前回は文系不要論的な話をしましたが、古くは夏目漱石の小説なども一段低級な娯楽と考えられていたように、文学といわれる存在がなにか高尚な、立派なものであった時代というのはそもそも少なくて、現在は文学が低迷しているように見えているけれども、やはり日本の戦後がちょっと特殊だったのではないか、というふうに思ったりします。
文学は、かつて心理学が普及しだした頃も、文学なんて不要に思われただろうし、情報処理技術が発展した頃も、文学の役目は奪われるように感じられたし、昨今では、社会学がことごとく現象に名前をつけてゆくので、文学がようやっと編み出した言葉も、ああ、〇〇のことね、と理解されてしまったりします。
NIMBYのエゴを正義にすり替えて傷つきたくない行列が行く
そうした時代に短歌表現は、気の利いた言葉あそびだったり、伝わりにくい個人感覚だったり、あるいは、用語のコミュニケータだったりしながら、ハイコンテクストに、誤解と理解の草をなびかせてゆく。
マザーグースのことばのようによみかえてよみかえてなお不思議なあなた
かつて、このまま短歌を続けるのはあまり良くないのではないか、と考えて、離れた時期があった。自分が、短歌を作ることで、自分は短歌的に思考し、世界を短歌的に切り取って理解する癖がついてしまったのではないか、と恐れたのだ。
国際化できえぬ宿痾、日本語が世界を日本語化して佇む
それについてはいろいろあって現在なわけですが、まあ短歌的というには、もうちょっと上手いのを作れよ、という声はおっしゃるとおりです。
自選。
ゴータミーの悲しみが消えたわけでなく孤独が加わって罌粟の咲む
新世紀13年目の休日を浴槽で少し居眠りをする
さわやかな初夏の電車の昼前の床にひとつの海月溶けおり
数日で消えると知りて洗面器にくらげを飼うことを許したる父
だんごむし死しては生まれ生まれして人間の終わる日を待ちにけり
今日の光を真白く受けて万華鏡の細片がぎこちなく落ちつづく
陽の光に部屋の埃の舞い上がるしばらく、ひとつの肯定ありぬ
2015年11月29日日曜日
2013年05月の31首
海の名を冠した山の名の酒にひとしきり酔い五月、花桃
端末の電波の強度をタネにして知人と呑みつ、年古ればかく
檻を離(か)り森のけものとなる今も人間を見れば一声鳴けり
小書店に君の名前を見つけるも文体少し寒々しかり
兄の子を片手であやし失くすまで確かに持ちいし生の意味思う
紙魚跳ねて泳ぐ気配の古書店の正午を過ぎて思想かたよる
NIMBYのエゴを正義にすり替えて傷つきたくない行列が行く
マザーグースのことばのようによみかえてよみかえてなお不思議なあなた
国際化できえぬ宿痾、日本語が世界を日本語化して佇む
ゴータミーの悲しみが消えたわけでなく孤独が加わって罌粟の咲む
別れの日にこんな笑顔を見るなんて祭りのお面の中の汗顔
新世紀13年目の休日を浴槽で少し居眠りをする
十年を一日にして蝋燭の消えそうなまでうねって消えず
霊長のまなざしをもて森林とともに減りゆく生き物を観る
さわやかな初夏の電車の昼前の床にひとつの海月溶けおり
老兵というわけでなく、魂も肉体もすぐに君から去らむ
数日で消えると知りて洗面器にくらげを飼うことを許したる父
だんごむし死しては生まれ生まれして人間の終わる日を待ちにけり
今日の光を真白く受けて万華鏡の細片がぎこちなく落ちつづく
来世紀もクリックすると人類は思えず、遅い昼食に行く
あーあ、と嘆くほど土屋文明の歌面白く四十路のくるか
死者名簿を風通しして吹く風の去りしようにて居るここちする
板縁に腰かけて眺むあじさいの色決まる前のみどり若やか
「差別的」は差別か否か、「父親的」と牽制されて君に突っかかる
投影の技術のことを考えてプラネタリウムの時間終わりぬ
甘すぎるミルクティーなり、仕事から逃れて迷わず頼んだものは
花の降る午後に誰かが祝福を受けるにあらむ、泣くまいと思う
陽の光に部屋の埃の舞い上がるしばらく、ひとつの肯定ありぬ
気圧計で気圧の下降を確かめてこの失望を頭痛と知りぬ
枯れ枝の完全に枯れてしまうまで芯は青さに湿れるものか
生きている世界をうんと変えるべく夏断(げだ)ちをはじむ、世界とはわれ
端末の電波の強度をタネにして知人と呑みつ、年古ればかく
檻を離(か)り森のけものとなる今も人間を見れば一声鳴けり
小書店に君の名前を見つけるも文体少し寒々しかり
兄の子を片手であやし失くすまで確かに持ちいし生の意味思う
紙魚跳ねて泳ぐ気配の古書店の正午を過ぎて思想かたよる
NIMBYのエゴを正義にすり替えて傷つきたくない行列が行く
マザーグースのことばのようによみかえてよみかえてなお不思議なあなた
国際化できえぬ宿痾、日本語が世界を日本語化して佇む
ゴータミーの悲しみが消えたわけでなく孤独が加わって罌粟の咲む
別れの日にこんな笑顔を見るなんて祭りのお面の中の汗顔
新世紀13年目の休日を浴槽で少し居眠りをする
十年を一日にして蝋燭の消えそうなまでうねって消えず
霊長のまなざしをもて森林とともに減りゆく生き物を観る
さわやかな初夏の電車の昼前の床にひとつの海月溶けおり
老兵というわけでなく、魂も肉体もすぐに君から去らむ
数日で消えると知りて洗面器にくらげを飼うことを許したる父
だんごむし死しては生まれ生まれして人間の終わる日を待ちにけり
今日の光を真白く受けて万華鏡の細片がぎこちなく落ちつづく
来世紀もクリックすると人類は思えず、遅い昼食に行く
あーあ、と嘆くほど土屋文明の歌面白く四十路のくるか
死者名簿を風通しして吹く風の去りしようにて居るここちする
板縁に腰かけて眺むあじさいの色決まる前のみどり若やか
「差別的」は差別か否か、「父親的」と牽制されて君に突っかかる
投影の技術のことを考えてプラネタリウムの時間終わりぬ
甘すぎるミルクティーなり、仕事から逃れて迷わず頼んだものは
花の降る午後に誰かが祝福を受けるにあらむ、泣くまいと思う
陽の光に部屋の埃の舞い上がるしばらく、ひとつの肯定ありぬ
気圧計で気圧の下降を確かめてこの失望を頭痛と知りぬ
枯れ枝の完全に枯れてしまうまで芯は青さに湿れるものか
生きている世界をうんと変えるべく夏断(げだ)ちをはじむ、世界とはわれ
2015年11月28日土曜日
2013年04月作品雑感。
もう来週は12月なので、ずいぶん寒くなってきました。日本人はマスクをよくしている、と何かで読んだ記憶がありますが、日本人にとってマスクは、風邪や花粉症だけでなく、防寒具であったり、もっとメンタルな装備であったりします。
マスクとは拒絶のかたち、ウイルスから花粉から匂いから社会から
マスクも数年前から比べると高くなったよね。
最近の話題で、文系学部不要論みたいなのがあって、これ自体はむかーしからある理系文系対立の系譜だろうし、実利と豊かさみたいな(いや、逆に豊かさは実利で実利は豊かさで、みたいな)軸のコンセンサスがとれていない議論が繰り返されるのだろうけれど、文学史を振り返ると、文学はやはり豊かさのようなものが前提に必要であるし、本質的でありながら余剰、不要分も含まなければならなくて、攻撃されるのは当然であると思いながらも、数が減ると貧しくならざるをえないなあとは思う。
「文学は突進せよ」のアジ遠く仮死状態の眉が引き攣る
茂吉忌は二月だったか、敗戦後葡萄を見ている老人を思う
たしかに文学は、サッカーの日本代表のレベルを上げるにはサッカー人口を増やさないといけないような側面もありながら、結局天才1人が道をひらく、そういう側面があることも否めないけどね。
自選。
善も悪もいや生い茂る律動の春とう舟にわれも揺れつつ
落ち椿馘首のごとく無残なりし門前も掃除されて跡なし
一寸の虫にもあらむ魂のナノあたりから比率あやしき
虫眼鏡の焦点を過ぎて広がりぬ円錐形の淡き明るさ
2013年04月の30首
善も悪もいや生い茂る律動の春とう舟にわれも揺れつつ
人の壊れに段階のあるを思いつつ真顔の母に笑顔を返す
もう少し白くてもいいこの街を高架橋から君と見ており
確率論のしわざのままでいたいから因果を云うと聞き流すなり
イヤホンのヘヴィーメタルのサウンドがバロックめく頃会社に着けり
絶句して桃を見ていた、過ぐ春の空気も光る風景にあって
「文学は突進せよ」のアジ遠く仮死状態の眉が引き攣る
茂吉忌は二月だったか、敗戦後葡萄を見ている老人を思う
レーゼドラマのような女性のジェンダーの口調で我を拒みてし人
クリックで分かり合えたる心地して釣り合わぬほどの孤独の生(あ)るる
浴槽に身を沈めふと幸福はあふれるごときことかと思う
落ち椿馘首のごとく無残なりし門前も掃除されて跡なし
マスクとは拒絶のかたち、ウイルスから花粉から匂いから社会から
景として君のピントはぼやけゆき青黛の眉のラインひとすじ
音楽の孤独の部分ばかり聴き薄青き朝をさみしく思う
いまひとつ掴めていない言説が承認されないことぞたのしき
セーヌ川に頭を突っ込む日本人の曲を聴きつつ目黒川越ゆ
貴種流離の花屋の娘が変装し悪と戦うアニメの世界
嘘をつく子供の目には臆病と怒りと怯えと優しさがある
校庭のなんじゃもんじゃの木の下で少年期ひとつ終わるを見おり
放課後の食堂の脇で延々と音階練習して青春期
苦しみを乗り越えて君の精神の様のごとくに深きホルンは
コンビニのポスターで知る定演の店長OB説の妄想
ここまでは来たのだけれどコンビニで一本煙草を吸うまでに決める
目の前に分岐コマンド現れてリスクを選ぶ心を量る
確信もいらぬ理詰めの手堅さで人間の玉が詰められていく
生命の系統樹には僕までの運ぶ決意が枝なしていて
アクセスの切れ目が縁の切れ目にて私淑とか格好つけてさびしき
一寸の虫にもあらむ魂のナノあたりから比率あやしき
虫眼鏡の焦点を過ぎて広がりぬ円錐形の淡き明るさ
人の壊れに段階のあるを思いつつ真顔の母に笑顔を返す
もう少し白くてもいいこの街を高架橋から君と見ており
確率論のしわざのままでいたいから因果を云うと聞き流すなり
イヤホンのヘヴィーメタルのサウンドがバロックめく頃会社に着けり
絶句して桃を見ていた、過ぐ春の空気も光る風景にあって
「文学は突進せよ」のアジ遠く仮死状態の眉が引き攣る
茂吉忌は二月だったか、敗戦後葡萄を見ている老人を思う
レーゼドラマのような女性のジェンダーの口調で我を拒みてし人
クリックで分かり合えたる心地して釣り合わぬほどの孤独の生(あ)るる
浴槽に身を沈めふと幸福はあふれるごときことかと思う
落ち椿馘首のごとく無残なりし門前も掃除されて跡なし
マスクとは拒絶のかたち、ウイルスから花粉から匂いから社会から
景として君のピントはぼやけゆき青黛の眉のラインひとすじ
音楽の孤独の部分ばかり聴き薄青き朝をさみしく思う
いまひとつ掴めていない言説が承認されないことぞたのしき
セーヌ川に頭を突っ込む日本人の曲を聴きつつ目黒川越ゆ
貴種流離の花屋の娘が変装し悪と戦うアニメの世界
嘘をつく子供の目には臆病と怒りと怯えと優しさがある
校庭のなんじゃもんじゃの木の下で少年期ひとつ終わるを見おり
放課後の食堂の脇で延々と音階練習して青春期
苦しみを乗り越えて君の精神の様のごとくに深きホルンは
コンビニのポスターで知る定演の店長OB説の妄想
ここまでは来たのだけれどコンビニで一本煙草を吸うまでに決める
目の前に分岐コマンド現れてリスクを選ぶ心を量る
確信もいらぬ理詰めの手堅さで人間の玉が詰められていく
生命の系統樹には僕までの運ぶ決意が枝なしていて
アクセスの切れ目が縁の切れ目にて私淑とか格好つけてさびしき
一寸の虫にもあらむ魂のナノあたりから比率あやしき
虫眼鏡の焦点を過ぎて広がりぬ円錐形の淡き明るさ
2015年11月23日月曜日
2013年03月作品雑感。
よく、薄っぺらい社会批評は、大きな事件があると、すぐ◯◯以前◯◯以後なんて言い方をする、と書かれたりするが、2013年3月は、やはり、震災2年目であった。
東日本大震災は、地震と、津波と、原発事故の側面があるが、災害から2年経つと、その被害の大きさは、津波、地震そして原発であったことが、冷静に見えてくるのだ。
死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ
翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる
いやおうなく時間はすぎて、冬は春となってゆく。
海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり
3月になると春の歌が増えてくるが、書いている今が11月なので、あまり引くのもどうかという気分になる。
自選。
愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし
脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ
春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ
東日本大震災は、地震と、津波と、原発事故の側面があるが、災害から2年経つと、その被害の大きさは、津波、地震そして原発であったことが、冷静に見えてくるのだ。
死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ
翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる
いやおうなく時間はすぎて、冬は春となってゆく。
海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり
3月になると春の歌が増えてくるが、書いている今が11月なので、あまり引くのもどうかという気分になる。
自選。
愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし
脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ
春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ
2013年03月の31首
演劇批評に植民地の語あらわれて細き定義のかげろうをみる
腓の細い女の何に憤りデパートの床の反射を睨む
一生二生を君と別れてその後は彗星のカーブ過ぎたるごとし
水車小屋は冥府の口に佇んで午睡のような声響くなり
彗星の軌跡のついに違(たが)えれば星のまたたく意味ひとつ知る
いにしえは洞窟に知を匿いて巨人となりて天球に触(ふ)る
地を割って濫喩の馬が湧き上がり鼻を鳴らして探すは我か
杉玉のくたびれている居酒屋に人を待ちいて何ぞ朽ちいる
昼間から酒飲むオヤジの軽口に笑う店員の日本語訛り
愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし
死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ
翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる
海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり
「社会からしばらく席を外します」付箋を貼って明るき午後へ
パスワードを記した付箋を失ってもう二十代にログインできぬ
花びらのひとつコップに浮かぶのを見ていし春よ、あれより独り
せんだって胃瘻の報を聞きたりしが今日訃のメールが来たる知人の
選びくれし菓子のいつでも美味しくてその才能の訃報を聞けり
脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ
瞳から君が湛えてきた夜の森林を見つ、木陰の蒼し
君のいう天国(heaven)はどこか避難所(haven)の匂いを帯びているが触れずき
桜並木を抜ければ車ごとの春、春の男の顔をするべし
二十年の旧友に会う、鰹節の表面のような会話でもよし
春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ
見る前に跳ぶか否かを迫りいし昭和、レミングの自殺も虚妄
成し遂げねば死ねぬ理想に取り置かれ残滓は残滓として節しおり
持続可能な未来の為に人類は節制すべし、まずは数から
見上げては春が来たよと呼びかけつ、つぼみのままの夜の枝先
人なきあとネットのアスレチックには女と猫が愉しんでおり
明け方のまだ明けきっていない夜オリオン傾きいる臭い街
ゲーテ論の終わりまできて乙女座の性格とされて論ごと消せり
腓の細い女の何に憤りデパートの床の反射を睨む
一生二生を君と別れてその後は彗星のカーブ過ぎたるごとし
水車小屋は冥府の口に佇んで午睡のような声響くなり
彗星の軌跡のついに違(たが)えれば星のまたたく意味ひとつ知る
いにしえは洞窟に知を匿いて巨人となりて天球に触(ふ)る
地を割って濫喩の馬が湧き上がり鼻を鳴らして探すは我か
杉玉のくたびれている居酒屋に人を待ちいて何ぞ朽ちいる
昼間から酒飲むオヤジの軽口に笑う店員の日本語訛り
愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし
死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ
翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる
海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり
「社会からしばらく席を外します」付箋を貼って明るき午後へ
パスワードを記した付箋を失ってもう二十代にログインできぬ
花びらのひとつコップに浮かぶのを見ていし春よ、あれより独り
せんだって胃瘻の報を聞きたりしが今日訃のメールが来たる知人の
選びくれし菓子のいつでも美味しくてその才能の訃報を聞けり
脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ
瞳から君が湛えてきた夜の森林を見つ、木陰の蒼し
君のいう天国(heaven)はどこか避難所(haven)の匂いを帯びているが触れずき
桜並木を抜ければ車ごとの春、春の男の顔をするべし
二十年の旧友に会う、鰹節の表面のような会話でもよし
春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ
見る前に跳ぶか否かを迫りいし昭和、レミングの自殺も虚妄
成し遂げねば死ねぬ理想に取り置かれ残滓は残滓として節しおり
持続可能な未来の為に人類は節制すべし、まずは数から
見上げては春が来たよと呼びかけつ、つぼみのままの夜の枝先
人なきあとネットのアスレチックには女と猫が愉しんでおり
明け方のまだ明けきっていない夜オリオン傾きいる臭い街
ゲーテ論の終わりまできて乙女座の性格とされて論ごと消せり
2015年11月22日日曜日
2013年02月作品雑感。
インターネットがインフラとして定着する前は、知らない人と会話することは、基本的には不可能であった。不特定多数の人に考えを述べたり、著名人と意見を交換することは、運やみずからの才能の他がないかぎり、お金や時間がかかるものだった。
現在ではこうして、あまり読まれないにしても文章を公開することができるし、著名人に話しかけたりも出来なくはない。この生活様式は、とても異常なはずなのだが、当たり前に思ってしまっている。インターネットによる生活様式の変化は、他にもアップル製品や、ツイッター、ニコニコ動画、2ちゃんねるなどあるが、やはりグーグルは、検索だけでなく、地図など、生活に欠かせないものになってしまった。
グーグルアースにゲニウス・ロキも映されて蛇怒りつつ去っていくなり
衛星写真にコラージュされたふるさとの無人のくせに明るいおもて
鏡の中のぼくも思考しうるのなら、ゲニウス・ロキ(地霊)も鏡に住めるのかもしれない。いや、むしろ、人がいなくなって、記憶する人もなくなってしまってから、この風景は脈うつのかもしれない。
こんなに生活様式が異なって、過去を失いながら、なお、31文字の表現を、声に出さず、書きもせず、打ち言葉で、横書きで、ディスプレイに表示しながら、表現するのは、とても奇妙なことだ。万葉人の心情がわかるのは、不思議なことだ。
第一歌の解釈あやしき万葉の菜摘ます君がかすみつつ笑む
手紙、電話、ファクス、メールと近づいて逢ってしまわぬまでが相聞
もっとも、恋は不変だ、みたいなものも、様式が変われば、たぶんなくなる。というか、すでに相当変わっているのだろう。
自選。
冷蔵庫にパンのシールを貼りしまま彼女は去りにけり、去りにけり
水車小屋の遠くに見える川辺にてオフィーリアの手のかたちを思えり
水瓶座のぼれば乾季ようやくに終わらんとする異国の夜分
慈雨はじまりみるみる染まる土の色の雨とは何か土とは何か
現在ではこうして、あまり読まれないにしても文章を公開することができるし、著名人に話しかけたりも出来なくはない。この生活様式は、とても異常なはずなのだが、当たり前に思ってしまっている。インターネットによる生活様式の変化は、他にもアップル製品や、ツイッター、ニコニコ動画、2ちゃんねるなどあるが、やはりグーグルは、検索だけでなく、地図など、生活に欠かせないものになってしまった。
グーグルアースにゲニウス・ロキも映されて蛇怒りつつ去っていくなり
衛星写真にコラージュされたふるさとの無人のくせに明るいおもて
鏡の中のぼくも思考しうるのなら、ゲニウス・ロキ(地霊)も鏡に住めるのかもしれない。いや、むしろ、人がいなくなって、記憶する人もなくなってしまってから、この風景は脈うつのかもしれない。
こんなに生活様式が異なって、過去を失いながら、なお、31文字の表現を、声に出さず、書きもせず、打ち言葉で、横書きで、ディスプレイに表示しながら、表現するのは、とても奇妙なことだ。万葉人の心情がわかるのは、不思議なことだ。
第一歌の解釈あやしき万葉の菜摘ます君がかすみつつ笑む
手紙、電話、ファクス、メールと近づいて逢ってしまわぬまでが相聞
もっとも、恋は不変だ、みたいなものも、様式が変われば、たぶんなくなる。というか、すでに相当変わっているのだろう。
自選。
冷蔵庫にパンのシールを貼りしまま彼女は去りにけり、去りにけり
水車小屋の遠くに見える川辺にてオフィーリアの手のかたちを思えり
水瓶座のぼれば乾季ようやくに終わらんとする異国の夜分
慈雨はじまりみるみる染まる土の色の雨とは何か土とは何か
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