2018年4月28日土曜日

2016年03月の自選と雑感。

インターネットが、コンピュータの処理速度と通信速度の向上にあいまって、動的な表現が可能になったとき、哲学的な問題に、人は直面することになった。

自分が見ている景色は、他の人も同じように見ているとは限らない、ということだ。

これはとても哲学的な、たとえば私にとっての「青色」は、他の人の「青色」と同じかどうか、というのも含むけれど、もっと実際的で表面的な、具体的には、mixiで多くの人が体験したような、「自分が見ている自分のページは、他の人からは違うように見えているけど、自分ではそれが検証できない」というような問題だ。

つまり、インターネットでは、世界が見えると思っていたが、実際は、インターネットの中にやや拡張された自我が設置されただけで、自分の外側は、やっぱりよく見えなかった、ということだ。

いや、それどころではない。自分の嗜好ばかりだと、循環してしまってよくないから、外側の空気を入れようとすると、不快なものが限りなく入り込んでくる。今や、インターネットは、それらをミュートしブロックし、自分の「好き」だけの世界に引きこもるために接続するのだ。

ひるがえって短歌は。短歌もまた、外に出てゆくためであったのに、内にこもるためのものに、なってはいまいか。異物を受け入れる度量は、短歌にもとめるのか、あなたにもとめるのか。

  あらかじめ決められた文字で綴るから忖度が読みのデフォルトにある  沙流堂


自選。

中島みゆき口ずさむほどご機嫌なきみでよかった雨の居酒屋

愛する人の激しいくしゃみ聞きながら花の粉まざる春の夜の更け

しあわせは体力が要る生ぬるき空気にわれは春スクワット

母の作りし梅酒の味の落ちること次男にあれば悲しんで済む

ぽつぽつりスマホの画面をキラキラと三色の光を拡げたる雨

修行僧コーラを飲みてその他の欲望を耐う、おおきくおくび

棒立ちの赤い男を眺めおり信号の向こうは春、なんつって

通過する特急電車の前面にあっ飛び込んで今のまぼろし

ルノアールが背中を描(か)きたがるような女性がレジでさばくスーパー

変なオブジェの、変なところを直したら存在そのものが問われいる

人権がまとわりついて人類の可動部はいつも油を求む

春だから思想のことは置いといてきみのみじかい髪をほめよう

地方でも美人は人の目を集めここでもいいと思う気持ちと

美しい悲しいものにそのそばに供えるために一輪があり

コトノホカサビシイトコヘキチャッタナヒトクチノサケノルイセンニキテ

こむら返りで目が覚めてからごそごそとこむらの意味を検索をせり

元・風のメンバーだった大久保は元・猫だったと略歴で知る

ひとけない交差点には春巻いてビニール袋浮いては落ちず

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