2017年10月20日金曜日

伏屋なお作品評

「うたの日」の128首から、20首選ばせていただきました。


飛行機が空を切り裂く真夜中に屁が出て終わる僕らのケンカ
  
  上の句の描写の、修復不能な破滅を思わせる裂け目から、屁。力の抜け具合がステキだ。

街で遭う二オイに恋と知らされて煙草の灰で君が出来てゆく

  特撮の映像のように、香りで出来た君が立ち現れるさまが見える。

門限が近づく夜のバス停で送ってと言えずコスモスの花

  この物語感はおそらく作者の得意技だ。心地よい風景。

deleteをしようとしてるだけなのに改行ばかり押すiPad

  あの先に進めず何回も同じことやる感じ。わかる!(笑)

散る前に私に咲いてくれたのね姿見に映るノウゼンカズラ

  植物との距離と気持ちのバランスがいいと思う。鏡越しなんだよね。

あまりにも不出来な味のみそ汁も許してくれる菜園の土

  この作者は、文をつなげるのではなく、語を配置するタイプなのかもしれない。結句の小ジャンプが心地よいのよね。そして内容のすごくいい歌だと思う。

教室のどっちにいても彼を追い僕の近くで揺れる天使の輪

  むこうの彼と、それを見る彼女と、自分。でも、誰が誰を好きな設定にしても、彼女の髪が揺れているだけで物語が成立している。コレイイナしたかも。

賛美歌の美しさから溢れ出す頬になみだの熱懐かしく

  この歌は「懐かしく」がやはり良くて、今と当時のあいだに”そうでない時期”があるわけで、それを想起させる構造になっている。決して奇抜な言葉は使わないが、品があると思う。  

お互いが屋根であることに気が付いて共に暮らし始めた「屋根の日」

  実際にある屋根の日でなく、自分たちの屋根の日なわけで、その理由も、記念日名称も、ただごと感があって面白い。

最後の日 配置替えでここを去る友とコーヒー飲んだコンビニ

  ああ、この作者の、力が入りそうなところで、スッと力を抜くのが、熱でなく辺りの暗さでひかるホタルのような一首のよさを生み出しているんだ、と思う。コンビニの安くてうまいコーヒーで、でも友との別れ。

「泣かんどき」頬に手を当て微笑んで遺言までも父親だった

  平易で、まっすぐなものをうたうことは、何周かする心境の波のようなものがあって、揶揄するのも、開き直るのもよくなくて、作者は、このあたりの感覚が、優しいんだと思う。

毒親と不意に呼ばれた細道で濡れ衣だよね毛虫の卵

  これもいい歌で、だれも、自分だけは自分をそうは思っていない、つまり、誰かを指す(刺す?)ときだけに使う言葉というものがあって、「毒親」って、そういう語だ。それを呼ばれた側の視点で詠むところに、作者の世界観がある。

茶柱が偶然に立つ趣をアトランティスの古都に触れつつ

  これは茶柱とアトランティスの距離感が面白い。関係なかろうが、古代都市って、建物の柱だけが残ってたりして、この”柱連想”でなんかつながる。

遠足の弁当に添う母の手紙うれしさの中隠れて読んだ

  不思議な歌だ。これはもうシチュエーションの情報が足りない。足りないが、絵として出来上がっている。

マッコリの生成(きな)りの色に白無垢を見つけて欲しくてゆっくりと注ぐ

  韓国では、男は三つの白に惚れる、という話があるが、そのひとつがマッコリで、それに、和装の語である白無垢を持ってくるのが面白い。

幸福駅行きの切符を渡されて君のはあるか訊くのがこわい

  コレイイナしたかも。君がいなくても幸福には行けるんよね、幸福行きだから。でも、こわいという感情。

似顔絵師が描(か)いた私の特徴に顔で笑って心で泣いて

  あれなあ(笑)。どんな人も醜い人間に描く似顔絵術って、あれ、なんだろうね(笑)。

箪笥(たんす)の裏から出てきたビー玉がここでの日々をシネマに変えた

  この歌のような、短歌を映像化する技術は、ずば抜けていると思う。別の表現のベースをもってらっしゃるのかもしれない。

湯治場の真白き乳(むね)を見せ居りぬ少女は街で夢二を纏(まと)う

  短冊にしてもよいような美しい歌。

祝事(ほぎごと)やしずしず歩くしじら織瓶覗(かめのぞ)き色の君に見惚れて

  この20首選は逆時系列なので、2017年03月から10月までの作品なのだが、初期における語の選択は豊潤で、この半年で、戦略としてその傾向は減らしているのだと思いますが、ここはなかなか難しい話になりますが、うたの日とは別のところででも、維持をされていればいいなあと私は勝手に一読者として思います。これはきわめて現在の話なので、誰も正解がない話のように感じています。

以上、20首選からの、コメントの、だんだん私的な便りになってる感じの、伏屋なお作品評でした。

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