2021年9月25日土曜日

土曜牛の日第39回「こんど飲もうよ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

先日、宮沢賢治のやまなしを久しぶりに読むと、あれが大正の作品だったことを改めて知る。宮沢賢治の文体は、誰しも一度は「出会う」と思うけれど、出会うってことは、生きているわけで、たいした寿命だな、と思うのだ。

近代短歌論争史昭和編の5章は、「斎藤茂吉と高浜虚子の客観写生論争」。客観写生を確立していた高浜虚子が斎藤茂吉を招いて、『ホトトギス』誌上で短歌と俳句の写生の比較をこころみたものだった。

茂吉は客観写生に反対したが、①短歌と俳句は短歌の方が主観的で俳句は客観的である。②写生は実相を写すものであるから、主観や客観に限るものではない。③したがって俳句が客観写生に限定するのは範囲を狭めることである、という理由からであった。

しかし虚子は短歌は主観写生がその長所であり、俳句は客観写生こそが俳句本来の面目であると、少しも揺るがなかった。そして、茂吉が提出した客観写生の短歌を、俳人側はほとんど評価しなかった。

これに対して茂吉は憤然として「和歌に対する鑑賞眼の低級なのに驚いた」「態度の幼稚さ」「和歌の初学者にも及ばず」とあの調子でやりかえした。驚いたであろう虚子は、控えめに返答したが、意見がゆらぐことはなく、もの別れに終わった議論だった。

この論争は、何も生まなかったようにも見えるが、俳人の中でも水原秋桜子など客観写生に飽き足らない者は、茂吉の写生論へ近づき、のちの新興俳句運動への下地へとつながっていくものであった。

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近代短歌の写生は、ふりかえると、やはりいびつな定義に思われる。ものを写しとる、という行為において、客観と主観は、明確に分かれるものでもない。言葉で写すとなおさら、その言葉の選択が客観か主観かを論じるのは、フレーム(枠組み)の問題になってしまうだろう。茂吉は、そのフレームを認識しているメタな主体をも写すことを実相観入と呼んでいるのだろうが、斎藤茂吉のおかげで、日本人は、客観と主観をローコンテクストで判断できない病気にかかってしまっている。

正岡子規のいう写生というのは、せいぜい説明せずに描写せよ、くらいの意味だったはずなんだよなぁ。

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  七首連作「こんど飲もうよ」

人類の最初に花を供えたる変わった人を思う休日

思い出は尽きないなんて言うけれど、無い思い出もみえる時代に

沼なれば泳ぐというか潜るちゅうか汚れを気にせず進むがたのし

漸進ということだろう、カタツムリのけっこう速い遅さについて

理想論だけどさ、お金は足りなめで虚勢を少し張る男たれ

シラケてた時代も終わり、見渡せばシラケてたのはここだけだった

オレたちはいつまで虚像? 作中の主体同士でこんど飲もうよ


2021年9月18日土曜日

土曜牛の日第38回「そんな物理へ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史昭和編の第4章は「斎藤茂吉と太田水穂の<病雁>論争」だ。昭和4、5年(1929-30)のこの論争は、茂吉の「よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだに居よ」という歌を、太田水穂が、芭蕉の「病雁の夜寒におちて旅寝かな」の象徴の模倣であると書いたことからだった。

茂吉は例によって、語義出典を調べまくり、宋の『誠斎詩集』に「病雁」があるので芭蕉のオリジナルでないことを示した。そして、芭蕉の句が帰雁(春)であるのに対しこちらの病雁は秋の季であることを説いて、模倣を反論した。さらに、太田水穂の象徴主義が、アララギの写生即象徴の方法論よりも非論理的であることを攻撃した。

そこからの斎藤茂吉の太田水穂攻撃は執拗をきわめて、「太田水穂の歌を評す」は1〜7まで、「太田水穂を駁撃す」は1〜5まで、「太田水穂の面皮を剝ぐ」は1〜4までと、アララギ誌上で、太田水穂の作品、人格、批評、私信まで晒して徹底的に攻撃を行った。これには、茂吉が論争には勝ったとされているが、アララギ内部においても、冷ややかな反応となり、茂吉はやや浮いてしまうようになった。

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この時代は、短歌の若い人たちがプロレタリア短歌にひかれるなかで、写生主義の『アララギ』と、象徴主義の『潮音』が、それぞれ、自分の主義を第一において、他を2番3番と位置づけていることの、三つ巴のような背景があって、太田水穂が斎藤茂吉にしかけただろうことが想像される。

短詩において模倣、剽窃、暗合、は、死活問題っちゃあそうなんだけどね。現在ではこういう戦い方にはならんわねぇ。

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  七首連作「そんな物理へ」

早食いのように思想を飲み込んで塩と甘さと油でうまい

キンモクセイの花言葉が謙虚だなんてふふっと笑うふふっと香る

メメント・モリみたいな気取ったものじゃなく死ぬる命として夜眠る

戦争になったらぼくらどうしよう勝てる方へとカニ歩きしそう

死ぬことはそんなに悪いことじゃない永遠が永遠に終わるだけ

白樺の林を歩く、包帯を巻いた少女のアニメも終わる

再生(Renaissance)に犠牲が要るか、だとしたら手も合わせるぜそんな物理へ


2021年9月11日土曜日

土曜牛の日第37回「ありのまま」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

結局あまりいいまとめ方が思い浮かばないまま、第三章「『短歌戦線』のプロレタリアリアリズム論議」へ進む。

プロレタリア短歌は昭和3年11月に無産者歌人連盟を結成し、『短歌戦線』を創刊する。無産者歌人連盟は、前身として新興歌人連盟があるが、こちらはすぐに意見が分裂して、メンバーの交代が何名かあって無産者歌人連盟となった。

もちろんプロレタリア短歌の流れはこれだけでなく、口語歌人のあつまりの『芸術と自由』があったし、地方歌誌「まるめら」の大熊信行などがプロレタリア短歌を打ち出していたし、そもそも文学全体として全日本無産芸術家連盟(ナップ)が結成され『戦旗』も創刊されていた。プロレタリア文学が勢いを増していたのだ。

坪野哲久は階級闘争の武器として大衆に叫びかける短歌形式はふさわしいとしながら、今の封建的イデオロギーの形式のままでは無産階級的内容を盛り得ないので、その形式を揚棄(止揚)しなければならないとした。

会田毅は、坪野の論を発展させて、プロレタリアリアリズムとは、「空想と想像に築きあげられた観念的な歌」を否定すること、「三十一音に依つて調子をととのへられたものではない」こと、「ごつごつした非韻律的なもの」を採用することだとした。そして、プロレタリアートの目線を獲得するには、プロレタリアートにならなければならないのだが、それだけでなく、それを目指す過程もまた、プロレタリアリアリズムだとした。

これに対して、新しい定型を提唱する大熊信行に接近している浦野敬は、この方法自体が観念的で単純であると批判したし、渡辺順三は、マルクス主義の公式理論や観念的革命理論を発表するには短歌は不自由すぎるため、無産派の短歌はいい意味で生活の愚痴の範囲は出ないだろうとの考えを示した。

伊沢信平は、プロレタリアの思想や生活が現在の定型にすっきりと作品として定着するはずがないとして、「定型律そのものに一定の歴史的限界がある」と結論し、プロレタリア短歌に歌学の適用はないとした。そして、形式と内容の矛盾の克服がプロレタリア短歌の出発点とした。

新形式をとるのか定型の止揚を取るのかを議論するも、自由律や短詩になることには全体として否定的であった。坪野哲久は「短歌的」なるものについて、「一息に言ひきることの出来る完了体としての詩型であること」「句と句との間に階級的な粘り強さが必要であること」を挙げた。プロレタリア短歌は、このように、形式と内容の不安定なバランスのなかで短歌的なるものを追求してゆくのだった。

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この時代のプロレタリア文学の跋扈はすごかっただろうね。自分がそれを否定できるとは思えないくらいの"完成された社会科学の結論感"があったと思う。同時に、日本文学や短歌への、"土足の蹂躙感"も、反対の人にはあっただろう。現在の、西洋のポリティカルな善悪に対する感じが、近いかもしれない。間違っちゃいないけど、なんにでもどこにでも適用する性急さは結局あなたがたの嫌う暴力と同じになるよ、ということを理論に対して提言するのは、簡単ではないんだよね。

思うに、昭和初期は、社会が良くない原因を、ぜんぶ封建的イデオロギーのせいにしたんだよね。だから、今ぜんぶ○○のせいにしちゃっているとしたら、ああ、昭和初期のあの熱病のそれだと思えばいいのかね。

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  七首連作「ありのまま」

太陽を地表がはなれただけで秋、君がやさしいだけでバリバリ

頑張らなくていいと言うのは気持ちいい蟻ならありのままついてゆく

謝らない嘘は心に永くいてそういう嘘といま飯を食う

人間の遠くつながる儀式ありて灯るからにはそれは火である

音のない写真があった、それについて目線の主に二、三言ある

人を見る目などないない、たまたまのでこぼこ道でいい人だった

考えの異なる人をどうしよう、殺すか殺されるか、じゃあなぁ


2021年9月4日土曜日

土曜牛の日第36回「恋だ」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

昭和の短歌論争史は前回もそうだが、どうまとめたものか定まっていない。第二章は「前川佐美雄と土屋文明の模倣論争」で、例によって排他的なアララギの、土屋文明が他結社の作品を時評で上から目線で批判していると、「心の花」の前川佐美雄が「行き詰つてしまつてどうにも動きのとれぬ今の『アララギ』の盲ら評だ」とつっかかり、土屋文明の作品の至らぬところを指摘して「詩の足りぬ側の人」とののしり、アララギの排他主義を攻撃した。

それに対して土屋文明は、前川佐美雄の作品が茂吉・赤彦の作品を模倣したものがあることを指摘して、批判しているのにアララギ模倣がうまいことをからかった。

前川は、あれはアララギ風の作品は容易であり、古いことを示すために真似をしたのだと反論し、師匠の真似をする寺子屋アララギでは行き詰まるのも当然だ、と言って、先輩格の土屋を激しくわらった。

この模倣論争はけんかわかれに終わったが、前川佐美雄はここでアララギズムとはっきり別れ、モダニズム短歌へ進んでゆき、土屋と茂吉はさらなる論争の準備をすすめるのだった。

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インターネットはSNS、とりわけツイッターによって、ある言葉のやりとりの空間を作り上げるに至ったが(これは今は当たり前のようだが、時代が変わると想像ができなくなるような、特殊な空間であるだろう)、この世界でも、他人の短歌を、きらくに上から目線でああした方がいい、こうした方がいい、と言うのを見ることがある(自分もかつてしたことがある)。

これに対して反論したところで、これが実りのある論争になるかどうかというのは、なかなか難しい。そもそも、相手をやっつけるような論争と実りのバランスは、本質的に悪いのではないか。現代において論争がないのは、論争すべき主義主張がないというのもあるだろうが、そのバランスの悪さを続けるにはわれわれの関係はスマートになってしまっているからではないか。

まあ、論争すべきなにかでは、短歌はもうない、という、元も子もない意見もあるだろうけれどね。

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  七首連作「恋だ」

食欲と食べたい欲がちがう夜こういう夜はよく間違える

会うことをやめたと決めたので恋だ卵黄はけっきょく破るのに

人生ゲーム、という比喩ともかくルーレットをいっつも強く回したお前

最近のゲームは終わりがなくなって永遠のゲームみたいな恋だ

骨の化石がのこったとある恐竜のさぞかし立派な竜生であれ

恐竜もこんなに愛くるしいように鳥類だけの地上の恋だ

ラブレターは読み返さない方がよい、初回限定のみに羽ばたき


2021年8月28日土曜日

土曜牛の日第35回「あらあら不幸」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

近代短歌論争史の明治大正編が終わったので、そのまま昭和編もやろうかと思ったのですが、昭和編は26章ですが一章一章が長いし、論争内容も、だんだん似通ってきているんですよね。

たとえば第一章「斎藤茂吉と石槫茂の短歌革命論争」は、島木赤彦の没後、反アララギのムードが盛り上がってくるにしたがって、石槫茂が「短歌革命の進展」という連載を始める。

プロレタリア文学の「伝統的短歌・結社組織=有産者階級・ブルジョア」「口語歌=無産者・プロレタリア」という構図にのって石槫はアララギだけでなく口語歌の西村陽吉や自由律の石原純・清水信、象徴派の太田水穂、モダニズムの前田夕暮も批判した。

それに対してアララギへの批判に怒った斎藤茂吉が長期にわたってしつこく反撃する。プロレタリア理論を模倣する観念的な石槫の態度をバカにし、その理論を一蹴し、さらには、アララギよりも先に自分の所属する「心の花」同人や佐佐木信綱博士、石槫の妻の五島美代子の作風を変えてから言ってみよ、話はそれからだと煽る。

そこでは、茂吉の「短歌は思想を盛りがたい」というテーゼについての議論もあったが、実相観入・写生という方法とプロレタリア短歌のあり方について深まるところはあまりなく、茂吉はアララギを守るリーダーとしての振る舞いもあったし、石槫は大正時代までのそれぞれを新しい理論ですべて否定するスタンスもあって、実作で時代が動く感じではなかった。

という感じになるのですね。(こういう感じになりますよね)

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大正時代は写実というアララギの方法論が主流となって、その周辺に芸術主義が対立していた、という構図になっていたが、昭和になると、社会主義からプロレタリア文学の主義が台頭して、短歌もこれに巻き込まれてゆく。プロレタリア文学は、それまでの芸術の主義というより、政治思想や歴史科学のような相貌をもっているので、正義か不正、善か悪、0か1かという中間のない議論になりやすい。この点で、昭和のプロレタリア文学の猛威は、令和の分断状況と少し通じるところがある。

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  七首連作「あらあら不幸」

かこかこと過去へと行ける角がある路地はいかにもあやしい感じ

アパートに帰りたくなる帰ったらわざと寝ている君がいるあの

蓮の花のあいだを白い車椅子のあなたを見たり見えなかったり

残業がまだある時代、きらきらをお金に変えて拗ねてる時代

地球人は地球のことを考えてファミコンのようなドットの荒らさ

狂人と狂人のふりが分からないようにあらあら不幸なわたし

縄文の土器みたいのが胸にあり人目に出せる日はまだみらい


2021年8月21日土曜日

土曜牛の日第34回「キャリーオーバー」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

緊急事態と文学は相性がいいでしょう。

近代短歌論争史明治大正編は最終章の35、「清水信と西村陽吉をめぐる新技巧派論議」です。

口語歌人の大同団結を目指して作られた雑誌『芸術と自由』は、口語歌であること以上の思想や理念の共有がなかったため、「西村陽吉と岸良雄の生活派論争」では生活優先か美尊重かが問題となり、「奥貫信盈と服部嘉香・西村陽吉の新短歌論争」では定型か自由律かが問題となったが、西村陽吉はその分断をうまくまとめることが出来なかった。

そこにさらに、口語歌のなかでも有力なひとりである清水信の「新技巧派」の作品が、議論としてあがる。

 透明な花粉をこぼす雨後の月 しきりに電車が触覚を振る  清水信

 靴の塵拭きながらしずかに退け時の汽笛の音を耳にひろった

瀬鬼惺は、このような表現上の新鮮さは作品の論理性に関係がない「感受過敏な人間の新奇、珍類、変形語的な表現上の是非論に過ぎない」「技巧本位な精神」だと批難する。そして、清水が新技巧派を、「生活派風をあきたらないとする人々が、一歩をすすめた」と言うことに対して、西村陽吉も批判をはじめる。清水のいう「新しい表現には新しい内容がなければならぬ」という表現と内容の関係について、西村は、「内容」と「表現」は密接であるべきであり、「表現」のみのゆきすぎをあやぶむような、西村の当初からすると後退するような態度をとった。

新技巧派のようなモダニズムにも反対をしめし、自らの歌集はプロレタリア派からもプチブルジョア的と批判された西村陽吉は求心力を失って、『芸術と自由』は部数が伸び悩み、多くが離脱していった。

昭和2年、口語短歌はモダニズム短歌とプロレタリア短歌の2つの重心に分かれながら、昭和へと進んでゆく。

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瀬鬼惺(せきさとると読む?)は、新技巧派はやがてプロレタリア短歌のまえにくずされると予想して、新技巧派を「言葉の遊戯的自慰」であり、短歌の社会的逃避でしかないとした。

ついこないだまで万葉と写実、対、象徴主義、みたいな論争をしていたところが、あっという間にプロレタリアとブルジョアの対立に短歌も巻き込まれた感がある。とはいえ、西村陽吉は啄木からの社会派からの流れなので、ずっとあったといえばあった考えでもある。今回西村と対立した前田夕暮門の清水も、西村に長く選をしてもらっていたので、このあたりの、それぞれの進む速度が違ってゆく感じは、茂吉らが台頭する頃の伊藤左千夫のようでもあり、流れのつよさも感じられるところである。

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ざっくりですけど、ひとまず近代短歌論争史の明治大正編は終わりました。今年の1月から読み始めて、8月で読み終わり。おつかれさまでした。

昭和編? どうしましょうかねえ?

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  七首連作「キャリーオーバー」

人間め暑いじゃないか公園の青い遊具に蝉はわぢわぢ

引きこもったもん勝ちみたいな世よ、石の下の湿った土からそとのおと聴く

いつまでも挙国一致にならなくて今いくらくらいのキャリーオーバー

イマヌエル・カントは街を出なかった 今ならいえるそれで良かった

世界遺産になりそうもない暮らしですエアコンがあってスマホがあって

大きいのはいいことのような代名詞 大人は誰から見て大の人

もろもろを差し引いたなら人間の時間はこんなつまめる時間


2021年8月14日土曜日

土曜牛の日第33回「歌なんか」

 こんにちは。土曜の牛の文学です。

ワクチンって日本語でなんて言うのだろう。枠沈? (それは当て字やろ

近代短歌論争史の34は「奥貫信盈と服部嘉香・西村陽吉の新短歌論争」。大正時代の終わりに口語歌雑誌『芸術と自由』が文壇や詩壇に「口語歌をどう見るか」という質問をして、意見をもとめたことで、自由律や定型律のディスカッションがさかんになった。たとえば詩人の川路柳虹は「私は率直にいふ。三十一文字の口語歌をやめ給へ。それは滑稽なる悲劇的努力だ。口語歌を作るなら全然新たな今の吾々の口語の生々しい発想がそのまま伝へられるやうな新らしい口語の短歌型を考へ給へ」と書いたように、口語歌にも定型と自由律のあいだにも幅があったし、口語も、古語でないだけで、現在の書き言葉と話し言葉とのあいだにも幅があって、まとまりを欠いていた。

『芸術と自由』の創刊者の西村陽吉は、定型・自由律の以前に、まず口語の革新が必要であるとして、たとえば歌壇では土田耕平の作品がいかに古くさいかを実作を例に批判した。

 わが庭に来啼く鶯朝な朝なわれのめざめをこころよく啼く  土田耕平

このような歌が大正の現在、30そこそこの青年がうたうとは、なんというアナクロニズムか、と皮肉った。

ところが、これに、文語歌の陣営の『覇王樹』から奥貫信盈が、西村陽吉の実作をもって切り返しにかかった。

 客を待つ間の歌ひ女(め)たちの一ト屯ろ よべの噂さに桐の花咲く  西村陽吉

 生みのままの白いししむら うすものの襦袢にくるみ 生きてゆきます

<歌ひ女><一ト屯ろ(ひとたむろ)><ししむら>など、土田耕平よりもむしろ古語を多用しているというのだ。現代性は名詞において現れるのであれば、西村の作品はその考え方が不徹底である、とした。

また、奥貫信盈は、口語歌の「〜あります」「〜です」は、報告や対話に属するもので、短歌の「詠嘆」を内包しない、というのを問題視した。「<悲しきろかも>は詠嘆であるが、<悲しいのです>は報告で」「<悲しい>とは感じても<のです>とは感じない」

これは、奥貫におなじく批判された服部嘉香が反論しようとしたが、これからの努力である、というような悩みの吐露で、論理的な反駁とはならなかった。

このように、新しい短歌、新短歌には関心が高まっているが、口語定型律は旗色が思わしくなく、昭和に向かって、口語歌は自由律へと傾斜をつよめてゆくのだった。

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大正時代、そういえば「〇〇時代」って、明治、大正は時代っていうけど、昭和時代って、まだ言わないねえ。大正時代って、いつから(昭和何年くらいから)人は呼ぶようになったんだろう。

それはともかく、大正のはじめころは服部嘉香も、定型で表現できなくなったら詩の時代が来る、なんて言って斎藤茂吉と喧嘩していた(土曜牛の日第6回)のに、おわりごろには口語定型律側にいるのだから、この時代も強い風が吹いていたのだろうことが想像される。

ネットがある現代ほどで早くはないかもしれないが、第一線はマラソンランナーのようにみんな走っていたんだろうねえ。

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  七首連作「歌なんか」

太陽のかがやく浪費、まだ半分50億年たゆまず浪費

帰ったら電気をつける、電気がつく、明るいことはひとまず救い

体育館でボールが弾む音がした、告白したいような静寂

たましいがよゆうがなくて歌なんかよんでもなあといってみたんだ

蛍光灯のようなUFO浮かんでてカーテンをなぜちゃんと閉めない

ちょっと待てその、たましいって何ですのん? たましひってことは火の玉かしら

のびのびと生きのびましょうダメなときはダメだったーと残念がるがる