・キリコ

「虹」
車から身をかがめつつ見る虹のロマンチックがやや近すぎる

「液」
たましいを溶液にしたときみがわらう雷の夜に言うからリアル

「今度」
この界も数字に支配されたので見捨てていこう、ではまた今度

「罪」
『罪と罰』を(ばち)って読むと身から出た錆びっぽいよね江戸時代だし

「従兄弟」
祭日に一族で食う従兄弟煮(いとこに)の子らはおいおい部屋へ籠りて

「ただいま」
いきものの居並ぶ場所でおかえりと言われたいわれは言葉をさがす

「堀」
乗り越える者も迎えて討つ者もなく水鳥になめらかな堀

「人名」
この歌書によると古代の日本には黒人もいて赤人もいる

「にんじん」
しりしりを頬張って噛む、友人をにんじんで刺され亡くしたていで

「利」
かけがえのない権利だがオークションの〆切りまぎわもつかぬ買い手は

「熱」
猫加減はいかがですかと尋ねられ向こうが熱くなけりゃこのまま

「塾」
塾生のためと言うけど新婚の塾長の差し入れ料理は甘し

「吸」
吐いてから吸い込むような人だった、はじめの頃はそれもよかった

「院」
退院祝いの食事なんだが激辛のラーメンを選ぶお前を許す

「総」
観せるんじゃなかったここに来るまでの過程を飛ばした総集編は

2016年7月9日土曜日

2014年06月作品雑感。

短歌という文芸作品を鑑賞するさいに、「何を」「どのように」という二つの軸が批評に据えられることが多い。

いわゆる主題と技巧の問題ですね。

で、二人のアイドルのユニットがいたら、自分はどちらが好きなのか、誰からも訊かれてないのに、つい真剣に考えてしまうように、「何を」と「どのように」の、どちらを重視すべきなのか考えたことがあるだろう。
むろん、どちらも大事なのだが、時期によって、おれは主題だ、わたしは技巧だわ、と決めたくなるものなのだ(なんやこのジェンダー)。

雑誌も定期的に、この議論はローテーションを、かつてはしていたようにみえる。

いまはネットでもたくさん老若男女が短歌を作っているので、ピンと来ないかもしれないけれど、短歌って、しばしば、滅亡論とセットで議論されていて、若手なんかは、けっこうこれからの短歌はどうするべきか、という答えのない問いに放り込まれていたものだった。

そんな空気の中で照屋が考えていたのは、主題と技巧の問題は、「誰に」という対象を設定することで解決するのではないか、ということだった。歌う対象、じゃなくて、歌いかける対象。

この立論はうまくいかないまま照屋も実力が伴わないのでそのままになっているが、何かいまでも気になっている。何かの打開になると、たぶん信じている。(現在では、「誰に」もさることながら、「うたう」ということも大きいような気がしている。

いま、けさのまにえふしふ(万葉集)という、満員電車で揉まれながらちょっとずつ読んでいる万葉集の感想メモをツイッターでつぶやいているが、万葉集の雑歌、相聞、挽歌はそれぞれ、「誰に」うたいかけているかで分類しているように思っている。すなわち、自然に対して(雑歌)、恋する者にたいして(相聞)、死者に対して(挽歌)。

「誰に」うたいかけているのかを突き詰めていくと、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』ではないが、詩の幹みたいなところに、自分がいるのを感じるのではないだろうか。

あなたは、誰に、うたいますか。

自選。

一貫目蝋燭の火が風もなく捻(ねじ)れ黄色く世界も捻れ

ブロック塀の根際(ねき)にドクダミ地味に咲き愛でるわけにはあらず気になる

蛇の神は漢訳に龍と化身して逐語訳せぬ信仰を思う

誰に会うわけでもあらず梅雨だくの外へ牛丼食いに出るだけ

目の答えは見ぬようにして質問に答えるたびにくだるきざはし

六月といえ雨降れば寒かりし外キジバトがくぐもって鳴く

ようようよう朝の明かるき梅雨雲と地平のすき間は、(ラップみてーだ)

味噌とゴボウの香を含みつつ飲む汁よ人間界の苦楽なつかし

成ぜねば短命よりも長寿こそ哀しかるらん、昨夜(きぞ)からの雨

母の周(まわ)りを子はくるくると回(まわ)りおり手伸ばせばきっと届くあたりを

月が大きいだが影がない帰路の手に下げている向き合わざる感情

秘曲ゆえ知らぬというか秘曲という存在さえも知らなくて生く

人間は間接的に食べもして梅雨時期らしい目で二人いる

詩にてなおあたりさわりのなきことを述べて齢(よわい)となりにけるかも

利己的に生まれて利他を学習し自己とたたかう生命(いのち)とは愛(かな)し

280年後のテレビドラマにて適(かな)いし曲を書きしバッハは

奥底(おうてい)に何の願いのあるわれか膝まではない沼地が続く

驚くべき災害のあと生くるのも死ぬのも卑怯にみえる、夏枯草

跳びはねては沈んでイルカは繰り返し等速でわれは年老いていく

本当に花が飛んだと驚いてそのまま視界をわたるモンシロ

まだおしゃれして遊びたい母親が子を保育所に昏く預けて

バファリンで言うならここは半分の文系的な宇宙解釈

2014年06月の60首

冷蔵庫の氷が落ちて静寂がさびしくて少しあたたかき夜

一貫目蝋燭の火が風もなく捻(ねじ)れ黄色く世界も捻れ

木の箱に原稿少しずつ満ちて締め切り前の化合物まぶし

マッチ箱の形容ももう百年を経てラッピング電車並び来(く)

ブロック塀の根際(ねき)にドクダミ地味に咲き愛でるわけにはあらず気になる

今日の幸、今日の不幸をひとつ決め小さく生きるを今はよしとし

正しさで人を断罪する夢のその両方の快楽ぞ憂し

孤独とは孤高の初段、自意識の合わせ鏡にまた他者を出す

世界を語る資格はなけんこの部屋でペットボトルを転がすわれは

君のためかつて使いしフレーズをふたたび使う、こなれて浅き

この曲の歌詞を離さず持っていた記憶なつかし、少女にしあれば

蛇の神は漢訳に龍と化身して逐語訳せぬ信仰を思う

寝る為に生きるにあらずと言い切れず早々と寝る、もういくつ寝ると?

富者は驕り貧者は僻むまさぶ(淋)しさ上衣(うわぎ)を引かれわれも入りにき

誰に会うわけでもあらず梅雨だくの外へ牛丼食いに出るだけ

目の答えは見ぬようにして質問に答えるたびにくだるきざはし

六月といえ雨降れば寒かりし外キジバトがくぐもって鳴く

探究の綱を手放す瞬間の楽な落下と余る思念は

歌はうった(訴)う、けれど同時にマネタイズせねばならねばネットでは止む

ようようよう朝の明かるき梅雨雲と地平のすき間は、(ラップみてーだ)

「だとしたらもともとそういうものなのだ」そうやって知る事実いくつか

味噌とゴボウの香を含みつつ飲む汁よ人間界の苦楽なつかし

しんどくてリタイアしてもかまわないマラソンならば意外に続く

成ぜねば短命よりも長寿こそ哀しかるらん、昨夜(きぞ)からの雨

母の周(まわ)りを子はくるくると回(まわ)りおり手伸ばせばきっと届くあたりを

新品の電子機器なる匂いして君の衣服の中に鼻寄す

月が大きいだが影がない帰路の手に下げている向き合わざる感情

秘曲ゆえ知らぬというか秘曲という存在さえも知らなくて生く

満月を過ぎれば既望、このあとは日々確実に新へと向かう

人間は間接的に食べもして梅雨時期らしい目で二人いる

どこまでも愛を放出するような歌つくり今日の予定は変えず

涙のことを歌えば歌はピンクッションの途中で刺さったままに留(とど)まり

大御所の演奏は良し悪しを超ゆ芋を飲みつつ聴く老ロック

詩にてなおあたりさわりのなきことを述べて齢(よわい)となりにけるかも

利己的に生まれて利他を学習し自己とたたかう生命(いのち)とは愛(かな)し

末代までの恥など知らず傍流は傍流らしく跳ね返りゆく

280年後のテレビドラマにて適(かな)いし曲を書きしバッハは

おそろしく舐めた目をする部下かつてのわれに似おれば背の汗垂るる

少し先の季節の過去ふとよみがえる冷蔵庫で冷え切ったる浴衣や

輝くのは若さか老いかオクシモロンと言うには老いのさまざまにある

階下われにひときわ高い声で鳴く飼鳥よ早く君に会いたい

奥底(おうてい)に何の願いのあるわれか膝まではない沼地が続く

メメントモリは取り憑くと聞きああそうかそういうことかと思いが至る

色百首編めばおそらく早々に情愛を示すそれの登場

人類の叡知がひとつ進むとき託しつつ去ってゆくもの多し

心許すゆえに吐きたる暴言や不機嫌をいつか仕様と思う

悲惨なる一瞬の死とそを思う長きひたすらながき生はも

背景の背景にふと震災が涙のごとく押し寄せてくる

驚くべき災害のあと生くるのも死ぬのも卑怯にみえる、夏枯草

跳びはねては沈んでイルカは繰り返し等速でわれは年老いていく

夕方の雀であるか電線に止め具のように並んで待てり

文学少年というひとつの生物が手を横に引く、よりみちに見ゆ

ささくれを突ついて痛い愛情を拒みつつ受く受けつつ痛い

食パンを噛みつつ信ず友情の太さではなくその分厚さを

本当に花が飛んだと驚いてそのまま視界をわたるモンシロ

はみ出たる腹をさすりてわが身はや地球より軽く鴻毛に重し

まだおしゃれして遊びたい母親が子を保育所に昏く預けて

バファリンで言うならここは半分の文系的な宇宙解釈

生ハムをかじってワインなめながら若きディランの風刺聴き沁む

旗の色を顔にペイントしゆくときしびれておりぬ、二つ意味にて

2015年12月6日日曜日

2013年06月作品雑感。

6月の短歌だ。こう現在の季節とちがうと、感想を書きにくい感じがありますね。

  かたつむりを知らねば恋えぬ紫陽花の発色のピーク過ぎし一角

かたつむりは、本当にみなくなったもので、かつては、アジサイのイラストには、必ずといってよいほど、葉の上にかたつむりが描かれていましたが(いやイラストではなく現実にも葉にいたものです)、現在は、アジサイは見るものの、かたつむりは見てないですね。

動物は、植物よりも種族として弱いのかもしれません。

  あと何度ぽっかりと胸に穴を開け前後左右にさみしさに圧(お)さる

慣用句とか、ベタな組合せとか(あじさいにかたつむりとか)に対するメタな視点は、日本では、ある時期からもうずっと飽和していて、それがけっこう知的レベルの高い行為である、という意識すらない状態になっているので、現代において表現行為は、どこか二次創作的な雰囲気をともなうことがある。

そして、やっかいなことだが、こういうメタ視点というのは、反転したり、一周することで、同じ言い方に戻ってくることがある。すなわち、ベタを避ける→あえてベタに行く、の反復作用が起こるので、評価が分かれてしまうのだ。

または、ベタな慣用表現が、ある心情を実にうまく言い表していたことを発見するプロセスというのもあって、上の「ぽっかりと胸に穴」なんて、ベタなんだけれども、ここはベタで、いやベタがいい、みたいなことになったりする。

恋すると、浜省がグッと沁みるみたいなね。なんの話やねん。

自選。
  メルカトル図法の北は限りなく引き伸ばされてそれゆえに冷ゆ

  ようやくに夜を惜しまずなる生となるか、車を聴きつつ眠る

  腐りたる叢(むら)より光る虫ひとつ天にのぼると見れどただよう

  夭逝するほど才をもたねば人生は長くて楽しくてわからない

  町よりも土ふたつ書く街に住み記憶の土はいつのぬかるみ

2013年06月の30首

桜の実の歩道の黒き染みとなりふつふつと歩く六月たのし

かたつむりを知らねば恋えぬ紫陽花の発色のピーク過ぎし一角

えのころのいっせいに風に撫でられて自業自得の男沈めり

あと何度ぽっかりと胸に穴を開け前後左右にさみしさに圧(お)さる

製氷器に水を注ぎつ、満ち足りてあとは時間が崩していきぬ

メルカトル図法の北は限りなく引き伸ばされてそれゆえに冷ゆ

見た目にも心地良きこころざしもなく生きいる人と水平におり

君の目の太陽と月は今は少し月光が強く包んで白し

人類史に我とう偽史を挿し入れて撹拌されたホイップましろ

ようやくに夜を惜しまずなる生となるか、車を聴きつつ眠る

淡々と続きを生きていく日々のなお眈々とする時もあり

カロリーにて生くるにあらず、昼を抜いてケーキセットに至る心の

雨に濡れて吾を見よとぞ紫陽花のあざやかに濃きひとむらの黙

腐りたる叢(むら)より光る虫ひとつ天にのぼると見れどただよう

眷属は鏡のごとし、後輩の浅ましく上手い行為に沈む

複雑性悲嘆にも似て絶望は時に快楽(けらく)となることもある

懐かしい一角に来て木造のアパートと過去が無いことを知る

路地裏に夕餉の香りたなびいて、見えておらぬがたなびくでいい

燃焼の同義にて生、汗にじませ夏至近き日の全部肯定

夭逝するほど才をもたねば人生は長くて楽しくてわからない

雲なくばオレンジ色の月を背に帰るにあらん夏至の家路を

生活に"馴れて"思いしにわが声が李徴か虎か不意に迷えり

肯定のらり否定くらりと終わらない電話、予定を潰して聞けり

雨上がりの恐竜児童遊園に使用禁止の遊具くぐもる

何もせぬ男が抱く絶望も希望も幻肢の痛みと似たる

町よりも土ふたつ書く街に住み記憶の土はいつのぬかるみ

天道も是々非々にして現実を丸呑みにするクジラ泳がす

白樺の皮を削りて「奮迅」と手書きしただけのスーベニアあり

仏典に慈悲魔、魔仏のあらわれて魔とは反転、いな、鏡映か

六月の終わりの朝のあたたまる前の空気とコーンフレーク