2016年5月25日水曜日

山椒魚としての風景 (サンショウウオ10首)

山陰でオフィーリア溺れゆくならばサンショウウオに迷惑がられ  

サンショウウオやめたと言いて背中からすらりと現れたる美少年

恋の悩みはサンショウウオに訊くといい口が開いたらうまくいくとか

冥府から帰ってきたと思いしがこっちが黄泉(よみ)か、どちらでもよし

サンショウウオだけの星にてひとり思う宇宙には銀のサンショウウオが

この話題はノーコメントでスルーしようサンショウウオも息をとめつつ

虚弱なる奴であったが捕らえられ漢方になったと風のたよりに

基本的な思想は非暴力である、食(しょく)はまたそれは別の議論だ

感嘆の嗚於(おお)ではないが人間は感嘆しつつわれを呼ぶなり

大空を山椒魚が背中みせ去りゆくまでを夜と名付けり

2016年5月21日土曜日

2016年04月うたの日雑感。

集団の感受性ということをときどき考えたりする。感受性というより一般的な言い方だと、カラーという方がいいかもしれない。
短歌という、多いといえば少ないし、少ないといえばけっこう多いというやっかいな趣味をもっているやっかいな人たちは、短歌について語り合いたく、意見を言いたく、意見を言ってもらいたく、教わりたく、教えたいので(もちろんもっと他の理由も人は持つのであるが)、集まりを企画する。
集団組織の変遷については、いっぱんに、ゲマインシャフト(地縁・血縁集団)からゲゼルシャフト(人工的利害集団)へと移行するみたいなことを言われるけれども、ゲゼル→ゲマイン化できるかどうかが、集団の心地よさみたいなものと関連するんじゃないか、とか、ゲマインの居心地のよさが窮屈になる瞬間には、何が起こるのか、みたいなことも興味深いが、これはちょっと脱線です。

現在の集団の分類は、短歌はざっと結社型、同人型、クラウド型、という分類が出来そうである。
はっきり分かれるわけではなく、グラデーションであるのだが、人を中心に集まる結社型から、同好で集まる同人型、ツイッターやウェブ歌会のような、公開された場所を誰でも行き来できたり、それぞれの人が個別に発信して、雲のような不定形の集まりにみえるクラウド型という感じ。
時間軸でいうと、結社型は通史的、クラウド型は共時的な特徴を持っているかもしれない。
最初の話に戻すと、それぞれの集団の感受性は、何が決めるのであろうか。
何がそれを引っ張って、何にそれは引っ張られるのか。
短歌の場合は、当然、作品があって、選があって、評があって、この3つが質を決めているのは確かなことだ。
感受性はどうだろうか。
ん、質と感受性って違うのか。
カラーは人で決まるようなところはあるね。
居心地と感受性の問題って、批評と好みの問題にちょっと似てるね。
(うたの日に関係ないし、結論もないし)

自選&自注
「市」
飢餓よりも肥満に似るか三万を割ってゆく市の取捨選択は

 市の人口条件は、5万人または条件により3万人。しかしその人数を切ったからといって町に分解されることはあまりない。そういう場所は結構あって、その市はふつう餓えた状態のように見えがちだが、案外そうではないのではないか。市を運営する側の目線は、足りないものではなく、余剰のものに目がいくのではないか、というような意味。

「ライオン」
百獣の王に敬意を表しつつ霊長類が子に見せており

 百獣の王だよーってパパが子供にライオンを見せることの、この霊長類の全能感。

「桜」
ゾンビには美しさなど分からぬが降りそそぐなかを見上げて立てり

  降り注ぐ桜を眺めているゾンビが、美しさのために見上げているようにみえる。死という終わりがないゾンビには、「はかない」という美はたぶん見えないであろう。

「器」
透明の器から枡へこぼれゆく透明人間になる飲み物は

 透明人間になる液体が入っている器も透明なのであろう。透明の器をこぼれて升、ということは、その液体はまさかジャパニーズサケではないか。

「朝焼け」
あたたかい夜が明けたら、いつまでもここにいれないことの朝焼け

 朝焼けにはなにか移動をうながすものがあるのかもしれない。でもたしか、朝焼けの日は雨が多いんだっけ。

「サンダル」
ボツボツの穴の空きたるサンダルの色違いなる母子あかるし

 この歌はツイッターで自注しました。
「作者が自分の歌を都合のいいように解釈しますと、これの裏の題詠テーマは「母子家庭の貧困」なんですね。

まずクロックス"系"のサンダルを母と子で履いていることで若い親を表し、シングルマザーの可能性を示すために親子でなく「母子」とした。クロックスは意外と高いので、類似品の可能性も含めてブランド名は出さず形態を述べた。

で、重要な部分として、裏テーマの母子家庭の貧困は、社会にとって深刻な問題だが当事者は必ずしも深刻ぶってなく、明るく日々を生きている、そういうこちらの眼差しの裏切りを歌いたかった。

それを、あのゴムサンダルの蛍光色の明るさと紛らわすために語順とてにをはを曖昧にした。

という社会詠としてみると、ボツボツの穴が空いているのはサンダルなのか、とまでは深読みできないけどね。

あるいは、その子供も「色違い」に過ぎない、という連鎖も折り込まれている、と読むのも深読みですよ。」

「右」
この廊下を右に曲がればきみに遭う確率はやや上がるが遭わず

 確率というのは、どんなに高くても、結果をもたない数字なんですね。

「仮」
不幸ということではなくて最初から仮留めのようにいたんだきみは

 それが仮留めかどうかは、中にいる人間には観測できないのだが、そうやって納得しようとする感情みたいなものを表示できただろうか。

「客」
おぉ君はそこにいたのか、客席のお前はあの日の若さのままで

  死者が集まる劇場で観られるものは、現世だったりしないだろうか。

「パフェ」
食べ終えてパフェの器が咲いている天使のラッパは毒をもつとか

 天使のラッパは、黙示録的でもあるけれど、天使のトランペットとかいう植物なかったっけ。

「掃除」
一斉に蜂起する明日、バッテリーが切れて動けぬ掃除ロボット

 人類に反抗するために、一斉蜂起するのだから、人間よ、どうか電源を入れておいて欲しい、という、掃除ロボットの悲哀。おまえどうせ電源入ってても、掃除して人間の役に立っちゃうんだけどな。

「球」
地球との接点に黒と肌色の肉球で立つきみのやさしさ

 つねに肉球で触れられている、地球って、いいなあ。

2016年04月うたの日作品の30首

「新」
思想にも新機軸など打ち出そう鳥や猫にも会釈するとか

「市」
飢餓よりも肥満に似るか三万を割ってゆく市の取捨選択は

「ライオン」
百獣の王に敬意を表しつつ霊長類が子に見せており

「少女マンガ」
少女マンガのような美形をレアガチャと呼べば悲しい顔をしていた

「桜」
ゾンビには美しさなど分からぬが降りそそぐなかを見上げて立てり

「十字架」
宇宙色が降りてもう夜、磔刑にしやすき形の生き物は寝ず

「負」
風邪薬を日本酒で飲むぼくを責めぼくに勝ち目があるわけがない

「器」
透明の器から枡へこぼれゆく透明人間になる飲み物は

「朝焼け」
あたたかい夜が明けたら、いつまでもここにいれないことの朝焼け

「自由詠」
春風の午後遊具なき公園に桜と老女、それだけの今日

「サンダル」
ボツボツの穴の空きたるサンダルの色違いなる母子あかるし

「距離」
8歳の年の差なんて距離にして、シリウスのように白く微笑む

「リボン」
春風がつよすぎたらし、空に舞うリボンのことをきみは忘れて

「Eテレの番組」
Eテレの番組いつか録画されず時間改変されいるいつか

「右」
この廊下を右に曲がればきみに遭う確率はやや上がるが遭わず

「紫」
紫がいいよねパーカーの色じゃなく輪郭線のことなんだけど

「ボタン」
袖のボタンを失くしたことに気がついて気がついて失くなったのでなく

「爆」
接頭語にいちいち付けてほんとうはくすぶっている若さのゆえに

「鏡」
われに似ぬものを求めて恋うためにミラーニューロンがきみをおどろく

「@」
アカウントのアットマークに4桁の数字があってきみはふたご座

「仮」
不幸ということではなくて最初から仮留めのようにいたんだきみは

「客」
おぉ君はそこにいたのか、客席のお前はあの日の若さのままで

「パンダ」
政治にも進化論にも興味なく春の若葉をいつまでも食う

「パフェ」
食べ終えてパフェの器が咲いている天使のラッパは毒をもつとか

「アジア」
人類のどの性格を受け持ってアジアの肌の色のぼくらは

「掃除」
一斉に蜂起する明日、バッテリーが切れて動けぬ掃除ロボット

「メイク」
メイキング映像もオールCGでちょっと待てこれはどこからメタだ

「ことわざ」
猿も木から落ちるかどうか見てないが人間も悪に勝つのは見たり

「割」
嫌味っぽい言い方をして真面目さを中和する癖、割と嫌味よ

「球」
地球との接点に黒と肌色の肉球で立つきみのやさしさ

2016年5月14日土曜日

2014年04月作品雑感。

5月になっています。5月というのは、さわやかな印象がありますが、最近はけっこう暑かったりもして、昨日のテレビだと、5月の平均気温は130年前とでは2℃くらい上がっていて、かつての5月の気温は、現在では3月くらいなんだそうな。あー、どうりで、と思ったものの、130年前のこと、わし、しらんがな。

生まれていない時期のことを思い出すのは通常の物理法則上では、出来ないとされているんですが、このブログのように、2年前の作品を掲げていると、つい先日作ったと思っていた短歌がもう2年前だったり、最近の着想と思っているものをすでに作っていたりして、われわれは実は球体の上を歩いているんじゃなくて、実は球体の内側を歩いているんじゃないか、という錯覚にとらわれたりします。時間は直線では決してなくて、いや、直線に記述することも可能ではないんだけれど、それはらせんのグラフを横から見るから進んでいるのであって、上から見たら、円のグラフになってしまう、サインカーブみたいなものではないか。だとしたら、認知症の年老いた彼女は、もう時間を横から見るのを止めてしまった、たったそれだけのことなのではないか。

そんなことを考えていたわけではないが、GWには生まれ故郷でゆっくりしながら、お腹周りを絶望的に蓄えてきたのでした。

4月は、どの季節にもありますが、4月特有の季節感があって、それをすくい取ろうとする作品がいくつかあるようです。

  アスファルトの残りの熱を濡らしつつ小雨は匂う、記憶がひらく

  雨あがりに降りたる花ぞ、留(とど)まっていられぬ場所を春とは知りぬ

  雨と桜でどろどろのこのバス停を窓白きバスがためらわず過ぐ

  ビル風に追い立てられてわれとわれの足もとの花びらとで逃げる

  川に沿って菜の花のみちが二本ありこの下流には春の終わり

  公転面の傾きにより来る春の春は女の輝度あがるなり

  真夜の舗道に団子虫青く歩みおり啓蟄過ぎて寝るところなく

  クラッカーの紙ロープ伸びて降るごとし頭上はるかにさえずりの交(か)い

4月はチェルノブイリ事故で、今年は30年だけど、この時は28年ですね。こういう歌はネットではどうなんでしょうね。

  チョルノービリに蹲(うづくま)りおりチェルノブイリスカャアーエーエスはロシア語のまま

今ではウクライナになったのでウクライナ語で「チョルノービリ」という場所に、ある施設がうずくまっている。それは、名前も当時のロシア語のままの「チェルノブイリAES」だ、みたいな意味の歌です。


自選
  ネット見てぐだぐだせむと探しだすいも焼酎とポテトチップス

  ねこばあさんが首をつまんで運びたるおとなしきあの成猫を思う

  アルゼンチンのカジュアルワイン飲んで酔う島国に生まれ島国で死ぬ

  準備中ののれんを一段かたむけて湯気ふっくらとにおう店先

  映画みたいに地球の終わりがわかるなら二時間前に眠りに就こう

  つつじとの違いは君から教わって違いも君も曖昧となる

  前を歩く女が尻を振っていて二歩ほど真似をしてしまいたり

  新世紀のあのなにもかも新鮮だった世界のかけらを蹴りながら帰る    

  夜電車は寄り合い祈祷所のようにめいめいが深くこうべを垂れて

  満開の濃きむらさきの藤棚の悲しみ垂るるとみえておどろく

  両岸の家に挟まれカーブなす人工川の凹状(おうじょう)の闇

2014年04月の60首

遺伝子のというより遺伝システムの袋小路でさくらまぶしき

駐車場の車を選び当たりなら午後まで眠っている下に猫

機械訛りの声にやさしく包まれて終わる生でもよいかもしれず

予想より少し長き夜首に溜まる汗乾く頃ふたたび眠る

アスファルトの残りの熱を濡らしつつ小雨は匂う、記憶がひらく

なりたくていやなれなくてお前らは今年の今のさくらであるか

死神と朝との二択、目を開けて朝であるなら肚決めて生く

元旦の歯ばかり磨くつぶやきのボットに遭いてあやしく可笑し

驚くべきこととは思う生きているすべてのものが老い、曝(さら)ばえる

雨あがりに降りたる花ぞ、留(とど)まっていられぬ場所を春とは知りぬ

知らぬものどうしが文字を並べゆき花冷えの語で少しつながる

ネット見てぐだぐだせむと探しだすいも焼酎とポテトチップス

ねこばあさんが首をつまんで運びたるおとなしきあの成猫を思う

雨と桜でどろどろのこのバス停を窓白きバスがためらわず過ぐ

テレビ消して手のりの鳥といて思うシャガールのそのかなしい気持ち

管理職はラズノグラーシェを抱えつつ遅めの昼を一人で食えり

よろよろのハムスターには巨大なるわれの愛着すら畏怖となり

まだ桜、家の近所の公園でわが呑む夜をまつまであるか

世界からドロップアウトするような早寝をかさねまだ容(い)られおる

真面目に生きさらに真面目に怠けたるこのうつしよに猫というのは

ビル風に追い立てられてわれとわれの足もとの花びらとで逃げる

堪忍袋のジッパーを行き来する電車、今朝もどこかが挟まったらし

音楽が頭の中にあるせいで少し楽しくなるとは不思議

材質を疑うほどに日に光る赤チューリップ、チューリップの黄

アルゼンチンのカジュアルワイン飲んで酔う島国に生まれ島国で死ぬ

生きることの歓喜をのちに伝えんとまだ隠れたる窟の埋経

端折るならば血色のよい死体にて土にならむと樹木を探す

川に沿って菜の花のみちが二本ありこの下流には春の終わり

通電をやめた一人の媒体のサルベージすべき感情いくつ

眩しさも暗さも怖き飼い鳥の軟弱さこそ生きるといえり

ブックマークの一覧に昏(くら)き文字ありてたがいに触れぬまま過ぎていつ

公転面の傾きにより来る春の春は女の輝度あがるなり

真夜の舗道に団子虫青く歩みおり啓蟄過ぎて寝るところなく

空調とファン駆動音に紛れ美(は)しサーバー室で歌うバッハの

さくら散ればなしくずし藤はなみずき紫陽花さるすべり、で木犀へ

紳士服売場でわれの属性を見失いループタイを探しき

準備中ののれんを一段かたむけて湯気ふっくらとにおう店先

日日(にちにち)がデジャヴァブルだと思ううちにこの感慨もコピー嵩(かさ)むる

無明(むみょう)から次の無明へ渡りゆく馴れた目が厭う世界ならよし

クラッカーの紙ロープ伸びて降るごとし頭上はるかにさえずりの交(か)い

whyよりもhowに尽きると聞き做(な)して目玉親父の声でフィンチは

隠棲する老思想家のかみ合わぬ助言と思えど敬にて受けつ

油絵の油の固いマチエールの明るい部屋にしろき青年

人型にくり抜いた紙を重ねゆきその空間に生は詰まりつ

映画みたいに地球の終わりがわかるなら二時間前に眠りに就こう

つつじとの違いは君から教わって違いも君も曖昧となる

店先で店員と猫がゆっくりと夜を待ちいる春の夕方

真夜覚めてトイレを終えて一杯のコーラを飲みてやすらけく寝る

前を歩く女が尻を振っていて二歩ほど真似をしてしまいたり

新世紀のあのなにもかも新鮮だった世界のかけらを蹴りながら帰る

飼い鳥に来訪神のわれはきょう真夜帰りきてひたすら撫でる

夜電車は寄り合い祈祷所のようにめいめいが深くこうべを垂れて

満開の濃きむらさきの藤棚の悲しみ垂るるとみえておどろく

チョルノービリに蹲(うづくま)りおりチェルノブイリスカャアーエーエスはロシア語のまま

夭逝こそ若き特権、赤緑(せきりょく)のあざやかにして短き躑躅(つつじ)

乾きたる有翼天使図は赤く古昔(こせき)人間(じんかん)に遊びていしか

古代コンクリートの肌(はだえ)あたたかし後(のち)錬金の夢やぶるるも

両岸の家に挟まれカーブなす人工川の凹状(おうじょう)の闇

服を着て散歩する犬とすれ違い犬も服着た人われを見る

宇宙まで透けたる空の蒼(あお)の下五月こそ何かはじめたるべし

2016年4月9日土曜日

2016年03月うたの日雑感。

桜も満開の盛りを過ぎて、こんな季節に春や桜を歌わないなんていうプレイは、若いうちにしか出来ないのかもしれません。

3月は四国に旅行して、歌人の聖地の一つである(かも)松山の正岡子規記念館に行ってきました。香川照之ってほんま似てたなあと思いながら、照屋のような場所でさえ、正岡子規の作った世界の延長にいるなあという、末席にいるようなことを考えたりしました。

さて。3月のうたの日は、題詠の歌題をかならず最初に入れようと、なんとなく初日に思ったので、そのまま31日まで、歌題から始めた短歌となっています。

「自由詠」
自由詠たとえばブログに上がらない即席麺の夕食の夜

このあたりは苦肉ですね。

「せい」
せいにして生きていくのだ僕という感情よりもずるい世界の

「せい」から文章を始めることは普通は出来ないので、あたかも倒置のようにできたのは、ちょっとほっとしました。

題詠というのは、だいたい平安時代から明治の、正岡子規くらいの時代まで技術鍛錬の手法として確立していて、いわゆる花鳥風月とかいう雅語を歌題とした練習だった、と理解していて、子規以降の歌人の近代は、題詠の否定から始まっているようなところがある。
とはいえ、これは練習法なので、近代以降も行われていて、ただそれは歌作品の「題」と二重の意味を持つような未分化なところもある。
戦後、第二芸術論などで短歌はダメージを受けて、ここでも題詠を否定する(=思想を主張する)短歌文学であろうとしたわけだが、それでも練習法なので、題詠はほそぼそと行われてきた。

ただ、近代以降の題詠は、雅語であることはなくなり、正岡子規が俳句で「柿を食」ったように、それまで俳句や短歌では使用されなかった言葉を使用できるように子規が共同幻想を打ち破ってくれたので、題詠の題さがしだけでもやっていけたようなところがある。

戦後の題詠は、戦後の表現そのものが記号論的な枠組みのメタ認知を可能にしたこともあって、いろいろなトリッキーな題詠も可能になっている。

現代において題詠をする意味、というのは、もっとじっくり考えるべきところなのかもしれないが、ひとまずおいて、まあ、トリッキーな題の使い方は、そのトリッキーさを超える内容作品になるかどうかという、二重のハードルを自分で設けてしまうので、まぁ、すなおに題と向き合った方が、得だし簡単ではあります。

題と向き合うっていうのは、どのくらいのレベルがありましょうか。
1,題そのものを内容の中心にして詠う。
2,題そのものを間接的に詠う。
3,題そのものについて暗示的に詠う。
4,題そのものでないことについて題を用いて詠う。
5,題の周辺について詠う。
6,題を解体して詠う。
6-1,題を視覚的に使用する。
6-2,題を音として使用する。
6-3,題を誤読して使用する。
7,題詠ということについて詠う。
8,題について詠わない。

8は題詠ちゃうやん。

3月の作品では、

「魚」
魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも

の「魚には涙腺なんて持たぬ」の文法の間違いについて、塾カレーさんという方から感想をいただき、少しやりとりしました。定型を持つ表現は、とうぜん、文法の音数とせめぎあうわけで、定型になるように言葉を斡旋することが、定型詩人の第一の能力であるべきです。
そのうえで、それらのルールを破っても美しい表現を模索し、それが見つかるならば、ベートーベンではないですが、そんなルールは壊れてもいいのです。
もっとも、そうでないなら、間違いは間違いです。それは恥ずかしいミスとなります。

自選。

「結晶」
結晶となったふたりは一日に一度の光で世にもうつくし

「梅」
梅のつぼみも急いでるかもしれぬのにゆっくりと言われながらほころぶ

「ある」
あるところに老いた夫婦がおりまして偶数は竹、奇数は桃で

「心」
心にはひとつの細い舟があり君に向かってうしろへ進む

「泣」
泣きながら魚は海を渡りゆく老衰という死を逃げるため

「男」
男だけの話ったって食い物とゲームとガチャじゃさびしからずや

「ピンク」
ピンク色のモンブラン三時に食べて文明はきみがいなくても春

2016年03月うたの日作品の31首

「時」
時分の花、マリオの無敵状態のつい行き過ぎて切れて落ちにき

「イヤリング」
イヤリングはメイン武器ではないけれど補助魔法にはなるのよ、ほらね

「ナイス」
ナイス地蔵のご利益を今日も訊かれいて話せば想像通りと言わる

「片想い」
片想いを三年かけて均(なら)しゆきここの更地に何を置こうか

「結晶」
結晶となったふたりは一日に一度の光で世にもうつくし

「梅」
梅のつぼみも急いでるかもしれぬのにゆっくりと言われながらほころぶ

「ある」
あるところに老いた夫婦がおりまして偶数は竹、奇数は桃で

「心」
心にはひとつの細い舟があり君に向かってうしろへ進む

「泣」
泣きながら魚は海を渡りゆく老衰という死を逃げるため

「自由詠」
自由詠たとえばブログに上がらない即席麺の夕食の夜

「奥」
奥まったところにあるよいついつもへらへらしてるきみの決意は

「長」
長安の出身という蒋さんに春の夜、ジョブの異常を告げる

「王」
王たるもの父たるものは感情を表さないがないわけでない

「男」
男だけの話ったって食い物とゲームとガチャじゃさびしからずや

「牛乳」
牛乳をレンジで温(ぬく)め酒飲まぬ日のましろなる理性を啜(すす)る

「ピンク」
ピンク色のモンブラン三時に食べて文明はきみがいなくても春

「魚」
魚には涙腺なんて持たぬから泣くわけないよ食われるときも

「雲」
雲行きが真っ黒なのは母性なんて非科学的な言葉のせいだ

「学」
学問のない世界ではニッコリという表情は怖い意味です

「卒業」
卒業はいつも他人事(ひとごと)みたいにて感激に水は差さないように

「春」
春だから機嫌がいいぞノリノリのドヴォルザークの口ぶえ聞こゆ

「レコード」
レコードのかすかにうねる縁(ふち)の上(え)に針置くときに確かに未知は

「せい」
せいにして生きていくのだ僕という感情よりもずるい世界の

「みんな」
みんなから元気を分けてもらうとき惜しみたる者物足りぬ者

「パーカー」
パーカーの中に苺と蛇がいてファスナーを下げるときどちらかの

「導」
導かれ補陀落世界へ行く弟子をわれはまことに悲しみいるか

「唐揚げ」
唐揚げのこの味がいいと言ったのにサラダになるし日付も違う

「競争」
競争をともに避けつつ生きてゆく友人に勝ち、すなわち負ける

「分」
分かりたくないのでしょうねcoke freeのJ・フォックスのごとき正論

「いくら」
いくらにも五分の魂があるとしてぷっとわたしへ香(か)を反抗す

「丸」
丸文字は冬の字らしいこの春の「さよなら」という字の大人びて