2017年3月12日日曜日

2017年02月うたの日自選と雑感。

歌会をやると、選のあとに作者が自分の作品について述べる時間があって(ないところもあるだろうが)、それを解題(かいだい)と呼んだりする。

最近になって知ったのだが、この解題は、地方によって好まれたり好まれなかったりするらしい。なんでも、関西はあまりしない傾向、東京はわりとする傾向があるとか。ほんまかいな。(そして他の地方はどうだろう?)

わからなくはない。関西は、ネタばらし、というか、自分の笑いどころを自分で説明するのがとても野暮にみえるのだろう。

たぶんこれは、短歌の独立性と自意識の比重が生み出す現象なんだろう。

解題のレイヤをほどくと、いくつかのレベルグラデーションがあるように思う。
1、その歌の背景となった出来事や、気持ちを語りたい場合。
2、自分がうたいたいことが、ちゃんと表現出来ているかどうかの技術検証。
3、自分のねらいはともかく、この歌が到着している地点はどこかを共に考えたいケース。
4、独立した短歌表現として、作者の立場を離れて批評するスタンス

短歌を語るときによく将棋をテルヤは持ち出すのだが、解題というのは、将棋の感想戦に似ている。勝ち負けはあるものの、よりよき将棋を指すために、ここはどう指すべきだったか、この時に何を考えていたか、を語りあうあのシーンは、将棋文化の実はいちばんカッコイイところだと思うが、それはさておき。

だから、感想戦で、自分がどんなにこの将棋に勝ちたかったか、どういう勝ち方をしたかったか、というのを力説するのは、やっぱり野暮な場合はある。さりとて、ここのこの一手はどういう狙いで? と訊ねても、ご想像におまかせします、ばっかりだと、それもそっけない場合がある。
盤上の駒の結果がすべてだ、作者の意図なんか雑音だ、という考えも、あることはあるんだけどね。

表現って、自分の一部を切り取って見せる行為だから、やっぱり自意識はあるし、負けて感想戦するような脳の心肺停止状態から防衛したくはなるんだよね。

(これ書いたあと、自選ってやりにくいぞ)

自選。

「蟹」
われわれの祖先が蟹でなくたって右か左についかたよるよ

「福」
マンサクの花が咲いたらもういないあの老人は福の神かも

「昔話」
100年後昔話になるために宝を集めておこうぜ友よ

「宇宙」
カウンターにいつもの宇宙人がいて宇宙の愚痴が長い金曜

「ピクルス」
われがまだまったきピクルスになる前にビンの中より見る無情の世

「起」
起きてるよ話もちゃんと聞いてるよ⋯⋯、⋯⋯、ひよこ。(ひよこ?)

「サーカス」
サーカスの帰り途(みち)なんとぼくたちはドラムロームのない生を生(い)く

「甥/姪」
遅刻ばかりしている姪の通学のコースは鶏(とり)、犬、犬、窓の猫

「くじら」
肺呼吸で海に棲む業の引き換えに死後鯨骨は宇宙となりぬ

「そっと」
20万年そっと彼らを見ていたがあと10万年様子をみよう

「牛」
世間的にはしずかで優しい彼だけど牛の顔していることがある

「タンバリン」
チキチキチャ、チキチキチャリチャ、きみの部屋会社で嫌なことがある日の

2017年02月うたの日自作品の28首

「蟹」
われわれの祖先が蟹でなくたって右か左についかたよるよ

「二」
人類が隠れたような朝だった、もう二度と無視を誤魔化すものか

「福」
マンサクの花が咲いたらもういないあの老人は福の神かも

「昔話」
100年後昔話になるために宝を集めておこうぜ友よ

「宇宙」
カウンターにいつもの宇宙人がいて宇宙の愚痴が長い金曜

「続」
AIの代返機能使わずに(?)二人のやりとりえんえん続く

「積」
かなしみがわれのジェンガを抜いてゆきけっこうすごいスカスカよほら

「腰」
腰から下がキャタピラのロボを選ぶのでごっこ遊びも案の定不利

「ピクルス」
われがまだまったきピクルスになる前にビンの中より見る無情の世

「自由詠」
屈託のガジュマルなれど本土では少し寒くて屏風になれぬ

「起」
起きてるよ話もちゃんと聞いてるよ⋯⋯、⋯⋯、ひよこ。(ひよこ?)

「サーカス」
サーカスの帰り途(みち)なんとぼくたちはドラムロームのない生を生(い)く

「甥/姪」
遅刻ばかりしている姪の通学のコースは鶏(とり)、犬、犬、窓の猫

「キス」
最後のはキスというより口づけというより接吻だったふたりは

「北海道」
山の幸から海の幸まで一本道の美しい人を拒みたる景

「告白」
言ひ分ぢやあ人殺しには殺人を描けるわけだ。⋯⋯實を言ふとね、

「ルビ」
声に出して読むくせに漢字読めなくてそのたびにわれはどうもルビおです

「ダンス」
えじゃないかええじゃないかとこの先もはじまるだろう、隠れて踊れ

「くじら」
肺呼吸で海に棲む業の引き換えに死後鯨骨は宇宙となりぬ

「抱」
抱きにけり、東京駅の改札のさわやかな見送りの予定が

「任」
責任ときみは言うけどトランポリンみたいなものよ、それとも落とす?

「そっと」
20万年そっと彼らを見ていたがあと10万年様子をみよう

「古」
フィラデルフィアの中華街なんか来た日には言わずにいれぬ古豆腐屋と

「柱」
⋯⋯なんか、意識があるぞ解体前に大黒柱でなくなるわれに

「牛」
世間的にはしずかで優しい彼だけど牛の顔していることがある

「焦」
戦ったから深まった人生のまだ先があるけど焦らない

「タンバリン」
チキチキチャ、チキチキチャリチャ、きみの部屋会社で嫌なことがある日の

「インフルエンザ」
インフルで無念だ不実なる恋の報いのごときこの発熱が

2017年3月5日日曜日

2015年02月作品と雑感。

馬の骨、という言葉は、煮ても焼いても食えない、出汁にもならない、というところから来ているそうだが、検索するとあるみたいね、馬骨の出汁。

短歌というのを、けっきょく、どこに落ち着かせたいのか、なのだろうね。目的というか、ゴールというのか。

芸術の本質の一つに、永遠性への希求、というのがあるのは確かで、この瞬間を、永遠たらしめたい、という気持ちから生まれる。それは、景色だったり、感情であったり。

芸術の本質論まで遡ると、話が長くなるな。やめよう。

短歌のゴールは、この気持ちを書き留めたい、みたいなところから、忘我させる表現に出会って、自分もうまくなってそういうのを作りたい、とか、それを褒められたい、とか、そういう忘我を提供したい、とか、短歌のかたちで自分を表現したいとか、自分を残したい、とか、あらゆる事象を定型にする挑戦に取り組みたいとか、真実や救いのようなものと向き合いたいとか、定型表現そのものの幅を広げていきたいとか、誰もしたことのない表現を作りたいとか、この表現が生み出す場で、人とつながりたい、とか、他にやることがない、とか。

ツイッターで書くわけだから、見せたくないってことではない。表現はすべて承認欲求という考えかたもあるけれども、承認されるかどうか、反応をみたい、というのもあるようだ。現在地を知りたい、という欲求。これは、ちょっと承認欲求と違う。

先日、歌会の得票はポピュリズムだと書いたが、もっと以前には公約数だと書いてもいて、いまそれは中央値(メジアン)を知る行為なのかな、とも思う。

山登りで言うと、ガチで数千メートル級の山をクライミングしたい人と、何合目かまで車で上がって、その辺を散歩したい人もいて、そういう感じに短歌のゴールもある。

自分がどこにいて、どのゴールを行くつもりなのか。他の人はどこにいて、どのゴールを目指しているんだろう。

自選など。

人間のごみを集めてあたたかきミノムシの蓑をずっと見ている

歩くとき詩は涌きやすく足裏(あなうら)にそういうつぼがあるのだヒトは

笹紅をあげたき人であったよと言ってからそんな気をもっていた

人界の苦労を忘れ工場の裏の畑で花を笑む母

時間では心は年をとらざれば心ならざるものばかり老(ふ)く

新しいもの建つために壊れゆき壊されていく側から見おり

人間の入れぬデッドスペースで足突き出して猫がくつろぐ

人間一匹食っていけないことなんてないのだ闇は一寸の先

あまりにも悲しい夢は思い出せずやさしき脳が隠しておりぬ

あのように目を当ていれば男とは一年くらい狂うていたる

どのように生きてもいいと言われたらつらいな、水から遠いスイセン

酔いたればトイレが近くこの国にひろく立小便せしか忠敬

ぎこちないフォームでえいっ遠投す、目的観の低さが不幸

背を反って首かたむけて見つめたる君の景色を時々おもう

子のあらば外から帰りくるたびにかお包みたし耳珠(じじゅ)に触れつつ

悔しいがげんこつを目に当てて泣くそんなしぐさをするわけにいかず

じゃがいもが湯でほどけゆくそれまでにいやその後で大事な話

生きるとはかたちが変わることなので裸体の傷の君たしかなる

この場所をリーフィーアイランドと呼ぼう観葉の鉢数個だけれど

公園の低いベンチは流れゆく時間から少し離れて在らん

きはちすが君の背丈を残しつつ君を失う夢をみていた

とこしなえに名の残ることなきわれに今年の梅が咲きそめている

2017年3月4日土曜日

2015年02月の56首

人間のごみを集めてあたたかきミノムシの蓑をずっと見ている

青空の奥にたしかにある闇の遠のくべきか近寄るべきか

オリオンと2時間歩く彼の狙う弓の向こうに敵はおらねど

歩くとき詩は涌きやすく足裏(あなうら)にそういうつぼがあるのだヒトは

冷蔵庫にシールの台紙留められてこの家に春の祭りはきたる

高価なるもの身につけてレイヤーを変えてもきみの手にとまる鳥

忘れられていくほど眠り深からんその群青で死を拭いつつ

笹紅をあげたき人であったよと言ってからそんな気をもっていた

海を行くわが身にあらねプレヤデス星団の数を、目を確認す

「紛争はトップ同士がゼスチャーで争うとする」有志連合

法悦とうことばを知らず語りいて知らぬゆえ時にひどくかがやく

知名度は危険の保証、無名なる詩に目留(と)めるは地の見えぬ叢(むら)

死にさうな野良猫が昨日丁字路にうづくまりをり、旧(ふる)き仮名にて

僕のなかの誰がが僕を救う日を祈っていたが救われている

人界の苦労を忘れ工場の裏の畑で花を笑む母

ぐでんぐでんぐでんぐでんと歌いつつ五七のいずれに置こうと思う

時間では心は年をとらざれば心ならざるものばかり老(ふ)く

新しいもの建つために壊れゆき壊されていく側から見おり

ストーブのヤカンは色を変えぬまま内部で水を拒みはじめる

小さき子を立ち食いそばにつれてゆき立ち食うことへの憧れを植える

人間の入れぬデッドスペースで足突き出して猫がくつろぐ

ネットでの床屋談義は矩(のり)を踰(こ)え罪深くないがこころ毛深き

人間一匹食っていけないことなんてないのだ闇は一寸の先

あまりにも悲しい夢は思い出せずやさしき脳が隠しておりぬ

あのように目を当ていれば男とは一年くらい狂うていたる

アルコールの舌の上なる幸福の揮発性なることひるがえる

どのように生きてもいいと言われたらつらいな、水から遠いスイセン

酔いたればトイレが近くこの国にひろく立小便せしか忠敬

突堤に一つの兆しのごとくして落下する鳥のたちまち上がる

ウィスキーの香りはなぜか楽しさが含まれていてにやにや舐める

ぎこちないフォームでえいっ遠投す、目的観の低さが不幸

風強き道の遠くは霞みおり不透明とはひとつの終わり

通勤の狭き電車のイヤホンにボブマーレー流れ読み進む『国家』

背を反って首かたむけて見つめたる君の景色を時々おもう

おそろしく顔の小さな若者と大きな初老が同じバス待つ

せっかくの壺焼きなのにしょっぱさをコーラがぶ飲みして舌洗う

忘れればゆえにいくつか手にとられやがて再発見へのローテ

かたちなどでこぼこでよいたたなづく山のようなる苺をがぶる

エスカレータの一人だけ右に立つ男ついに左にしずかに並ぶ

啄木の再発見もそのうちにあるらむ、百年遠き泣きぬれ

全生命とか言いながら生命のたとえば60兆の宇宙で

マイケルというかなしみは人類の昔話になるまで消えぬ

子のあらば外から帰りくるたびにかお包みたし耳珠(じじゅ)に触れつつ

悔しいがげんこつを目に当てて泣くそんなしぐさをするわけにいかず

若さというチキンレースをすぐ降りて余力は若鶏の悪魔焼き噛む

じゃがいもが湯でほどけゆくそれまでにいやその後で大事な話

生きるとはかたちが変わることなので裸体の傷の君たしかなる

コーヒーにコーヒーゼリー食べながら先に笑って負けたる三時

この場所をリーフィーアイランドと呼ぼう観葉の鉢数個だけれど

早朝の宇宙と交信するように公園のわがラジオ体操

公園の低いベンチは流れゆく時間から少し離れて在らん

きはちすが君の背丈を残しつつ君を失う夢をみていた

とこしなえに名の残ることなきわれに今年の梅が咲きそめている

変わりゆく普通と知りてわたくしは君とかわらずふつうでいたい

つぶやきのサービス止んでライフログのライフの部分こっそり消える

ありがとうそしてさよならなんていう台詞をまさかじじつ吐くとは

2017年2月18日土曜日

芽月の魚(2011年04月02日の文章)

前略 J.P.サルトル様 

 2011年3月11日に日本で大きな災害があり、3週間が経ちました。何かが終息した、というような状況の変化はどこにもありませんが、3週間が経った――というより、月が変わった、という、本質的に何も意味のない区切りによって、特に、被災していない我々は、日常に切り替えなければならないと感じています。 
 これは、もちろん忘却の第一歩です。しかし、その一歩が必要であることは、上に書いた文章にもその理由があります。つまり、 
「被災していない我々」もまた、放射能よりも広い地域で、全面的に、非日常を生きてきた3週間であったからです。 

 日常と非日常とは奇妙なもので、この期間に見聞きした事象のなかには、その奇妙さの為に変な微笑みしか出ないようなものもありました。 

 曰く、被災地でのコンビニでのレジの行列で、ポイントが付くかどうか気にするオヤジがいた、とか、トイレットペーパーの不足のニュースを見て、子どもが「地震になるとうんこがもりもり出るの?」と尋ねた、とか、近所の子供に「春休みはトモダチと遊ばないの?」と訊いたら、うなづいて、外で遊ばない理由を「ほうしゃのう…」と答えたとか、花粉情報と放射能情報がお天気コーナーで流れている、とか。 

 PTSDとか、トラウマとか、便利な用語があるのはいいことだけど「4月になったし、気持ちを変えなきゃ」と心でつぶやいた人は、確実にダメージを受けているのは確かだし、子供の場合、もっと深く、無自覚なレベルで、世界のぐらつきを感じていることだろう。 

そんな3週間のなかで、心の側頭部(心に側頭部があればですが)で考えていたのは、アートのことであり、あなたの「文学は餓えた子供に何が出来るのか」という懐かしい問いのことでした。私にはアートがわからないので、ここでいうアートも、文学、または文学表現、と言い換えることが出来ると思います。 

私があなたの本を買ったのは高校の時分で、その後、ニーチェや、カミュや、キルケゴールを通して、実存主義の、虚無と紙一重のような希望や、翻訳でどこまで読み取れたかわからないようなプラグマティズムを支える気概を理解してきましたが、たぶん、結局の印象として、あなたの、背は低いが、バイタリティに溢れた、前傾で話し込む姿が、すべての私の理解だったのではないかと思ったりしています。 

で、肝心のその問いですが、たぶん私はずっと、この問いへの解答として「という、本来的に筋の通らない問いを『問い』なさしめる力こそが、文学の力である」と、答えていたと思います。今思うと、優等生的で、恥ずかしい答えです。 

(問い) 
文学は餓えた子供に何が出来るのか 

(答え) 
…という、本来的に筋の通らない(成立しえない)問いを『問い』なさしめる力こそが、文学の力である 

 しかし、このテーマは、寄る年波、というか、時間が積み重なるあいだに、いつの間にか、テーマごと、どこかへ行ってしまった、無くなったようです。 
いつぞや私が何度も話していた「問題系の消失」というやつです。 
そして、問題系の消失の本質は、"飽き"です。 


今回の災害にまつわる動きで、いい流れだな、と思ったのは、有名人や実業家が、チャリティー(慈善)をはっきり打ち出して、多額の募金を行ったこと。 
「しない善よりする偽善」という言葉は、文章として間違っていると私は考えるし、あと5回くらいこういう言葉があがるシチュエーションで、この言葉は淘汰されると予想(希望)するけれど、そういう巷間の言葉とは別のレベルで、タレント(才人)がチャリティーをする流れは、いつ底流で醸されていたのかわからないくらい、見事に表に現れた現象だと思う。 
これもあるいは"ノリ"なのかも知れない。 

同時に、漫画家や音楽家が、或いはスポーツ選手が、自分たちの出来ることで応援しよう、という流れも、加速したと思う。これはメディアがテレビだけでなくネットもあるからかもしれない。 

(そして、何も出来ないものが怒る現象を、「不謹慎攻撃」といい、この攻撃に備えることを「自粛防御」と呼ぶのであって、これらはウラオモテなのである) 


 そんななかで、ふと目にした朝日新聞の記事を、わたしは、二度見、いや、ガン見しました。 
http://www.asahi.com/special/10005/OSK201103260148.html) 
これはすごい。 
わたしは、夜の職場で、声をあげて泣きそうになりました。 
なんという力か。 
なんという驚くべき魔法か。 
このイラストには、このイラストを見て表情を緩める子供の顔まで見える! 
また、どう泣いていいかわからない(まだ、張り詰めているに違いない)子供の顔が見える。 

現在の、そして、チェルノブイリの、第五福竜丸の、ヒロシマナガサキの、それに伴うアート(文学)の応戦を、記憶の中から探しては、同時に、あなたの(古臭い)問いを反復する毎日でしたが、ディック・ブルーナ氏のこの一枚のイラストは、あなたの問いを、"飽き"でない形で答えることが出来るかもしれない、とまで思いました。 

この災害が起こるまで、半ば飽き飽きしながら、それでも受け入れざるを得なかった「機械的人間観」や、これからも続くであろう「エネルギーとエゴイズム」の問題のなかで、われわれは、石原都知事のような「旧習道徳」や、ACのような「最大公約数の倫理」より深い場所に、アートの杖で渡っていかねばならない。 

あなたの問いは、たぶんこれからも時代遅れですが、要所要所で、くずおれた人間の目の前に、横たわっている一本の杖となることでしょう。 

なお、この手紙は、あなたにとって未来の手紙なので、あなたがこれをいつ読むことが出来るのか、わかりませんし、読めても、読めなくても、そういうことはよく、あることなのです。 
それでは、またいつか、どこかで。 
                              草々

2017年2月12日日曜日

2017年01月うたの日自作品と雑感。

ツイッターでも、noteでも間接的に書いていることだけど、「うたの日」というのは作成された方も、使用するユーザもかなり品の良い、レベルの高い運用がなされているので、つい、毎日ネットで歌会できるのが、当然のように考えてしまうことがあって、いかんいかんと思ったりする。

無料で使ってて言うのもなんだけど、いつまでも無料でよいのかな、と考えたり。

絵本の無料化の話題や、音楽教室の著作権使用料の話題なども世間を賑わせているけど、場の提供って、それ自体、ギャンブルで言うと胴元的なポジションであるべきかもなあ、と思う。胴元は決して損をしてはならないわけで。

赤字になってるツイッター社もそうだけど、無料だから使うんだけど、有料化しないと永続しない問題というのがあるよね。利潤の追求でなくて、労力の補償のレベルの話で。

ま、そのわりに「歌会の投票で順位を決めるシステムは、ポピュリズムだよね」とか言ったりもするんだけどね。

「よく、音楽は金銀銅とかそんな簡単に評価できないっていう人がいるけど、あれを言っていいのは、勝者だけだと思う(中略)だから結局、うまくなるしかないと思ってる」(『響け! ユーフォニアム2』高坂麗奈のセリフより)

シビアな言葉だよね。文学もそうなのか、よく分からないですが。

自選など。

「乗」
乗り遅れなかったきみは東雲(しののめ)の無人の地平で平気でいてよ

 ※無人の地平は、さびしいが、誰でもいけるわけではない。

「晴れ着」
明け方に大学新聞刷(す)りあげてやっと寝るきみはいまごろ晴れ着

 ※この人は成人式に出ないんでしょうね。徹夜明けで、新聞を刷って、今から寝る。成人式に晴れ着を着ている君を少し思いながら。

「自由詠」
廃品を覆う綿帽子のような雪、自然にはまだ還れない

 ※自然ではなくて、さりとて人工物としては廃品という場所に雪が降る。

「昼」
昼休みの図書室はとても神聖で君なんか来なければよかった

 ※知ってしまうともう戻れない、ということはある。君が来たから、彼は知ってしまったのだろう。

「姉妹」
お姉ちゃんになんで言うかな、なんでって泊めただけだし何もなかったし

 ※これだから妹はずるいんだよ、まったく。

「相撲」
国技館の温度湿度は決められて衝突事象は日々おこなわる

 ※これからも、この事象は続くだろう。

「沼」
裏山の底無し沼の対岸に河童がしかも白い河童が

 ※本当かねえ? 底なし沼だって、底があるわけだし。

「職員室」
職員室から吉田が戻ってくるまでを待っていたのにもう家にいた

 ※戻ってくる時にかならずここを通るはずなんだけどなあ。

「いらっしゃい」
いらっしゃいいつもと変わらないきみにルミノール反応の話をせねば

 ※この話をすると、きみはどのように変わるだろうか。

「段」
死をおもう気分をかかえ階段で足踏みはずす、死ぬかと思った

 ※ま、生きてるから死を思えるんだよな。

2017年2月11日土曜日

2017年01月うたの日自作品の31首

「平成二十九年の抱負」
とりあえず明日遅刻をせぬように話の途中であくびせぬよう

「明」
雑煮には餅明るくてめでたさの比喩としてふさわしきもちもち

「参」
参加することに異議とか田作りの魚を舌の酒に泳がせ

「繭」
思い出を繭に包んで栄養を与えずおれば軽々として

「乾」
仕事始めのああ初日から目も舌も乾いて足の蒸れしおっさん

「乗」
乗り遅れなかったきみは東雲(しののめ)の無人の地平で平気でいてよ

「七草」
レインボーフラッグのひとつ足りなくてそれもありだな粥をすすりて

「パリ」
ここはかつて花の都と呼ばれてね、ああこれは撞着語じゃなくって

「晴れ着」
明け方に大学新聞刷(す)りあげてやっと寝るきみはいまごろ晴れ着

「自由詠」
廃品を覆う綿帽子のような雪、自然にはまだ還れない

「かばん」
マグリットのりんごを赤くするためにかばんに日光詰めてミュゼへと

「毛糸」
運命の赤い毛糸が丈夫だし帯電しやすい、たぶん混紡

「方」
虹色の雪が降る日は窓あけて方舟=湯舟に浸かりて待たむ

「昼」
昼休みの図書室はとても神聖で君なんか来なければよかった

「配」
夢は無限ということにして配分を放(ほう)って眠る帰りの電車

「赤ちゃん」
眠りいる赤ちゃんの中に含まれてふにゃふにゃでぷくぷくだ、未来が

「角度」
劣化したシリコン面をずり落ちてスマホもきみの電話がうれし

「姉妹」
お姉ちゃんになんで言うかな、なんでって泊めただけだし何もなかったし

「都合」
ご都合はいかがでしょうか思い出の視界にだいたいこれがいるのは

「チャイム」
ペナペナとドアのチャイムも切れていてテツヤの家は裏から呼べり

「名」
4階の岸さん亡くなったってマジ? 下の名前は知らないけれど

「相撲」
国技館の温度湿度は決められて衝突事象は日々おこなわる

「萌」
あたたかくなれば善悪抜きにして萌えいづるなりもう萌え萌えに

「無」
無くなったと誤字を見つけてああそうだもう内側のきみだけなんだ

「沼」
裏山の底無し沼の対岸に河童がしかも白い河童が

「香」
お風呂上がりのような香りでおっさんがいるので春よもうはやく来い

「職員室」
職員室から吉田が戻ってくるまでを待っていたのにもう家にいた

「いらっしゃい」
いらっしゃいいつもと変わらないきみにルミノール反応の話をせねば

「ツナマヨ」
ツナマヨを食べさせてくれぬツナマヨは抗議の声を出す猫である

「金魚」
人に言う特技じゃないが金魚なら何考えてるかだいたい分かる

「段」
死をおもう気分をかかえ階段で足踏みはずす、死ぬかと思った