2018年4月1日日曜日

2016年02月の59首。と、うたの人の1首。パロディもろもろ。

詩心と狂気の違い若き日は確かに見抜けていたはずだった

底流がさびしさなのだと気づいたらもう君の詩はぜんぶさびしき

愛情は思わずにじみでるもんて、トマトジュースを飲むおやじギャグ

供養とは指を燃やすということの字義どおりなる絵に浸りいつ

すみません本日ハンバーグを作る手ごね機械が壊れてまして

湯の上を湯気がすべってゆくを見る6階あたりの露天にわれは

憎まれて去るのもよけれ、目の前で指まわす前に逃げるとんぼよ

人間が酔うためになんと手軽なる飲み物として酒はあるかも

失恋のつらいところぞ階段のどの足音もお前が来たる

真剣に遊ぶ息子を見下ろして父は祈りの、木の、燃えるほど

柱にもたれる斜めの女が好きという男の話を楽しく聴けり

病棟の白さにも慣れそうすると白というのもカラフルである

スーパーでジョンデンバーがかかるから地平に沈む陽(ひ)がふと見たき

ワイン飲みパスタを食えばつくづくとイタリア人に生まれて、ないか

夕闇のダンプの下に猫がいて警戒を解くことなかりけり

気象庁があとで梅雨入り宣言をするようにシンギュラリティ過ぎぬ

先祖代々溺死の業を背負いつつつるっと明るく泳ぐイルカは

山はがが海はとうとういにしへのあるいは未来の国土をゆけり

地に光なき頃の夜カルデア人もおそれたるかも星という火を

帰り際に冗談っぽく地獄には堕ちんなよって言うのがやっと

賞味期限が切れたからチョコラBBを毎日食べている水なしで

くちばしも含めてきみが好きだよとくちばしを撫づ、感覚なくも

終わりとも始まりだとも言えそうなこれからのことをふたり見ており

このままの孤独でいいか、ケトルには魚眼の部屋に男がひとり

いいことのうしろに悪い事がいて気づいて振り返ってもうしろ

ロボットに引き継ぎをはやく済ませたきDNAが今日もがんばる

家でひとりペットが思うわが生の過半はあるいはほとんどを待つ

一日を終わらせられぬ若者がインソムニアと言う残念な

お祈りのあとのコーラがほんとうに美味しかったと懐かしむきみ

こころなしか下弦はいつも通り過ぎもう細い月ばかりとわれは

二階窓が開(あ)いてて部屋の天井がみえる君が寝るときにみる

ぼくを忘れて体も朽ちて霊だけになって今でも待ちたる猫よ

この店の裏にびっしり、人生は前向きに強く生きねばならぬ

逃げる夢に息あらく覚めもっと広い人のいる方へ次は行かねば

ひっそりと短歌をだけを考えてそのクラスタに暮らしてますた

笑顔って筋肉なのか、筋トレで引き締めるようにさいわい鍛(きた)う

どこか遠くでバッハのパルティータが流れ廊下の奥を曲がりゆきたし

新聞の時代小説も閨事(ねやごと)かいくさが描かれるまで眠し

ツイッターのなくなる未来はじめからなかったようなこの空間(ストレージ)

語りえぬ知見をもちて人に会えば語りえぬのにわかる人いて

文学もぼくをやさしく置いて行く海に背を向け海へと流る

バッハばかり聴いていた日々破れたるフェンスの向こうに18世紀

どのように生きる命に育ててもよそ見する子のふと他人めく

大き字の葉書の人よ自分より長生きする字かもしれぬゆえ

用事なき帰郷なるゆえちちははの幼少の地を歩いていたり

悲しみは食卓にさめたたまご焼きを箸でそぼっと割りたるところ

野良猫にエサやる人が現れて猫が鳴きだす隣家が怒る

死にゆくをながめておれば死後という継続をきっと信じたくなる

動物に罪はないのに人だけが朝からこんな暗い顔して

ひらたくてこげめがついているようなつめたいたまご焼きのおもいで

貴様のような差別主義者の検閲屋は<censored>して<censored>しろ

きみのずっとなやみくらやみつかまえて照らせばちょっと違うらしいし

白菜の花が黄色く咲き誇る畑の人のいなくなりしか

ムーミンに侵食された雑貨屋のまとめて買わねばひとつも買わず

学問に逃げゆくきみの長い影踏み押さえるがあぁ伸びてゆく

年頭にきみについては壽保千春を念じてありぬ、から大丈夫

愛情は時間でおくれ、手の中で撫でられてまだ気が済まぬなる

白瑠璃のうつわはにぶく発光すおどろく視線たくわえた果てに

大口でがっつくときになんとなくスローモーションの演出をする



#うたの人「ツッコミ」
えんえんとボケとツッコミ浮かびゆくフキダシの中に告白もあり


#パロディ自由律
分身しても一人

分け入っても分け入っても青い海

うしろすがたでググられゆくか

いれものがないゴム手でマジうける


#パロディ俳句
三月の水戸納豆のぶぼぼぼぼ

万緑の中や俺の歯入れ替わる


#パロディ短歌
ふるさとの訛り変わらぬ友といてこのモカコーヒーたんげ甘ぐね

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