外は30度を超えているのに、みな、よく外へ出るなあと思う。人間のエネルギーはすごい。よく日本人はそのエネルギーを三十一文字に入れようとしたね。いや、出来ないから外へ出るのか。それとも、平安時代は、あんまり元気なかったのか。光らない君へ。
2017年11月の短歌など。
1年は10月で終わり今はだから来年までのひらひら踊り
広大な自由な未来目指しつつ決められたレール走れ鈍行
外は30度を超えているのに、みな、よく外へ出るなあと思う。人間のエネルギーはすごい。よく日本人はそのエネルギーを三十一文字に入れようとしたね。いや、出来ないから外へ出るのか。それとも、平安時代は、あんまり元気なかったのか。光らない君へ。
2017年11月の短歌など。
1年は10月で終わり今はだから来年までのひらひら踊り
広大な自由な未来目指しつつ決められたレール走れ鈍行
短歌が表現の極北だったような時代はもう過ぎたんだけど、じゃあ自分の短歌を文学に興味のない人に見せておもしろいのかというと、そうでもないだろうね。自分の短歌がおもしろくない、という話とはちょっと違う話としてね。
短歌など。
昨晩のチータラがより乾きおりおれも渇いて今日のはじまり
王族ではもちろんないが今日もバルス明日もバルスお前もバルス
プロトコルをプロトコールと言う彼のトリコロールのセーターを見る
人を殺せる速度の車で会いにゆききみを助ける、殺せる速度で
キットカットは受験生にはいいだろう窓際の社員さびしくかじる
フルートをぴーひゃらと言われ怒ってた彼女が奴とつき合っている
自販機の缶コーヒーの「しにた〜い」に「ころした〜い」が加わって秋
四季即ち季節の死なる、秋の裏で一つ一つの腐(くた)れゆく菜(さい)
なしてなん? なしてあんたは出ていくん? そういう声を聞いた背中か
クリープとコーヒー 焼酎 ティファールのキッチンの森に遊ぶ飼い鳥
ちちははに記別与えるときのため若かりし日の話聴きおり
ツイッターで1行半の文章を韻律で読む、短歌じゃないじゃん
セスナではなくてデハビラントなのか、まあまた来てよ待ってるからさ
金出せば焼肉食える国で思うゲバラ、ゲバラの焼肉のたれ
東北で芋煮が語られるときのバベルのごとき神の制裁
#困らせることばかり言うから
父ちゃんが蟷螂拳のポーズする困らせることばかり言うから
お守りキャラが急にオトコにならないで困らせることばかり言うから
5次請けの男らの目の野生味よ困らせることばかり言うから
beliefの語の変遷が気になってちょっと汚れてしまったこころ
(この歌はツイッターより結社誌だな)ちょっと汚れてしまったこころ
甘くないペーストを餡と言う時のちょっと汚れてしまったこころ
週はじめはうまい昼めしいのちとはときどき褒めてやらねばならぬ
な、なんと、コンビニたちが次々と? コンビニたちが合体してゆく!
ディスカウント理髪店にてAMラジオの政治批判よ、もみあげは残す
われにとり詩はおならだと言う人の「とり」のところが天皇みたい
小さいとすぐ死ぬそして大きいとすぐに死なない、ではグッドラック!
クロソイドカーブを曲がり高速へ君のつむじを掌(て)で包むため
男らはついにはらまぬものだから永遠に詩がおもちゃのちゃちゃちゃ
定型ってげにお手頃な詩形にて寒くなったらつい記す秋
みなそこで貝はぱくぱく唄うのだ身のほどなんて興味ないのだ
書を捨てよ街に出よう、書を買いに街へ出よう、街を出よう
案の定新宿ラビリンスで迷う地上はどこだ、今何年だ
色とりどりの傘に頭を覆いつつ人はしずくに弱い生きもの
ワゴンなき古本祭り、ブルーシートが文字を隠してつい海のふり
最初からきれいに踏んでくれるのでここでもぼくは二流なんだな
人生は前向きがいい断捨離と思えばさっぱり、すっかり、ぽっかり
#いちごつみより
大地からいろいろな色が湧き出して春ってなんだろうねえおじいちゃん
揺すったらどっぷんどっぷん悲しみを沸かして入ればなんかたのしい
旧駅舎の待合室のストーブの湿ったあたたかさを冬と呼ぶ
この長くゆれる吊り橋の真ん中で引き返すのもいやだ人生
あと処理がすべて終わって残りものの寿司にわさびが無いのに泣いた
川柳
あたたたた たたたたたたた たたか〜い
日曜にポエ散らかして雁渡る
俳句
急いだが回り込まれて秋あかき
収穫の喜び知らで秋まつり
恋人に飽き飽きと秋、柿ぬるん
秋の暮未来のための今でなし
新豆腐ことばがこころを斬るやうに
浴槽にはつか霧笛のようなもの
あるきっかけがあって、2年以上して、自作のサルベージをひさしぶりにする。サルベージして、自選もしていたが、2017年07月からは、自選だけを載せているようだ。さぁて、どうなることやらら。
真夜中に髭を剃りだすこのわれを無視してやさしき家族のありぬ
どこでもドアを手に入れたのでこれからはすぐに駅までいけて嬉しい
薬と水溺れそうにて飲んでいる水飲むの下手でやや可愛らし
きみに似たたましいの子がかつていてごめんその子をしばらくおもう
存在を宇宙で一番この俺を肯定しなきゃならないところ
再びのバラバラのため進化せよインターネットという孤立主義
定型はある種の元気、そこまででないものは自由律のタグつけて
立っている後ろ姿の靴底のいびつな減りも切なき景色
いきるのはつらつらつらしつぶらなるひとみのひかりまたひとつきえ
ペンネームにも人格あらばこの表現はちょっと作者に相談しよう
明日からも消え入りそうに生きていく決意を込めて、おやすみなさい
逃げ場所があればいいけどぼくはぼくをルービックキューブみたいに変えて
さまざまな色で描かれたカニだからさまざまな明日をまっすぐ横へ
外人と朝のホームを並走すアーユーハッピイ? アイムぼちぼち
この電車はもうとめませんお客様のご理解ご協力ご覚悟を
"J"を冠してさも新しい感覚の時代があった、J日本人
JジャパンにまたJを付けまたJを付けて、これじゃぁおみおつけじゃん!
ごきぶりが夕方の町を飛んでいる僕らも平和を希求している
遅々として生きると決めたこの俺の足並みを真似してもいいけど
認めたくないのだわれの青春のソリティアやってた分の遅れは
かなしいじゃあーりませんか人間がいまいるところがつらいだなんて
今日もきみは薄く笑ってでもそれはダイジョウブルー、水底(みなそこ)の青
人はまた権威に帰りゆくを見るエーデルワイスをハミングしたし
Blackbirdのイントロを弾く、ぼくだけが覚えてそうな思い出のため
生命に危険及ばぬ詩を憂いて佐佐木幸綱のさかずきの酒
革命中に詩は生まれぬと言ったのは魯迅だったか、まだ在るのか、詩
奪はれるのは言葉だけかは、愛国の印に和歌のよみがへる明日
きな臭いのきなってなんなの? きぬ擦れの君に尋ねて喃語のごとし
愛し合うのに身体がいるのとあまりにも真顔で訊かれて嘘を答える
もう死にたいと子に漏らし笑う 子の我も微笑んでこの話は終わり
心臓がトマトだったと見つかってもう学校で広まっていた
シジフォスの昼の休みは短くて缶コーヒーを数分で飲む #ギリシャ神話ただごと歌
自撮り中に水に落ちたるナルキッソス、B612の文字消し忘る #ギリシャ神話ただごと歌
秒でファボ、分、時間そして日にてファボ、年のファボやがてその死へのファボ
ポエ爺もポエ婆もいま目の前のゆふちふ婆ほど稼ぐ能わず
パンが無いからケーキを食って革命だ、銀の食器で牛丼を食え
ビルほどの耐震構造もたざれば屹立ったってか細き一首
絶唱にならなくたって短歌とはつまりひとりであるってことだ
新宿の沖縄居酒屋おれたちもミミガー! ミミガー! こよいの祭り #ラピュタ
きみとバルスしたい世界にきみはいず手もつなげずにほんと、バルスだ #ラピュタ
おまいさん今夜バルスを決行よ品川心中くらいの覚悟 #ラピュタ
実在を疑っているラピュタよりシータやパズーのような純粋 #ラピュタ
今日のうちにバルすかバルさぬかを決めてバルさんとする、害虫は死ぬ #ラピュタ
「チョコレートクリームチップフラペチーノ」覚者は七歩あるきて云へり
この夏も田舎のばあちゃん特製のチョコレートクリームチップフラペチーノだ!
雅とは牙をかくまうことならば書いた時点で隠せていない
君はきっと他にはいないという意味でオンリーユーと言ったオンリーミー
長歌「絶唱」
絶唱と 呼ぶべき一首 成したれば 死して悔いなき ものなるか さあれ昨夜の こと切れし 歌人の胸に 絶唱の ひらめきおれば 惜しまれて よきかなしみか さだかならぬも
反歌
絶唱を胸にいだけば短歌とは何首必要なる人生ぞ
川柳
誕生日のろうそくに太陽フレア
太陽フレアのせいで太陽フレアの句
素潜りのぷはっと太陽フレアかな
職探しは太陽フレア過ぎてから
市民課に太陽フレア相談室
俳句
曼珠沙華揺らした風にダンプカー
竈馬なみだにつゆも興味なし
この月は返歌球、という企画をやった。返歌球は、返歌によって歌をつなげて、ひとつの連作のようにしようとした。翌日の同じ時間(24時間)までを返歌の募集の時間にして、そこから一首選ぶ。選ばれた歌の作者は、次の返歌を24時間待って、歌を選ぶ。「選」をしながら「返歌」をつなげる遊びで、作・読・選・評、の作読選をゲーム化しよう、という試みだった。
作品的には、打越の概念のない返歌の連続なので、色彩やイメージが繰り返される感じはありましたね。連句じゃないのだから、全然悪いことでないし、この反復はいいものです。
では、この月の短歌など。
世の中が正しすぎるとこわいので不正になったらまた寄りますね
星団(クラスタ)の黄昏にまだきみがいてほんとにぜんぜん変わらないなあ
ポルティコ(柱廊)がいつまでも続くいつまでも君のうしろを追いかけたかり
「本名は」
本名はアダムスキーといいますがオカルトにまるで興味ないです
本名はシュレーディンガーなのですがぼくはいつでもここにいるから
本名がドップラーなんで救急車に乗らないように健康第一
本名がカウパーですがそういうのは一切、いや、そういう者です
ほとほとと、ほとに伸びたるおっとっとここから先は大人の時間
こちょこちょと二人楽しく眠りせば胡蝶のわたし、こっちよわたし
偏った思想を持った飼い主のそばに寄り添う犬のいたこと
信じれない! 翻訳調の驚きにら抜き言葉が使えるなんて!
渋滞の終わったときの前の車を追いかけて虎になりそうな加速
すごいあのキノコ雲、いや間違えた入道雲だ、まだ平和だった
夭逝の歌人ときどき現れて清涼なものを遺してゆけり
もういいかい産業奨励会館の骨組みだけを見たい気持ちよ
女とは半身が土地、地下鉄の地下のカラーも女がつくる
静ちゃんが「クリリンのぶん」と言う時に審査員大竹まことの真顔
雨の街の夜よ、光ってしまうからオトコは真っ黒になって帰る
ごはんですよとごはんばかりの青春は哲学だったし痔が痛かった
きみとぼくは時々道を外れつつ諌めあってた、いまはばらばら
キツいズボンあきらめてこれにする時の赦すと緩さの「ゆる」の同根
星と星を線で絵にして誕生日と結びつけたる呪術の話
生き物は生まれつづけて死につづけいくさに巻き込まれたらなみだ
時々は自分がけものであることを思い出すため食うビーフジャーキー
揉むような手つき、たしかに揉みやすい形に進化している手だな
マゴノテのその申し訳程度なる指の造形さびしかりマゴ
蜘蛛の糸杜子春の本を抱えたる少女、満員電車に乗れず
短歌つくってるけど君は詩人だし彼は芸人、あいつは迷子
優秀な働きアリと無能なる働きアリに並ぶ定食
甲子園文芸における高校生らしさをファールスタンドへ打て
自殺には意味はあらねどこの人の歌すべて自殺する人の歌
買ってない短歌研究に出してない短歌が乗ってないのを読まず
不条理の数十二万、ひとつずつたった一人の母彫りつづく
「世界」
未来からやってきたけどこの世界の未来のことは知るよしもない
「おっさん」
タレントの美少年いつか美おっさんになっているけど受け入れている
「無痛」
飛んでゆく痛いの痛いの降ってくる痛いの痛いの傘で防ごう
「鳩」
ものすごく飢えたる鳩よハトったってドバトが象徴する平和はなぁ
「恋人」
日中の夏に男女かしらねども影を重ねて黒い恋人
「黒」
もう少し派手な色でもよかったと思う眼鏡を選ぶときなど
「路線」
大都市の動脈に血栓できて静脈にすぐ乗り換えて帰る
「脈」
横になる人間という山脈のもう何回も遭難をした
「高速」
高速で事故った時の走馬灯がちょっと速すぎるよ待ってくれ
「夏草」
草が切る頰も少しも痛くない今締めている首を思えば
「大人」
大人の階段の踊り場に柵がないなんて危ないじゃないか落ちるじゃないか
「踊り」
法を得た喜びで舞う菩薩らの一万年の苦行も軽し
「新人」
最初はみんな初めてだから師匠とはわたくしに死を見せくれる人
「祭り」
時々は進まなくなるお神輿の神のきまぐれとうリアリズム
「短歌」
短歌ではなくて私に詩を書いて、だって短歌は難しいから
「脱出」
果たしたる脱出ののち胡瓜には味噌を掻きたき伊太利亜にわれ
「胡瓜」
錬金的救済を描くジュゼッペの野菜の顔の鼻はやキュウリ
「錬金」
どうしても金にならないことを知り神とはかがやかしかる絶望
「絶望」
ミサイルが発射するとき絶望は、独房の窓を光が舐める
「独房」
南極に旅立つ君を見送りき、場所ではなくて生が独房
ヘイケツ! って結構大きい声で言うそのネタの使い込んだ光沢
作者ではなくて作中主体たる<私>が驚いている短歌
一首屹立さう言ひながら依りかかり凭れかかつて連作ぞ美(は)し
人に言えば伝染ってしまう悲しみのシーンを抱いて祈りを注ぐ
片乳の妻の残りを舐めるときぼくはほんとにいやらしい舌
ウユニ湖に最初の雪が落ちる音を聞きとるように真面目な寝顔
北半球は北が寒いとカルロスが書き込む手帳がかなり読みたい
寒風を水に溶かして固めたる薄荷飴舐めて今夜さみしい
黙ったままじゃ分からないって言うけれどにちゃにちゃの飴なんだよ今は
水田に月を配って、この道はその先でキスをもらったところ
俳句
本当に負けてもよいか原爆忌
亡き人の召喚刹那盆踊り
自由律パピプペポ川柳
自分の感受性くらい賞取れば安心パピプペポ
パピプペポは不謹慎だからバビブベボ
のうぜんかずらに涙がぽとりパピプペポ
新年あけましておめでとうございます。
過去の短歌を掘って洗っておこうと思っております。それが美味しい芋であるかのように。
先日、いいねの多い短歌がよい短歌とは限らない、みたいなおしゃべりがありましたが、ツイッターという場で、機会詩としての短歌はとても活躍しうると思っているし、歌集という、機会詩の力を失った媒体でよいとされる歌が、よい歌とも限らない、とわたしは思うものです。
2017年07月の短歌から。
端末を辞めたあいつはいまどこでどの精神を抱きしめている
半分に割ったパピコを順番にわたしが食べるわたしのものだ
短冊に素直に願い書いたらばピースポールの文言に似る
朝起きて夜寝てそれを繰り返し心臓止まればよく頑張った
もう君が誰かもわからないけれど来年もまた会ってください #七夕
政治的に正しくしかし常識的じゃない表現を詩と呼ぶ朝(あした)
ひさかたのイーアルカンフーななめ飛びが出来ず真上にぽぴゅうぽぴゅうだ
人間がやっと言語を捨てたにゃらわれわれのことがわかるであろう #ネコ短歌後夜祭
北斗百裂拳はすべてが致命なる秘孔らし、その殺意丁寧
こんな日は死にたいだろう、後ろから突然宗旨を見抜かれており
画面いっぱいに描けば牛は褒められると知ってる子らの写生大会
開陳と男が言えば結局はジャンルを問わず開チンである
こんなにも歌を作って気がつけば自分の歌があんな遠くに
ポエジーに酔い過ぎたきみ金曜の終電前にもう詩を吐いて
手作りのこのポエジーを渡したいけれどあなたはポエず嫌いで
俺も詩もどっちも嘘をつくからな信じるとかでなくていいんだ
「明日死ぬ病(あすしぬびょう)」にかかってしまいうろたえてうろたえてこれ「今日死なぬ病」だ
文学的放屁について一時間の思索ののちに音せぬ放屁
オブラートで着ぶくれる夏、真実はビブラートかけるとうそっぽい
ゴッホみたいな星空がきみといるときで良かった、黙ってそう思ってた
おじいちゃん今日分の歌は詠んだでしょ、最近ちょっと増えてきたわね
文学はもっと遠くに行けるのにどうしてここで楽しんでいる
タイムラインながめておればわが死後の楽しきやりとりみているごとし
暗所から急に眩しい場に出ると目が痛くなる書き出しがいい 『雪国』#誤読文学
#俳句
竹床几半透明の使命感
#あいうえお順川柳
土砂降りで愛にすがってザジズゼゾ
おれはまだ酔ってないんだラリルレロ
すこしずつきみに服毒さしすせそ
愛したらこんなにケモノあいうえお
へいケツ、じゃなくてhey siri、なにぬねの
こんにちは。土曜の牛の文学です。最終回。
一年間おつきあいいただき、ありがとうございました。来年のことを考えたら鬼が笑うので、やめときましょう(いや、そろそろ考えようよ)。
近代短歌論争史昭和編は18章「事変歌の評価をめぐる論議」です。昭和12年に盧溝橋事件(日中戦争の発端、支那事変、日支事変)が起こり、歌壇の状況は一変する。それまでの短歌滅亡論も、尻すぼみになってしまう。日中戦争をモチーフにした作品は、おびただしい量が作られる。
その中での歌壇の論議は、①作品が具象的な、「中核に迫る」作品が少ない、という議論と、②事変への思想的な批判が少なく、日露戦争の頃の歌と変わらないという議論、③事変をすぐに歌わずともよいか、すぐに歌うべきか、という流れとなる。
ここまでは銃後詠が主だったが、このあと戦地詠が増えると、①無名者への評価、②作歌の場が露営地や戦闘の後の、内省的な時間であること(戦闘を生々しく歌うことの少なさ)が指摘されてくる。
次第に戦争讃歌の兆候が起こってくるし、戦争への批判は出来なくはなるが、歌壇の論者は、作品のレベルについては、銃後詠、戦地詠ともに、作品の未熟さについての批判的な意見は少なからずあった。歌壇全体としても、この事変歌の盛り上がりのなかで、①リアリズムを再評価し、②しかし素材主義の欠陥といえる深まりのなさを注意し、③全体として短歌のモチーフが拡充されたことを評価したのだった。
ーーーーーーーーーー
事変歌ならずとも、今後も、大きな災害や、国家規模の事件があると、短歌は増えるだろうし、そのときに考えられる議論は、やはりこのような流れになるようにみえる。表層的な作品から、深化を求めるながれ、そして、当事者性と局外者の表現。そして短歌の報告の側面と内省の側面の、一律性。
それと、事変歌あるいは戦争詠は、われわれが今度のどの場所に立つかによって、見え方が変わる可能性がゼロではない、という保留がつねにあるように思う。
ーーーーーーーーーー
七首連作「メガネくもれば」
好きな詩を白湯に溶かして飲むときにメガネくもれば師走と思え
誰に見せずダーガーのように詩を残せばアウトサイダーの詩となる言葉
歌集出して もはや歌人になる人よ、日本語をやられたらやりかえせ
朝敵ゆえに詠み人知らずにさせられて載せられた歌ある千載集おもろ
575は不自然だから詩と思う古来心地の良さならずして
善麿の老いたる妻が、こんな日本になると思ってましたかと俺に?!
硬いものに残したものは残りゆく、彫るまでもない言葉と生きる
こんにちは。土曜の牛の文学です。
今回は休みが小さい正月だが、正月というものは、もーいくつねるとー、と思わせるわくわく感がありますね。
近代短歌論争史昭和編の17章は、「岡山巌をめぐる連作論議」です。岡山が連作論を打ったが、いくつか反応があった、くらいの論議です。一応にぎやかだった、のかな。
岡山は近代短歌はリアリズムと連作によって成立していて、それは精神においてリアリズム、方法において連作であるとして連作を大いに評価した。そして、連作の中には積極的連作、消極的連作というものがあるが、近代短歌の名作はほとんど連作であることを分析して、短歌が現代性を主張するには、連作という方法が必要であることを力説した。
岡山の論に触発され、かねて連作に関心を持っていた山下秀之助は、岡山の「積極的連作」をさらに推進し、旅行詠、生活詠を自然発生的なものとしないための「高度の構成力」の必要をあげ、また時事詠、社会詠については「個性的観点を離れてはならない」とし、そして連作といえども「一題一首としての独立性」を希薄にしてはならないため、モンタージュ形式の構成を提案した。
岡山の連作論は、詩人の佐藤一英も反応し、岡山の「連作はリアリズムの所産である」という言葉から、裏返せば、歌人が「一首表現単作は断片的表現に過ぎない」と考えていることを引き出し、連作と字余り歌は、「詩的全体的表現への欲求」への傾向であるとみてとった。つまり佐藤は、連作によって短歌が再興するというより、新しい詩精神の胚胎に対して、(連作という)短歌の内部改造は無駄な努力であると考えていた。
この連作論議はしかし懐疑的な反応も多かった。「今更新しくあげつらふべき論題ではあり得ない」「連作は決して短歌をして衰頽せしめるものではないと堅く信じて疑はない」とか、定型短歌より新短歌の方が連作傾向が低いといった意見や、モンタージュ形式のような構成もまた自然発生的といえるくらい無意識に出来ている、という指摘もあって、興味をもたれなかった。
佐藤佐太郎も、自分は連作に消極的だとした上で、他の歌人の多くが、連作に馴れ過ぎて一首が軽くなっている、はじめから連作を意識した一首は軽くなる向きがある、とまで主張した。
のちにこの昭和12年を回顧した岡山巌は、その時も、それでも「連作なくして近代の歌はない」と力説した。
ーーーーーーーーーー
連作と単作について、現在周囲を見渡すと、結社、歌壇などの賞は連作であり、広く募集する短歌の賞では単作である傾向がある。これは、素人→単作、玄人→連作、とみることもできるし、作品性→単作、作家性→連作、とみることもできる。
もちろん、単なるスペース(作品発表の紙面的制約)という側面もあるだろう。
先日も、短歌雑誌の賞で、入選の歌が2首"選"掲載であることについて、テルヤは否定的な意見を述べたが(テルヤは、連作なのだから冒頭の2首を一律に掲載するべき、という意見)、連作の中から何首か選んであげる、という、あれは結社を体験している人の親切心なのだろうと理解している。このあたり、単作主義と連作主義が、都合よく了解されているってことなんだろう。
ところで、じゃあ文字による表現数が少ない短歌は、その表現の外側を、どうやって補うか、というと、かなりコモンセンス(常識)やコンセンサス(合意項目)や、コモンイリュージョン(共同幻想)に寄りかからざるを得ない。もっというと、個人情報ならぬ個人"属性"や、ルッキズムなども、必要な情報はアリジゴクのように吸い取って解釈しようとする形式だ。
だから、現代において短歌は、充分に配慮された表現形態とは言いにくい(どっちかというと失礼な表現になりやすい)。そもそもこの文明は詩と相性がいいか、という問題からあるんだけど、そこまで大きくしなくても、短歌はそんなに新しい現代の問題群に適切に回答できる形式ではないし、若い人がいつまでも楽しめる形式ではないとは言える。
でも、逆説的に、コモンセンスやコンセンサスや、コモンイリュージョンの、誰でもないコモンさんにはなれる詩ではある。むしろこれが現在の短歌の一部的な盛り上がりの理由のような気もする。
文体よりもテンプレを当てはめるうまさが光る短歌は、そういうことなのかな、とちょっと思う。文体の時代には、もう戻らんやろうねぇ。うまさのレベルが違うよってに。(もちろん現在の方がすごい)
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七首連作「孤独な者には」
古代エジプトに輪廻転生がないことを考えて君は黙ったままだ
神はそれ孤独な者には見えるように見えないようにヤッパ見えるように
孤独豆腐に孤独納豆と孤独ねぎと孤独醤油をかけたら孤独うまい
敵味方思考でいえばぜんぶ敵、「だれでもドア」を出してドラえもん
ひみつ道具は誰に秘密か知らねどもドラえもんを出して、そのロボット(四次元制御機構)を
サブカルとしての 季語として流行る 俳句として、もう戻れない侵食として
林檎をかじる、果実をかじる罪をかじる季節をかじる果汁をかじる
こんにちは。土曜の牛の文学です。
今年から始めた土曜の牛の日も、50回となりました。あと残り2回なんですが、短歌論争史は残ってしまいますねぇ。しかし来年は来年で、いろいろ清算が必要な気もしているので、この今のペースでやることもないのかなぁと思ったり。
近代短歌論争史昭和編の16章は「岡野直七郎と佐藤佐太郎の大衆性論争」。局外者をめぐる短歌滅亡論が議論されているなかで、岡野直七郎は「普遍と永遠を貫く短歌」という文を書き、「個我を通して普遍我に至る」努力によって「大衆の胸に響き大衆に何時までも愛誦せられる」歌を生み出すべきだと述べた。
しかしその後の『日本短歌』の大衆性の小特集で、大衆化について否定的な意見がむしろ目立った。佐藤佐太郎は「短歌はつまりは没細部を要求し音象徴を要求する芸術形式であるから、出来の好いもの程大衆的でない」として「短歌作者は余り大衆といふものを顧慮する必要はない」といい、高張福市は「いはゆる大衆文学の変化への興味しか理解し得ぬ人達にまでその努力を及ぼす愚は止めねばならぬ」といい、河野栄は「短歌の大衆化は全く闇であると言ふの他ない」とまで言い切った。岩元迭は「現代短歌に大衆性がないと言つても、巷に唸つてゐる俗歌に聴き入り、身をまかす程卑俗化した大衆は眼目に置かなくてもいい」とし、浜野基斎は、「名歌と言へど、それが必ず大衆に迎へられ、理解されると言ふことは仲々望めないのであつて、如何にしてそれを理解し得るまでに大衆を引き上げてゆくべきか、といふことが大きな問題である」と述べた。中村正爾は、大衆化といっても、それはみだりに流行歌性や俗悪な散文調を取り入れて大衆に媚を売ることではないと主張した。
局外者の短歌滅亡論があるさなか、これら若手は、短歌は専門性のものだという確信と自負をもっていて、大衆性を付加しにくいと考えていた。
これには渡辺順三も驚いていた。彼はプロレタリア短歌のサイドだが、かれらの大衆観が、大衆の概念規定があいまいであり、しかも「大衆は無智で低級」という考え方で、無智な大衆を引き上げようという観点そのものが卑俗低級であると怒った。
先ほどの否定論のなかでも佐藤佐太郎は岡野の論に執拗に攻撃をし、岡野の「個我を終始することしか出来ないのは憐れむべきである」の言葉に対して、短歌は個の感情を尊ぶ芸術であるとし、岡野の「誰がどれをうたつてもいい」という評言を突いて、彼の論は凡作奨励論、人情歌復興論にすぎないとやっつけた。
ただ、彼らだけでなく、岡野の論はぜんたいに不評であった。渡辺順三や坪野哲久はプロレタリア短歌の観点から大衆論の曖昧さを批判するし、福田栄一、海老沢粂吉は短歌は個性、個我に徹するべきことを尊重した。坂本小金は、大衆を意識して作歌することの難しさとむなしさについて述べ、河村千秋は、大衆化もなにも、むしろ歌人が短歌を高級芸術だと思っているあいだに、大衆は短歌を「過去帳に書き入れようとしている」と大衆との乖離の危機感が歌人にないことを告発した。
岡野は、佐藤佐太郎に「個性」と岡野の言う「個我」は異なることを述べて反論し、また、渡辺や坪野の階級的認識にも反対したが、佐藤佐太郎はさらに岡野の論に善悪の道徳的判断が潜んでいることをあばき、岡野が反論する気をなくすまで徹底して批難した。
他には、半田良平が、この論争にふれて、むしろ短歌は、明治末年からくらべて、現在は完全に大衆のものになったのではないかと述べて、岡野の大衆短歌論は不要だと述べた。
岡野は昭和10年代に活躍した論客の一人であったが、この大衆論はさんざんであったようだ。
ーーーーーーーーーー
個と普遍の問題は、アジアにとってはずっとつきまとっていた問題で、偶然かもしれないがこの議論の翌年タゴールがノーベル賞を取る。ノーベル賞が日本でまったく権威を持たなくなって久しいけど(医学とか物理学以外のものね)、アジアは個だ、という認識が広くあっただろうから、この報は大きかったのだろうと思う。短歌という日本の個が、普遍へ至れるか、というテーマは、彼だけの問題ではない、大きな問題だっただろう。
それはともかく、私はこの岡野の論は好きだ。この啓蒙的な趣旨でいい歌ができるわけではないんだけれど、彼が言いたかった当時の短歌の現在地は、むしろこれらの反論が丁寧に説明してしまっているように思う。思えば岡野は尾上柴舟の『水瓶』にもいたのよね。やっぱり、短歌滅亡論というか、短歌のウチとソトの、境界の場所にいる人の系列なんだろうな、という気がする。
ーーーーーーーーーー
七首連作「まぼろしの滝」
即時的な電磁記録はさびしくてタイムラインはまぼろしの滝
宇宙だったくせして今は明るい空、そういう時は君に近づかない
弾かれないフォークギターの弦はさび、それよりゆっくりネック反る昼
哲学者が戦争に反対したとしてその哲学の眉につばくらめ
原発事故以降注文をとらなくなったさくらんぼ農家の知り合いの知り合い
タレントの名前も読めなくなってきて有職(ゆうそく)読みで乗り切るつもり
喧嘩別れした姉弟(きょうだい)はお歳暮とお礼のLINEだけの姉弟
こんにちは。土曜の牛の文学です。
おまたせしました! 近代短歌論争史昭和編の第15章は「局外者をめぐる短歌滅亡論議」、短歌滅亡論です!(待ってねーよ)
昭和12年(1937)に、3度目の短歌滅亡論議が起こりました。きっかけは、菊池寛が、エッセイで、詩は非科学的なものであり、科学が進むと詩は成立しなくなる、という雑で一般論的な文学観を述べたことだった。
それに対して、歌人の宇津野研が真面目にも、ロマンチック精神が喪失しつつあるのは同意するが、むしろ科学の方がロマンチック精神に富んでおり、生命の問題に関する限りは詩歌は科学を超えている、と正論を書いた。
宇津野の文を受けて『日本短歌』は、国文学者ら局外者から、短歌の将来や伝統継承について意見を聞く特集を組んだが、国文学畑の人たちには、いわゆる新短歌に否定的な意見が多かった。
国文学畑だけでなく、当時の論壇でも、矢崎弾は、短詩形は「それに盛られる精神が非現実的日本精神の象徴で、今日の世界現実を包摂しえず、今日の社会現実の交流を逃亡した精神の哀れな文化のよどみに沈殿する方言的な詩魂」であるとして、その短詩形否定論から短詩形の滅亡を断言していた。
歌人の臼井大翼も滅亡を述べていたが、実作者である彼は、短歌が詩でなくなった理由を近代短歌の方法(写生偏重)のゆきづまりとして指摘する文章を書いた。
歌謡史の研究者であった藤田徳太郎は、短歌に新興芸術の新時代的生命を見出そうとするのがそもそも不当であり、それが物足りないなら「短歌などを作らずに他の新興芸術にその野心を向けるより仕方がない」と、短歌を伝統の形式美の条件から外すような試行については否定的であった。
中世和歌史の専門家の斎藤清衛は、短歌を「日本語が当然に実現すべき律語形式の一」であり「最もよく、この気象風土の中に育まれた超現実生活観的精神を具現するもの」と定義し、その特質を①その形式がはなはだ短いこと②その韻律がきわめて簡素であること③その韻律の制約上、古語との因縁を断ちにくい事情にあること④その調べには一脈の詠嘆か感傷が流れていて、たぶんに「うっとり趣味」をもっていること、とした。そして、「短歌は、短歌であるかぎりに於て、社会の文学思潮の外廓に立つて居り、激しい現実の雰囲気に混ずることは今のところ不可能である。」と、藤田の論理に近い新短歌への否定をのべた。
この斎藤清衛には、歌人の上田官治が反論し、短いということが価値を左右するものではないといい、また高田浪吉は滅亡論を一蹴しようではないかと呼びかけた。
しかし国文学者の風巻景次郎は、斎藤清衛の短歌観に賛同しつつ、「しかし一蹴しようとしまいと、短歌は結局亡びるのである、と言つたら何うなるであらうか」と、実作者が形式に対する危機感をもたないことからいぶかしみ、短歌の滅亡を論ずること自体を排除する機運を指摘した。そして「自由律短歌が自由詩を建設しないで、あくまで自らを短歌であるといふ所に、短歌の持つ不思議なまでの恐しさが感じられる」と、正岡子規以降の近代人が伝統形式に矛盾や疑問を感じるところまで来ていなかったと考えた。
なかには、保田与重郎のように、現代の生活を描くことなどより、古歌の模倣をすべきだ、という否定論もあったが、これは問題意識があまり噛み合わないものだった。
プロレタリア短歌系の森山啓は、斎藤や風巻の論文を「歌人の仕事に対する厭がらせ」とくさして、新短歌の「極く短い、単純な生活表現の文学」の意義を説き、短歌が滅びるときは、それはプロレタリアの自由律短歌が完成するときで、それまでの過渡期として現在の短歌を「恥ずべき理由がない」として肯定した。
他に音声学者、音楽評論家の兼常清佐は、五七調や七五調に我々は飽きてきたことを挙げて、また生きた口語のリズムを活かせていない、という、口語、音数律の観点で現在の短歌の弱点を指摘した。
歌壇からの反駁は、土屋文明が滅亡論について触れたり、松村英一が滅亡論者を反駁したり、岡野直七郎はこんなひまな議論は何の役にも立たないと批判したりした。半田良平は、斎藤清衛の論は最初から短歌の変化を認めない否定論なので、滅亡論以前の段階の話だと論難した。また風巻の滅亡予言も、なまぬるい曖昧な予言に堕ちている、とその発言の不明瞭さを分析した。半田は、短歌はあくまで抒情詩であるとして、その性格を限定することで現在まで続いてきたこととこれからの可能性を主張した。
半田の意見も「現状満足論」と言うものもいたが、国文学サイドの原則論、また短歌にたいする不勉強をしっかり突いた反論となった。
アララギの中堅の村田利明は、滅亡論などは「閑問題」だとして、滅亡するとかしないとか八卦占いみたいなものなら、滅亡しないと言い切って、一つの助詞の心配でもするほうが賢明だと滅亡論自体を批判した。じっさいこれが多くの歌人の本音かと思われた。
しかしプロレタリア系の小名木綱夫は、この態度こそ「現歌壇の非科学性と頽廃」であり、その助詞の心配もまた、作品との関わり、歌人の社会との事情の仕方とつながっていて、短歌の滅亡という歴史の規定との関連において考察されねればならない、とその足をつかんで批難した。
他には、詩人サイドから、短歌は連作によってリアリズムを確保することで滅亡を逃れうるという意見や、萩原朔太郎が、執念深くアララギの写生を攻撃した。
総体として、否定、肯定の段階を超えて、「優れた短歌精神の探求」(阿部知二)へと、この議論が向かったかはこころもとない。短歌滅亡論は、これで終わりではないのである。
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いま短歌は、これは観測範囲の問題にすぎないが、繁盛しているようにみえる。しかし、短歌は滅亡するか、と自分に問いかけてみると、一番近い答えは「イエス、滅亡している」となるかもしれない。上の議論の中では、保田与重郎の意見は、一番浮いているけれど、面白いなあと思ってしまうのだった。
われわれは、何を作っているのだろうか。伝統的な詩を作っている自覚を持っている人はどれだけいるだろうか。旧かなを使ったりしながら、漢字の送り仮名は戦後教育の基準に合わせていたり、要するに様々な日本語の断面をちゃんぷるーしながら、決してわかりやすいものを作ろうともしていない。本にしたって1ページの文字数がよくわからない空白を伝達しようとしている。
でも、なんだかわからない面白いものはぞくぞく出来ていて繁盛している。それは、滅亡したから、なのかもしれない。
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七首連作「そのへん頼む」
僕は僕の人は人の終わってゆく時の、カンキワマルよキックザカンクルよ
缶蹴りの友の救出で翻弄する鬼が孤独になるとき夕日
人生が終わったらそこでシークバーが止まって永遠なる読み込み中
全世界が動画で金を欲するや、やり過ぎて謝って辞めたりをする
物語が終わってゆくのが手でわかる電子書籍もそのへん頼む
ロシヤ文学の名前の愛称多くして目次と本文と電子書籍頼む
舐めた飴の終わりがいつか分からないような恋だったし飴だった
こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史昭和編の第14章は、「二・二六事件歌の是非論議」です。昭和11年2月26日に起こった陸軍将校らによるクーデター未遂事件をうたった短歌は、どう評価されたか、という議論です。
そもそも当時の人たちは戒厳令下にあってラジオの検閲された情報とうわさによって歌をつくっていて、事件の大きさのわりに、数は多くなかったようだ。
新浪漫主義を唱えている岡野直七郎は、前々回にもあったが、社会詠を嫌悪した。「どれほど短歌雑誌の上に、今度の事件の表面描写があらはれるだらうか。情景描写よりも更に邪道は、これに対する社会的批判である。ことに女流作者の角ばつたさまと社会的批判ほど見ぐるしいものはない。」と、女性への偏見をもあらわにした。
岡山巌は、岡野の意見に不満をもち、事件歌の存在を認め、自らも発表した。
何事か既になされたる帝都の空朝くらうして雪しきり降る
兵☓はまさにまぢかに起りをれど伝へ来たらむ物音もなし
号外はあかつきいでしが巷にぞ取り押へられ後(あと)ひそけしと
寄り寄りにささやき合へどこの事件(こと)の批判はさらに拠拠(よりどころ)なし
三つ四つの夕刊かひてむさぼれどしらじらし何事もなかりし如く
脳天をうちたたかれし如くにも呆けてもの言へぬ我らにかあれ
尾山篤二郎も一連を発表している。
何かの物音すらも砲声のとどろきたるやと耳かたぶけぬ
事なくて終れるラヂオ然るべく然らしめたるごとく告げをり
家焼かばこの雪消えむひろびろと焼野が原となるべかるらむ
野津黒木大山乃木につぐ人は居らずなりしやをるもをらぬか
安んじておのれを守りゆく人は今日の政治(まつり)に言寄せはせず
高橋是清といふ老翁がよはひよりその末の子の年引き算ふ
半田良平は上の岡山、尾山を好意的にとりあげて、自らも発表している。
ラヂオにてさきほど聴きしそのままの記事を号外の上に見直す
七百とも九百とも伝ふる兵士らは今宵いづこに如何にしてゐむ
誰彼と首相候補者をかぞへゆき一人の上に胸衝かれたり
愈々(いよいよ)に事は決まりぬといふ噂は雷(いなづま)を見る思ひして聞きぬ
兵に告ぐる声はラヂオに幾たびか繰返されぬ朝闌(た)くるまま
馬上より兵を諭(さと)しゐる将校をラヂオに聴きて眼に描くなり
山下陸奥は、この他の事件歌も含め、批判的にみた。歌人の発想がトリビアルなものを歌うのに馴れてしまって、事件の核心にふれるような強烈なものが作れないのではないか、という、歌人の作歌態度と方法を問題にした。
他に峯村国一が事件歌についてある種の落胆を示したが、当時の出版法によると、時局を論じることが出来なかったので、率直な事件の論評に関わる作品は掲載できなかったという事情もあるので、土屋文明はアララギの後記で上の事情を説明して「作者は自信ある作品は銘々に大切に保存されたらばよいと思ふ」と書いたりしている。
半田は、岡野をはじめとして事件歌の批評の冷遇にたいして反論し、時事詠を「社会的事件を意識の底において、そこから昂揚する作者の感情乃至気分を詠み上げた歌」と定義し、概評でつまらないとしか言わず、ここの歌を適正にみていない批評サイドの評価基準の曖昧さを突いた。
ここでの、浪漫主義と現実主義に置き換わってゆく事件歌の対立は、やがて日中戦争の現地詠の評価をめぐる対立として持ち越されていく。
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たしかに、クーデター未遂事件が起こっても、時事詠の問題になってしまう時点で、歌人の問題意識は優雅だと言える。
しかしこの事件とて、耳の時代だった。今はテレビで観た事件を歌にする時代だ。短歌が虚構かどうかというよりも、短歌にすること自体が、ものごとを虚構にすることを意味しているような時代だ。この声がほんとうだと訴えているのは、作者だけの時代だ。
とはいえ、ややテンプレート化している、二・二六事件の、しずかに雪が降る心象風景も、短歌が作られたからでもあるし、上の歌も、やはり記録的な意味は大きい。芸術に記録性による評価を含みたくないという意見もあろうけれど、時間が立つと、私性なんかより記録性の方が大きくなったりする。絵画でも、印象派なんか流行っちゃったから、あいまいな図像になっているけど、あれ、精密に描いてたら、史料価値がもっと高いよなー、と思うことは時々ある。
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七首連作「地球居残り」
スーパーデフォルメガンダムのような目で見てるSDGsの環境しぐさ
物欲も決められて黒い金曜日 買いたいものを見つけなければ
パルコにもサンドラッグや百均が入る三丁目の夕日が赤い
下駄箱に下駄がなくなり筆箱に筆がなくなり季語はまだある
機嫌良さゲームに強いきみが好き私を弟子にしてくださらんか
宇宙観、社会感、人生観、自分観。排泄観はな毛観おっと行き過ぎた
マルバツで答えを間違えた方はウラシマ効果の地球居残り
こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史の昭和編は第13章「北原白秋をめぐる「多磨綱領」論議」です。当時すでに大御所であった北原白秋が、師の与謝野鉄幹の死を受けて、「多磨」を創刊する。土岐善麿は、白秋がいまさら雑誌作りの犠牲にならなくてもよいのにと心配し、事実2年後に白秋は視力や体力を衰弱させるが、白秋は与謝野鉄幹の「弔ひ合戦」のような決意ではじめるのである。
白秋は「多磨綱領」において、日本における第四期の象徴運動として「多磨」を規定した。
第一期は新古今。「新古今に至つて、此の三十一音型は芸術としての無比の鍛錬台となつた」と述べ、日本詩歌の本流は新古今からであるとした。
第二期は俳諧。「本来一貫したる東洋精神の清明、洒脱、閑寂の諸相はここに寧ろ当時の短歌に於てよりも、茶道、造園、俳諧に於て、その本質の開顕を見、流通無礙の心象を把握した」と評価する。
第三期に『明星』をあげる。「短歌に於てもまたあらゆる西詩派の香薫と機構とが加工され、粉黛さるるに至つて、昔時の和歌意識は全く相貌を変へた詩の新感情によつて揚棄された」として、『明星』が浪漫的精神の烽火となったと評価した。
そして第四期として「多磨」が、浪漫精神を復興し、近代の新幽玄体を樹立することを主張した。
ちなみに白秋は、これが単なる『明星』の継承ではないこと、また同時期に急に新浪漫主義を唱えた岡野直七郎の言うようなものではないことは述べた。
これらに対して、山下秀之助は、アララギリアリズムの対抗馬としてのロマンチシズムとして期待した。
逆に高田浪吉は、アララギ側から、「多磨」の陣容が白秋氏の趣味の域を出ないのではと述べた。
簇劉一郎は、白秋がすでに歌壇における特異な浪漫的潮流の一つを占めていることは明らかなので、これを結社化してむやみに対立するだけになることを怖れると述べた。
坪野哲久はプロレタリア短歌のサイドから、白秋の浪漫主義は人生逃避の芸術になっていると、懐疑的な態度をしめした。
木俣修は、白秋が「近代の新幽玄体の樹立」を提起するに至った文学精神を分析し、それが長期にわたる蓄積と練磨であることを明らかにした。
「多磨」による、アララギとの大論争というものは結局起こらず、「多磨」は理論より実作を重視し、結社性の濃いものとなってゆく。白秋の歌風、個性色はあるものの、白秋の理論もまた、白秋の実作に即した「それ以上に発展することの出来ない抽象理論」(岩間正男)となって若手には窮屈なところがあった。
「多磨」創刊号の白秋の「春昼牡丹園」は、以下のような作品である。
牡丹花に車ひびかふ春まひる風塵のなかにわれも思はむ
牡丹園人まれにゐて凪ふかし奥なる花の香ぞ立ちにける
白牡丹くれなゐ蘊(つつ)みうやうやしこれの蕾に雨ぞ点(う)ちたる
春日向牡丹香を吐き豊かなり土にはつづく行きあひの蟻
その道の霞に行かす母のかげ遠き牡丹の花かかがやく
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白秋の近代短歌の歴史のスタートは、明治の新詩社(明星)であって、子規系のアララギの隆盛は、あくまで本流ではなかった、という意識がずっとあったんだろうな、と思うと、白秋もいいなあと思ってしまう。
子規は、自分の作品がいいなら鉄幹の作品をいいと思うわけがない、鉄幹の作品がいいなら、子規の作品がいいと思うわけがない、みたいなことを言ったけど、そのロジックって、この昭和10年の頃も、アララギ系は言うんだよね。新古今がいいなら、万葉が評価できるわけがない、万葉がいいなら、新古今が評価できるわけがない、みたいに。そして白秋を、どっちつかずの、あいまいな歌人とみなす。
まあ、アララギはたしかに歯切れが良かったのよね。そして一番歯切れがよかったプロレタリア短歌が、弾圧で見る影もなくなってしまったんだよね。
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七首連作「てふてふしない」
君が時々つぶやいているひとりごとの短いポエム、タンカってやつ?
言葉とは生き物なのに定型の標本の蝶はてふてふしない
のどかだな芸能事務所が本名を禁じることが出来るみたいに
若いのとかわいいのとが紛らわし きみってかわいいのか若いのか
モラルハザードというゲームがあれば襲うのは真面目な方か不真面目な方か
寝る時は死の練習のように寝る、練習が仕事、本番は集金
エッチという発音がもうエッチなんて不思議だ、ふしぎというのもふしぎだ
こんばんは。土曜の牛の文学です。
今日は出かけていたので書くのが遅くなるでありましょう。
近代短歌論争史昭和編は、第12章「岡野直七郎をめぐる新浪漫論議」です。
昭和10年は、日本は満州事変から日中戦争へと向かうさなかで、プロレタリア文学運動はすでに挫折して、アララギが低調な状態で、ここで起こったムーブメントは、新浪漫主義でした。近代批判から始まってやがて日本復古へと進む文芸雑誌『日本浪漫派』も昭和10年に創刊され、短歌のほうでも、2つの動きがありました。一つは北原白秋が浪漫精神の復興を目指して『多磨』を創刊、もうひとつは、岡野直七郎が新浪漫主義を提唱しました。
岡野は、「近年の現実主義は、短歌の散文化をもたらしたが、今年の歌壇は伝統形式尊重のきざしを示してゐる。形式尊重は、浪漫主義の取上げと関係なしに理解することは出来ない」として、現実主義の散文短歌から、浪漫主義の定型尊重へと移行することを予想して、自分自身も「財貨を根底とする世界の短歌」とか「自然の美を否定する短歌」から「情緒の歌」「歎美の歌」を作るようになってきたと述べた。
そして、ロマンチシズムと言っても、明星風のそれを繰り返すのではなく、生きている現実の人間の内部に持ち込まれたロマンチシズムであるべきだと主張した。
岡野はあいついで新浪漫主義についてエッセイを発表する。短歌は「芸術作品としての価値」が要求されているとし、「いま非常時の気分から」解放されるための「実から虚」の方向へ行かねばならないと力説する。さらに「歌の調べが第一に重要視されるやうになつた」として定型、調べを重視するような、日本的な感性への回帰をうながした。
岡野はさらに進み、浪漫精神の復興にとっては、五七五七七の定型を守ることは必須条件だとして、「太古から今まで保存されてゐた」器こそ日本精神を盛るにふさわしいとして、「万葉的なものから新古今的なものへ移りつつ」あるというようなことではなく「万葉集こそは最も浪漫的歌集である」と古代回帰を推し進めていった。
岡野に対する周囲の評価は、あまりいいものではなかった。あまりに時流に乗りすぎた性急な論理と、実作の展開のなさに、攻撃や皮肉が多かった。木俣修などは、北原白秋の『多磨』の浪漫精神を評価しつつ、後世の歴史家が、名前が同じ浪漫精神だから(岡野と北原の主張を)混同しないように念じているとまで述べた。
岡野はそれでもさらに過激にすすみ、ちょうど二・二六事件が起きた直後にも「社会批判の歌」など「定型愛の基準によつて自然に取捨選択が加へられる」のであって「何の深みもある筈がない」と拒否した。
一年前には「またたとへロマンチックな歌を作るとしても、生活に於ける現実の相はしつかりと踏まへてゐなければならぬ」と言っていたのが、ここでは「社会的批判ほど見ぐるしいものはない」というところまできてしまう。政治や社会のことなどはそれぞれの専門家にゆだねて、歌人は歌をつくっていさえすればいい、というところまで後退した。
岡野は、社会批判の否定からさらに進行し、「感傷は短歌のふるさとである」という論理に至り、「短歌の永遠性は、人間的な深い感傷の、何か無限なもの、絶対なもの、「神」と名付けてもいいようなものに服従する前後の声が、最も広く最も永遠にわれわれを打つのだ」という、定義にいたる。つまり日本の根源的なものならなんでもよい、という、論理というより信仰に通じる姿勢を示してゆく。
ここまでくると論理的な批判は成立しないので、議論にはならなかったが、二・二六事件の際の社会批判の歌の否定については徹底的な批判がされた。
岡野はその後、浪漫主義の問題については、後味の悪さをみせながら、浪漫主義と現実主義は、振り子のように動くものなのだ、というような趣旨を述べて、要するに時流の問題なのだ、と述べている。
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ロマン主義というのは、背景によって、言う内容が真逆になったりするので、厄介だ。ロマン主義というと、普通は形式を守らない、理性に対する感情と理解されがちだが、ここでは、定型の遵守がロマン主義になる。
この時代の岡野を批判するのはたやすい。しかしプロレタリア短歌が弾圧されて転向が起こったときに、彼は時流に乗ったというより、その一本道が見えたのだろうし、プロレタリア短歌の夢がさめた瞬間というのは、彼だけでなく、それなりにいたのだろうとは思う。
岡野の最後の弁明めいた言説は、あんがい、強い気もする。
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七首連作「雨夜のように」
人生に偶然はない オートクチュールの言葉の中に「特注」がある
オリジナルな遺伝子だけど母も祖母も同じ寒さに同じ咳した
母と娘がすき焼きの肉をしなさだめ顔寄せあって雨夜のように
ニッポンがスライドしながら年を取る、おいしい肉もそんな食わない
ひとりずつ家から人は消えてゆく、最後の母が口開けて寝る
真夜中に家のどこかがバキッと鳴る不思議な音もなつかしいなど
この人のあるいは家のものがたりを物語られるなき雨の夜
こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史昭和編は、第11章「『国民文学』と『アララギ』の類歌論争」です。昭和10年をまるまる使ってのこの論争は、実りが多くなかったと言われてますが、短歌における類歌、暗合、模倣、剽窃、という類似の問題、この先もあるだろう問題の過去事例ではあります。
まずはアララギの若手、渋谷嘉次と五味保義が、あのアララギ調の傲慢な言い口で『国民文学』の批判を始める。松村英一をはじめとして『国民文学』の作品はアララギを模倣した低劣な作品である等。
それに対して『国民文学』の若手、山本友一や小籏(おばた)源三が反論をする。アララギは他誌批判の真摯さが足りないこと、模倣の具体例がないこと、渋谷氏自身の作品も低調下品な散文と変わらないこと、彼らの言う常凡主義を国民文学は唱えていないこと、等。
これに対して、渋谷は松村がアララギを真似たとする例を出してきた。
1)岡山の友がくれたる青き葡萄アレキサンドリアといふを惜しみつつ食ふ(昭8.12 英一)
信濃路は木曽の友より送り来る栃餅といふをまつは楽しき(昭4.1 文明)
2)城山をめぐりをへて出でし道に真向ふ海は柿崎弁財天か(昭8.6 英一)
巌の上にとざせる家を一めぐり向ふは東浪見のとほき岬か(昭8.4 文明)
3)吹く風の寒きながらに汗いづるわれは遠くも歩みたるなり(昭9.8 英一)
汗ばみて夜中の地震(なゐ)に覚(おどろ)きし吾は宿屋にとまり居しなり(昭5.12 文明)
4)高きよりなだれし岩にいくつかの村は埋めてありとこそ聞け(昭9.9 英一)
石亀の生める卵をくちなはが待ちわびながら呑むとこそ聞け(昭6.1 茂吉)
5)檜苗背にうづたかく負ひのぼる人は顔より汗たらしたり(昭9.8 英一)
二里奥へ往診をしてかへり来し兄の顔より汗ながれけり(昭8.3 茂吉)
葱を負ひ山をのぼりてゆく人あり焼山谷に汗をながして(昭8.10 文明)
6)山川の鳴る瀬の音をききてよりまたくだるなり斑雪の上を(昭10.4 英一)
山がはの鳴瀬に近くかすかなる胡頽子の花こそ咲きてこぼるれ(大14.9 茂吉)
まざまざと影立つ山の峡を来て鳴る瀬の音ぞくれゆきにける(昭9.1 文明)
これらが模倣かどうかははっきりしないが、具体例を出してきたので、小籏も具体例で、上の数字のアララギ以前の類歌を『国民文学』から引っ張ってきた。
1)信濃なる有明山の石楠と心喜び手にかざし見ぬ(昭2 空穂)
伊予の沖はなれ島にゐて友の詠む拙き歌を我は待ちかね(昭2.9 植松寿樹)
2)出雲路の西の涯に立ちけらし深くくもれる海にまむかふ(昭5.1 英一)
霧はれて星影つよくきらめけりわが向く方は南の空か(昭和7.11 英一)
3)昨日の今頃は正に汗あへて徳本峠をのぼりゐしなり(昭2 寿樹)
速吸の瀬戸をいねつつ西風吹きて船かしげるに覚めて驚く(大14 尾山篤二郎)
4)この一日雲にかくろふ妙高を青野が果にありとこそ思へ(昭2 英一)
5)昼日中店の間にしてねむりゐるをんなの額に汗流れたり(昭3.11 英一)
いくばくの銭にかならむ汗かきて人が背負ひ来しこの袋の繭(昭3 半田良平)
この引用によって、アララギの、あたかもアララギのオリジナルを一方的に模倣したかのような言い草が間違いであることは、はっきりした。
しかし6)の「鳴る瀬」については、土屋文明自身が英一の模倣を非難したので、小籏はすかさず反論し、万葉集にも人麿の「山川の瀬の鳴るなべに」があるとして、特殊な語ではないと言い返した。しかし文明は、「瀬の鳴る」はあっても「山川の鳴る瀬」の句そのものの用例はないとして、ここの自分のオリジナリティがあると主張したのだった。
ここで、小籏のあとをうけて宇田千苳が
山川の鳴る瀬に月のさす見ればおはれ死にたるひとの思ほゆ(大10 永田寿雄)
以下「鳴る瀬」の用例を短歌、俳句から10例近く挙げて、これは創意ではなく、単なる過去用例の倒置であるとして、土屋文明の論難が身勝手であることを示した。
これはアララギにとっては痛い反論となり、また歌壇からも『国民文学』のほうが印象がよかった。もともと、第三者から見ても、松村英一や土屋文明の作品は、それぞれ彼ら独自の作品となっており、模倣や剽窃を思わせるものはなかった。
しかし、この時代のやや低調な歌壇において、類似を思わせる歌が多かったのは、事実のようであった。
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短歌がネットコミュニティ空間で、ある種の流行が発生している現在、この類似歌の問題はこれからも定期的に発生することは想像に難くない。しかも短歌は本来的に、言葉や着想をミーム化するために韻律をととのえた詩なので、いいものは広がりやすい性質がそもそもあるのだから厄介だ。
個人的な経験として、びっくりするほど自分の短歌にそっくりな歌をつくられたこともあるし、自分がびっくりするほど、他の人と似た短歌をつくったこともあるのだが、自分がパクったと思われてもしかたがない短歌については、「こんなこともあるもんだなあ」と思いながら、自分がパクられたような短歌については「いやーここまで同じ着想や語彙はないだろう」と偶然を疑えなかったりするので、人間というのは厄介だ。それはもう、素直に第三者に判断してもらう他ないだろう。消したりするのはもうゲロったようなものなのでそれは問題にする必要もないだろう。
でも、創作って、オリジナリティを打ち出すものと、共同幻想の中に溶け込むものがあるものだから、簡単ではないよねえ。
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七首連作「どっちが大事なの」
グーでなくパーでもさいきん「殴る」らし、そのうちチョキでも殴れるものか
新興国の肖像画みたいな色合いで新庄監督たしかに楽し
ほらあれが「賢くなって間違いが許せない人の言葉の剣」座よ
存在と時間とどっちが大事なの、飼われたるものはそんな目で訊く
人生の終局にクイズがあるとしてその時のためのような人生
地獄とは他人のことだ、他人とは自分のことだ、サル、トル、いぬ、い
うがいにも二種類あるしぶくぶくかがらがらかいつも確認したい
こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史昭和編の第10章は「岡山巌と渡辺順三の現実主義論争」。岡山巌(いわお)は、歌誌『歌と観照』を創刊していたが、昭和9年11月の『短歌研究』で、現在の歌壇は4つの現実主義を生きていて、どれも行き詰まっていて真の現実を描けていないとした。
それは、アララギの写実説からきた「万葉復古的現実」、そして牧水・夕暮によって代表される自然主義がもたらした「輸入文学的現実」、いわゆる社会派からプロレタリア短歌に受け継がれた「舶来社会学的現実」、さらには最近の近代都市の機械化などを抽出した「新即物性リアリズム」と要約されるとして、それらではない「環境と私との直接的な関係性による現実主義」を提唱した。
ちょうど同じ『短歌研究』11月号で、プロレタリア歌人の渡辺順三が「最近の歌壇に於ける現実主義の理解において」を書いていて、歌壇で言う現実主義が、主観的や観照的、あるいは自然主義的にすぎないとして、無党派的ではない、社会主義的リアリズムを提唱した。これは渡辺独自の論というよりは、プロレタリア文学論に沿ったものを短歌に適用したくらいものだった。
自分のリアリズム論が「舶来的社会学的現実」という行き詰まった現実主義の一つとされたのだから、当然渡辺は岡山に反論を書く。
岡山が「舶来社会学的現実」では具体的な人間関係を掘り下げられないというが、それは「社会関係の総和(レーニン)」として考えなければ、実体をつかめられず、一人の人間の考えや行動は、社会的関係のなかではじめて理解が可能であること、また岡山の言う直観的、主観的に現実に把握することは、西田幾多郎の主観的観念論の影響を受けたものであり『非現実』主義の泥沼に片足を落とし込んでいる、と揶揄した。
岡山と渡辺の応酬は三度も反駁し合うが、論争そのものが動くことはなかった。渡辺はプロレタリア文学理論に自信をもっていたし、岡山はプロレタリア文学理論ほど整理されていなかったし観念的であるきらいはあったが、新しい現実主義を模索する姿勢はあった。
論争のあいまに、岡山は歌壇に対して、結社があって精神や主張があるのではなくて、精神や主張があって、それから集まりがなければならないと言ったり、しかし何々主義よりも前に具体的な人間がひかえていなければならない、というイデーを述べたりした。また渡辺も、短歌が「芸術性」と「大衆性」を(矛盾するものではなく)なんとか統一できるものとして、そのための理論と現実主義を考えていた。しかし彼らの志はともかく、その議論は、抽象的、観念的、またはマルクス主義の公式論的で、現実の作歌にあまり関わらないものだった。
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昭和初期はプロレタリアのロジックが吹き荒れるし、マルキシズムというのは、入り込むと一瞬すごくクリアになるので、人類に猖獗した、というのはわからなくはないのよね。
でもどうかしらね。またプロレタリア短歌、流行ったりするのかなぁ。兆しはないけれども、裏側には居るような印象はあるよね。
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七首連作「僕という絵本」
心臓に話しかければ心臓は自意識なんか軽んじられて
交響曲を九つ作れば死ぬという時々ほんとのうわさがあった
戦争のない世界とは広告を消すための広告を流す世界で
絵本(picturebook)とはまったく不思議、絵本から出れない僕もウィトゲンシュタインも
コンビニズムの光の中でわれわれという輪郭に突っ込むプリウス
真実しか述べない僧がいるのならおそろしいよねそいつの不朽舌
僕という絵本に君をまねきいれやっぱりきみは姫さまでした
こんにちは。土曜の牛の文学です。
今日の近代短歌論争史昭和編第9章は「松村英一と土屋文明をめぐる定型散文化論議」というもので、これは具体的な論争というよりも、昭和8年頃に、短歌の散文化がどのように受け止められていたか、というなだらかな状況についてのものだ。
といっても、まずは『国民文学』の松村英一が、短歌の発想が散文化しがちになることの必然性を述べたさいに、「写生歌が、死物の如き姿を以て現れ」ているとアララギを批判したから、土屋文明が『国民文学』の植松寿樹の作品をくさしたのが論議の始まりではある。
空にむきて枝はる樹々の早き芽立わが家の庭とくらべて仰ぐ 植松寿樹
わが側をすりぬけて急ぐ自動車は女同志さそひ合せて乗るか
<空にむきて枝はる樹々><わが家の庭とくらべて仰ぐ><すりぬけて急ぐ><さそひ合せて>のような散文化した発想の低俗はどうなのか、と土屋文明はやりかえした。
松村英一は、土屋の神経質な批評態度に異をとなえつつ、短歌が散文化していくことの妥当性や新しさを主張した。
この話題について、尾山篤二郎は、散文化を試みた最初の歌集は窪田空穂の『濁れる川』だとして、散文の取り扱う世界を歌に取り入れる文化が『国民文学』にはあるとした。またアララギにも、正岡子規以来のリアリズムが根幹にある以上、現在のリーダーである土屋文明にもリアリズムとしての散文化を期待した。
ところが文明は散文化という言葉を疑問視し、この言葉が、単純化の不十分性や、叙情性や、作為的な水増し表現や、定型の調子の張りなどを無視されがちな弊害を警戒した。散文化によるリアリティの深化に期待しないわけではなかったが、否定的な見解をもっていた。
そのころ、昭和8年5月号『短歌研究』の五十首競詠で、土屋文明は有名な「鶴見臨港鉄道」二十二首を出している。
本所深川あたり工場地区の汚さは大資本大企業に見るべくもなし 土屋文明
幾隻か埠頭に寄れる石炭船荷役にはただ機械とどろけり
吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は
横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ
無産派の理論より感情表白より現前の機械力専制は恐怖せしむ
この作品について自由律の矢代東村は「今年度に於て、散文化の問題に関連し、最も注意された」と評し、釈迢空も「さすがに、こんなのを見ると、世間の空元気のどなり歌とは、はっきり区別が立つてゐる」と高く評価した。
しかし尾山篤二郎はこれは否定的だった。「把握力の強靭さが無く、全く散文化して了」ったという。
散文化の話題は、その後も大熊信行や、清水信や、半田良平などがニュアンスを変えながらすすめていく。概ね散文化を支持する流れであるが、伊沢信平など、反対するものもあった。
散文化をねらった作品は、どうも「漢字・漢音の熟語の羅列、文語体の文章口調、著しい調子外れ等、つまり文語的散文の一節か一行に過ぎないもの、内容的には、恐しく非科学的な、空疎な観念、ファッショ的イデオロギー、瑣末(トリビアル)な俗事の表白等である」(伊沢)
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短歌の散文化の問題は、およそ3つのファクターがからみあっていると思われる。1つは現在性の獲得の問題、2つは非日常の詩から日常の詩(散文)への移行、3つは定型の維持するか否か。
この3つの、たとえば土屋文明は、1は肯定するものの、2は詩であるべきで、3の定型は破壊するわけにはいかなかった。このポジションで、プロレタリア短歌(全部既存のブルジョア的なものは壊せな思想)が元気なあの時代、散文化を言葉の上でも簡単に賛成するわけにはいかなかっただろうと思われる。
でもこれも、思い返せば、明治43年の尾上柴舟の「短歌滅亡私論」に含まれた議論なんだよなあ。(土曜牛の日第1回「滅亡論」)
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七首連作「短歌はいつよ」
しのびよる表現の過激忌避の風、本焼けば暖はとれるしばしは
しあわせを君を祈るたびつくづくと、居場所を君は変える旅つづく
青年は詩を 中年は川柳を 老年は俳句を(短歌はいつよ)
「恥ずかしいセリフ禁止!」と言うアニメキャラの恥ずかしいセリフを見つけるはやさ
人生のうわぁなことはやったのであとは生きるだけの人生
水着って下は衛生的に分かる、上は性的な他にあるっけ?
my salad days、(YouTubeのアイコンがまだブラウン管だった時分に)
こんにちは。土曜の牛の文学です。
短歌があまり好きではない、という内容の誰かのブログを読んで、ちょっと気持ちが沈んだのだが、そんなやつそもそも多いだろうし、自分が落ち込むのは大変にスジチガイだとあとで冷静になった。そういうときは腕立て伏せ50回やればいいのだ。
近代短歌論争史昭和編の第8章は、「斎藤茂吉と谷鼎の花紅葉論争」。有名なあの歌の解釈をめぐる論争で、斎藤茂吉が完敗したのだ。
新古今和歌集「秋歌上」の藤原定家の、
み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕ぐれ
この歌の<花ももみぢもなかりけり>について、斎藤茂吉と谷鼎(かなえ)が二年あまり対立した。斎藤茂吉は、これを実景として、もう花も紅葉もなくて秋の夕べはさびしい、という解釈をした。
この歌の解釈は、17世紀に北村季吟が八代集抄で「花も無く紅葉も無いが大層おもしろい」と非実景でとらえ、本居宣長もそれに同じ、宣長の門の石原正明も「花も紅葉も及ばぬほどの好景なり」と非実景だったが、茂吉と同世代の国文学者鴻巣盛広は「花モ無ク紅葉モ無カツタワイ。」と実景の説を取っており、茂吉はそれを支持した。当然茂吉にはアララギの写実の理念が念頭にあったのはまちがいない。
それに対して、藤原定家を研究テーマにもしていた谷鼎は、実景説を退けて、象徴説をとって対抗した。まず「花」は秋の千草の花でなく、桜の花であり、象徴の美としての「花」と「紅葉」であること、浦の苫屋に桜や紅葉が無いことを藤原定家がわざわざ言うわけがないこと、「なかりけり」の言い切りの不自然さは、美の象徴の花や紅葉がないのにそれに類した美の気持ちをもたらす浦の景色を表現しようとする「新らしき語調」の詠嘆であること、を述べて、茂吉のように「万葉の目を以て新古今を尽く解さんとするやうな錯誤」に釘をさした。
だまっていられなかった茂吉は、9ヶ月に渡って、「花も紅葉も無いワイ」か「花も紅葉も要らぬワイ」かを、用例を調べて「無い」の用法に「要らぬ」の意味があるかどうかを調べ上げた。「無い」に「要らぬ」の意味がなければ、谷の説を覆せると考えて、そんな用例がないことを証明した。
谷は、茂吉がすべて言い尽くすのを待ってから、逆襲した。まず、9ヶ月かけて調べた「なかりけり」は「無いワイ」の詠嘆でよいとした。「要らぬ」「及ばぬ」の意味は、作品の余韻の解釈なので、茂吉の抗議に抵触しないと言いこなした。それから、茂吉の訳の「もう花も、また紅葉もない」が実景であるなら、両方にかかる副詞の「もう」を考えると、もう紅葉もない、つまり冬になるので、「秋の夕ぐれ」がおかしくなる。そして、この歌が、あるべきものの不在の寂しさではなくて、浦の苫屋の寂しさそのものの趣をよんだ歌であることを、古典和歌における「花」「紅葉」の象徴や観念を説明しながら論じた。
谷は最後に(斎藤)博士のこけおどしの空砲ではなく、実弾を、標的をちゃんとねらって撃ってもらいたい、としめくくったが、茂吉は反論することはなかった。
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無い、という不在が実景なのか非実景なのかを議論する、というのは、なかなかイカれた論争だな、とは思うよね(笑)。だってどのみち無いんだもん。
ただ定家の時代に、幽玄様とか言葉があるけれど、不在のものをよむ、というのは、言葉そのものの力についていくというのは、おそろしく勇気のいる行為だったかもしれないよね。すごく表現として前にいたんだろうな、と思う、和歌は。
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七首連作「怒らない方に」
鼻の時代、耳の時代がありまして目の時代目は濡れてばかり
人の言葉をさえずりにしてしまったろ、もうそれは快と不快の音色
関係は神社とおおかみのごとし、歩くとは目をあきらめること
人間をからから逃げて信天翁、アホウドリの名は救済だのに
雪野をばひたすらはしる犬の景、探していたがやがて楽しい
価値観がバラバラなのとひとつなのと、より怒らない方に3000点
いまどこで君は落魄してないか、神々を今日も遣わしといた
こんにちは。土曜の牛の文学です。
先日は関東で震度5強の地震がありましたね。人類は地震と疫病で思想を鍛えてきました。というか、首都圏でこのレベルの地震があって、それほど騒がない国は他にどこがあるかな。
近代短歌論争史昭和編は第7章「土屋文明と高田浪吉の生活詠論争」。島木赤彦亡き後のアララギにおいて、土屋文明系と赤彦系が対立して、文明系が覇権(ヘゲモニー)を握るなかでの論争です。
赤彦系の高田浪吉(なみきち)は、赤彦の鍛錬道、人生即作歌という歌風を守る職人の歌人だが、赤彦亡き後アララギのエリートたちを批判しながら、ついに土屋文明の作品にも批判をはじめた。
「八月十六日」 土屋文明
目覚めたる暁がたの光にはほそほそ虧けて月の寂けき
暑き夜をふかして一人ありにしか板縁(いたえん)の上に吾は目覚めぬ
ふるさとの盆も今夜はすみぬらむあはれ様々に人は過ぎにし
暁の月の光に思ひいづるいとはし人も死にて恋しき
有りありて吾は思はざりき暁の月しづかにて父のこと祖父のこと
空白み屋根の下なる月かげや死の安けさも思ふ日あらむ
たはやすく吾が目の前に死にゆきし自動車事故も心ゆくらし
安らかに月光(つきかげ)させる吾が体おのづから感ず屍(しかばね)のごと
争ひて有り経し妻よ吾よりはいくらか先に死ぬこともあらむ
浪吉は、3首目を「様々に人が死んだという考へ方は好まぬ」から「様々なことをして人が死んで行った」と解釈したいと言い、8首目を自分を「あはれむ気持」が「甘し」とし、9首目の歌を夫婦争いの憎悪の歌として、「さういふ所には歌の大道はあり得ない」と批判した。
しかし、文明も軽くいなして訂正をしたが、浪吉の解釈は作品のポイントが基本的にずれていて、赤彦系のスローガンである鍛錬、大道に説得力をもたせる以前のところでの派閥意識のような批判となっていて、大きな論争にならず、赤彦系の衰弱を示す結果となった。
文明の生活詠も、赤彦系の自然詠の脱却のための新しい方法論が提示されるわけでもなかったが、赤彦系の鍛錬主義、人格の陶冶と写生、という方式はうすらいでいった。
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ヘゲモニーという言葉について考えざるをえないよね。そういうポケモンの名前ではない。
論争というのは、つまるところ覇権争いなので、論争史を読む以上ヘゲモニーの移動を把握することがポイントではあるのだが、覇権を取る主義や作風は、主義や作風それ自体が取るものなのか、時代が選ぶものなのか。今の時代は、何がヘゲモニーをもっていて、それは、新しい論争が変えるものなのか、それとも、ただの飽きなのか。
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七首連作「ニュースで不幸」
目の前のケーキにだって陰謀論それがおいしいからまずいから
ニッポンは不幸なニュースが多すぎるニュースで不幸を思わせすぎる
むかしむかし物資払底した国で子供の笑顔が光った話
生き物は生き物の悩み、死に物の悩みを覗くとき色は黒
さきゆきが不透明だと言う時に江戸時代は透明っぽいと思ってごめん
起きたらば結構寝てた秋眠も覚えておらずアカツキムーン
コロナ禍でこのなかでこの世の中で転んだままで喜んだままで
こんにちは。土曜の牛の文学です。
今週の近代短歌論争史昭和編は、6章「浅野純一と影山登志男の自己清算論争」です。面白いけど、ややこしいのよね。
昭和4年(1929)のプロレタリア短歌は、無産者歌人連盟の『短歌戦線』があったものの、他にも『先端』『まるめら』『文珠蘭』『黎明』などがあって、それぞれが対立していたのだが、今回は『黎明』の影山登志男が『短歌戦線』を批判したことを発端とする。
『黎明』は、『短歌戦線』のような政治主義的な観念的態度よりも、痛切な生活苦のクローズアップから階級意識を目指す意識があったので、影山登志男は、対外的な闘争もよいが、ブルジョアイデオロギーで教育された自分たちの「ブル的」なものを「清算」するべきだとした。「封建→近代→プロレタリア」の流れの中で、「封建→プロレタリア」と一足飛びに行かず、近代的自我の確立が必要だという闘争のプログラムを述べた。影山登志男はこのような自作を引いた。
いざと言ふ時それを妨げる一人の人もあつてはならないその時に今は力を尽さう
ちなみに『黎明』のリーダー田辺俊一の作品は以下である。
何だか知らないが自分は一たい頭がへんになるのかと思つてゐる
俺のものは芸術なんかぢやなくていい価値なんかなくてもいい
俺は今よわい言葉を吐いてしまつたどうしていいかわからなくなつてきた
影山の文を読んで『短歌戦線』の浅野純一は、影山が「自己清算」が何かわかっていない、闘争をしてこそ自己清算はあるのだとおこった。また純一は『黎明』の武政杜郎の作品「血みどろな実感の道を進むことなくいい歌が大久保よ出来ると思ふか」に触れ、「歌作するために闘争するのではなく、闘争の中から歌が生まれてくるやうにしろと言ふのだ。」と、『黎明』の自己清算の考えが筋違いであると諭した。
同時に『短歌戦線』の伊沢信平も、影山登志男の「自己清算」に反対し、彼の理論は旧来の内部葛藤の反省・告白の「自我主義」であり、プロレタリア文学の意味を失っているとした。プロレタリア文学が大衆の中に入る芸術運動のプログラムにおいては、「自己批判的な歌」よりも、「アジ・プロの歌」の努力が必要だとした。
とはいえ『短歌戦線』の作品のつまらなさには内側にも不満があって、花岡謙二は、プロレタリア短歌について根本的な問題として①短歌は階級闘争の具たり得るや②プロレタリア短歌は短歌たり得るや、という提起をおこなった。しかしこれは、渡辺順三が花岡が階級芸術論をわかっていないとこき下ろし、いわゆる短歌たりうる必要はなく、プロレタリア的な世界観による、新しい芸術観を建てなおすべきだとやりこめた。
論争は、影山が『短歌戦線』の浅野の作品を挙げて批判したことで、作品の話になって矮小化していった。批判した浅野純一の作品「従業員表彰式」はこのような作品である。
うやうやしく、表彰状をもつてよぶ、老ぼれ会長が壇上から。
くだらない表彰状がうれしくて、女工は抱く、児を抱く胸へ。
正午(ひる)がきた。弁当がでるかと待つてゐた。正午(ひる)には白湯もでなかった。
諸君と叫んで警部は待つてゐた。あてにしてゐた拍手がないので。
折詰の弁当が来たと喜んだ、職工に見せるな、資本家だけの弁当なら。
論争はふたたび自己清算論に戻るとみえたが、『短歌戦線』は別の文章で発禁になり、論争は途切れた。その後メーデーに出版された『プロレタリア短歌集』も発禁になり、弾圧のなかで、ふたたび小グループで対立していたプロレタリア歌人たちは結束するようになり、プロレタリア歌人同盟の成立へと向かうのだった。
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プロレタリア短歌のおもしろくなさは、とても興味深いし、ひとつの謎でもある。一応の理由はつけられそうなんだが、それは、いつか自分に帰ってくるのではないか、という気がするのである。歴史が繰り返すなら、また表現はここに来ることがあるように思うからだ。
文明は必需品のレベルによって決まる。文化は不要品のレベルによって決まる。
そんな格言を今考えてみるけれど、表現という不要品は、不要であることによって、排斥の風はときどき猛威をふるうのだ。そのなかで、表現は必要だ、と訴えてしまうと、理論や根拠が必要になる。そして理論や根拠が認めるものは、プロレタリア短歌のようになってしまうのだろう。
彼らの、政治的な、表現の正しさの議論は、現在もismと名付けられた考えによって、表現を不要なものにしようとしている。不要なんだが、それは文化のレベルを決める。
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七首連作「嘘つきは」
人間はおろおろおろか、簡単なことばを簡単なことばと思う
トロイの遺跡を見つけたというシュリーマンがいなければないままのトロイア
嘘つきは表現のはじまりなればライン作業の漢字のドリル
平等な地平はけっきょくどこだろう? どこまで降りれば(お前は上か)
叫び足りないんじゃなくて酒びたり、知らないコンテンツの中で寝る
男とは(女もだけど)根性のある顔がいいよね、我(が)と違い
人間はすごすごすごい、ことばにてこころをまだ見ぬものにも描く
こんにちは。土曜の牛の文学です。
先日、宮沢賢治のやまなしを久しぶりに読むと、あれが大正の作品だったことを改めて知る。宮沢賢治の文体は、誰しも一度は「出会う」と思うけれど、出会うってことは、生きているわけで、たいした寿命だな、と思うのだ。
近代短歌論争史昭和編の5章は、「斎藤茂吉と高浜虚子の客観写生論争」。客観写生を確立していた高浜虚子が斎藤茂吉を招いて、『ホトトギス』誌上で短歌と俳句の写生の比較をこころみたものだった。
茂吉は客観写生に反対したが、①短歌と俳句は短歌の方が主観的で俳句は客観的である。②写生は実相を写すものであるから、主観や客観に限るものではない。③したがって俳句が客観写生に限定するのは範囲を狭めることである、という理由からであった。
しかし虚子は短歌は主観写生がその長所であり、俳句は客観写生こそが俳句本来の面目であると、少しも揺るがなかった。そして、茂吉が提出した客観写生の短歌を、俳人側はほとんど評価しなかった。
これに対して茂吉は憤然として「和歌に対する鑑賞眼の低級なのに驚いた」「態度の幼稚さ」「和歌の初学者にも及ばず」とあの調子でやりかえした。驚いたであろう虚子は、控えめに返答したが、意見がゆらぐことはなく、もの別れに終わった議論だった。
この論争は、何も生まなかったようにも見えるが、俳人の中でも水原秋桜子など客観写生に飽き足らない者は、茂吉の写生論へ近づき、のちの新興俳句運動への下地へとつながっていくものであった。
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近代短歌の写生は、ふりかえると、やはりいびつな定義に思われる。ものを写しとる、という行為において、客観と主観は、明確に分かれるものでもない。言葉で写すとなおさら、その言葉の選択が客観か主観かを論じるのは、フレーム(枠組み)の問題になってしまうだろう。茂吉は、そのフレームを認識しているメタな主体をも写すことを実相観入と呼んでいるのだろうが、斎藤茂吉のおかげで、日本人は、客観と主観をローコンテクストで判断できない病気にかかってしまっている。
正岡子規のいう写生というのは、せいぜい説明せずに描写せよ、くらいの意味だったはずなんだよなぁ。
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七首連作「こんど飲もうよ」
人類の最初に花を供えたる変わった人を思う休日
思い出は尽きないなんて言うけれど、無い思い出もみえる時代に
沼なれば泳ぐというか潜るちゅうか汚れを気にせず進むがたのし
漸進ということだろう、カタツムリのけっこう速い遅さについて
理想論だけどさ、お金は足りなめで虚勢を少し張る男たれ
シラケてた時代も終わり、見渡せばシラケてたのはここだけだった
オレたちはいつまで虚像? 作中の主体同士でこんど飲もうよ
こんにちは。土曜の牛の文学です。
近代短歌論争史昭和編の第4章は「斎藤茂吉と太田水穂の<病雁>論争」だ。昭和4、5年(1929-30)のこの論争は、茂吉の「よひよひの露ひえまさるこの原に病雁(やむかり)おちてしばしだに居よ」という歌を、太田水穂が、芭蕉の「病雁の夜寒におちて旅寝かな」の象徴の模倣であると書いたことからだった。
茂吉は例によって、語義出典を調べまくり、宋の『誠斎詩集』に「病雁」があるので芭蕉のオリジナルでないことを示した。そして、芭蕉の句が帰雁(春)であるのに対しこちらの病雁は秋の季であることを説いて、模倣を反論した。さらに、太田水穂の象徴主義が、アララギの写生即象徴の方法論よりも非論理的であることを攻撃した。
そこからの斎藤茂吉の太田水穂攻撃は執拗をきわめて、「太田水穂の歌を評す」は1〜7まで、「太田水穂を駁撃す」は1〜5まで、「太田水穂の面皮を剝ぐ」は1〜4までと、アララギ誌上で、太田水穂の作品、人格、批評、私信まで晒して徹底的に攻撃を行った。これには、茂吉が論争には勝ったとされているが、アララギ内部においても、冷ややかな反応となり、茂吉はやや浮いてしまうようになった。
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この時代は、短歌の若い人たちがプロレタリア短歌にひかれるなかで、写生主義の『アララギ』と、象徴主義の『潮音』が、それぞれ、自分の主義を第一において、他を2番3番と位置づけていることの、三つ巴のような背景があって、太田水穂が斎藤茂吉にしかけただろうことが想像される。
短詩において模倣、剽窃、暗合、は、死活問題っちゃあそうなんだけどね。現在ではこういう戦い方にはならんわねぇ。
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七首連作「そんな物理へ」
早食いのように思想を飲み込んで塩と甘さと油でうまい
キンモクセイの花言葉が謙虚だなんてふふっと笑うふふっと香る
メメント・モリみたいな気取ったものじゃなく死ぬる命として夜眠る
戦争になったらぼくらどうしよう勝てる方へとカニ歩きしそう
死ぬことはそんなに悪いことじゃない永遠が永遠に終わるだけ
白樺の林を歩く、包帯を巻いた少女のアニメも終わる
再生(Renaissance)に犠牲が要るか、だとしたら手も合わせるぜそんな物理へ